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第30話 地獄開拓『次なる深淵へ』・後編1

「知らない妖怪、キターーーーーッ!!」


 僕は思わず、両手を突き上げて歓喜の声をあげた。


 すばらしい出会い。


 どの妖怪図鑑にも載っていない、

 完全なる未知の妖怪だ。


「教祖サマ、アイツハ危険デス!

 早ク逃ゲマショウ!」


 271号が僕の服の裾を引っぱる。


 しかし、そんな彼の視線も、凍凝婆《こごりばばあ》のシワッシワの乳房から滴り落ちる乳に釘付けだった。


 口元からは、ダラダラとヨダレが垂れている。


 いつもお腹をすかせている餓鬼にとって、

 あの乳はたまらないご馳走らしい。


(ふむ、餓鬼をそこまで惹きつけるなんて。

 いったい、どんな味なのだろう?)


 凍凝婆が、下卑た笑みを浮かべて僕を見下ろす。


 そして、


『おやおや、よく見れば人の子ではないか。

 坊も腹が減っているであろう?

 ほれ、わしの乳を飲みなさい』


 ほれほれ、と萎びた乳を見せびらかしてくる。


 どう考えても罠だ。


 不用意に近づけば、

 あの巨大な爪の餌食になるだろう。


 だが、それでも――。


「お腹はすいていませんが、

 味見させていただきましょう!」


 ここで味見をしないのは、僕の和風ファンタジーオタクとしての矜持《きょうじ》が許さない。


 未知の妖怪が出す乳は、

 いったいどんな味がするのか。


 そりゃあ、誰だって気になるでしょ!


 ……気になるよね?


「教祖サマ、近ヅイテハ駄目デス!」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。

 ちょっと味見するだけだから」


 僕は271号の制止を振り切り、

 ずいずいと老婆の足元まで歩み寄った。


「ほれ、飲みなさい」


――ボタボタボタボタ!


 乳白色の液体が、雨のように降り注ぐ。


「どれどれ」


 僕は落ちてきた液体を、

 指の先に少しだけすくい取った。


 まずは、匂い。


 強烈な悪臭が鼻の奥を突き抜ける。


 胃液と死体をグチャグチャに混ぜて、何日も放置したような、とんでもない腐敗臭。


 人生で1番、嗅ぎたくなかった匂いだ。


 271号は、これを甘美な香りに感じているのか。


 生ゴミにハエがたかるのと同じ原理なのかな?

 餓鬼を見る目が、少し変わってしまう。


(さて、肝心の味の方は——)


 ――ペロリ。


 覚悟を決めて、乳白色の液体を舐めとる。


 舌の上で転がし、じっくりと味わい、


 そして最後には、


――ゴクリ。


 ちゃんと飲み込んだ。


「どうじゃ、味は?

 とても美味しかろう?」


 凍凝婆が、いやらしい笑みを浮かべる。


「そうですね——」


 僕は5秒ほど間を置いたあと、真顔で口を開いた。


「まずは、感謝を述べさせてください。

 妖怪の、それも、あなたのような特別な妖怪の乳を飲む機会なんて、そうそうあるものではありません。


 これは本当に貴重な体験です。

 今日の出来事は、きっと忘れません。


 さて、肝心の味についてですが。


 たとえるならば、

 焼肉を腹一杯食べすぎて、

 思いきり吐いたゲロの味に近いでしょう。


 強力な消化液と、消化された肉。

 それがクリーミーに混ぜ合わされた絶妙な食感。


 強烈な酸味をベースに、

 お肉の生臭さが鼻を抜ける。


 吐いてから1週間ほど熟成させたような、

 深いコクも感じられますね。

 そう、ただのゲロではない、妙な奥深さがある。


 世界中探しても、こんな味は他にないでしょうね。

 まさに、未知との遭遇です。


 まぁ、最後に一言でまとめると——

 超絶ゲロマズですね!」


……しんっ。


 辺りが静まり返る。


 271号は「あいつ言いやがった!」みたいな顔をして、両手で頭を抱えていた。


『……ヒィッ、ヒヒヒヒヒッ!

