第7章 入学試験
カイトはごくりと唾を飲み込んだ。
学院最強の教師。
しかも――
その相手に、一撃でも当てなければならない。
「……終わった。」
隣でくるみがふわふわと浮かぶ。
「面白そうじゃん。」
カイトはじとっと彼女を見た。
「お前、本当に他人事だな。」
学園長は顎ひげを撫でながら唸った。
もっとも、そのひげは今まさにくるみに引っ張られていたのだが。
「ふむ……。」
学園長は眉をひそめた。
「今日はなんだか髭が重い気がするな……。」
カイトは即座に視線を逸らした。
「さ、さあ……。」
レンは椅子から立ち上がった。
そして自信満々に笑う。
「心配するな。」
カイトは不安そうに見上げる。
「本当に?」
「大丈夫だ。」
学園長は指を突きつけた。
「約束を忘れるなよ、レン。」
「この少年が失敗したら――」
「お前は学院を去る。」
レンは笑みを崩さない。
「そんなことにはならない。」
その声に宿る確信は、カイトでさえ驚くほどだった。
なぜか分からない。
だがレンは本気で、自分を信じている。
学園長は腕を組んだ。
「明日になれば分かる。」
「そうだな。」
数分後――
レンはカイトを連れて学園長室を出た。
重厚な木製の扉が背後で閉まる。
カイトはすぐに振り返った。
「どうやって最強の教師に勝てって言うんですか!?」
レンはにやりと笑う。
「できるさ。」
「できません!」
「できる。」
「無理です!」
「できる。」
「……。」
「……。」
「先生、うざいです。」
「ありがとう。」
カイトは大きくため息をついた。
その時――
ふと気付く。
「待ってください。」
「ん?」
「その最強の教師って誰なんですか?」
レンの笑みがさらに深くなる。
「明日のお楽しみだ。」
カイトの顔が引きつった。
「今教えてくださいよ!」
「ダメだ。」
「なんで!?」
「その方が面白いから。」
「面白くないです!」
レンは肩をすくめた。
「試験は明日だ。」
「明日!?」
「そう。」
「早すぎるでしょう!?」
レンは大笑いした。
「でも試験がなければ誰もお前を認めない。」
カイトは拳を握る。
もし失敗したら――
この場所を去ることになる。
記憶も消される。
学校へ戻る。
いじめられる日常へ戻る。
力の存在を知らなかった頃へ戻る。
そんなのは嫌だった。
もう二度と。
両親の手掛かりだって見つけた。
ここを失うわけにはいかない。
その時、レンが少し身を乗り出した。
「それに――」
「お前が負けたら、俺も学院を辞める。」
カイトは目を瞬かせる。
レンは真顔で頷いた。
「だから負けるな。」
数秒の沈黙。
そしてレンは突然笑った。
「負けたら本当にサメの餌にするぞ。」
カイトは固まった。
「……え?」
次の瞬間、
レンが吹き出した。
「冗談だ。」
「今は冗談言ってる場合じゃないでしょう!?」
レンは笑いながら肩を震わせる。
しかし不意に笑みを収めた。
そして静かにカイトを見る。
「……先生、か。」
「え?」
「さっきそう呼んだだろ。」
カイトは頷いた。
「だって先生じゃないですか。」
「俺にこの世界を見せてくれた人ですし。」
少し照れたように笑う。
「だから先生です。」
その言葉に、
レンは一瞬だけ驚いた顔をした。
そして空を見上げる。
「……悪くないな。」
柔らかな笑みが浮かんだ。
「よし。」
「じゃあ先生として教えてやる。」
「お願いします、先生。」
二人が歩いていると――
カイトはあることに気付いた。
「あれ?」
くるみがいない。
周囲を見回す。
いない。
後ろを振り返る。
そして固まった。
くるみは空中高く浮かび、
近くの木に止まったカラスを真剣な目で見つめていた。
「ごはん……。」
口元からよだれが垂れている。
カラスは明らかに怯えていた。
