第2章 木の枝に座る少女
第二章です。
ついにカイトが目を覚まします。
しかし、それは平穏な日常への帰還ではありませんでした。
少しずつ世界の異変が姿を現し始めます。
それでは、第二章をお楽しみください。
痛み――。
意識がゆっくりと浮上したとき、カイトが最初に感じたのはそれだった。
まるで誰かが金槌で何度も頭を叩いているかのような激しい頭痛が、頭蓋の内側で脈打っている。
「……うっ……」
カイトは苦しそうにうめき声を漏らし、無理やり目を開いた。
視界が大きく揺れる。
天井が奇妙にねじれて見えたが、数秒後には徐々に正常な形へと戻っていった。
彼はしばらくの間、そのまま荒い呼吸を繰り返しながら横たわっていた。
隠れ家に染みついた古びた木材の匂いが鼻をつく。
「……何が、起きた……?」
その瞬間――
寄生体。
カイトの目が大きく見開かれた。
彼は勢いよく上半身を起こす。
「ぐあっ――!」
鋭い痛みが全身を駆け抜けた。
呼吸が乱れる。
同時に、失っていた記憶が一気によみがえった。
黒い箱。
あの生物。
不気味に光る瞳。
そして――
それが無理やり自分の口の中へ入り込んできた瞬間。
カイトは反射的に喉を掴んだ。
だが――何もない。
傷もなければ、血も出ていなかった。
「……夢、だったのか?」
自分で口にしながらも、その声には確信がなかった。
額から汗が流れ落ちる。
外を見ると、夕暮れの空はすでに薄暗くなっていた。
気を失ってからかなりの時間が経過しているらしい。
カイトはゆっくりと隠れ家を見回した。
静寂。
先ほど暴れたせいで壊れた物が、今も床に散乱している。
そして――
彼の視線が止まった。
壁の隠し収納は開いたままだった。
その隣には――
黒い箱が転がっている。
カイトの身体が硬直した。
「……夢じゃ、なかったのか」
背筋を冷たいものが這い上がる。
彼は慌てて立ち上がり、後ずさった。
箱の中は空だった。
完全に。
まるで中に入っていた何かが――
消えてしまったかのように。
カイトはすぐにスクールバッグを掴んだ。
「帰る」
もうどうでもよかった。
箱も。
寄生体も。
全部だ。
今はただ――家に帰りたい。
一刻も早く。
カイトは隠れ家を飛び出し、不安げに木々の間を抜けていく。
冷たい夕風が頬を撫でた。
やがて街へ続く人気のない道路へ出る。
周囲はいつも通りだった。
いや――
むしろ普通すぎた。
車が行き交う。
人々が何気ない会話をしている。
どこかで子供の笑い声も聞こえる。
それなのに。
何かがおかしい。
カイトは足を止めた。
「……なんだ、あれ」
近くの木の周囲に、細い光の線が浮かんでいた。
彼は目を見開く。
糸だ。
何百本もの細い糸が、木の幹や枝の中を光る血管のように走っている。
「なっ……」
カイトは慌てて振り返った。
さらに多くの糸。
花の中にも。
草の中にも。
通行人たちの身体の中にさえ。
色も違う。
太さも違う。
まるで世界そのものが、無数の見えない糸によって繋がっているかのようだった。
カイトは衝撃で後ずさる。
「なんなんだよ……これ……」
「やっと目を覚ましたのね」
突然、少女の声が頭上から降ってきた。
カイトの身体が凍りつく。
心臓が止まりそうになる。
ゆっくりと周囲を見回した。
誰もいない。
「……誰だ?」
「上よ」
カイトは恐る恐る顔を上げた。
木の枝の上に、一人の少女が腰掛けていた。
長い黒髪が風に揺れている。
身体には奇妙な糸のような模様が絡みついていた。
片足をぶらぶらと揺らしながら、深紅の瞳で真っ直ぐこちらを見下ろしている。
少女はいたずらっぽく微笑んだ。
「最近の人間って、本当に弱いのね」
カイトの思考が完全に停止した。
「……は?」
「目を覚ますのにずいぶん時間がかかったじゃない」
少女は気軽な口調で続ける。
「小さな寄生体ごときで脳が壊れたのかと思ったわ」
カイトは呆然と彼女を見つめた。
「……お前、誰なんだ?」
少女は小首を傾げる。
「人間って、どうしてそんなに質問ばかりするの?」
「いやいや、お前も人間だろ!?」
しかし少女は完全に無視した。
代わりに枝から軽やかに飛び降りる。
音もない。
ためらいもない。
不自然なほど完璧な着地だった。
カイトは反射的に一歩下がる。
「……待て。その化け物、お前のだったのか!?」
「んー?」
少女は唇に指を当てながら考える仕草をした。
「まあ、厳密にはそうなるかな」
「厳密にはって何だよ!?」
少女は突然、声を上げて笑った。
その笑い声は明るく無邪気で、今の状況とはまるで釣り合わないものだった。
