196.海の女神テアリスが根付く国
ルイス王国が国境を接するのは、二つの国だ。旧アードラー王国で今はロイスナー公国となった領地と、ゼークト王国である。ロイスナー公国からは高い山脈を越えなければならず、移動は現実的ではなかった。そのため、山脈が切れた先に連なる低くて長い山を回り込む。
事実上、行き来できる国はゼークト王国のみだった。海路を使えば、ウテシュ王国にも通じる。湾内は穏やかでも外海は荒れるため、海路は滅多に使用されてこなかった。
他国から隔離された状態が、独自の文化と宗教観を生んだ。ルイス王国は女神アルティナのほかに、海の女神テアリスを祀っている。海からの恵みがルイス王国を潤してきた。塩、魚、海藻……そして、災いも海から持ち込まれる。災いは何らかの漂流物であったり、病だったりした。
海の恵みに感謝し、もたらされる災いに立ち向かう。その意味で、女性の移り気な一面を反映して女神が祀られているのだ。
「まぁ、そんなお話があるのですね」
迎賓館へ向かう馬車の中、ガブリエルは知らない文化に目を輝かせる。ソフィーも勉強や読書は好きなようで「帰ったら本を探してみましょう」と少し高い声で応じた。エッカルトは彼女達の反応に気をよくした。こうして知識を口にしたとき、感動してもらえると気持ちが上がる。
「海の女神テアリス様は、ゼークト王国やウテシュ王国にも信者がおってな。カペル共和国でも女神像が売られていたな。おそらく縁がないのはアードラー王国くらいだろう」
女神アルティナ様を崇めるアードラー王国では、他の神々の名を聞く機会すらない。学んだ知識が偏っていたことに、ガブリエルは危機感を覚えた。あの国で学んだ知識や作法が、他国で本当に通用するのか。言語は問題ないが、心配になってきた。
ルイス王国は独自の言語を持つが、ゼークト王国との交易が盛んなことで両国の言葉が使えるらしい。公用語が二つある形だ。商人だけでなく、漁師や農民であってもゼークトの言葉を使う。どの国でも共通しているのは、平民は読み書きのできない者が大半という現実だった。
「ルイス王国の言語は、ゼークトに近いぞ」
ガブリエルは興味を持った様子で、大きく頷いた。せっかくだから、帰るまでに言語を習得したい。一般的な会話が出来れば、今後も使う機会があるだろう。直接の行き来が難しくとも、隣国なのだから。
よい心がけですと褒めるクラーラは、まだ酔いが残っているらしい。顔色が少し青い。街道を走るようになって揺れは軽減されても、体調の回復は時間がかかるだろう。迎賓館に早く着けばいいのに……ガブリエルの呟きに、ソフィーも微笑んで同意した。




