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その少女は異世界で中華の兵法を使ってなんとかする。  作者:
第23話 兵失=軍隊が敗北する場合
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その4(全4回) かくして南部5侯との戦いは終わった

 少し話は戻る。南部5侯が陣中会議を開いたときのことだ。


 その席上でカワ辺境伯とトウドウ辺境伯は、「徹底抗戦」を主張し、フワ辺境伯と共に帝国軍に突撃することを約束した。


 しかし、それはあくまでも建前(たてまえ)であって、その本音(ほんね)は「どっちつかず」の心境にあった。


(帝国軍がわれらを攻め滅ぼすつもりなら、空中戦艦が撃墜された時点で総攻撃をしかければよかったはずだ)


 カワ辺境伯は、戦場をふりかえりながら考えた。


(あのとき総攻撃をしかけられたら、オレたちは確実にやられていた)


 トウドウ辺境伯は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。


((それなのに帝国軍が総攻撃をしかけなかったというのは、つまり帝国軍が“貴侯を仲間にしたい”と言うのは本当だということだ))


 2侯は同じ結論に達していた。


 こうなることは、クリーにとって想定内だった。


「これは“苦肉の計”みたいなもの。自分にとって大切なものを犠牲にすれば、相手をあざむきやすくなる」


 総攻撃のチャンスに総攻撃をしかけず、投降勧告を出して南部5侯を逃がしてやる。


 そうやって、あえて勝てるチャンスを犠牲にすることによって、2侯が投降勧告を信じこむようにさせることができる。


 クリーは、そんな説明をしていた。そして、そのとおりになったわけだ。


 カワ辺境伯も、トウドウ辺境伯も、まんまとあざむかれた。だから、迷った。


(負けを覚悟で勇猛果敢に戦って名誉の戦死をするか? それとも「裏切り者」の汚名を着ようとも生き残って優雅に暮らす道を選ぶか? 迷うところだ)


 迷っているうちに決戦のときを迎え、フワ辺境伯が突撃を敢行した。


 それを見ながら2侯――カワ辺境伯とトウドウ辺境伯は、さんざん迷ったあげく日和見(ひよりみ)を決めこむ。


(戦況を見て、有利そうなら出撃するし、不利そうなら待機しよう。それに帝国からは一目を置かれているのだから、いざとなれば帝国に投降すればいい。そうすれば優遇してもらえる)


 そんなふうに甘く考え、場当たり的に行動することに決めたわけだ。


 かくして打ち合わせどおりに突撃をはじめたフワ辺境伯軍の軍勢――中軍は、あっというまに圧倒的に不利な状況におちいってしまった。


 まさに「正直者がバカを見る」の言葉どおりの展開だ。


 傭兵も逃げ出し、それを見て正規兵の「逃げたい」という気持ちも強まっていく。


 フワ辺境伯軍は破竹の勢いで突撃したくてもできない。正規兵は、ただ惰性(だせい)で走っている。そんな状態だ。


 帝国軍の陣地からは、一連の猛烈な砲撃と銃撃のあと、フワ辺境伯軍の勢いが弱まったところで、とどめを刺すべく多数の騎兵隊が突進してきた。


(もはやこれまでだ)


