3 あさ
朝8時。
はらっぱ保育園の扉を開けた瞬間、
俺は「あ、これ今日無理なやつだ」と直感した。
部屋の中は、すでに戦場だった。
「ほげぇぇぇぇ!!!」
「ほ、ほげげっ! ほげぇぇ!」
元・幹部の徹がなぜかロッカーの棚を積み上げて簡易バリケードを築き、
その向こうから悟がトイレットペーパーを蛇のように振り回して牽制している。
どうやら「誰が一番先に朝のおやつ(ミルク)を飲むか」という、
極めて低レベルかつ極めて重大な縄張り争いが勃発しているらしい。
「はいそこ! 仲良く並びなさい! バリケード撤去!」
俺は悲鳴を上げながら、力任せに積まれたロッカーを片付ける。
腰にくる。本当に腰にくるんだ。
ーーー
朝は時間との戦いだ。
園児たちの着替え、検温、そして何より厄介なのが「おむつ交換」である。
「龍くん、こっち向いて。
そう、お股広げてー……って、おい! その体勢で回転するな!」
龍(90キロ)がおむつを替えてもらおうと俺の膝の上で勢いよく回転を始め、
遠心力で俺の体が宙に浮いた。
物理法則を無視した回転を止めるため、俺は必死に彼の巨体をホールドする。
「ほげ、ほげ♪」
本人は「回る」という新しい遊びを見つけて大はしゃぎだ。笑顔が眩しい。
だが、その背中には立派な登り龍が彫られている。
このカオスな絵面をお巡りさんに見られたら確実に職務質問される。
横を見れば、徹が着替えのシャツ(特注のひよこ柄)を力任せに引っ張り、
バリバリと糸を言わせて引き裂こうとしている。
「ちょっと待って! それ新品! まだおろしたて!!」
ーーー
ようやく3人ともおむつを履かせ、
給食室から運んできたミルクを配り終えたときには
俺のシャツは汗でぐっしょり、髪の毛もボサボサになっていた。
「ほげ……」
ミルクを飲み終えた悟が満足げに俺の胸元に顔をすり寄せてきた。
その顔には先ほどこぼしたミルクがべったりとついている。
「あーあ、もう……」
溜息をつきながら、俺はハンカチで悟の頬を拭う。
悟は俺の顔を見上げ、おしゃぶりを外してとろんとした目でこう言った。
「……ほげ」
それは間違いなく「先生、ありがとう」の響きだった。
荒くれ者の元ヤクザたちが制裁を受けて自我を失い、
それでもこの狭い保育室の中で俺を唯一の保護者として信頼してくれている。
その重みは肩の痛みよりもずっと深く心に響く。
……と感動している隙に、背後で龍が「ミルクのおかわり」を要求して
俺のズボンの裾を思い切り引っ張った。
ブチッ。
あ。俺のズボン、死んだ。
ーーー
【園長からの連絡帳メモ】
守先生、今朝の騒動報告、読みました。
悟くんの「バリケード」ですが、
あれは彼が所属していた組織の防衛陣形だった可能性があります。
今度は「お歌」で戦意を削いでください。
あと、守先生の予備のズボンを職員室に常備しておきました。
ご自由にお使いください(^-^)
ーーー
「……みんな、今日はお外にお散歩いくぞー!」
「「「ほげぇぇぇぇ!!!」」」
散歩用の紐を握りしめ、今日も俺は元ヤクザ3人を連れて園庭へと繰り出す。
平和な日常を守るための俺の戦いはまだまだ終わらない。
続く




