EP 3
三ツ星シェフの極秘スパルタマナー講座
自室の防音結界を解除し、ドワーフ製の魔導通信石をバックパック型魔法ポーチの奥底へとしまい込む。
前世の冷徹なフィクサーとしての顔を引っ込め、鏡の前で頬を両手で軽く叩いたリアンは、完璧な「九歳の無邪気な子供」の表情を顔面に張り付けた。
ガチャリと扉を開け、一階のリビングへと駆け下りる。
そこには、依然として帝都大晩餐会の招待状を前に頭を抱えている元A級冒険者の両親の姿があった。
「父さん! クラウス君に話してみたら、良いって言ってくれたよ!」
リアンが満面の笑みで報告すると、重苦しかったリビングの空気が一変した。
「おぉ! そうか、でかしたぞ! リアン、流石は俺の息子だ!」
アークスが歓喜の声を上げ、立ち上がってリアンを抱きしめた。
ミシミシッ! と、推定百馬力を優に超える元騎士の筋力が、九歳の華奢な肋骨を軋ませる。リアンは内心で(痛い痛い痛い! 闘気を無意識に漏らすな!)と悲鳴を上げつつも、「えへへっ」と無邪気な声でハグを受け流した。
マーサもホッと胸を撫で下ろし、目尻を下げる。
「ありがとう、リアン。アルヴィン侯爵家が後ろ盾になってくださるなら、少しは安心ね」
「うんっ! じゃあ……はい! これから、マナーを学びます!」
リアンがビシッと小さな人差し指を天に向ける。
「マナー?」
マーサが目を瞬かせた。
「うん、僕がルナミス学園で徹底的に厳しく教えられたテーブルマナーだよ!」
もちろん、これは真っ赤な嘘である。
学園のタコ部屋でタコ焼きを焼いていたリアンが教わったマナーなど皆無だ。彼が今から両親に叩き込もうとしているのは、前世において彼が血の滲むような努力で習得した「三ツ星シェフ」としての絶対的なテーブルの流儀である。
しかし、両親を社交界の笑い者にし、クライン家の財政的・社会的破滅(=リアン自身の平穏の崩壊と自動販売機化)を防ぐためには、この両親の「貴族レベル」を強引に底上げしなければならない。
「晩餐会でアルヴィン侯爵家の隣に立つなら、恥ずかしくない振る舞いをしないとね! まずは実践だよ!」
リアンは両親を豪華なオーク材のダイニングテーブルに座らせると、厨房へ向かった。
そして数分後、リアンがワゴンに乗せて運んできたのは、芳醇な香りを漂わせる二枚の極厚ステーキと、澄み切った黄金色のコンソメスープだった。
「おや? うちの料理長が作ったのか? いい匂いだな」
「うん、僕がちょっとお手伝いして運んできたの! さあ父さん、これが晩餐会のメインディッシュだと思って。どうやって切る?」
リアンは、三ツ星シェフの技法で完璧なミディアムレアに焼き上げたステーキ(親には内緒だ)をアークスの前に置いた。
アークスは「ふむ」と腕を組み、純銀のナイフとフォークを手に取った。
「こうだろう?」
アークスがナイフを肉に当てた、その瞬間だった。
元A級冒険者であり、数多の魔獣を屠ってきた騎士の防衛本能が、無意識に『刃物を持つ』という行為に連動した。
ズウンッ、と室内の大気が重くなる。アークスの手元のバターナイフに、可視化できるほどの高密度の『闘気』がゴウッと纏わりついたのだ。
「フッ!」
裂帛の気合いと共にナイフが振り下ろされる。
スパーーーンッ!!
「……あ」
肉が切れるどころの騒ぎではなかった。
ステーキ肉はもちろんのこと、その下にあった高価な純金箔の皿、さらには特注の分厚いオーク材のダイニングテーブルまでもが、まるで豆腐のように真っ二つに両断され、轟音と共に床に崩れ落ちたのだ。
「と、父さん!? なにしてるの!!」
「い、いや! 違うんだリアン! 肉が少し分厚かったから、つい『オークキングの首を落とす時の力加減』で闘気を……!」
リアンの脳内で、猛烈な勢いで電卓が弾かれた。
(純金皿の損壊、特注テーブルの減損処理……! バカなのか! 肉を切るのに闘気はいらない! ドラゴンを解体してるんじゃないんだぞ!!)