 フワ辺境伯軍の将兵たちは死を覚悟した。


 もう二度と愛する家族に会うこともないだろう。


 もう二度と美しい故郷を目にすることもないだろう。


 将兵たちは、家族や故郷のことを思い浮かべながら、やるせない気もちになっていく。


「死んで花実(はなみ)が咲くもの!」


 たまりかねた将兵のだれかが叫び、武器を放り投げ、帝国軍に対して両手をあげた。


 すると、あたかも伝染病がまん延してくような感じで、フワ辺境伯軍の将兵たちが次から次に突撃をやめ、武器を放り出し、両手をあげていく。


 フワ辺境伯がいくら叱咤激励(しったげきれい)しても、もはや「笛吹けど踊らず」といった状態だった。


「これまでか……」


 フワ辺境伯は祈るように天を見上げながらつぶやく。


 そして、顔を戻した瞬間、キッとまなじりを決して愛馬を疾駆させた。


「うぉーっ!」


 その美しい見かけとは不釣り合いな「勇ましい(とき)の声」をあげながら、軍刀を片手に勢いよく帝国軍のほうへと突進していった。


 フワ辺境伯の側近たちも、子飼いの将兵たちも、それに続いて突撃していく。


 しかし、「衆寡(しゅうか)、敵せず」だ。あっけなく捕縛(ほばく)された。


 ◆ ◆ ◆


 帝国軍は、陣地から打って出てきたフワ辺境伯軍を蹴散(けち)らしたところで、いったん動きを止めた。


 敵の射程外から敵陣を半円形に囲むように布陣しつつ、いつでも攻撃できる態勢をとり、さらなる戦いに備える。


「フワ辺境伯も片づき、残るは4侯ですが――」


 総司令官が言う。


「――シン辺境伯とヒラ辺境伯は寝返りを約しているからよいとしまして、カワ辺境伯とトウドウ辺境伯からの返事はありません」


「ならば敵対していると見なしたほうがよいわけか?」


 フミト皇太子が問いかけると、総司令官は「はい」とうなずいて言う。


「つねに悪いほうに考えて備えるのが、危機管理というものでありますから」


「カワ辺境伯とトウドウ辺境伯が敵対するとして、その2侯と一戦をまじえるとなれば、それ相応の犠牲を覚悟せねばなりません」


 ヤマキ中将は心配そうに言いながら、クリーをチラ見する。


 カワ辺境伯とトウドウ辺境伯は、いわゆる「剛の者」だった。いったん戦いとなれば、勇猛果敢に戦うだろう。そんな相手と戦えば、受けるダメージも大きくなる。


 できるだけ犠牲を少なくしたいと考えるクリーにとっては、厄介(やっかい)な相手だった。だからクリーも困っているだろう。


 そんなヤマキ中将の心配は杞憂(きゆう)だったのか、クリーはクールに言った。


「カワ辺境伯も、トウドウ辺境伯も、敵対はしていないと思う。こちらの思わくどおりに様子見(ようすみ)を決めこんでくれたから、こちらの策にはまっているはず。だから予定どおりにやっていけば、今のところ心配ない」


 ヒューン! パァーン!


 まもなく前線の帝国軍が信号弾を打ち上げた。それに呼応するように――。


 ドン! ドン! ドン!


 南部連合軍の陣地で砲音が轟いた。


 パン! パン! パン!


 銃声も聞こえてくる。


 熱気球(こんみんでん)の偵察隊が南部連合軍の陣地を確認したところ、主郭にたてこもっていた軍勢が出丸を砲撃し、銃撃していた。


 シン辺境伯とヒラ辺境伯が寝返り、カワ辺境伯とトウドウ辺境伯に対して攻撃を始めたのだ。予定どおりだ。


 主郭は出丸よりも高いところにあるので有利だ。出丸が丸見えなので、重要なところをピンポイントで狙い撃ちできる。


「応戦しろ!」


 カワ辺境伯とトウドウ辺境伯は、それぞれ違う出丸にいるが、同じように命じた。


 将兵たちはあわてて大砲の向きをかえる。主郭に向けて大砲を反転させる。しかし、出丸は主郭よりも低いところにあるので、主郭を狙い撃ちするのは難しい。圧倒的に不利だ。


 それに第一、すべての大砲を逆に向けるわけにはいかない。なにしろ目の前には帝国の大軍がウヨウヨとたむろしているのだから。


 出丸にたてこもる将兵にとって、まさに「前門の虎、後門の狼」といった形勢だ。進むも地獄、退くも地獄で、まさに進退が窮まってしまった。もはや助かる道はない?