「くるみぃぃぃ!」
カイトは慌てて彼女の足を掴み、
地面へ引きずり下ろす。
「それは食べ物じゃない!」
「えぇ~……。」
レンは肩を震わせながら笑った。
数分後――
カイトは学院の敷地を見回しながら歩いていた。
「先生。」
「ん?」
「端島って、無人島じゃなかったんですか?」
レンは少し笑った。
「半分正解で、半分間違いだな。」
「どういう意味です?」
レンは学院の建物を指差した。
「ここは本物の端島だ。」
カイトは目を瞬かせる。
「本物?」
「ああ。」
レンは頷いた。
「ただし、外の人間には見えない。」
「え?」
「学園長の結界のおかげだ。」
カイトはすぐにあの老人を思い出した。
「髭のおじいさん?」
「その呼び方はやめろ。」
「なんでです?」
「怒られるから。」
カイトは苦笑した。
レンは続ける。
「学園長の能力は結界だ。」
「島全体を覆う巨大な結界を維持している。」
「許可された者以外は、この島の本当の姿を見ることができない。」
カイトは目を見開いた。
「島全体を……?」
「そうだ。」
レンは両腕を広げる。
「外から見れば、ただの廃墟。」
「中に入れば、人が暮らす島だ。」
カイトは周囲を見回した。
訓練場。
建物。
学生たち。
全てが世界から隠されている。
「すごすぎる……。」
レンは笑った。
「だろ?」
ふとカイトは思い出した。
「じゃあ、なんで俺は入れたんですか?」
レンは振り返る。
「俺の能力のおかげだ。」
カイトの目が輝いた。
「先生の能力って何なんですか?」
レンは無言で歩き続ける。
「先生?」
沈黙。
「先生。」
さらに沈黙。
数分後――
二人は訓練場へ到着した。
レンが立ち止まる。
「よし。」
「特訓だ。」
カイトは拳を握った。
「何をすればいいんです?」
レンは自分を指差した。
「殴れ。」
カイトは固まった。
「……は?」
「殴れ。」
「でも――」
「殴れ。」
「先生――」
「殴れ。」
カイトは深いため息をついた。
「説明する気ないですよね?」
「ない。」
くるみも頷く。
「やれ。」
カイトは二人を交互に見た。
そして観念する。
「……分かりました。」
勢いよく踏み込む。
拳を振るう。
その瞬間――
腕が消えた。
「……え?」
カイトは凍り付く。
腕が謎の穴の中へ消えている。
反射的に引き抜いた。
だが――
何かを掴んでいた。
布だ。
沈黙。
次の瞬間、
学院のどこかから少女の悲鳴が響いた。
「きゃあああああっ!? お、お化けぇぇぇ!!」
カイトは固まった。
ゆっくりと布を見る。
ゆっくりとレンを見る。
レンは地面に転がって大爆笑していた。
「せ、先生ぇぇぇぇぇ!!」
涙を流しながら笑うレン。
「は、腹痛い……!」
「俺が死にますからね!?」
ようやく笑い終えたレンは立ち上がった。
指を鳴らす。
パチン。
謎の穴が消えた。
カイトは腕を組む。
「先生の能力、大嫌いです。」
すると、くるみが興味深そうに呟いた。
「……万象の糸?」
レンは笑う。
「正解。」
カイトは首を傾げた。
「なんですか、それ。」
くるみは得意げに腕を組んだ。
「万象の糸は最上位の糸属性の一つ。」
「空間を繋げたり、転移したりできる。」
カイトは呆然とした。
「チートじゃないですか。」
「その通り。」
レンは近くの巨大な石像を指差した。
「じゃあ次。」
「あれを壊せ。」
カイトは石像を見る。
そして自信満々に笑った。
「簡単です。」
くるみは即座に離れた。
「無理。」
「え?」
「ご飯なし。」
「力もなし。」
カイトは固まる。
「……。」
そしてため息をついた。
「分かった。」
「パン買うから。」
くるみは一瞬で戻ってきた。
「契約成立。」
紫色の糸がカイトの身体を覆う。
拳を振り抜く。
ドゴッ!
