EP 21
金属鍋の目覚ましと、学園交番への左遷
ルナミス魔法学園、男子寮の一室。
カーテンが固く閉め切られ、昼間だというのにどんよりと薄暗いその部屋のベッドで、一人の少年がまるで数千年前に埋葬されたミイラのように干からびていた。
1年S組のプロデューサーにして、不屈の天才シェフ――リアン・シンフォニアである。
「……金……俺の……金貨……。返せ、ルチアナ……あのクソ女神……」
うわ言のようにブツブツと恨み言を呟きながら、シーツにくるまってピクリとも動かない。
学園祭での『絶望サラダ』による輝かしい大勝利と、公爵令息ユリウスから勝ち取った莫大な報酬。彼の手元には一時、アーリーリタイア資金の目標額である【金貨560枚(約5600万円)】が存在していた。
だが、そのすべては女神ルチアナの理不尽な天罰(配信規約違反という名目の横領)、および生徒会によるえげつない搾取(プラットフォーム税)によって、文字通り一瞬にして宇宙のチリと消え去ったのだ。
完全に無一文に返り咲いたリアンは、絶望のあまりベッドから一歩も出ず、光合成をやめた植物のように命の炎を消しかけていた。
そこへ。
ガチャリ、と合鍵(なぜ彼女がリアンの部屋の合鍵を持っているのかは、ルナミス学園における最大のミステリーの一つである)を使って、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「リアンくーん! 朝(というかもうお昼)だよー! いつまで寝てるのー!★」
元気いっぱいの声と共に侵入してきたのは、1年S組のメインヒロイン(物理アタッカー)、ルナである。
「…………」
リアンは反応しない。魂が半分抜けかけて、三途の川で金貨を拾おうとしている最中なのだ。
ルナはベッドの横に立ち、腕を組んでふーむと首を傾げた。
「だめだなぁ、リアン君。過去の失敗を引きずってちゃ、立派な主人公にはなれないよ! ここは私が、ヒロインとしての愛の力でパッチリお目覚めさせてあげないと!」
ルナは背中に隠し持っていた『あるアイテム』を取り出した。
それは、家庭科室から無断で拝借してきたであろう、底の深い【金属製の両手鍋(寸胴)】と、頑丈な【ステンレス製のお玉】である。
「えいっ♪」
ルナは、死体のように眠るリアンの顔面に、その金属鍋をスッポリとかぶせた。
「ふがっ……!? な、なんだ……前が見えねぇし、息が……」
突然顔を冷たい金属で覆われ、リアンがパニックになって身をよじった。
その、直後である。
ルナはお玉を大きく振りかぶり、リアンの顔面を覆う金属鍋の底に向かって、ピッチャーの全力投球さながらの渾身のフルスイングを放った。
カァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!
「ぎぃにゃあああああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!??」
密閉された金属鍋の中で反響する、致死量の超高音と物理的な振動。
その衝撃はただの音ではなかった。鍋という反響空間で極限まで増幅された金属音は、リアンの三半規管を直接揺さぶり、脳髄をミキサーにかけてシェイクするような恐るべき破壊力を伴っていた。
それはまるで、教会の巨大な鐘の真下で、両耳にシンバルを叩き鳴らされたような、鼓膜をダイレクトに粉砕する絶望の目覚まし音だった。
「あばばばばばっ!? み、耳が! 俺の鼓膜がァァァッ! 脳みそがバグるぅぅぅっ!!」
リアンはスライムのように跳ね起き、顔に被さっていた鍋をかなぐり捨てて、耳を両手で押さえながらベッドの上でのたうち回った。
「おはようリアン君! 昨日読んだ漫画でやってた『絶対に起きるギャグ目覚まし』を実践してみたんだけど、効果バツグンだったね!★」
「バカヤロウ! 殺す気か! 漫画のギャグ表現を現実に持ち込むな! 鼓膜から血が出てる気がするんだけど!?」
リアンは涙目でルナを睨みつけた。頭の中では未だに「キーン」という不快な耳鳴りが大合唱している。
「もう……いつまでも『お金が〜』ってウジウジしてるからだよ! リアン君には、いつでも自信満々で悪いこと企んでてほしいの!」
「悪かったな! アーリーリタイア資金の5000万を二度も失って、どうやってポジティブになれって言うんだよ! いま俺の財布に入ってんの、銅貨数枚だぞ! 駄菓子しか買えねぇよ!」