「助かる道はある! 安心しろ!」


 カワ辺境伯も、トウドウ辺境伯も、考えることは同じだった。


「帝国の軍使に伝えろ! 投降する!」


 帝国軍の投降勧告を受け入れたなら、帝国軍から攻撃されることはない。主郭に対して全力で反撃できるようになる。そうなれば、2人の臆病者――シン辺境伯とヒラ辺境伯など、あっという間にケチョンケチョンだ。


 これが2侯の考える「助かる道」だった。


 しかし、将兵たちの思う「助かる道」は違っていた。


 部下に嫌われている上官は、激戦となり、混戦となると、どさくさに(まぎ)れて部下から背中を撃たれることがある。


 そしてカワ辺境伯も、トウドウ辺境伯も部下に嫌われていた。


 カワ辺境伯は乱暴だし、トウドウ辺境伯は傲慢(ごうまん)だ。2侯とも部下を思いやるような性格ではない。部下のことを家畜のようにしか考えていなかった。


「将兵というものは馬や犬と同じで、痛い目にあわせれば言うことを聞くようになる」


 だから、将兵をひきいるにあたり、とにかく力でおさえつけるようなことをしていた。少しでも命令違反があれば、見せしめとするため、憲兵に命じて激しくムチ打つ。


 ときにはみずから棍棒をとり、違反者をボコボコに殴って殺すなど、やり過ぎなところもあった。


 クリーは、事前に南部5侯に関する資料を見て、そのことを知っている。


「わが一族の教えでは、“やり過ぎに気づかないから、人びとから失望される”と言われている」


 実際、カワ辺境伯とトウドウ辺境伯のもとにいた将兵たちは、その虐待のひどさゆえに、傭兵のみならず、正規兵までもが、うんざりしていた。2侯に対して失望していた。


「こんなダメな主君に仕えていたら、たとえ今の危険を乗り越えられたとしても、これからもいつ殺されるか分からない」


 だから、主郭から砲弾や銃弾がふりそそぎ、混乱している今がチャンスだ。


(どさくさに紛れて、殺してしまえ)


 考えることはだれもが同じだったようだ。主郭へと向けられていたはずの多くの大砲が火を吹いたとき、その砲弾が着弾したのは、すべて主君が身を潜めている防空壕だった。


 これについて、のちに当事者たちは、こう言い訳している。


「主郭からの思わぬ攻撃を受け、あわててしまったので、照準ミスが起こり、誤って主君のいる防空壕を砲撃してしまった」


 もちろん、すべての大砲が同じような照準ミスを起こしたのは、あくまでも偶然だ。だれも故意に主君を砲撃などしていない。


 後日、帝国軍から「主君殺害」の容疑をかけられ、調べられた南部5侯の将兵は、だれもが口をそろえて、同じ言い訳をした。


「たしかに混乱していれば誤射もありえる」


 というわけで、この件は不問とされた。


 ちなみにクリーは、戦いに先立ち、こんなことも言っていた。


「わが一族の教えに“人びとの心を1つにまとめられないから、大きな困難に打ち勝てない”とある。カワ辺境伯とトウドウ辺境伯は部下に失望されているから、部下は主君のもとに一致団結してがんばろうとはしない。だから、今のピンチを克服できない」


 そのとおりだったわけだ。


 フワ辺境伯の出丸でも、トウドウ辺境伯の出丸でも、辺境伯の軍旗が引きおろされ、降伏を示す白旗が掲げられる。主郭からの砲撃や銃撃もやんだ。


 まもなく出丸の門が開き、将兵たちが武器を捨て、両手をあげて投降してくる。


 かくして帝国軍による南部5侯の討伐も、まともに戦った場合よりも少ない犠牲で終わった。


 カワ辺境伯とトウドウ辺境伯の2侯は、力の信奉者だった。カワ辺境伯も「力こそ正義」と言うように、力さえ強ければ勝てると思っていた。


 そして、トウドウ辺境伯も「オレTUEEE(ツエエエ)」と言うように、実際に強かった。


「どんなに力が強くても、それだけでは勝てない――」


 クリーは語る。


「――わが一族では、こう言われている。“政治的な勝利と軍事的な勝利について分かってないから、たとえ布陣がうまく、進退がばっちりで、地形も分かっていても、苦戦することになる”」


「それは、つまり政治的な勝利とは策による勝利で、軍事的な勝利とは力による勝利だと考えてもいいのかな?」


 フミト皇太子が問いかけると、クリーはうなずいた。


「はい」


「うまく知略をめぐらせば、さほど武力を使わずとも勝てるものなのだな――」


 総司令官は、感心している。


「――クリー大佐、貴様が言うところの効率よく戦いを終わらせるとは、いかなるものであるのかについて、具体的に知ることができた。今回、貴様と共に戦陣に臨むことができ、幸いであった。礼を言うぞ」


