14 さいきょう はいしゃさん
「ほげ……?」
部屋の隅で3人が肩を寄せ合って固まっていた。
龍はパンパースをガサガサ鳴らしながら俺の様子を伺い、
徹はクマのぬいぐるみを盾のように胸元に構え、
悟はいつも以上におしゃぶりを激しくチュパチュパと吸い上げている。
彼らの野生の勘は、俺が着ている白いエプロン(使い捨て)と
廊下から近づいてくる独特の薬品臭を敏感に察知していた。
ガラガラ、とドアが開く。
「失礼しますよ。おや、みんな元気に待ってたねぇ」
入ってきたのは、白髪交じりの物腰柔らかな初老の男性
――歯科医の大河原先生だ。
手にした往診バッグから覗くステンレス製の器具がシャキーンと不穏な光を放つ。
「守先生、お疲れ様です。今日はこの3人ですね」
「大河原先生、遠いところありがとうございます。
あの、他の施設でも……その、彼らみたいな園児を診られていると?」
「ええ。先週は『はとぽっぽ保育園』で元組員さんたちを診てきましたよ。
あっちのベイビーたちに比べたら、はらっぱ保育園の子たちは
優しそうな顔をしていて可愛いじゃないですか」
金髪オールバックで顔面に傷のある悟を見ながら、
大河原先生は聖母のような微笑みを浮かべた。
さすが、修羅場をくぐり抜けてきたベテランの器は違う。
「さあ、誰から始めようか。まずはそこの、すばしっこそうな僕からいこう」
指名されたのは徹だった。
大河原先生が丸椅子に腰掛け、膝の上にタオルを敷いてトントンと叩く。
いわゆる「ごろんの姿勢」の催促だ。
「ほげぇい!」
徹は即座に臨戦態勢をとった。
ぬいぐるみを放り出し四足歩行のまま
目にも留まらぬステップで部屋を蛇行し始める。
捕まえられるものなら捕まえてみろ、と言わんばかりの威嚇だ。
「徹くん、ダメだよ。ちゃんと診てもらわないと――」
「おや、いいステップだ。だけどね、徹くん」
大河原先生は動じない。
バッグからシュッと取り出したのは、
小さなイチゴのイラストが描かれたスプレーだった。
「ほら、これ。お口の中にシュッてすると、
すっごく甘いイチゴの味がするんだよ。アーンできるかな?」
「ほげ……?」
徹がピタッと動きを止めた。
大河原先生はその一瞬の隙を見逃さない。
「はい、ごろん」
柔らかい声をかけながら、徹の巨体を丸椅子の前へと誘導した。
1秒前まで殺気を放っていた徹はなぜか吸い込まれるように仰向けになり、
先生の膝に頭を乗せている。
「そうそう、お利口さんだね。
ちょっとお口を拝見……おや、立派な歯だ。よし、終わり。ピカピカですよ」
小さなミラーで手際よくチェックし、わずか十数秒でフィニッシュ。
胸元にアンパンマンのキラキラシールを貼られた徹は
しばし呆然としたあと「ほげぇ……♪」と鼻を鳴らし、
すっかりご機嫌になって壁際へと退いていった。
プロの技、恐るべしである。
ーーー
「次は、そこの大きなお友達だね」
2番手は龍だ。
先ほどの徹の様子を見て安心したのか、
のそのそと自ら進み出て、大河原先生の膝の上に豪快に頭を乗せた。
90キロの質量が先生の太ももを直撃し、
グフッという短い呼気が漏れたが先生の笑顔は崩れない。
「よしよし、龍くん、お口を大き開けてごらん。アーン」
「ほ、げぇーーー」
龍が顎が外れんばかりに口を開ける。
ライトで奥歯を照らしていた大河原先生の目がわずかに細くなった。
「あぁ……左の下の奥歯、ちょっと黒いね。虫歯の初期段階だ。
守先生、今日ここで削って詰めちゃいますね」
「えっ!? 削るって、あの『キィィィン』って音がするやつですか!?」
俺は戦慄した。
あの不快な駆動音を聞いて暴走なんかしたら流血の大惨事も必至ではないか。
「大丈夫ですよ。ほら、龍くん。
今からお口の中でセミさんが鳴くからね。ちょっとだけ我慢してね」
大河原先生がポータブル切削機を取り出し、スイッチを入れた。
キュィィィィィィンーーーーーー!!!!!
