EP 15
失恋パンデミックと、緑色のシーザードレッシング
「ふふふ〜ん♪ リアン君、毎日お料理大変そうだから、私がお片付けを手伝ってあげないとね!★」
夕暮れのフードトラック内。
リアンが買い出しに出かけた後、ルナはご機嫌な鼻歌を歌いながら、キッチン周りの清掃を始めていた。
天才シェフであるリアンの厨房は常に整理整頓されているが、ルナとしては『献身的なヒロイン』としてのアピールポイントを稼いでおきたいという乙女心があったのだ。
「えっと、この大きな樽が、明日使う『特製シーザードレッシング』だよね。底の方にスパイスが沈んでるから、魔法のミキサー(攪拌魔導具)でしっかり混ぜておいてあげようっと!」
ルナは、50リットルサイズの巨大なドレッシング樽の蓋を開け、攪拌魔導具のスイッチを入れようと身を乗り出した。
その時である。
「あっ」
ルナの服の袖が、カウンターの端に置かれていた『赤いタッパー』に引っかかった。
リアンが「絶対に触るな」と厳命していた、突然変異種【お友達から種(失恋亜種)】が入った危険物容器である。
ロックが解除されていたタッパーの蓋がパカッと開き、中に入っていたフワフワのサラダ菜(のような魔界植物)が、見事な放物線を描いて――攪拌魔導具が高速回転するドレッシング樽の中へ、スッポリと落下した。
ギュルルルルルルルルッ!!!
「あわわわっ!?」
慌てて魔導具を止めようとするルナだったが、時すでに遅し。
『失恋亜種』は、三ツ星シェフが調合した極上のチーズドレッシングの中に、跡形もなく粉砕され、完璧に攪拌・ブレンドされてしまったのだ。
「ど、どうしよう……! リアン君に絶対ダメって言われてたのに……!」
ルナは顔面蒼白になりながら、樽の中を覗き込んだ。
濃厚なクリーム色だったシーザードレッシングは、失恋亜種のエキスが完全に溶け込んだことで、『ほんのりと爽やかなミントグリーン色』へと変貌していた。
「……で、でも! 色はバジルチーズドレッシングみたいで美味しそうだし! ちょっとくらいなら、味に深みが出て美味しくなるかも……!? 怒られたくないし、黙っておこう!★」
ルナは、自分の致命的なドジを、持ち前のポジティブシンキング(現実逃避)で強引にカバーし、パタンと樽の蓋を閉めた。
これが、ルナミス魔法学園の歴史に残る『大厄災』の引き金となる。
翌日の昼休み。
リアンのフードトラックの前には、昨日を上回る長蛇の列ができていた。
「いらっしゃい! 面接や実技試験で胃を痛めている迷える子羊たち! さぁ、今日の絶望サラダは特別製だぜ! 特製バジルドレッシング(※リアンはルナが気を利かせてバジルを足したと勘違いしている)で、シャキシャキ感もマイルドさも当社比1.5倍だ!」
「やったー! リアン君、今日も大繁盛だね!(冷や汗ダラダラ)」
売り子のリーザの横で、ルナが引き攣った笑顔で客をさばいている。
「頼むマスター! 俺は今日の午後、宮廷魔導士の最終選考なんだ! 昨日の夜から動悸が止まらねぇ! 一番キツい『最終面接お祈り種』をくれ!」
「かしこまりました! 絶望のどん底へ行ってらっしゃい!」
リアンは、激レア個体の『折れたス』をボウルに盛り、その上から問題の**【ミントグリーンのシーザードレッシング】**をたっぷりと回しかけた。
「よ、よし……食うぞ! どんなお祈りメールのテレパシーが来ようと、俺は負けねぇ!」
屈強な体格の上級生が、覚悟を決めてサラダを口に放り込んだ。
シャキッ。
爽やかな酸味と極上の甘みが口いっぱいに広がる。
「……美味い! そして来るぞ、あの無機質な人事の不採用通知が……!!」
上級生が身構えた、その瞬間。
『……先輩、昨日は素敵なレストランに連れて行ってくれて、本当にありがとうございました』
「……え?」
上級生の脳内に響き渡ったのは、冷酷な人事担当者の声ではなかった。
それは、彼がかつて密かに想いを寄せていた、可憐で可愛い後輩の女の子の、あの日の声。
『先輩と一緒にいると、本当にお兄ちゃんみたいに安心できるんです。……でもごめんなさい。私、先輩のことはそういう風に見れなくて。これからも、一番仲の良い【ただの先輩と後輩】でいてくれたら嬉しいです!』
「――――――――ッ!!??」
上級生の巨体が、ビクゥッ!!と跳ね上がった。
