とある日常の一幕
本編に組み込まれなかった、ちまこい話の二本立てです!
オチがなかったりします……。
【名前呼び】
ロザンナの楽屋は、集会所のような役割も担っている。
俺ことエルネスト=シュナイダーは、集まっている内の一人だ。
「ヴァン様、紅茶です」
にこにこ顏のロザンナが、盆に乗せたティーカップを、ヴァンの前に音を立てないように置いた。ここには使用人はいないので、大抵のことは自分でやらなくてはならない。
「エミリーも、どうぞ」
はい、と侍女の前に置かれた。本来立場が逆であるはずだが、お互い特に疑問は無いらしい。
そうして彼女は、最後に俺の前に来た。
「シュナイダー様も」
頭に入ったのは、そこまでだった。「お口に合うといいのですが」と盆を胸に抱えてはにかむロザンナを、ぼんやりと見つめる。
(自業自得では、あるんだけどな……)
俺だけ苗字か。いや、確かに自分で、名前呼びするなと言ったのだが。
今更名前で呼んでくれと言うのも気恥ずかしい。湯気が立つ紅茶を口に含むと、香りが口いっぱいに広がった。じんわりと、身体の芯から温まってくる。
(でも……折角、また会えたんだ)
手に入らないと思って諦めたものが、目の前にある。
どうして、手を伸ばさないでおこうなんて思えるのか。
「ありがとうございます、ロザンナ様。……ところで」
「ナンシー、私、ケーキを持って来たんです。食べませんか?」
「まああ!」
ロザンナの顔が、パッと綻んだ。キラキラした瞳を、侍女に向けている。ササっと白い箱を取り出した侍女は、元主人にその箱を渡すと、俺を見てニヤリと笑った。ロザンナは、うきうきした足取りでキッチンへと向かっていく。その後ろ姿を目で追いながら、ヴァンが呆れたように言った。
「エミリー、お前……性格悪いな」
「元からですよ。それに、外ではこんな分かりやすく子供っぽいことしません。優秀ですから、私」
「…………」
その会話は、俺のいないところでできないのか?
しばらく前から俺が“気になっていること”に勘付いた侍女は、事あるごとにこうして俺の邪魔をしてくる。
ならばこの女のいない隙に、と言いたいところだが、生憎と、こうやって“ここに集まることのできる日”は限られているのだ。
ようやく二人きりになれたと思っても、一番いいところで邪魔に入ってくる、この陰険さ。どうにかならないのか。ロザンナは、そういう一面も含めて可愛いのだと言うが、生憎その魅力は俺には分からない。ひたすら鬱陶しい。
無言で睨んでいると、ケーキを乗せたロザンナが戻ってきた。嬉しそうに、紅茶と同じように配っていく。
「シュナイダー様は、こちらのケーキをどうぞ」
「…………」
「あら、お気に召しませんでした? 甘さ控えめのケーキでしたので、甘い物が苦手なシュナイダー様のお口にも合うかと思ったのですが」
無言の俺を心配して、ロザンナは眉を八の字にした。慌てて、ケーキを一口食べて「美味しいです。ありがとうございます」とフォローを入れる。
俺も、いつまで敬語で話すのか……。
キッカケさえあれば、と思うのだが、自分の周り、特にロザンナの周りにいるのは、そのキッカケを意識的に潰してくるメンバーばかりだ。
――名前で呼んでほしい。
その一言がスマートに言えず、俺は一人、項垂れた。
■作者からの一言
彼は紳士です。
おかしいな、乗り込む前はもう少しがっついていたのにな。勢いって、大事。
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【犬の親子】
「あら、シュナイダー様、肩に何かついていらっしゃいますよ?」
そっと手を伸ばして、肩に付いている何かを摘みます。うーん、これは……明るい茶色の毛のようですね。黒い服なので、目立ちます。
摘んだ毛をしげしげと見つめていると、シュナイダー様が「ああ、犬の毛ですね」となんとはなしに答えてくださいました。
「家を出る前にのしかかられたので、その所為かもしれません」
「のしかかられた……?」
「まったく。あいつは、自分がまだ仔犬だと思っているに違いない」
家で二匹の犬を飼っているんですよ、とシュナイダー様は笑って教えてくださいます。ええ、存じておりますわ、私。
話の流れからして、のしかかったのは、当時子供だった『ちいさいわんこ』の方でしょう。元気に成長していたのですね。嬉しいです。
「犬がお好きなんですか?」
「え?」
「嬉しそうに笑っていらっしゃるから」
そうかしら。そうかもしれません。自然と綻ぶ頰を、両手で押さえてみます。元々わんこは好きですが、『ちいさいわんこ』と『おおきいわんこ』は、特に好きです。
「よろしければ、うちに来ますか?」
サラリと自然に示された提案に、目を見開いて固まります。え、今、家に誘われたよう、な……?
固まったままの私を、不思議そうに見ているシュナイダー様は、決して“そういう意味”で言ったのではないと分かるのですが、それでも、ねえ?
石化から回復した私は、「お誘いは大変嬉しいのですが、会場外を出ないことを“売り”にしているので、難しいですわね」と丁重に断りを入れました。
“売り”以前に、素性が割れる危険性を考えると、なかなか外に出るというのはできないのです。そういえば、ナンシーとして生き始めてからは、外に出たことも、数回しかありませんね。その貴重なお出掛け先では、エミリーとヴァン様がしれっとしていたので、私も緊張せずに普通に楽しめておりました。しかし、“ナンシー”が売れ始めた今、外に出るのは以前よりも大変でしょう。
当初はそれでもいいと思っていたのに、今は、寂しい気もします。
「それなら、二匹を連れて来ます。きっとロザンナ様も気に入りますよ」
思い掛けない提案に、自分でも目が輝いたことが分かりました。だって、動物に触れるのなんて、何年ぶりかしら! 少なくとも5年は経っています。
彼らは、私を憶えているかしら。
そわそわ、もじもじ。落ち着かない心境で「ぜひお願いします」と言えば、くすりと笑われました。
(私、真剣ですのに、笑うだなんて……!)
けれど、そんな顔も好きだわと思ってしまうあたり、私も重症です。
――だって。
仕方ないのです、シュナイダー様。
貴方と出会うキッカケをくれたあの子たちを、嫌いだなんて思えるはずがないのですもの。
きっと、寂しさを教えてくれたのは、貴方ですわ、シュナイダー様。
外に出なくたって平気だったのに、外で見せる貴方の表情が見れたら、と。わんこにのしかかられる貴方は、どんな顔をするかしら。外を一緒に歩いたら、その横顔はどんなに凛々しいかしら。
寂しいのは、貴方の所為なの。
ふる、と頭を横に振り、寂しさに蓋をして、私はシュナイダー様に微笑みます。
「わんこの親子を連れてきてくださる日、お待ちしておりますね」
私が笑い掛けると、貴方も笑ってくださいます。
ええ、分かっておりますわ、私。
これで十分なのです。……そうでしょう?
■作者からの一言
欲張る気持ちよりも、自制が働いてしまう分、彼女もまた不器用です。
読んで頂き、ありがとうございます!
以上で、悪名高きラドラゼルフ家のお嬢様、ほんとのほんとに完結です!
(また思いついたら、ちょこっと更新するかもです、が……)
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。本当に嬉しいです。
まだまだ拙い物書きですが、日々精進していきます!