305.口に出せないこともある
ウテシュ王国へ入った枢機卿シュテファンは、新王の祝福に訪れていた。儀式の際も立ち会ったが、改めて教会としての祝辞を告げるためだ。
独立を宣言する教会だが、どうしても王家との距離は近かった。女神アルティナを信仰する教会であっても、神職は霞を食べて生きるわけではない。建物の寄進から始まり、日常のさまざまな部分に王家からの寄付が影響した。
信者である民の寄付も大きいが、総額の半分を占める王族を無視できない。明らかに教義に反する場合は、信者と抵抗するだろう。だが小さなお願いは撥ね除けられなかった。それでも教会が唯一譲らない部分がある。女神の代理人は認めない。
アードラー王国で王太子ニクラウスが強行した『前回』の聖女がこれに該当する。掟を破ったから、女神の愛し子が傷つけられた。決まりを守らなかったから、神罰が落ちた。この考えは、教会の関係者に広く浸透している。
少なくとも『前回』について、何も知らない神職者はいなかった。シュテファンも積極的にウテシュ王国内へ神罰を広め、女神への回帰を促している。
「お久しぶりです」
「新王テオパルト陛下に、女神アルティナ様の僕シュテファンがご挨拶申し上げます」
一度顔を合わせたことがある。シュテファンを覚えていた様子のテオパルトは、後ろに控える従者に目を止めた。足を損ない義足で随行したヴェルナーと、礼儀正しく一礼するベニートだ。老シーゲル伯爵とその執事の素性を知りながら、テオパルトは言及しなかった。
知っていた方がよいことが世の中には多数あるが、口に出しても良い話は少ない。頭で考えた内容の一割を口に出せば、多すぎるくらいだった。弟達を迫害し、差別する貴族を見て学んだことだ。
「枢機卿、従者殿は足が悪いようだ。楽にするよう伝えてくれ」
王族が直接声を掛けないルールに従い、伝言を頼む。振り返ったシュテファンの指示で、二人の老人は運ばれた椅子に腰かけた。ベニートは遠慮していたが、隣のヴェルナーに目配せされて従う。ここでは、枢機卿シュテファンの従者なのだから。
祝辞に重ねて雑談を少し、それから客人であるシェンデル前公爵から「立ち寄ってほしい」と言われた話をする。了承するシュテファンへ、牽制するように用件を尋ねた。
「シェンデル老は、なぜ枢機卿を呼んだのか……」
気になっているぞ。そう匂わせたが、形だけのものだ。わかっているシュテファンは微笑んで躱した。
「女神様への懺悔は、すべての信者に与えられた権利です」
女神以外に明かすことはない。その返しにテオパルトは「そうだったな」と退室の許可を与えた。後ろに従う二人は何も語らない。それがすべてなのだ。
一応、釘は刺した。それ以上は知らない。立ち上がったテオパルトは、頭上の王冠を外す。継いだばかりの重責と同じ、ずっしりした豪華な鎖も同然だった。それを玉座に置こうとして、一つ息を吐く。それから抱えたまま、執務室へ向かった。




