EP 17
帝都地下迷宮と、涙目のオニオンナイト
ルナミス帝国、帝都地下迷宮の最深部。
松明の炎が頼りなく揺れる薄暗いダンジョンの中を、1年S組の面々は慎重な足取りで進んでいた。
彼らの顔には全員、水泳用のゴーグルのような『完全密閉型・魔導防護グラス』が装着されている。
「リアン君……前が見えにくいよぉ。それに、なんだか空気がツンとするっていうか、目がシパシパする……」
ルナがグラス越しに目をこすりながら呟いた。
「グラスは絶対に外すなよ。この階層の空気には、すでに奴の放つ微量の『催涙成分』が混ざってる。直に浴びたら、三日三晩泣き続けて脱水症状で死ぬぞ」
リアンは前世愛用の『牛刀(包丁)』を片手に、インテリヤクザのような鋭い視線で暗闇を睨みつけていた。
今回のターゲットである幻の魔獣【涙目のオニオンナイト】。
ただのタマネギと侮るなかれ。その正体は、帝都の地下で何百年も魔力を吸い続けて進化した、歩く『超高濃度・催涙爆弾』である。
「来たぞ……! 構えろ!」
先頭を歩いていたクラウスが、大盾を構えて叫んだ。
暗闇の奥から、カチャ……カチャ……と金属音を鳴らしながら【それ】は姿を現した。
丸々とした巨大なタマネギのボディ。そこから生えた細い手足には、西洋騎士のような銀色の甲冑が装着されている。
「キィィィィンッ!!」
オニオンナイトが、手に持った細身の剣を振りかざし、奇声を上げた。
「タ、タマネギが甲冑着てる! なんだかシュールな見た目だね!★」
「油断するなルナ! 奴の攻撃の真骨頂は、剣術じゃねぇ!」
オニオンナイトが、レイピアを大上段から振り下ろした。
【奥義:ティアーズ・スラッシュ】!!
斬撃そのものはクラウスの大盾で容易に防げた。
だが、剣が空気を切り裂いた瞬間、オニオンナイトのボディ(薄皮)から、致死量レベルの『強烈な催涙ガス』が、可視化できるほどの黄色い霧となって広範囲に噴射されたのだ。
「うわっ!? しまった、防護グラスの隙間からガスが……ッ!」
クラウスが悲鳴を上げる。
魔導防護グラスすら貫通する、浸透圧MAXの催涙成分がS組の面々を包み込んだ。
「あ、あぁぁぁっ……!」
ルナが杖を取り落とし、両手で顔を覆った。
「うわぁぁぁんっ! 昔、楽しみにとっておいた冷蔵庫のプリンを、お父さんに勝手に食べられたのぉぉっ! 今思い出しても悲しいぃぃっ!」
「僕だってぇぇっ! 5歳の時、誕生日に買ってもらったヒーローの剣を、近所のガキ大将に折られたんだぁぁっ! 許せないぃぃっ!」
ルナとクラウスが、過去の『地味に悲しい記憶』を無理やり引き摺り出され、大号泣して地面にうずくまってしまった。
この催涙ガスは、目を刺激する物理攻撃と、精神を揺さぶる魔法攻撃が融合した極悪仕様なのだ。
「ひぃぃっ! 私も、私がタローソンの前で転んで落とした、から揚げがぁぁっ!!」
「キャルルの、お気に入りの安全靴に泥がはねた時の絶望感……うぅぅっ……」
リーザとキャルルもバタバタと倒れ伏し、号泣の海に沈む。
開始わずか数分で、前衛と後衛が完全に無力化されてしまった。
「キィィィン!(どうだ人間ども! 我が涙の剣の前にひれ伏すがいい!)」
オニオンナイトが、勝ち誇ったようにレイピアを掲げる。
だが。
黄色い催涙ガスの霧の中から、一人の影が、何事もなかったかのようにスタスタと歩み出てきた。
「……プリン? おもちゃの剣? から揚げ? ……甘ぇな、お前らの絶望は」
防護グラスを外し、素顔を晒したリアン・シンフォニアである。
彼の瞳からは、一滴の涙も流れていない。
「キ、キィ!?(なぜ泣かない!?)」
