4 いたずら
「……おいおい、嘘だろ」
お昼寝の準備をしようと保育室に足を踏み入れた瞬間、
俺の口から乾いた笑いが漏れた。
部屋の白い壁一面に
鮮やかな原色でダイナミックな「何か」が描き殴られていたのだ。
使われたのは今朝おろしたばかりのサクラクレパス(水性)。
描いた犯人は
お尻にクレパスの粉をつけたまま「ほげぇ♪」と誇らしげに胸を張る龍。
そして、その横で「ほげ、ほげ!」と太鼓持ちのように拍手を送る徹と悟である。
よく見ると壁の落書きはアンパンマンやピカチュウなどではない。
禍々しいまでにうねる曲線、威嚇するように開かれた大きな口、鋭い爪――。
「……これ、龍くんの背中の『登り龍』じゃねえか!」
自我を失い完全に幼児退行したはずの元ヤクザたち。
しかし、彼らの脳裏に焼き付いた「かつての記憶(極道カルチャー)」は
時として芸術的なイタズラとなって暴発する。
ーーー
「こらー! 壁にお絵描きしちゃダメって、先生いつも言ってるでしょ!」
俺がバケツと雑巾を持ってすっ飛んでいくと、
3人は「やべっ」という顔をして一斉に四散した。
その身のこなしだけは、かつて数々の修羅場をくぐり抜けてきた男のそれである。
「ほげ、ほげー!」
徹がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、おもちゃ箱の陰に隠れた。
俺が壁を拭きながら「徹くん、そこ隠れても体が見えてるよー」と声をかけた、
その時だった。
カチッ。
不穏な音が部屋に響く。
徹が手にしていたのは俺の私物である「お名前スタンプ(油性)」。
「あ、待っ――」
「ほげぇい!」
徹が目にも留まらぬ速さで突進してきた。
ターゲットは、俺の顔。
ポン。ポン。ポン。
「ぶはっ!?」
恐るべきステップワークで俺の死角に回り込み、顔面にスタンプを乱打する徹。
かつて「神速の徹」と呼ばれたナイフ使いの経歴が
まさかこんな形で発揮されるなんて。
鏡を見ると、俺の額と両頬には【さとう】【さとう】【さとう】と
きれいにネームプリントが施されていた。
完全に自分の持ち物みたいになっている。
ーーー
「あはは、守先生、顔が名前だらけですよ」と園長先生に笑われながら
顔を洗って部屋に戻ると、今度は悟が静かに座っていた。
おしゃぶりをチュパチュパと吸いながら、実にお行儀よくお座りしている。
(なんだ、悟くんはイタズラしてないのか。いい子だな……)
そう思って俺が彼に近づこうと一歩を踏み出した、その瞬間。
べちゃ。
「……ん?」
足の裏に奇妙な感触。
見ると、床一面に「おしりふき」が隙間なく敷き詰められていた。
しかも、水分で絶妙に滑るよう計算されている。
「ほげっ(かかったな、の意)」
悟がニヤリと笑った。
元ヤクザの知恵を幼児のトラップに使うな!
「うわ、わわわ!」
見事に体勢を崩した俺はそのまま床をスライディング。
行き着いた先は、龍が「ほげぇ!」と両腕を広げて待つ胸の中だった。
どすんっ、と90キロの肉体に受け止められる。
「ふごっ……! くるし……」
「ほげー! ほげほげ、ほげぇ♪」
龍は俺を大きなぬいぐるみか何かと勘違いしたのか、
太い腕でギューッと抱きしめて離さない。
さながら、巨大な熊にホールドされた絶体絶命の猟師である。
徹と悟もハイハイで近寄ってきて俺の背中にドスンと乗っかってきた。
総重量、およそ250キロ。
「がはっ……! みんな、おも……重い……!」
ーーー
【園長からの連絡帳メモ】
守先生、壁の「登り龍」の消去作業、お疲れ様でした。
水性クレパスで本当に良かったです。
徹くんに押された「お名前スタンプ」については
油性のためしばらく落ちないかと思いますが、
園児からは「先生の名前が分かりやすくて良い」と好評のようです。
そのまま1週間ほどお過ごしください(^-^)
ーーー
「ほげー、ほげー、ほげほげ(先生、遊ぼう)」
身動きの取れない俺の顔を3人が無邪気な笑顔で覗き込んでくる。
顔はスタンプだらけ、服はヨダレとクレパスでボロボロ、
体は完全にロックされてバキバキ。
散々な目にあっているはずなのに、
彼らの屈託のない「ほげ」を聞いていると、なんだか体の力が抜けてしまう。
「……降参降参。じゃあ、お昼寝の代わりにみんなで絵本読もうか」
「ほげーい!」
今日もイタズラに翻弄されっぱなしの俺。
彼らの「わんぱくな本能」を正しい方向に導くための戦いは
まだまだ始まったばかりだ。
続く