リアンが枕を床に叩きつけてブチ切れていると、開けっ放しのドアから、もう一人の来訪者が静かに姿を現した。
銀縁の眼鏡をギラリと光らせた、生徒会会計のカトレアである。
「随分と騒がしいですね、1年S組。相変わらず風紀の乱れを感じます」
「げっ、生徒会! お前、よくも俺の金貨を根こそぎピンハネしてくれたな! なんの用だ、これ以上俺から搾り取るものなんてねぇぞ!」
リアンが親の仇を見るような目でカトレアを睨む。
だが、無慈悲なる徴税人・カトレアは一切表情を崩さず、手元のバインダーから一枚の書類(辞令)を取り出してリアンに突きつけた。
「本日は、あなた方に『ペナルティ』と『業務命令』を伝えに来ました」
「ペナルティだぁ?」
「ええ。学園祭において、あなた方が引き起こした『失恋パンデミック事件』、および『無許可での帝都地下迷宮探索』。これらは学園の風紀を著しく乱す行為として、生徒会で問題視されました」
カトレアが眼鏡をクイッと押し上げる。
「よって、1年S組の皆さんには、本日から放課後の奉仕活動として『学園交番(風紀取り締まり特別詰所)』での勤務を命じます」
「……は? 学園交番? なんだそりゃ。そんな施設、聞いたこともねぇぞ」
リアンが怪訝な顔をした。
「無理もありません。元々は使われていなかった用具置き場を改装した、ただのプレハブ小屋ですから。日当たりの悪い学園のハズレにポツンと建っている、いわば問題児の『左遷先(掃き溜め)』です」
カトレアは容赦なく事実を告げる。
「ルナミス学園は広大です。生徒間の小さなトラブル、落とし物、購買部での軽犯罪など、本部の風紀委員だけでは手が回らない雑務が存在します。あなた方には、その掃き溜めの交番で一時的な『ポリス(警察官)』として働いてもらいます」
「ふざけんな! なんでこの天才プロデューサーの俺が、そんな窓際部署みたいな交番で、迷子探しやパトロールなんて地味な真似をさせられなきゃならねぇんだ! 断る! 俺は忙しいんだ、どうやってまた5000万稼ぐかの計画を立てるのに!」
リアンが即座に拒否しようとした、まさにその時だった。
「奉仕活動とはいえ、これは学園公式の業務です。当然、労働基準に則り『時給制』で給与が支払われます」
カトレアが淡々と告げた。
「基本給は時給銀貨2枚(約2000円)。さらに、事件を解決したり、悪質な犯人を検挙した場合には、生徒会から『特別ボーナス(成果報酬)』が金貨で支給されます」
「……時給。ボーナス……だと?」
ピクリ。
リアンの頭の上で、見えない獣の耳がピンと立ったような錯覚があった。
そして、絶望と睡眠不足で濁りきっていた彼の瞳に、強烈な【円マーク】がカッと音を立てて輝きを放った。
「……なるほど? つまり、事件を解決すればするほど金がもらえる。学園の治安維持という『大義名分』を使って、合法的に荒稼ぎができるってことだな?」
リアンは口元を手で覆い、悪徳政治家のような、いや、それ以上に極悪な笑みを浮かべた。
「あっ、リアン君の顔が、また悪い顔になったよ!★」
「ルナ、S組の連中を全員招集しろ! 今すぐだ!!」
リアンはベッドから跳ね起き、一瞬にしてシワだらけのパジャマから制服へと着替えた。
鼓膜の痛みも、5000万を失った絶望も、すでに彼の脳内からは完全にデリートされていた。
「いいか、俺たちは今日から正義の味方だ! 学園のダニどもを片っ端からしょっぴいて、点数を稼ぎまくるぞ! 落ちてる銅貨1枚の横領も逃さねぇ、徹底的な『取り締まりビジネス』の開幕だ!!」
「ええーっ! なんだかよく分からないけど、リアン君が元気になったからいっか! 私、可愛い婦警さんの制服着たいなー!★」
かくして。
全財産を失い、完全に吹っ切れた守銭奴の天才シェフ(兼プロデューサー)は、新たな金脈を求めて『警察権力』という最悪のオモチャを手に入れてしまった。
学園のハズレにある古びたプレハブ交番を舞台に、1年S組によるドタバタ劇が、今まさに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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