332.打ち込まれた楔は抜けず
アードラー国王グスタフは、窓辺で街を見つめていた。空の星のように広がる灯りの一つ一つに、人の暮らしがある。貴族、民、商人、他国から来た客人……様々な立場の人の生活が、王の采配に委ねられていた。かつては、それを誇った。
節約し、減税し、民が裕福になればと考えたのだ。その裏で貴族達が何をしているのか、全く知らずに……民を救ったつもりになった。毒を盛られて倒れ、忠臣であるロイスナー公爵家や宰相達を失い、最後に命まで取られる。
過去となった『前回』を思い出すだけで、背筋がぞくりとした。あの時、女神アルティナが動かなければ、アードラー王国はどうなっていたのか。グスタフは深い息を吐いた。
元凶となった貴族に誑かされ、異世界からの異物と女神に断言された聖女に踊らされる。そのような息子を王太子の地位に座らせておくほど、グスタフは無能でいられなかった。立場がそれを許さず、矜持が愚かさを許さない。
アードラー王国を支え発展させるのが、王として最後の務めだ。それが終われば、次の代から王政を排除していく。そのための手はずも整えた。偉大なる先祖には申し訳ないが、血筋を残すために愚物を据えることは認めない。
「陛下、本日最後の書類でございます」
宰相が静かに差し出したのは、孤児院への寄付を記した書類だった。署名すれば発動し、寄付金が孤児院の運営費になる。名を連ねた貴族のほとんどが、新興の一族だった。かつて下位貴族だったアデナウアー侯爵家を始め、文官として執務を支えた一族もいる。
領地を管理して運営し、得た金をこうして市井に戻す。初代王が爵位を与えた各貴族家も、もとは同じであっただろうに。特権階級に胡坐を掻き、既得権益を貪りながら民に寄生した。
「これでよい。処理を頼む」
「はっ……」
預かった宰相は一礼し、けれど部屋を辞する様子はない。振り返った怪訝そうなグスタフ王へ、迷いながら進言した。
「王政を保つ道はございませんか?」
「跡取りもおらぬ。養子となるべき公爵家もない。民に恨まれ殺されかけた最後の王として、穏便に王国を終わらせるのが……わしの役目だ」
「ならば、お供いたします」
忠誠を尽くす王家が倒れるならば、共に。深く一礼した宰相を見送ったグスタフは、苦笑いを浮かべた。何も一緒に倒れることはあるまいに、と。その反面、彼の言葉を嬉しく思うのも事実だった。
「……王家が倒れると、他国が攻めてくる気がしてなぁ」
ジーモンは騎士団副団長を示す徽章を指で弄りながら、うーんと唸った。肘をついた机に広がるのは、近隣諸国が記された地図だ。直接国境を接する国は、カペル共和国とウテシュ王国、それから新たに生まれたロイスナー公国だった。もう一つ小さな貿易都市があるが、ここは国ではない。
ロイスナー公国側は山脈が広がり、カペル共和国の先は海が広がっていた。好戦的で何度も戦ったウテシュ王国は、ここ最近大人しい。それでも安心して気を抜くつもりはなかった。
「配達させといて、情報を抜こうとするんじゃないわよ」
バルバラが大きく溜め息を吐く。最近お気に入りの薔薇の香りを漂わせ、オネエさんは注文された料理の入った籠を机の地図に置いた。ロイスナー公国の位置だ。
「これは情報?」
「いいえ、ただのパンサンドよ」
くるりと背を向けて出ていくバルバラを見送り、ジーモンはまた頭を抱えた。余計な地位に就くと悩みが尽きない、まさに典型例だった。