「あ、ありがとう」


 クリーは顔を赤らめる。


(クリー大佐も、やはり女の子なのだな)


 総司令官は改めて感じた。思わずほっこりとした気分になるが、帝国防衛の一翼を(にな)う者としては今ここで緊張感をなくすわけにはいかない。なにしろ今回の戦いを通じて、これから強大な敵と戦わないといけないと分かったのだから。


 ◆ ◆ ◆


「敵将は殺さず、生け捕れ。聞きたいことがある」


 フミト皇太子は、戦いに先立って命令していた。だから、フワ辺境伯も激戦のさなか殺されずにすんだ。


 捕縛されたフワ辺境伯は、戦いが終わると、縄できつく(しば)られたまま、憲兵たちに両脇をおさえられながら、フミト皇太子らのいる本陣へと引っ立てられた。


 憲兵たちは、フワ辺境伯をおさえつけ、地面に両膝をつかせる。


「貴侯が南部諸侯のリーダー格であると聞いているので、貴侯に2つほど聞きたいことがある」


 フミト皇太子は、フワ辺境伯を見下ろしながら、おもむろに言った。


「まず1つ目だが、どうして貴侯らは皇子派に忠義を尽くすのか?」


 南部5侯は、これまで皇子派との長い付き合いがあったわけではないし、空中戦艦の撃墜によって勝ち目もなくなった。


 しかも、投降勧告という逃げ道も与えられた。それなのに降伏せず、あくまでも抵抗する構えを見せた。なぜか?


 フミト皇太子は不思議だった。


「形勢が不利となれば、皇子派に義理立てする理由がない以上、さっさと降伏したほうが得策ではなかったのか?」


 しかし、フワ辺境伯は黙っている。不敵な笑みを浮かべつつ、コワイ目をしてフミト皇太子をにらんでいる。


「貴侯が徹底抗戦を望んだのは、わたしたちが貴侯を挑発したからか?」


「ふん、分かっておられませんね。これだから男というものは……」


 フワ辺境伯は、あきれるような口調で言った。


「殿下は、形勢が不利となれば皇子派につくのは不利益だから、ふつうは皇子派を見限るだろう。そのようにおっしゃりたいのですね?」


「ああ、そうだが――」


「きれいな宝石を与えれば女は喜ぶ。女は損得で動くから。世の殿方(とのがた)は女を損得で動く生き物だと軽く考えておられますが、とんだ勘違いというものです」


「どういうことかな?」


「わたくしは、理由はさておき、皇子派につくと決めました。いったん決めた以上、それを貫くのが武人(さむらい)というものでありましょう?」


「なるほど、たしかに一理ある。ただ武人(さむらい)うんぬんという話は、貴侯だけに限ったものではないのか? 残りの諸侯は、あっさり手のひらを返した」


「つまり、わたくしが徹底抗戦を言いはり、南部諸侯を造反へと駆り立てたと。殿下は、そのように申されたいのですか?」


「そんなふうには考えていないが、とりあえず不利でもすぐに降伏しようとしなかった理由を知りたいだけだ」


「まあ、よろしいでしょう。わたくしも敗軍の将とはいえ、武人(さむらい)のはしくれ。言い訳などいたしません――」


 言いながらフワ辺境伯は、地面に両膝をつかされたまま、首を前に出す。この首を斬れというメッセージだ。


「――もとよりいかなる処罰を受ける覚悟はできております。ただ願わくば、名誉の死を(たまわ)りたく存じます。どうか(はずかし)めだけはご容赦(ようしゃ)いただきたい」


 フワ辺境伯は、武人(さむらい)であるが、女性だ。しかも美人とくれば、まちがいなく勝者の(なぐさ)み者にされるだろう。性欲のはけ口とされかねない。


(この男も権力欲にとりつかれ、こたびの権力争いを引き起こし、(いくさ)をまねいた(やから)だ。自分で言うのもなんだが、わたくしのような美人を捕らえたとなれば、わたくしの体をどうもてあそぶかくらいしか考えておらぬであろう)