高音の金属音が室内に響き渡る。
その瞬間、龍の全身の筋肉がガチッと硬直した。
背中の登り龍も心なしか、びくついている気がする。
「ほ、ほぎゃあああああああ!!!」
暴れる! と思った瞬間、大河原先生の左手が、
龍の額を優しく、しかし驚異的な点穴の如き的確さでホールドした。
「痛くないよー、チュウチュウってお水を吸う機械も入りますからねー。
すぐ終わるからねー」
優しく歌うようなメロディの声を浴びせながら、
先生の右手はミリ単位の狂いもなく虫歯を削り落としていく。
龍は暴れようとするものの、先生の「よしよし、頑張れ頑張れ」という
癒やしの声かけに脳がバグを起こしたのか涙をぼろぼろと流しながら
「ほげ、ほげぇぇん……!」と幼児のトーンで泣きじゃくるだけだった。
「はい、おしまい。よく頑張ったね。強い男の子だ」
青いプラスチックの光を当てて樹脂を固め、治療はものの1分で完了した。
龍は涙を拭いてもらい、ご褒美のバタコさんのシールを貼られると、
すぐに泣き止んで「ほげっ♪」と嬉しそうに飛び跳ねた。
ーーー
「さあ、最後は悟くんだね」
大ボスの登場である。
悟は両手でおしゃぶりをこれでもかと強く押し込んでいた。
絶対に口を開けないという鉄の意志を感じる。
「悟くん、おしゃぶり外そうね」
俺が手を伸ばすと、悟は「ほげぇい!」と
ドスの利いた声で俺の手をパシッと叩き落とした。
「困ったな……これじゃ診てもらえない」
「ふふふ、想定内ですよ」
大河原先生がバッグの底から取り出したのは、
なんと、ワニの形をしたパペット(腹話術用の人形)だった。
「こんにちは、悟くん。ワニさんだよ。おしゃぶり、美味しい?」
大河原先生がコミカルに声を当ててワニの口をパクパクさせる。
「ほげ……?」
悟の視線がワニの動きに釘付けになった。おしゃぶりを吸う手が、わずかに緩む。
「ワニさんも、悟くんのおしゃぶり、ちょっとだけチュパチュパしたいなー。
貸してくれる?」
ワニの口が悟のおしゃぶりに近づく。
「ほげっ!?」
取られてなるものかと、悟が慌てて自分でおしゃぶりを口からスポンと抜いた。
「今です」
大河原先生の目が鷹のように鋭くなった。
ワニのパペットを放り投げると同時に、
空いた右手でミラーを悟の口内へと滑り込ませる。
「アーン、はい、綺麗ですね、虫歯ゼロ! お疲れ様でした!」
「ほげ!?」
気づいた時には悟の胸元にはメロンパンナちゃんのシールが貼られていた。
あまりの早業に悟はおしゃぶりを握りしめたまま「ほ、ほげげ……」と
狐につままれたような顔で硬直している。
「いやあ、みんなお利口さんで助かりました。守先生、また半年後に来ますね」
大河原先生は汗一粒かかず、爽やかに荷物をまとめて去っていった。
残されたのは胸元に可愛いシールを貼られて
「ほげ♪」「ほげー!」とはしゃぎ回る3人の大男たち。
「……プロって、本当にすごいな」
俺はただただ圧倒されながら、転がったワニのパペットを拾い上げるのだった。
ーーー
【園長からの連絡帳メモ】
守先生。歯科検診のサポート、お疲れ様でした。
大河原先生から「みんなとってもピュアで治療がしやすかったです」と
大絶賛の報告をいただきましたよ。
なお、龍くんが治療中に流した涙が畳に染み込んでシミになりましたが
彼の頑張りの結晶だと思ってそのままにしておきましょう(^-^)
ーーー
「よし、みんな! 歯がピカピカになったから、お茶飲んでお昼寝しよう!」
「「「ほげーーー!!」」」
3人がシールを自慢し合いながら布団へダイブする。
流血の大惨事という最悪の結末に至らなかったことに深く感謝しつつ、
俺は彼らの大きな背中にそっと毛布をかけるのだった。
続く




