第11章 東京の裏側
東京に足を踏み入れた瞬間――
カイトは思わず足を止めた。
夜空へとそびえ立つ高層ビル。
街全体を照らす巨大なデジタルスクリーン。
光の川のように流れる車列。
そして、絶え間なく行き交う何千人もの人々。
「……すごい……」
クルミでさえ目を輝かせていた。
「すっごい! 光も、人も、いっぱいいる!」
カイトが止める間もなく――
クルミは一目散に走り出した。
「クルミ!」
しかし、本人はまったく聞いていなかった。
レンはそんな様子を気にすることもなく、カイトの隣をのんびり歩いている。
カイトはふとレンの顔を見た。
「……先生、なんで夜なのにサングラスしてるんですか?」
レンはにやりと笑う。
「これはサングラスじゃない。」
カイトはじっと見つめる。
「いや、どう見てもサングラスですよ。」
レンは黒いレンズを軽く叩いた。
「見た目はな。」
「じゃあ何なんです?」
レンは少しだけ口角を上げた。
「内側を俺の糸で覆ってる。」
カイトは首をかしげる。
「なんでそんなことを?」
レンは意味深に笑った。
「そのうち分かる。」
カイトが後ろを振り返ると――
固まった。
クルミが高層ビルの屋上に立っていた。
しかも巨大なデジタル広告のすぐ横。
画面には巨大なアニメの猫が映し出されている。
クルミは興奮したように指を差した。
「カイトー!」
「このネコ、おっきい!」
カイトの心臓が止まりかける。
「そこから降りろぉぉぉ!!」
通行人たちが一斉に空を見上げた。
何人かはスマホで撮影を始める。
クルミは楽しそうに笑うと、
ひらり、と隣のビルへ飛び移った。
「待てぇぇぇ!」
カイトは慌てて追いかける。
二十分後――
カイトはまだクルミを追いかけていた。
一つのビルに着けば、
彼女は次のビルへ。
また追いつけば、
さらに次へ。
何度も。
何度も。
何度も。
地上では通行人たちが困惑していた。
「あの人、オリンピック選手?」
「いや、頭おかしいんじゃない?」
「警察呼んだほうがいい?」
その頃レンは――
屋台の近くのベンチで、
ポテトチップスを食べながら騒動を眺めていた。
数分おきに新しいお菓子を買い、
完全にコメディ映画を鑑賞する観客状態だった。
ようやく――
カイトはクルミを捕まえる。
「つかまえた!」
片腕で抱え上げると、
クルミは不満そうに頬を膨らませた。
「ずるい。」
カイトは肩で息をしていた。
もう魂が抜けそうだった。
レンのところへ戻ると、
彼はまだお菓子を食べていた。
カイトは指を突きつける。
「先生も手伝ってくださいって!」
「手伝ってもよかったけど?」
「……」
「……」
「でも面白かったし。」
カイトは泣きたくなった。
「ところで、結局どこへ向かってるんですか?」
レンはチップスを飲み込んで答える。
「柴又。」
「どうやって?」
「電車。」
するとクルミがレンの隣に現れ、
目を輝かせた。
「でんしゃってなに?」
レンは微笑む。
「乗れば分かる。」
「やったー!」
クルミは飛び跳ねた。
カイトは空を見上げる。
(また嫌な予感しかしない……)
しばらくして――
三人は地下鉄の駅へ入った。
クルミは周囲をきょろきょろ見回す。
「あれなに?」
「自動販売機。」
「あれは?」
「エスカレーター。」
「あれは?」
「案内板。」
「あれは?」
「壁。」
カイトの精神力は少しずつ削られていった。
その時――
クルミが突然立ち止まる。
視線の先には、
美しい着物姿の女性が写った広告ポスター。
クルミは首を傾げると、
まったく同じポーズを取り始めた。
「カイト!」
「見て!」
振り返ったカイトは目を見開く。
「なんでポスターの真似してるんだよ!」
クルミは得意げにポーズを決め続ける。
近くにいた人たちは思わず笑い出した。
カイトは慌ててクルミの腕を掴む。
「行くぞ!」
「えー……」
電車がホームへ滑り込む。
扉が開き、
三人は車内へ乗り込んだ。
