第29話 地獄開拓『次なる深淵へ』・中編
——ポタ、ポタ、ポタ。
乳白色の液体が、地面に滴り落ちる。
『オイシイ!オイシイ!』
『モット、ノミタイ!』
『ドケ、ジャマダゾ!』
3匹の餓鬼たちが、その液体に群がっていた。
その液体は、とても甘美な香りを放っている。
餓鬼たちにとっては、まさに魅惑の香り。
それは何も食べるものがない地獄で、
唯一腹を満たすことができる『ご馳走』だった。
彼らは地面に這いつくばって、
必死に液体を舐めとる。
——ひゅぅぅぅぅぅぅぅ!
不意に、
真っ白な風が餓鬼たちの頭上から吹き下ろした。
瞬間、
『ア……ガ……』
餓鬼たちはカチコチに固まり、
ピクリとも動けなくなる。
乳白色の液体。
甘い罠。
それは、
『今日は3匹も手に入ったぞ。
大量じゃ、大量じゃ』
20メートルを超える巨大な老婆の、
萎びた乳房から滴り落ちる乳だった。
◆
「地獄を探索すると言ったはいいものの、
——うん、広すぎるね!」
拠点の中で一番高い建物。
作戦本部の屋根の上から、僕は辺りを見渡した。
ところどころに岩場だったり低めの丘が見えるが、基本的には地平線までずっと、赤い荒野が広がっているだけだ。
それっぽい目印は何もない。
そのため。
東西南北。
どっちに進めばいいかまったく分からない。
「まぁ……とりあえず、
テキトーに真っ直ぐ行ってみるか!」
基本的にはポジティブシンキングな僕。
歩き続ければどこかに辿り着くでしょ!
という結論に至る。
僕は拠点から出発して、
北の方向にまっすぐ歩くことにした。
とりあえずの目印として、
遠くの特徴的な岩を目標地点に設定する。
それを頼りに、ひたすら北へ。
地獄に果てはあるのか。
それとも、別の地獄が広がっているのか。
(わっくわっく、わっくわっく!)
好奇心の塊である僕の足取りは、
自然と軽快になる。
そうして、歩き続けること6時間。
「……あれ、戻ってきちゃった?」
遠くに、見慣れた拠点が見えた。
僕はひたすらまっすぐ北に歩いてきたのだ。
なのに拠点に戻ってくるなんて、
絶対におかしい。
しかも、拠点の『北側』から出発したはずなのに、戻ってきたのは拠点の『南側』だった。
「考えられる可能性は2つ。
1つは、知らず知らずのうちにぐるりと大きな円を描きながら歩いてしまった結果、拠点に戻ってきたパターン」
俗にいう『リングワンデルング』というやつだ。
視界が悪く、目印がない場所で方向感覚を失うと、まっすぐ進んでいるつもりでも、無意識のうちに円を描いて歩いてしまう現象だ。
雪山なんかで遭難した人が、よく経験するらしい。
(でも、今回は違うはず。
僕はちゃんと、岩を目印にして進んでいた)
岩場にたどり着き、それを超えた後も、しっかり次の目印を見つけてから歩き出していた。
ぐるりと一周したとは考えにくい。
「と、するならば。
考えられる可能性として高いのは、
空間がつながっているパターンだ」
北の端と南の端、
東の端と西の端、
それぞれがくっついてつながっている。
つまり、無限に続いていそうで、実際にはこの空間の『広さには限界がある』ということだ。
「マジか、ちょっと萎えるわ〜。
あんま探索する場所ないじゃん」
マインクラフ○みたいに、歩けば歩くほど様々な地形やモンスター、謎の遺跡がランダム生成される世界を期待していたのに!
死門遊観さん、あなたにはガッカリですよ!
早く追加コンテンツを出してください!
僕は文句を言いながら、
一旦、拠点に帰ることにした。
◆
「教祖サマ、定期報告デス」
拠点に戻って一息ついていると、
餓鬼271号がトコトコとやってきた。
「うん、おねがい」
僕は報告を聞く。
しかし、今日の報告内容はひどく少なかった。
現在、教団が諜報活動している範囲の出来事は、あらかた調べ尽くしてしまったようだ。
(うーん、おもんないなぁ)
諜報活動の範囲をもっと広げたいが、あまりに広げすぎると餓鬼たちの管理がしづらくなる。
現世の調査は少しお休みにして、ちょっと地獄の探索の手伝いに回ってもらおうかな。
……あれ?
(——そうか!)