内心で血の涙を流しながらも、リアンは引きつった笑顔を浮かべる。
「と、闘気は使っちゃダメだよ、父さん。晩餐会でお皿を割ったら怒られちゃうからね」
「そ、そうだな……すまん、リアン」
気を取り直して、リアンはマーサの方へ向き直った。
「母さん、気を取り直してスープの練習をしよう! これをどうやって飲む?」
マーサは黄金色のスープを見つめ、真剣な顔で頷いた。
「ええ、任せてちょうだい。ダンジョンにおいて、見知らぬ液体はスライムの擬態か、致死性の猛毒と相場が決まっているわ。まずは安全確認ね」
マーサの賢者としての本能が牙を剥く。
彼女はスプーンを持つ代わりに、愛用の魔杖を取り出し、高速で解析魔法の詠唱を始めた。
「……む? 複雑な有機化合物の反応があるわね。未知の香辛料……それに、この独特の旨味成分は一体……!?」
(当たり前だ、俺が前世の知識で三日煮込んだ特製ブイヨンだからな!)とリアンが心の中で突っ込む隙も与えず、マーサの顔色が変わった。
「未知の毒物の可能性大! 敵襲よ、アークス! 迎撃プロトコル、起動!!」
「なっ、母さん、ストップ!!」
マーサの杖の先端に、凄まじい熱量を持った『フレイム・アロー』が顕現する。室温が一気に急上昇し、飾られていたカーテンがチリチリと焦げ始めた。
「ストォォォップ!! 晩餐会の席で火炎魔法を準備しないで! 宣戦布告になるでしょ! お城が燃えちゃうよ!」
「ハッ! ご、ごめんなさいリアン! ついいつもの癖で……!」
マーサが慌てて魔法を霧散させる。
リアンはその場にへたり込み、深く、深く息を吐き出した。
(……ダメだ。完全に計算違いだ)
簿記一級の思考回路が、冷徹に現状の『費用対効果(ROI)』を弾き出す。
この二人の脳の構造は、完全に「A級冒険者の戦闘仕様」に最適化されている。一朝一夕の訓練で、優雅に談笑しながら食事を楽しむ貴族に仕立て上げるなど、砂漠に水を撒くような不良債権だ。晩餐会までに間に合うはずがない。
「……ねえ、二人とも」
リアンは立ち上がり、パンッと両手を叩いた。
「方針を変えよう。二人は無理に優雅に振る舞わなくていいよ」
「えっ? でも、それじゃあ他の貴族たちに……」
「大丈夫。父さんは『ガルーダ獣人軍を壊滅させた歴戦の英雄』なんだ。だから、ペラペラとお喋りをする必要なんてないんだよ」
リアンは、三ツ星シェフとしての知識と、フィクサーとしてのブランディング戦略を融合させた「最適解」を口にした。
「もし、嫌味な貴族が話しかけてきても、絶対に言葉を返しちゃダメ。ただ腕を組んで、相手の目を『魔獣の急所を見定める時の目』で、ジッと静かに睨みつけるんだ。そして、最後に一回だけ『フッ』って鼻で笑って頷く。それだけでいい」
「相手を睨みつけて、頷く……? それだけでいいのか?」
「うん! それが『歴戦の強者』のマナーだよ! 言葉を交わさない方が、逆に不気味で凄そうに見えるでしょ?」
さらにリアンは、シェフの知識を「学園で教わった」という体で伝授する。
「毒の確認も、魔法を使っちゃダメ。銀のスプーンが黒く変色しないか、スープの香りにアーモンドや金属臭が混ざっていないか……人間の五感で確かめる方法を、今から僕が教えるからね」
「なるほど……魔法や闘気に頼らず、気配と五感で殺気を読むのだな。それなら俺たちの得意分野だ!」
アークスとマーサの目に、歴戦の冒険者としての鋭い光が戻った。
試しに二人に「腕を組んで無言で睨みつける」ポーズをやらせてみる。
……そこには、圧倒的な修羅場を潜り抜けてきた本物の強者だけが持つ、人をすくみ上がらせるような強烈な威圧感があった。並の貴族なら、数秒睨まれただけで失禁しかねない迫力だ。
(よし。これなら、余計なボロを出さずに『得体の知れない大物』として場を乗り切れる)
リアンは内心でガッツポーズを決めながら、にっこりと九歳の子供の笑顔を浮かべた。
「完璧だよ、父さん、母さん! これで晩餐会はバッチリだね!」
シンフォニア家の「沈黙の英雄」偽装計画。
リアンの緻密なプロデュースにより、帝国の貴族社会を恐怖に陥れる最凶の男爵夫婦が、ここに誕生したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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