 アヒャヒャヒャヒャヒャッ!』


 耳をつんざくような、狂った笑い声が響いた。


 空気が一変する。


『そうか、そうか!

 わしの乳は不味いのか!

 それならば、

 活きのいいお前さんを食えば、

 少しは美味しくもなろうよ!』


 凍凝婆は、その長い爪を振り下ろしてきた。


――ギィィィンッ!


 抜いた小太刀で受け止める。


 金属音が鳴り響く。

 硬い。


 しかも、


(なんだこの力は!)


 20メートルを超える巨体とはいえ相手は老婆。


 そう油断していたが、

 爪を押し込む力が尋常じゃない。


 今まで倒してきた妖怪とは、

 明らかにレベルが違う。


 僕も闘気を全開にして、迎え打つ。


(なかなか楽しませてくれるじゃないか!

 いいぞ、もっと来い!)


 激しく火花が散る。


 一撃一撃が重い。


 息もつかせぬ連撃。

 刃と爪がぶつかり合い、衝撃波が荒野を揺らす。


『お前さん、なかなかやるではないか!

 ならば、これはどうじゃ!』


 凍凝婆が、大きく息を吸い込んだ。

 その巨体が、さらに膨れ上がる。


『刻凪之凍吹《ときなぎのいてふき》』


——ひゅぅぅぅぅぅぅぅ!


 大きく裂けた口から、

 真っ白な息が猛吹雪のように吐き出された。


(——危険だ)


 直感的に危機を察知し、

 僕は左へ勢いよく飛び退いた。


 しかし、

 回避がほんの少しだけ遅れ、

 右腕に白い息が触れてしまった。


 地面を転がり、すぐに立ちあがろうと手をつく。

 その時、明確な違和感が走った。


(右腕が……動かない?)


 息がかかった右腕が、まるで石膏で固められたようにピクリとも動かない。


 冷たくはない。

 だから、氷で凍ったのとは違う。


 まるで右腕だけ、

 時が止まってしまったような感覚だ。


『まっこと、よい動きじゃ。

 餓鬼どもとは違い、人の子は活きがいい。

 ほれ、もっと元気に逃げ回らんかい』


『刻凪之凍吹《ときなぎのいてふき》』


——ひゅぅぅぅぅぅぅぅ!


 凍凝婆が、容赦なく追撃の息を吐きかけてくる。


 僕は片腕のまま、必死に躱し続ける。


(なるほど、面白い術式だ)


 攻撃をよけながら、僕は頭をフル回転させる。


 この術式のカラクリを暴かなければ、

 右手の自由は戻らない。


(闘気を使って、無理やり動かすのはどうだ?)


 僕は右手にまとった闘気を操り、

 動かなくなった腕を力技で操作しようとした。


 だが、ここでさらなる異変に気づく。


(闘気が……動かせない?)


 右手を覆っている闘気が、まるで泥のように固まり、僕の意思に反してまったく動かないのだ。


『ほれ、ほれ、ほれぇ!』


 僕が反撃してこないことをいいことに、

 老婆は巨体から執拗な爪の連撃を繰り出してくる。


 まだ術式の謎は解けていないが、

 いつまでも防戦一方でいるわけにはいかない。


「やられっぱなしは性に合わないんでね!」


 僕はまだ動かせる左手で小太刀を抜き放ち、

 闘気と霊力を一気に練り上げた。


「真影焔流・祀界《しかい》の太刀

 夢幻陽炎《むげんかげろう》・虚ナル塵界」


――ドォォォォォォォッ!!


 大地から、凄まじい焔が噴き上がる。


 陽炎によって歪む景色。

 熱とともに肌を刺す死の気配。


 周囲の空間を完全に支配する、真影流の奥義だ。


 僕は足元から炎を吹き上げ、

 その爆発と上昇気流を利用し、

 一気に空へと舞い上がった。


 20メートルもある凍凝婆を見下ろせる、

 はるか上空まで。


 そして、そこから次なる一撃を放つ。


「真影焔流・伍《ご》の太刀

 赫灼流影《かくしゃくりゅうえい》・星堕チル夜」

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