その1(全3回) イチマツ宰相は南の空に飛んでいく
「故に五恭、五暴は、必ず相い錯せしむるなり。」
(そこで慎重さと大胆さは、両立させないといけない。)
『孫臏兵法』「五名五恭」篇より
帝国軍がフミト皇太子の指揮下に入り、タケト皇子やイチマツ宰相たちのたてこもる郊外要塞を包囲してから、ちょうど3週間目のことだ。
いきなり郊外要塞の城門がすべて開き、白旗を掲げた集団がぞろぞろと出てきた。
「われらは勧告にしたがい、投降を申し入れたい」
籠城軍は、タケト皇子やイチマツ宰相に義理立てして死ぬのではなく、「逆賊」を見捨てて生き残る道を選んだのだった。
「裏切り者を許すな! 銃撃しろ! 砲撃しろ! 見せしめに殺せ!」
タケト皇子は、怒り狂っていた。
しかし、どの砲台も、どの銃座も、沈黙したままだ。砲音1つも、銃声1つも聞こえない。シーンと静まりかえっている。
砲撃や銃撃を担当していた兵士は、さっさと持ち場を捨て、すでに投降していってしまっていた。砲台や銃座はどこも「もぬけのから」になっている。
いっぽう包囲軍のほうでは、偵察隊が望遠鏡をのぞきながら白旗の集団をこまかく確認していた。白旗をもつ者以外は、だれもが両手を頭の上にあげている。だれ1人として武装はしていないようだ。
投降は本物だろうが、投降を装って奇襲するつもりかもしれない。油断はできない。
「古人も“投降を受けるときは、攻撃を受けたときのようにせよ”と言っている。警戒をゆるめずに対処せよ」
総司令官は全軍に命じた。
前線の部隊は、いずれも「投降者が奇襲部隊である」という想定のもと、慎重に投降者を受け入れていった。ひとまず投降者の集団を小さく分けて、それぞれ施錠のできる輸送車に監禁する。
そのうえで投降者ひとりひとりを厳重に取り調べた。その結果、今回の投降が本物であり、奇襲のためではないことも確認できた。その後、投降者たちは約束どおり許され、解放されることになる。
「今回、投降してきた人数は、概算でほぼ1万人であります」
現場からの伝令が総司令官に報告した。
「もともと籠城軍は1万人であったから、全軍が投降してきた計算になるな」
総司令官は、安どの表情を浮かべながら言った。
(これで同胞同士が殺し合うという最悪のシナリオを回避できたわけだ。それにしても皇太子殿下の臣民を思う気もちは本物であるな)
いくら難攻不落の郊外要塞でも、その兵力は1万人にすぎない。
包囲する帝国軍50万人が、その兵数にものを言わせて攻め立てれば、無数の死傷者を出すだろうが、たやすく攻略できる。あっけなく片づく。
フミト皇太子のように決起した者の立場からしてみれば、さっさと敵対者を攻め滅ぼし、みずからの足場を固め、一刻も早く安心したいと思うものだ。だから、多少の犠牲が出ることになっても、力ずくで攻めて勝てるなら、そうしたくなる。
(だが、皇太子殿下は今回、“できるだけ死傷者を出したくない”と、帝国軍の将兵のことを思い、はやる気もちをおさえ、功をあせらないで待機してくださった)
総司令官はふりかえって思った。
(結果として、多くの将兵の命が救われた。われら帝国軍人は、いくら皇太子殿下に感謝しても感謝したりないだろう)
もちろんフミト皇太子は、クリーの策にしたがったにすぎない。しかし、その副産物として、帝国軍の将兵から信頼を勝ち取ることにもなった。まったく世の中、どう転ぶか分からないものだ。
「もはや郊外要塞には戦闘力がない」
この総司令官の言葉どおり、今や郊外要塞に残っているのは少数だ。司令室にいるタケト皇子とイチマツ宰相、それからイチマツ宰相の私兵10名だけしかいない。
司令室の監視窓からからは、包囲軍が前進を始めているのが見える。包囲の輪が狭まっていく。
「もう終わりだ。ははは」
タケト皇子は、絶望のあまり精神に異常をきたしたのか、その場で笑いころげる。
しかし、イチマツ宰相と、その私兵10名の表情には、まったく恐れが見られない。
イチマツ宰相は、おもむろにポケットから笛を取り出すと、ピーッと吹き鳴らす。とたんに私兵10名の目つきが変わる。まるで血に飢えた獣のようだ。
イチマツ宰相の目つきも同じように変わっていた。息づかいも荒くなっている。
しかし、タケト皇子は、自分を見失っているので、そういった変化に気づかない。
「こんなときに笛など吹いて、ふざけるな!」
タケト皇子は、狂ったような目をしてイチマツ宰相をにらみつけ、刀を手にとる。
「こうなったのは貴様のせいだ! 貴様を手打ちにし、その首を父上に――陛下に差し出して詫びる!」
タケト皇子は、狂ったようにイチマツ宰相に斬りかかった。