「あははっ! 本当に面白い顔するのね」
カイトは腹立たしげに彼女を指差した。
「変な化け物に襲われて、今度は世界中に光る糸が見えてるんだぞ!? パニックになるに決まって
るだろ!」
少女は肩をすくめた。
「それは大変ね」
「軽っ!?」
思わず叫びそうになったカイトは、なんとか自分を抑えた。
この少女は理解不能だった。
さっきまで意味深なことを言っていたかと思えば、次の瞬間には子供のようにからかってくる。
まるで会話が成立しない。
カイトは深いため息をついた。
「もういい。俺は帰る」
そう言って背を向け、足早に道路を歩き始める。
数秒後――
コツ、コツ。
後ろから足音が聞こえた。
カイトの眉がぴくりと動く。
振り返ると、少女が当然のようについてきていた。
両手を背中で組み、のんびりと歩いている。
「……なんでついてくるんだよ」
少女は瞬きをした。
「行く場所がないから」
「それと俺に何の関係があるんだ!?」
「あなたが私を解放したんでしょ」
「だから意味が分からないんだって!」
少女はなぜか誇らしげに胸を張った。
「その通り」
「何一つ説明になってない!」
カイトは頭を抱えながら再び前を向いた。
そのまま歩き続ける。
しかし――
背後にいる少女の気配は消えない。
まるで観察するように。
面白い玩具でも見つけたかのように。
ずっとこちらを見ている。
「……最悪な一日だ」
その時だった。
少女の足が止まる。
今まで浮かべていた笑みが消えた。
「ん?」
カイトはすぐにその変化に気付いた。
「……どうした?」
少女はゆっくりと彼の後方へ視線を向ける。
そして短く言った。
「逃げた方がいいわ」
カイトは眉をひそめる。
「は? なんで――」
その瞬間。
背後の闇が蠢いた。
低く唸るような音が、静かな道路に響く。
カイトはゆっくり振り返った。
そして――
凍りついた。
数メートル先。
そこに巨大な黒い怪物が立っていた。
その身体は歪んでいる。
まるで溶けた肉を無理やり縫い合わせたような異形。
無数の黒い糸が全身を這い回っていた。
不気味に光る瞳が、まっすぐカイトを見据えている。
その圧迫感だけで足が震えた。
「……な、なんだよ……あれ……」
少女は退屈そうにあくびをした。
「子供のアクマね」
「はぁぁぁっ!?」
怪物が一歩前へ出る。
ズシン、と重い音が響いた。
カイトは反射的に後退する。
呼吸が乱れる。
身体が思うように動かない。
恐怖が胸を締め付けていた。
少女は腕を組みながら呆れたように言う。
「予想以上に臆病ね」
カイトは信じられないという顔で彼女を見る。
「なんでそんな平然としてるんだよ!?」
「私から見れば?」
少女は肩をすくめた。
「子犬みたいなものだし」
その瞬間――
アクマが飛び出した。
「うわああああっ!!」
カイトは悲鳴を上げ、反射的に走り出す。
全力で。
背後から重い足音が迫ってくる。
怪物が追いかけてきている。
「なんで俺がこんな目に遭うんだよぉぉぉっ!?」
「私に聞かれても」
少女は平然と答えた。
しかも信じられないことに、走るカイトの隣を軽々と並走している。
息一つ乱していない。
カイトの呼吸はすでに苦しかった。
足は悲鳴を上げている。
肺が焼けるように熱い。
必死に走っていた彼は、気付けば町外れの広い空き地へ飛び込んでいた。
そして振り返った瞬間――
アクマはもうそこにいた。
近すぎる。
あまりにも。
巨大な爪が振り上げられる。
回避する時間などなかった。
――ズガァッ!!
鋭い衝撃が胸を切り裂く。
「ああああああっ!!」
カイトの身体は勢いよく吹き飛ばされた。
地面を転がり、激しく叩きつけられる。
制服の胸元が赤く染まっていく。
温かい血がゆっくりと流れ出していた。
視界が大きく揺れる。
頭がくらくらする。
アクマはゆっくりと闇の中から近付いてきた。
まるで獲物を弄ぶ捕食者のように。
その光る瞳には、飢えが宿っていた。
そして――
真っ直ぐカイトを見下ろしていた。
第二章を読んでいただき、ありがとうございます!
カイトの身に起きた変化、そして謎の少女との出会い。
さらに「悪魔」と呼ばれる存在まで現れ、物語は大きく動き始めます。
少女の正体とは何なのか。
なぜカイトだけが糸を見ることができるのか。
その答えは今後の物語で少しずつ明かされていきます。
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それでは、次の第三章でお会いしましょう。