「いっっったぁぁぁぁ!!」
カイトは手を押さえて飛び跳ねた。
石像は微動だにしない。
レンが説明する。
「くるみの力を制御できていない。」
「例えば十二%の出力で殴っていたのに、急に十六%へ上げたらどうなる?」
「石像は壊れない。」
「代わりに自分が壊れる。」
カイトは呆れた顔をした。
「それが説明ですか?」
「そうだ。」
午後はずっと特訓だった。
殴る。
失敗。
殴る。
失敗。
殴る。
失敗。
何度も。
何度も。
何度も。
そして――
パキッ。
小さな音が響いた。
カイトの目が輝く。
「やった!」
顔を上げる。
石像は無傷。
代わりに――
読書しながら適当に拳を振ったレンが、遠くの木を粉砕していた。
「……。」
「……。」
「先生。」
「ん?」
「別の場所で訓練してください。」
やがて夜が訪れた。
学院の灯りが点き始める。
レンは本を閉じた。
「今日はここまでだ。」
「嫌です。」
レンが瞬きをする。
「嫌?」
カイトは再び構えた。
「まだ終わってません。」
レンは少し笑う。
「休め。」
「嫌です。」
「カイト。」
「俺は英雄になりたいんです。」
レンはため息をついた。
次の瞬間――
彼はカイトの背後へ回る。
そして。
トン。
手刀が首筋へ落ちた。
カイトの視界が暗転する。
レンは倒れる身体を受け止めた。
「……頑固だな。」
そのまま彼を家まで運ぶ。
ベッドへ放り投げる。
意識を失っていても、
カイトは寝言を呟いていた。
「……あと一発……。」
「……ヒーロー……。」
「……特訓……。」
レンは少し笑った。
「明日は勝てるさ。」
◇
翌朝――
朝日が窓から差し込む。
カイトはゆっくりと目を開けた。
「……ん?」
見知らぬ天井。
柔らかなベッド。
数秒間、状況が理解できなかった。
だが昨夜の記憶が戻る。
石像。
特訓。
レン。
「待て。」
カイトは飛び起きた。
「なんでここに!?」
扉が開く。
レンが湯気の立つお茶を持って入ってきた。
「起きたか。」
カイトは即座に指差す。
「どうやってここに来たんですか!?」
その時、
壁をすり抜けてくるみが現れた。
「首を叩いて運んだから。」
沈黙。
カイトはゆっくりレンを見る。
「……何したんですか?」
レンは平然とお茶を飲んだ。
「休ませた。」
「質問の答えになってません!」
レンは無視する。
「朝ご飯できてるぞ。」
その瞬間。
カイトの腹が鳴った。
「……行きます。」
立ち上がる。
そして固まった。
「待ってください。」
「なんだ?」
「風呂入りたいです。」
「ああ、そうだな。」
パチン。
足元に穴が開いた。
「え?」
次の瞬間――
ドボン!!
川へ落下。
数秒後。
びしょ濡れのカイトが再び部屋へ落ちてきた。
「……。」
「……。」
「全然面白くないです。」
レンは満足そうだった。
その後、
朝食を済ませた三人は学院の外へ向かう。
カイトの胸は重かった。
今日が試験。
最強の教師との戦い。
二十分ほど歩いた先――
山頂近くの広い草原。
そこには学園長が立っていた。
「来たか。」
学園長は笑う。
「さて、レン。」
「学院を去る準備はできたか?」
レンは自信満々だった。
「そんな日は来ない。」
カイトは周囲を見回す。
「最強の教師は?」
学園長は空を見上げた。
「もうすぐ来る。」
その時だった。
風が熱を帯び始める。
生温いどころではない。
まるで巨大な炉の近くにいるような熱気。
草が激しく揺れる。
温度が上昇していく。
カイトは目を細めた。
「……なんだ?」
遠くの茂みから人影が現れる。
熱風を纏いながら、
ゆっくりと近付いてくる。
一歩。
また一歩。
やがて土煙が晴れた。
カイトの目が見開かれる。
「……え?」
そこに立っていたのは――
天月飛炎。
あの男だった。
冷静な表情。
鋭い瞳。
感情をほとんど見せない顔。
カイトは固まる。
「……あんたぁぁぁ!?」
飛炎は無表情のまま彼を見つめた。