レンはゆったりと席に座り、
クルミは窓に顔をぴったりくっつけて外を眺めている。
ようやく落ち着いたカイトは、
ずっと気になっていたことを尋ねた。
「それで、今回迎えに行く人って誰なんですか?」
レンはすぐ答えた。
「マルトシ一族当主の三男だ。」
カイトは瞬きをする。
「……マルトシ一族?」
「それって何ですか?」
レンは腕を組み、車窓の外へ視線を向けた。
「端島には九つの名門一族が存在する。」
「それぞれが、自分たちの血筋にしか受け継がれない固有の《糸》を持っている。」
カイトは真剣に耳を傾ける。
「代々、日本をアクマから守ってきた一族だ。」
「そのうち五つは本土に。」
「残り四つは端島に拠点を置いている。」
カイトは納得したように頷いた。
「でも、どうして分かれてるんですか?」
レンは流れる夜景を眺めながら答える。
「端島だけじゃ、日本中は守れない。」
「日本は広いからな。」
「一か所だけじゃ、全部の街を守ることはできない。」
カイトはすぐに理解した。
「つまり、それぞれ担当する地域が違うってことですね。」
「その通り。」
やがて――
電車が目的地へ到着した。
三人はホームへ降り立つ。
クルミはいつの間にかカイトの背中で眠っていた。
珍しく静かだった。
都会の喧騒は消え、
夜風が心地よく吹き抜ける。
駅前には昔ながらの和風建築が並び、
東京の中心部とはまるで別世界のようだった。
しばらく歩くと、
レンが足を止めた。
「着いたぞ。」
カイトは顔を上げ――
息を呑んだ。
目の前には、
巨大な和風屋敷がそびえ立っていた。
高い塀。
格式ある門。
古い石灯籠が入口を静かに照らしている。
屋敷というより、
城塞だった。
門の上には、
大きく金色の文字が刻まれている。
『マルトシ一族 本家』
カイトは思わず呟いた。
「……これが家?」
レンは微笑む。
「マルトシ一族の本家だ。」
その瞬間、
カイトは改めて理解した。
《糸使い》たちの世界は、
自分が想像していたより、
はるかに大きい。
門の上に刻まれた文字を、
カイトはもう一度見上げた。
『マルトシ一族 本家』
屋敷は家というより、
まるで要塞だった。
中へ入る前、
レンは軽く指を鳴らす。
細い糸が一瞬だけ光る。
すると、
クルミの姿が、
カイトとレン以外には見えなくなった。
だがカイトは屋敷に見入っていて、
その変化には気づかなかった。
レンはそのまま歩き出す。
「ほら、行くぞ。」
「待ってください!」
カイトも慌てて後を追った。
屋敷へ入った瞬間――
濃紺の着物をまとった男たちが、
一斉にこちらを振り向いた。
空気が張り詰める。
二人の男が前へ出る。
「何者だ?」
「マルトシ一族に何の用だ。」
カイトは小声でレンに囁く。
「……なんで皆、来ること知らないんですか?」
レンは笑った。
「今日来るなんて言ってないから。」
カイトは固まった。
「言ってないんですか!?」
レンは気にも留めず前へ出る。
「端島学園から来た。」
男たちは眉をひそめた。
「馬鹿な。」
「学園の使者は明日の到着予定だ。」
周囲からざわめきが起こる。
「怪しいぞ。」
「追い返せ。」
「偽物かもしれない。」
カイトは、
門から放り出される自分の姿を想像した。
その時――
重々しい足音が響いた。
場の空気が一変する。
屈強な体格の男が、
奥から姿を現した。
その存在感だけで、
誰もが口を閉ざす。
男はレンを一目見ると、
静かに頷いた。
「その者たちは本物だ。」
「通してやれ。」
一族の者たちはすぐに道を開ける。
カイトはようやく胸を撫で下ろした。
一方レンは、
いつも通り笑っていた。
三人は男に案内され、
屋敷の奥へ進んでいく。
やがて、
広い和室へ通された。
部屋の中央には、
三十五歳ほどの男が静かに座っていた。
姿勢は美しく、
鋭い眼差しには威厳が宿っている。
その男の周囲だけ空気が違っていた。
男は静かに手を示す。
「どうぞ、お座りください。」