 だが、それだけは避けたい。武人(さむらい)として美しく死にたい。


 フワ辺境伯はそんなことを考えていたが、残念ながらフミト皇太子の考えとは一致していなかった。


「縄を解け」


 フミト皇太子がゆるやかに命じる。憲兵は一瞬あっけにとられたようすだったが、すぐに気をとりなおして命じられるままフワ辺境伯を縛りつけている縄をほどく。


「ふぅ」


 窮屈さから解放され、フワ辺境伯は思わずため息が出た。


 フミト皇太子は、そんなフワ辺境伯におだやかな表情を向けながら、みずからの軍刀を(さや)ごと腰からはずす。そのままツカツカとフワ辺境伯に近づいていく。


 フワ辺境伯は、降将としての作法にしたがい、その場に(ひざまず)き、頭を垂れた。


 なにをされるか分からない。このまま斬り殺されるならいいが、野蛮な敵将や敵兵たちからレイプされるかもしれない。


 しかし、それでも武人(さむらい)としての矜持(プライド)を失わず、正々堂々として有終の美を飾りたい。


 そう思うからこそ、フワ辺境伯は動じることなく作法を守った。


 フミト皇太子は、そんなフワ辺境伯の目の前に立つと、おもむろに軍刀をさし出した。


 それを見て、総司令官は驚く。


(あろうことか敵将にみずから刃物を差し出すなど、これで殺してくれと言うようなものではないか。危うすぎる)


 総司令官はあわててフミト皇太子の前に出ようとする。しかし、ヤマキ中将がさりげなく制止した。


「ここは殿下にお任せください」


 そう言わんばかりの自信と信頼に満ちた目をしている。


 総司令官は心配だったが、とりあえずいったん引き下がった。


 いっぽうフミト皇太子のほうは、少しも危ないとは思っていないようすだ。無頓着(むとんちゃく)にも敵将に刃物をさし出したまま、おだやかな笑顔で言う。


「これは皇族に伝わる宝刀の1つで、なかなかの名刀だと聞いている。まあ、わたしは文弱なので詳しくは知らないが、これを貴侯に贈りたい」


「ああ、殿下よ、皇族の宝刀をもって自死できる栄誉(えいよ)(たまわ)り、感謝いたします」


 フワ辺境伯は、うやうやしく両手をささげ、宝刀を受け取ろうとする。


「ん? それは勘違いだ」


「え?」


 思わず目を丸くするフワ辺境伯。やはりカラダ目的?


「わたしは貴侯の生き様と言うか、損得を考えないで信義を貫こうとする、その義将ぶりに感心した。だから、この宝刀を贈りたいと思ったのだ」


「?」


 思いもよらない展開にフワ辺境伯は驚き、(ひざいまず)いたままフミト皇太子を見上げた。フミト皇太子は人のよさそうな笑顔をしている。


 これには総司令官も驚いていた。しかし、ヤマキ中将など、フミト皇太子のことを知っている人たちは驚かない。ただ「殿下らしいな」と感じたくらいだった。


「この宝刀と引きかえにというわけではないが、わたしに仕える気はないか? 貴侯のような人材は、なかなか得られるものではない。頼む」


 フミト皇太子は、しゃがんでフワ辺境伯の目を見つめながら、フワ辺境伯の手をとり、宝刀をもたせた。


 フワ辺境伯は、あっけにとられたようすで黙ってフミト皇太子を見つめていた。


 しばらくしてフミト皇太子は、ゆっくりと立ち上がる。


「まあ、すぐには結論を出せないかもしれないが、できれば検討してほしい――」


 フミト皇太子は笑顔で言う。


「――もちろん、わたしに仕えるのがイヤなら、それでもかまわない。これまでどおり帝国に敵対しないと約束してくれるなら、南部に帰ってもらってかまわない」


 そう言ってフミト皇太子は、フワ辺境伯に背を向けた。そのまま立ち去ろうとする。


 フワ辺境伯は、思いもよらない展開に目を丸くして、思わず呆然(ぼうぜん)としている。


(なんという余裕……。なんという度量……。まさに(おとこ)ではありませんか!)