「ねえ、271号。
ちょっと聞きたいんだけど、
なんかこう、地獄で気になる場所ってない?」
よくよく考えれば、
この地獄で生まれた餓鬼なら、
地獄のマップに詳しいはずだ。
何か特別な場所を知っているかもしれない。
「気ニナル場所——農場デスネ。
早ク、飯食ベタイ」
いかにも餓鬼らしい、食欲全開の回答。
いや、そういうことが聞きたかったんじゃない。
これは、僕の質問がフワッとしていたせいだね。
「ちゃうちゃう、拠点の外の話。
僕、今、地獄の探索を行なっているんだよね」
僕は探索の件を簡単に説明した。
1回自力で探索してみたけど、
めぼしいものは見つからなかったこと。
地獄には何もない荒野が広がっているけど、
ただの荒野ではない『特別な場所』はないのか、
ということ。
「……ソレナラ、アリマス」
「え、ほんとに!
よし、僕をそこへ案内して!
今すぐに!」
僕は目を輝かせた。
しかし、餓鬼は重苦しい表情で首を振る。
「アソコヘハ、行カナイ方ガイイデス」
「え、なんで?」
「私タチハ、ソノ場所ヲ『食事場』ト呼ンデイマス」
食事場?
餓鬼たちの?
「食事場なら、行った方がいいんじゃないですか?
餓鬼ってみんな、お腹を空かせているんでしょ?」
「違イマス。
私タチノ食事場デハアリマセン。
『凍凝婆』ノ食事場デス」
凍凝婆。
なんだソイツ。
僕は知らないぞ。
妖怪なのか、
それとも人間なのか。
もし妖怪だったら、それはすごいことだ。
生粋の和風ファンタジーオタクである僕が知らないということは、誰も知らない未知の妖怪である!
それは、スゴイ発見だ。
「——ふむ、実に興味深い」
僕は不敵に笑うと、ビシッと指を突き出した。
「よし、271号よ、命令です!
僕を凍凝婆のところまで連れて行きなさい!」
「コノ教祖サマ、話ヲ全然聞イテクレナイ!
アイツハ危険ナ怪物デスカラ!
私ハ行キタクアリマセン!」
「そんなこと言わずにさ。
ほら、飴ちゃんあげるから」
「ワーイ!イキマス!」
(こいつら……単純すぎる)
◆
「——教祖サマ、コノ香リデス。
コノ美味シソウナ香リガ、奴ノ罠ナノデス」
再び探索に出てから、30分。
先頭を歩いていた271号は、
ふと立ち止まり、長い鼻をピクピクと動かした。
美味しそうな香り、と言っている。
「え、香りですか?
何もしませんよ?」
僕はクンクンと鼻を鳴らしてみたが、
まったく何も感じない。
「教祖サマハ、何モ感ジナイノデスカ?
コノ、気ガ狂ウホド甘美ナ香リヲ」
271号が、目を丸くして驚く。
感じないものは感じない。
(もしかすると、餓鬼にしか嗅ぎ取れない香りなのかな?)
よくよく考えてみると、
ここは罪人に裁きを与える『地獄』だ。
そして、餓鬼は本来、罰を受ける対象である。
もし、凍凝婆というのが餓鬼に罰を与える獄卒のような存在だとすれば、標的である餓鬼だけを誘き寄せる性質があってもおかしくはない。
「私ニ着イテキテクダサイ」
271号を先頭に、歩き出す。
彼は香りのする方へと進んでいくのだが、
その歩き方はひどく奇妙だった。
まっすぐ歩くのではなく、
途中でクネクネと曲がったり、
時には来た道を引き返したりしている。
なんでそんな無駄な動きをするのかと聞いたら、凍凝婆の周囲は空間が歪んでおり、香りの導く通りに歩かないと絶対にたどり着けないらしい。
(なるほど、じつに興味深い。
これは僕1人では絶対に辿り着けなかったな)
餓鬼を調伏して本当によかった!
そうして、奇妙なルートを歩くこと10分。
急に、足元に白い霧が立ち込めてきた。
常に30度を超える地獄にあって、
ここだけ少し、肌寒く感じる。
明らかに雰囲気が変わった。
「——教祖サマ、アイツデス」
271号が、震える指で『僕の背後』を指差した。
ゾクリと、背筋が凍る。
僕はゆっくりと、背後を振り向いた。
するとそこには——。
『この爪で刺してな。
この爪で刺してな。
串刺しにしようと思ったのじゃ』
カチコチに固まった何匹もの餓鬼を、
自身の長い爪に突き刺し、
焼き鳥のようにまとめてから一口で喰らう、
見上げるほど巨大な老婆が、
嗤いながら僕たちを見下ろしていた。
「知らない妖怪、キターーーーーッ!!」