レンは慣れた様子で正座する。
カイトもぎこちなく真似をした。
男が口を開いた。
「私はマルトシ一族当主、マルトシ 真田だ。」
カイトは思わず背筋を伸ばす。
この人が、
一族の当主。
サナダの視線が、
ゆっくりとカイトへ向く。
しばらく観察するように見つめ、
何かを確かめるような目をした。
そして再びレンへ視線を戻す。
レンは微笑んだ。
「俺はレン。」
「こっちはカイト。」
「端島学園一年生だ。」
サナダは眉を上げる。
「一年生か?」
「ええ。」
レンはどこか誇らしげだった。
カイトは少し照れくさくなる。
サナダは一度目を閉じ、
静かに開いた。
「……彼からは糸の気配を感じない。」
部屋が静まり返る。
カイトは少しだけ俯いた。
その言葉は、
何度も聞いてきた。
レンは迷わず答える。
「こいつは強い。」
サナダは納得した様子ではなかったが、
反論はしなかった。
代わりに立ち上がる。
「いいだろう。」
「それが本当なら――」
「証明してもらおう。」
カイトは嫌な予感しかしなかった。
サナダは真っ直ぐ二人を見る。
「明日。」
「君と、その生徒には――」
「我が一族の者と戦ってもらう。」
カイトはゆっくりレンを見る。
(断ってください。)
(お願いします。)
(本当にお願いします。)
レンは笑顔で答えた。
「受けましょう。」
カイトは本気で倒れそうになった。
「なんでですかぁぁぁ!?」
サナダは少し笑う。
「不満そうだな。」
「当たり前ですよ!」
「誰も僕に聞いてませんから!」
カイトは思わず叫んだ。
サナダは小さく笑った。
「目的は単純だ。」
「端島学園の実力を知りたい。」
「教師の力。」
「そして、生徒の力も。」
カイトはレンを睨む。
「やっぱり先生のせいじゃないですか!」
レンは平然と答えた。
「だいたいそうだな。」
サナダは出口へ向かう。
「試合は明日の朝。」
「今夜はここで休むといい。」
障子の前で立ち止まり、
振り返る。
「期待を裏切るな。」
そう言い残し、
静かに部屋を後にした。
部屋には静寂だけが残る。
カイトは両手で顔を覆った。
「……明日、絶対最悪の日になる。」
レンは肩をすくめる。
「たぶんな。」
カイトの背中では、
眠っているクルミが寝言を言いながら笑っていた。
その後、
先ほどの大柄な男が三人を客室まで案内した。
部屋に入るなり、
レンは布団へ飛び込み、
ものの数秒で寝息を立て始める。
カイトは苦笑しながら、
眠っているクルミをそっと布団へ寝かせた。
眠るクルミを見て、
思わず微笑む。
(……案外、悪いやつじゃないのかも。)
――ドゴッ。
次の瞬間、
クルミの足が思い切りカイトの顔に炸裂した。
「いっったぁ!」
カイトはそのまま布団から転げ落ちる。
勢いよく起き上がり、
眠るクルミを指差した。
「今のなし!」
「やっぱりお前が一番問題児だーーっ!!」
しかし、
布団へ戻っても眠れなかった。
目を閉じるたび、
明日の試合が頭に浮かぶ。
期待。
不安。
緊張。
さまざまな思いを抱えたまま、
カイトはようやく静かな眠りへ落ちていった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
前回の更新から少し時間が空いてしまいましたが、待っていてくださった皆さんには心から感謝しています。
今回は、東京という新しい舞台と、これから物語に深く関わってくるマルトシ一族を描きました。
カイトにとっては見るものすべてが新鮮で、慌ただしい一日になりましたね(笑)。
物語はこれから少しずつ世界が広がり、新しい出会いや出来事も増えていきます。
これからもカイトたちの旅を見守っていただけたら嬉しいです。
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いただいた感想はいつも楽しく読ませていただいています!
それでは、また次の章でお会いしましょう!