 フワ辺境伯は、不覚にも心を動かされてしまった。初志貫徹の信念がもろくも崩れ去っていくのを感じだ。


「お待ちください、殿下」


「ん?」


 フミト皇太子は立ち止まり、ふりかえる。


「“人生、意気に感ず”という言葉もございますが、このフワは不肖とはいえ、殿下の意気に感じ入りました。殿下が仕えよと申すなら、わが初志貫徹の信念をまげ、喜んでお仕えさせていただきたく存じます」


 言いながらフワ辺境伯は居ずまいを正し、ひれ伏し、臣下の礼を示した。


 そのようすを見守っていた総司令官は思う。


(敵将にみずから刃物を差し出すなど自殺行為かと思ったが、これが“赤心(せきしん)()して人の腹中に置く”というものであろうか)


 ちなみに「赤心を推して人の腹中に置く」とは、「人に信じてほしいなら、まず自分からその人を信じることが大切だ」という意味だ。


(何度も驚かされるが、やはり殿下は人を(とりこ)にするのがうまい。感服する。まさに「人たらし殿下」であるな。ふふ)


 総司令官は、心のなかで勝手にフミト皇太子にあだ名をつけながら、おかしくなった。


 ◆ ◆ ◆


「ときに殿下――」


 フワ辺境伯は、宝刀を腰に()いてから言った。


「ん?」


「残り1つの疑問とは、なにでありましょうか」


「あ、それは今回の貴侯らの兵数についてだ――」


 南部連合軍は、南部を出発したときは5万人の兵力にすぎなかった。南部5侯の動きを監視していた偵察隊も、この数字を報告している。


 しかし、戦場に着くころには2倍の10万人となっていた。おそらく傭兵でも雇ったのだと思うが、これほどの短期間で5万人もの傭兵を雇うのは通常なら難しい。


「――どうやって短期間のうちに兵数を増やせたのか、そのカラクリについて教えてもらいたい」


「かしこまりました。お答えいたします。イチマツが連邦に助けを求めたとき、連邦が大量に傭兵を派遣してくれることになったと聞いております。その傭兵たちがバラバラに移動して、戦場で終結した次第であります」


 大量の兵隊が同時に同じ道を移動すると、人数が多いぶんだけ渋滞しやすくなり、移動のスピードが遅くなってしまう。そうなると遠征軍の場合、いろいろと不都合が起きる。


 たとえば、食料の問題がある。遠征軍が携行できる食料の数量は限られているので、スピードが遅いと、戦場に着くより先に食料を食べつくしかねない。そうなれば戦いたくても戦えなくなる。「腹が減っては戦ができぬ」ものだ。