オニオンナイトが驚愕して後ずさる。
「前世の底辺フレンチレストラン時代……俺は下積みとして、来る日も来る日も、毎日【100キロのタマネギ】をみじん切りにさせられていた」
リアンの瞳に、常人には理解し得ない『狂気の社畜の記憶』が宿る。
「先輩シェフの怒号が飛び交う中、涙で視界が滲んでも、指を切っても、ひたすら切り続けた。……あの地獄のような厨房の『催涙地獄(タマネギ地獄)』と、自分の将来への『絶望』に比べれば……!」
リアンは愛用の牛刀を構え、オニオンナイトの真正面に立った。
「お前のガスなんて、そよ風以下のハッカ油だ!!」
「キ、キィィィィッ!!(なめるな人間ァァッ!!)」
オニオンナイトが激昂し、自身の命(中身)を削るほどの超高濃度催涙ガスを纏いながら、リアンに向かって突進してきた。
まともに浴びれば、脳が破壊されるレベルの劇物だ。
だが、リアンは全く動じない。
前世の三ツ星副料理長の知識と、この世界で鍛え上げた魔力が、一本の牛刀に収束していく。
「タマネギを切って涙を出さないための、物理的かつ最強のテクニック……お前自身に教えてやるよ」
リアンが、神速の踏み込みでオニオンナイトの懐に潜り込む。
シュバッ!!
「タマネギの催涙成分(硫化アリル)は、細胞を無闇に破壊するから空気中に飛び散るんだ! そして、一番成分が強い『芯(根の付け根)』を切り落とさずに残しておけば、涙は出ねぇ!!」
【三ツ星包丁術:超・極薄皮剥き(ミルフィーユ・ピーリング)】!!
シュパパパパパパパパッ!!
リアンの牛刀が、残像を残しながらオニオンナイトのボディを撫でるように駆け巡る。
「キ、キィィィッ……!?」
一切の細胞を潰さない、神の領域の切れ味。
オニオンナイトの身を覆っていた硬い薄皮だけが、リンゴの皮剥きのように綺麗に、そして一瞬にして削ぎ落とされていく。
しかも、催涙成分の発生源である『芯』の部分には、ミリ単位で刃を当てていない。
「仕上げだ! 『瞬間冷却』!!」
リアンが左手から氷属性の魔法を放ち、皮を剥かれたオニオンナイトの表面を薄い氷の膜でコーティングした。
(※タマネギは冷やすことで催涙成分の揮発を抑えられるという、料理の基本中の基本である!)
「キィ……(お見事……)」
パタン……。
催涙ガスを一切出せなくなり、ツルツルのピカピカに剥き身にされたオニオンナイトは、白旗を上げるようにレイピアを手放し、気絶して倒れ込んだ。
「ふぅ……。細胞を一切壊さず、旨味だけを完璧に閉じ込めた『究極の剥きタマネギ』の完成だ」
リアンは牛刀をしまい、気絶した幻の食材を麻袋へと回収した。
「ずびっ……。り、リアン君、すごい……! 涙一つ流さずに倒しちゃうなんて……!」
ルナが鼻をかみながら、尊敬の眼差しを向ける。
「だろ? 前世のパワハラ厨房も、役に立つことがあるもんだな」
リアンは自虐的に笑いながら、袋の重みを確かめた。
(これで、失恋亜種(折れたス)の青臭さを消し飛ばし、絶望をカタルシスへと昇華させる『架け橋(究極の甘み)』が手に入った……!)
「さぁ、帰って仕込みのやり直しだ! 学園祭でユリウスの野郎の度肝を抜いて、俺の金貨500枚を取り戻すぞ!!」
地下迷宮に、天才シェフの力強い咆哮が響き渡る。
役者は揃い、究極の「絶望のレシピ」が完成の時を迎えようとしていた。
舞台はついに、ルナミス創立祭(学園祭)の【食戟】へと移る!
読んでいただきありがとうございます。
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