イチマツ宰相は、ひらりと身をかわす。いつものイチマツ宰相のようすからは想像もできないような身軽さだ。タケト皇子は、勢い余ってこけそうになる。
「ちっ!」
タケト皇子は、いまいましそうに舌打ちをしながら、体勢をたてなおす。ふりかえりながら、刀をかまえる。
その瞬間、イチマツ宰相がすばやく踏みこんできて、タケト皇子のみぞおちに猛烈なパンチを食らわせた。それはタケト皇子をふき飛ばすほど強烈なものだった。
勢いよく飛ばされたタケト皇子は、そのまま指令室の壁に激突した。全身に激痛が走る。目をひんむいて、その場に倒れて気絶した。
のちに心術担当官から聞いて分かったことだが、どうやらイチマツ宰相たちは、催眠術によって潜在能力を引き出し、狂戦士になったらしい。
「どこで催眠術を身につけたのかは知らんが、まあ、おそらく連邦のだれかが教えたのじゃろう。その手の工作員は、連邦にはごまんとおるからな」
心術担当官は、まさに他人事といった感じで言う。ついでに、こんなことも説明してくれた。
「催眠術で狂戦士になれば、一騎当千の強さをもてる。じゃが、くりかえし行えば――ひどい場合は2回目か3回目で、精神に異常をきたし、見境なく人を襲うようになる。しまいには廃人となる。じゃから、連邦では禁じ手とされておるが、それを使うとはのう。あやつらの将来を思えば、不憫じゃな」
実際、狂戦士となったイチマツ宰相たちの強さは、半端なかった。帝国軍の兵士たちが指令室になだれこんできたとき、武道の達人のような身のこなしで闘い、いともかんたんに撃退してしまう。
帝国軍の精鋭部隊が制圧のために突入してきても、結果は同じだった。
「あいつら人間じゃない。鬼神だ。勝てっこない」
実際にイチマツ宰相たちとやりあった兵士は、だれもがそんな感想をもった。
そのせいで帝国軍が攻めあぐねていると、空から内燃機関の音が聞こえてきた。
「?」
帝国軍の将兵たちが音のするほうを見上げると、葉巻型の飛行物体が4つ飛行していた。連邦の空中戦艦だ。
帝都を空襲したときに比べて艦数が増えている。新たに完成したのだろう。いったい連邦は、どれくらいの空中戦艦を建造するつもりなのだろうか?
カーン! カーン! カーン!
帝国軍は各部、各所で非常事態を知らせる鐘を鳴らした。
ドン! ドン! ドン!
あわてて大砲を空に向け、砲撃を開始する。
しかし、命中しない。なお、ある統計によると、地上から飛行船を砲撃した場合、8000発に1発くらいしか命中しないという数字も出ている。
しかも、どうやら高度も2000メートル以上を飛んでいるらしい。いくら砲撃しても、砲弾の到達しない高さだ。
ヒューン! ヒューン! ヒューン!
空中戦艦は、わがもの顔で悠然と飛行しながら、爆弾をばらまいていく。郊外要塞を包囲する帝国軍の頭上に爆弾がふりそそぐ。
ドッカーン! ドッカーン! ドッカーン!
爆音が轟く。帝国軍の騎馬が驚いていななき、飛びあがる。将兵は爆撃されて悲鳴をあげる。帝国軍は騒然となり、もはや逃げまわるしかできていない。
ただ幸いにして、空中戦艦の高度が高いので、そのぶん爆撃の照準も精度も悪かった。だれもいないところに落ちる無駄玉も多い。
もちろん、勇猛果敢に砲撃や銃撃を続ける将兵たちもいる。もっとも、いくら撃っても、まったく命中しないが。
しばらくすると空中戦艦のうち1隻が高度を下げながら、郊外要塞に近づいてきた。
ガコン!
空中戦艦は、その舳先を郊外要塞の中心にそびえる鉄塔の先に接続した。鉄塔のなかにある階段をイチマツ宰相たちが駆けあがっているのが見える。
バスッ!
帝国軍の砲弾1つが、ようやく空中戦艦の水平尾翼に命中した。しかし、水平尾翼には大した装甲もなく、柔らかだったので、信管も作動しない。砲弾は爆発せずに尾翼の一部を粉砕しながら貫通しただけだった。
空中戦艦はイチマツ宰相たちを回収すると、すぐさま鉄塔を離れて上昇する。
4隻の空中戦艦は、いずれも艦首を南に向け、そのまま飛び去っていった。
あとで分かったことだが、イチマツ宰相は、郊外要塞にたてこもると同時に、連邦に対して電信を打ち、援軍を要請していた。
これに対して連邦は「無敵」の空中戦艦を飛ばし、イチマツ宰相たちを救出したわけだ。あまりにもスムーズなので、イチマツ宰相と連邦の間には以前から連絡があったのかもしれない。
「連邦の支援を受け、南部5侯と連携し、起死回生をはかる」
これがイチマツ宰相のもくろみだった。
(連邦の空中戦艦に対し、帝国軍は手も足も出ない。空中戦艦があれば、南部5侯も勝算ありとして、わが要請に応じて喜んで出兵するだろう。楽勝だ)
イチマツ宰相は、そう考えると、うれしくなる。思わず満面の笑みとなった。




