EP 10
紅蓮の戦乙女、無双
「私が……私が、肉椎茸丼のために血と汗と涙を流して三日三晩タダ働きで造り上げた、愛と正義の温泉郷を……ッ!!」
月明かりの下。
高級旅館の屋根から空高く跳躍したダイヤ・マーキスの全身から、凄まじい量の闘気が、まるで真っ赤な炎のように噴き上がっていた。
「虫けらごときが、壊そうとするなぁぁぁぁッッ!!!」
その異常なまでの怒気――『タダ飯の供給源(旅館)を壊される恐怖』と『ブラック労働を無にされる絶望』が生み出した狂気のオーラに、神話の時代の怪物であるはずの死蟷螂型が、ビクッと空中でたじろいだ。
「ギ、ギチチッ!?」
だが、死蟷螂型も腐っても死蟲王の側近クラス。すぐさま態勢を立て直し、鋼鉄すら一刀両断する両腕の『死神の鎌』をクロスさせ、空中からダイヤ目掛けてフルスイングで振り下ろした。
「危ないっ、ダイヤ先生!」
地上から見上げていたクラウスが悲鳴を上げる。
だが、ダイヤの『ユニークスキル』を舐めてはいけない。
あらゆる武器と道具の最適解を導き出す『ウェポンズマスター』は、戦闘においてこそ真のチート能力を発揮する。
「遅いッ!! そして、軌道が単調すぎるッ!」
ダイヤの瞳に、死蟷螂型の鎌が振り下ろされる『最適な弾き角』が、光の線となってクッキリと見えていた。
ガキィィィィィンッ!!!!
ダイヤが背中から引き抜いた大剣『天魔竜聖剣』を軽く振り抜いただけで、死蟷螂型の渾身の一撃は完璧に受け流され、怪物の巨大な体勢が空中で大きく崩れた。
「知っているか、化け物! あの旅館の柱一本一本を磨き上げるのに、私がどれだけ鉋をかけまくったか!」
ダイヤは空中で空を蹴り、さらに怪物の懐へと肉薄する。
「あの大露天風呂の岩を削り出すために、私がどれだけハンマーを振り下ろしたか!」
ドゴォォォォンッ!!
天魔竜聖剣の柄による強烈な打撃が、死蟷螂型の顔面にクリーンヒットする。
緑色の体液を撒き散らしながら、怪物は悲鳴を上げて後ずさろうとした。
「そして! あの露天風呂を完成させた後にリアン様が作ってくれた『超厚切り・肉椎茸のステーキ丼』が……どれほど美味しかったかぁぁぁッ!!」
ダイヤの叫びと共に、天魔竜聖剣の刀身に限界まで圧縮された『闘気』と『紅蓮の炎魔法』が宿り、まるで太陽のような眩い光を放ち始めた。
「こ、これは……ッ! まさか、ダイヤ先生の必殺技……!」
クラウスが息を呑む。
「塵一つ残さず消え失せろ! そして、二度と私の『ご飯の時間』を邪魔するなぁぁッ!!」
ダイヤは大上段に構えた聖剣を、死蟷螂型に向かって全力で振り下ろした。
「『バーニング・オーラ・ブレイク(紅蓮竜巻斬)』ッッッ!!!!」
ズバアアアアアアァァァァァァァッッ!!!!
放たれたのは、熱と闘気の塊で構成された巨大な紅蓮の竜巻。
それが死蟷螂型の5メートルの巨体を飲み込んだ瞬間、怪物は悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして細胞一つ残さず『灰』へと変わった。
さらに、その斬撃の余波は旅館や村の施設を一切傷つけることなく、空の彼方へと吸い込まれ、分厚い夜雲を真っ二つに切り裂いた。
「…………」
「…………」
広場に集まっていた村人たち、そして王都の貴族たちは、その圧倒的で美しすぎる一撃に、完全に言葉を失っていた。
「ふぅ……。成敗ッ!」
ダイヤは空中でクルリと一回転すると、旅館の屋根に羽のように軽く着地し、バシッと完璧なポーズを決めた。
月明かりを背に受け、真紅のアーマーを輝かせるその姿は、まさに絵画から抜け出してきた『救国の戦乙女』そのものだった。
「おおぉぉぉぉっ!! す、素晴らしい! なんという力と美しさだ!!」
「あんな巨大な化け物を一撃で……! ポポロ村の用心棒は、ギルドのSクラスすら凌駕しているぞ!」
恐怖から一転、貴族たちが割れんばかりの拍手と歓声を送り始める。
その熱狂の中心で、クラウスは感動の涙を流していた。
「見たかい、リアン! 自分の命を顧みず、眠りから飛び起きて村の人々と旅館を守り抜く……! あれこそが真の騎士道! ノブリス・オブリージュの極致だよ!」
「……まぁ、本人の動機は『タダ飯(肉椎茸丼)』を守るためだけの、ただの食い意地なんだけどな」
リアンは呆れながらツッコミを入れつつ、同時に『ブラック企業の経営者』として完璧な笑顔を浮かべていた。
(だが、結果オーライだ。……村の防衛システムで雑魚を無傷で処理し、ボスをS級のダイヤの『派手な必殺技』で倒す。これを見せられた貴族どもは、「ポポロ温泉郷は大陸一安全なVIPリゾートだ」と完全に確信する)
事実、貴族たちの熱狂は最高潮に達し、
「おい! この温泉郷の『年間パスポート』を売ってくれ! 金貨ならいくらでも出すぞ!」
「私にはあの戦乙女殿のブロマイドを売ってくれ!」
と、ニャングルの元へさらなる大金が雪崩れ込んでいた。
「お見事でした、ダイヤ先生」
リアンが屋根から飛び降りてきたダイヤを労う。
「へへっ、リアン様。旅館、かすり傷一つつけずに守り抜きましたよ!」
ダイヤはえっへんと胸を張ったが、直後に……。
「きゅるるるるるるる……」
彼女の腹から、怪物の悲鳴よりも大きな、情けない虫の音が鳴り響いた。
「……あの、リアン様。これ、深夜の『残業』ですよね? 命懸けで残業したからには……あの、その……『夜食(深夜割増)』とか、出ちゃったり……しませんか?」
もじもじと指を合わせながら、上目遣いでリアン(7歳)におねだりをする、ポンコツ戦乙女(20歳)。
「……仕方ねぇな。俺のゼロ円旅館を守ってくれた特別ボーナスだ。今夜は、ポポロ村の全食材を使った『特製ラーメン』と『唐揚げ』を腹がはち切れるまで食わせてやるよ」
「ほ、本当ですかァァァッ!! リアン様、愛してますぅぅぅッ!!」
ダイヤは歓喜のあまり、リアンを抱きしめて顔中をスリスリと擦り付けた。
こうして、死蟲王の襲撃という最大のピンチは、ポポロ村の圧倒的武力とダイヤの食欲によって完全無傷で撃退された。
王都の貴族たちは最高のエンターテインメントに大満足し、ポポロ温泉郷の実習は、文句なしの『Sランク(利益ぶっちぎり1位)』で幕を閉じようとしていた。
誰もが勝利を確信し、喜びを分かち合っていた。
しかし、リアンはまだ気づいていなかった。
ダイヤに『ポポロ村の全食材を使った特製ラーメン』を約束したことが。
そして、その横で「お肉!」「ラーメン!」「キュイ!」と目を光らせている『ルナ、キャルル、喰丸』の存在を完全に忘れていたことが――いかに恐ろしい『赤字の引き金』となるかを。