 もちろん食料を現地調達するという手もあるが、遠征先に必ずしも食料があるとは限らない。確実でないものをあてにするような愚か者は負ける。


 そこで、バラバラになって違う道を進み、戦場で落ちあうようにする。そうすれば渋滞しないのですむので、すばやく移動できるようになる。これを分進合撃と言う。


 かつて旧ハン王国(今の連邦)で革命が起きたとき、革命軍(今の連邦軍)は分進合撃をうまく使いこなして機動力を高め、王国軍をほんろうしたと言われている。


「南部の中央に位置する人口都市・ストウでは、多くの兵士たちがタケトを警護していると聞くが、それも傭兵が多いのか?」


「およそ1万に近い傭兵が、タケト皇子を守っております。ただし、その兵数も間断なく増員されておりますので、今はさらに多いかもしれません」


「なんと! 1万人以上もいるのか?」


 ヤマキ中将は驚く。


「はい。さきほどは黙っておりましたが、連邦の(うし)(だて)がありましたことも、わたくしたち南部5侯を強気にさせた一因でありました――」


 言いながらフワ辺境伯は頭を下げる。


「――隠し立てをいたし、申し訳ありません。今や殿下に忠誠を誓いました以上は、今後は二度と同様な隠し事はいたしません」


「それは気にしないでくれ」


 フミト皇太子は笑顔で応じた。


「しかしながら――」


 総司令官は心配そうに口をはさむ。


「――さらに増員が続いているとなれば、そのうち南部は連邦の傭兵に乗っ取られるのではありますまいか?」


「たしかに、その可能性もあるな。――これついて貴侯の意見を聞かせてくれないか?」


「はい。今にして思えば、連邦も帝国攻略の橋頭堡(きょうとうほ)を確保するため、皇子派の支援を決め、南部に空中戦艦や傭兵を派遣したのかもしれません」


 フワ辺境伯は真顔で言った。


「ということは、つまり連邦は、北部からの侵略に失敗したので、今度は逆に南部から侵略しようとしているわけか。これまた厄介(やっかい)なことになったな」


 そう言うフミト皇太子は苦笑いしており、口で言うほどの深刻さが感じられない。もちろん部下を安心させるための配慮だ。


 そんなフミト皇太子を気遣い、なんとかしないといけないと思ったのだろうか。いきなりヤマキ中将がクリーに話をふる。


「ときに軍師殿、なにか策を考えてくれまいか?」


「えっと……。わが一族の教えに“改善すべきときにおこたり、行動すべきときにためらい、反省しても持続しないなら、停滞する”とあるけど、殿下はこれにはあてはまらないから、先に進んでいけると思う」


「それで?」


「それから“無欲で、謙虚で、内柔外剛なら、上昇する”ともあるけど、殿下の場合はこれにあてはまるから、きっといい方向に向かうと思う」


「それで?」


「それだけ」


「へ?」


 思わず目を丸くするヤマキ中将。


「つまり、殿下そのものが必勝のための“策”になるということ」


「まあ、殿下のことをよく言ってもらえるのは、うれしいことだ――」


 言いながらヤマキ中将は喜び半分、がっかり半分といった複雑な顔つきになる。


「――しかし軍師殿、それは策ではなく、単なる応援(エール)ではないか?」


「いきなりだったから、これくらいしか思いつかなくて、ごめんなさい」


 そんなやりとりを(かたわ)らで見ていたフワ辺境伯は、興味深そうにクリーを見つめていた。


(もしやこの少女が噂に聞いた「作戦の神様」であろうか?)


 北部辺境守備軍には、フミト皇太子を「救国の英雄」にさせた若い「作戦の神様」がいる。そんな噂が南部にも伝わっていた。


(しかし、若いな。と言うか、若すぎる。しかも男社会の帝国軍にあって女だ。それでも軍人としての仕官を許すとは、殿下は懐が広いのか?)


全文訳『孫臏兵法』兵失


 敵国の人民が不安としているところを使って、常識で~となっているところを正そうとする(のは~につながります)~(自国の軍隊の短所を使って)敵国の軍隊の長所を攻撃しようとするのは、自軍を消耗させることにつながります。自国の虚弱なところを無理やり充実させ、そうして敵国の充実したところに立ち向かうのは、自軍をすみやかに敗北させることにつながります。守備が万全でも、敵のすぐれた兵器を役立たないようにさせられないのは、自軍を劣勢に追いやることにつながります。兵器が役に立たず、敵の守備が万全なのは、自軍を作戦に失敗させることにつながります。

 兵が~せず~明~のです。布陣がうまく、進退もばっちりで、地形もわかっているのに、軍隊がなにかと苦しむことになるのは、政治的な勝利(心理的な勝利)と軍事的な勝利(物理的な勝利)についてわかってないのです。人民~軍隊が目に見えるかたちで大成功をおさめられないのは、機会を知らないのです。軍隊が人民から失望されるのは、やり過ぎに気づいていないのです。軍隊が力を多く使っているのに成果が少ないのは、タイミングを知らないのです。軍隊が大きな困難に打ち勝てないのは、国民の心を一つにまとめられていないのです。軍隊が何かと後悔することになるのは、疑わしいことを信じているのです。軍隊が勝敗を事前に判断できないのは、準備についてわかっていないのです。

 軍隊が好機とわかっていながら放置し、タイミングがきてもためらい、過失をなくしても過失のない状態を維持できないのは、止道[停滞への道]です。貧しくても欲ばらず、君主にかわいがられてもつけあがらず、弱そうだけど実は強く、柔らかそうだけど実はしっかりしているのは、起道[上昇への道]です。止道を行う人は、天地が味方したとしても興隆しません。起道を行う人は、天地~


※その他、残っている言葉

~の軍隊です。国~を使って~しよう~

~内に疲れた軍隊です。多く費やしても固まらず~

~敵が屈服させにくいのを見~。軍隊が天地を悪くするのを尊ぶ~

~して軍隊は強く国~

~兵は~できない~


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