161.鮮やかに紅を引いた淑女の嘴
「やめなさい! 私は子爵夫人なのよ!」
叫びながら追い出されたピータック子爵夫人の様子に、集まった淑女がひそひそと噂話を始めた。先日の飲食店でシェンデル公爵夫妻の後ろの席で騒ぎを起こしたソフィーは、客人としてガブリエルと手を繋いでいる。
この場で噂の対象となることはなかった。逆に、その後のドレス購入時の騒動が囁かれる。ソフィーに嫌味を言うのはまだしも、その場にいたガブリエルやクラーラに対しても失礼を働いた。店を出入り禁止にされたらしい、など。
美しい紅で彩られた淑女達の嘴は、噂のタネを離さない。
「手違いによる騒ぎがありましたが、歓談を楽しんでくださいな。今日は私の孫娘で、ロイスナー公国の公女ガブリエル殿下も同席なさいます。隣のメルテンス子爵家のソフィー嬢とは、親しくさせていただいておりますの」
クラーラの宣言で、ソフィーに関する悪い噂はすべて封印される。貴族社会の上下関係とは、そういうものだった。上位の者が「この話は終わり」「彼女は私のお気に入りよ」と宣言したら、下位の者は唯々諾々と従うのが習わしだ。
「ぜひご挨拶させていただかなくては……」
いそいそと立ち上がった女性は、旅行滞在の伯爵夫人らしい。家の名と個人名を名乗り、今後も仲良くしてほしいと願い出る。ガブリエルはソフィーと手を繋いだまま、微笑んで頷いた。次々と挨拶に訪れる人々が一周し、人の流れが変わる。
親しい者同士で席を替えて最新の噂話が始まった。
「ねえ、先ほどのピータック子爵家のこと。すでにご存じ?」
「旦那様が奥様を見限って出て行かれた話なら」
「あら、そちら? 子爵夫人はほら……少しばかり厳しい方ですから、旦那様は我慢できずに愛人の家に逃げ込んだそうですわ」
さきほどの子爵夫人の話で盛り上がるのは、すぐ左側のテーブルだ。逆に右のテーブルでは、先日離縁したドナート伯爵家の話題が出ていた。
「ドナート伯爵が、夫人や令嬢と縁を切ったと聞きましたわ」
「私も存じております。ご無礼を働いたのに、そのことを隠してご当主様に抗議させたとか」
「なんてこと! さぞ気落ちなさったでしょうね」
この場合の気落ちする対象は、当然ドナート伯爵本人だ。妻子の話ではない。その証拠に、ドナート伯爵に後妻を紹介してはどうかと盛り上がった。
社交界は貴族であれば入り口は開かれている。中に入った者が強者である間は、誰も手出しをしない。弱者に転じたと判断した瞬間、一気に追い出しにかかる。その残酷さをまざまざと見せつける、社交の縮図となった会場で、ガブリエルは優雅に微笑んで過ごした。