「あ、ああ……あぁぁぁぁぁっ……!!」
彼は地面に両膝をつき、胸を掻きむしるようにして絶叫した。
「なんでだぁぁぁっ! あんなに、あんなに優しくしてくれたじゃないかぁぁぁっ! 相談にも乗ったし、高いプレゼントもあげたのに! いい人止まりなんて嫌だぁぁぁっ! 俺を男として見てくれよぉぉぉっ!!」
屈強な魔法士の卵が、顔をくしゃくしゃにして、女々しすぎる本音を叫びながら大号泣を始めた。
「……は?」
カウンターの奥で、リアンが呆然と立ち尽くす。
「おい、なんだあの反応? 最終面接で落ちた悔しさじゃねぇぞ? なんで失恋した男みたいに泣いてんだ?」
だが、異変は彼一人ではなかった。
列に並んでいた他の学生たちも、次々とサラダを口にし、バタバタと地面に倒れ伏していった。
「うわあああんっ! 幼馴染のバカァッ! ずっと一緒にいたのに、なんで急に他の男と付き合っちゃうんだよぉぉっ!」
「私だって、私だって一番になりたかったのにぃぃっ! 二番目でもいいなんて、嘘だよぉぉっ!」
「合コンの幹事をやったのに、俺だけ誰からも連絡先聞かれなかったんだよぉぉぉっ!!(※ただの悲しい記憶)」
ドドドドドドッ!!
阿鼻叫喚。
進路相談室の前の広場が、一瞬にして【強烈な青臭さと切なさが渦巻く、巨大な失恋の海】と化してしまったのだ。
「な、なんだこれは……!? 絶望のベクトルが違うぞ!? これじゃメンタルが鍛えられるどころか、試験前に心がへし折れて二度と立ち直れなくなっちまう!!」
リアンは慌ててカウンターから身を乗り出した。
(まさか……!)
リアンは『万能鑑定眼鏡』を装着し、自分がさっきまでかけていたミントグリーンのドレッシングを睨みつけた。
【食材鑑定結果】
名称: お友達からドレッシング(パンデミック級)
効果: 失恋亜種のエキスが完全に乳化した危険物。食べた者の脳内に『過去の最悪な失恋の記憶』または『叶わなかった恋の切なさ』を無限にフラッシュバックさせる。バフ効果なし。ただひたすらに悲しい。
「ルナァァァァァァァッ!!!」
リアンの怒号が響き渡った。
「お前、あの赤いタッパーの中身、ドレッシングの樽にぶち込みやがったなァァァッ!?」
「ひゃああああっ! ご、ごめんなさいリアン君!! ちょっとバジルみたいで美味しくなるかなって思って! 悪気はなかったの! 悪気はないけど隠蔽はしたの!★」
ルナが涙目で暴露しながら、リーザの背後に隠れる。
「隠蔽するな! 飲食店のバイトテロかお前は! 最悪のパンデミックが起きちまってるじゃねぇか!!」
リアンが頭を抱えた、その時だった。
「――そこまでだ、下劣な屋台の店主よ」
失恋の海と化した広場を真っ二つに割るように、一人の貴族令息が歩み出てきた。
プラチナブロンドの髪を美しく撫でつけ、白鳥の羽をあしらった豪奢なマントを羽織った男。
学園の超高級カフェテリアの運営権を牛耳る、名門公爵家の次男――ユリウス・フォン・グランヴェルである。
ユリウスは、ハンカチで鼻を覆いながら、リアンの屋台を冷たく見下ろした。
「神聖なる学園の敷地内で、学生たちを泣き叫ばせる【下品なゲテモノ草】を売り捌き、風紀を乱すとは言語道断。……男爵家の貧乏人め、お前のその忌まわしい屋台、僕の権限で今すぐ【営業停止】にしてやろう」
ユリウスの背後には、学園の風紀委員(カフェテリアの常連たち)がズラリと並び、リアンの屋台を取り囲んだ。
「営業停止……だと!?」
リアンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
ようやく軌道に乗ったアーリーリタイア資金回収ビジネスが、ルナのドジと、貴族の理不尽な横槍によって、わずか二日で強制終了の危機に立たされたのだ。
「……冗談じゃねぇ。俺の商売を潰そうってなら、公爵家の坊ちゃんでも容赦しねぇぞ」
リアンは包丁をまな板に突き立て、インテリヤクザのような鋭い眼光でユリウスを睨み返した。
学園の食の覇権を懸けた、底辺屋台 vs 超高級カフェテリアの【売上・食戟対決】の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。
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