第3話 この猫『喋るんです』
【篝火矛累・視点】
深夜0時。
屋敷の中は静まり返っていた。
俺は音を立てないよう慎重に襖を開け、寝室を覗き込む。そこには、愛する妻・静江と、その腕に抱かれた息子・灯弥が、安らかな寝息を立てていた。
(……可愛いなぁ)
静江の美しい寝顔。そして、その横で丸くなっている小さな命。灯弥は起きている時は少々……いや、かなり奇行が目立つが、こうして寝ているとただの天使だ。俺は2人の布団をそっと掛け直し、頬が緩むのを抑えきれないまま、その場を後にした。
守らなきゃな。この平和を。
台所へ向かい、一升瓶とお猪口を手に取る。
そのまま縁側へと向かい、腰を下ろした。
庭には樹齢百年を超える枝垂れ桜。
葉桜の隙間から、冴え渡る月が見下ろしている。
酒を注ぎ、くいっとあおる。
喉を焼く熱さが、1日の疲れを溶かしていく。
「ふぅ……。
今日の現場はキツかったな」
独り言が漏れる。
俺の仕事は『特別警察』の剣術指南役だが、実働部隊として現場に出ることも多い。
今日の相手は、反帝国主義のテロ組織だった。
大東陽帝国。
先の『第二次世界魔術大戦』において、西洋列強の猛攻を打ち破り、華々しい勝利を収めた我が国。その支配領域は拡大の一途を辿っているが、それに比例して反発も増えている。
「『民族解放運動』、か……」
彼らの言い分も分からなくはない。
だが、現実が見えていない。
帝国の植民地政策は、従来の西洋的な『搾取』とは根本的に異なる『共栄』だ。現に、我々東陽人が先進技術を持ち込んだことで、現地の生活水準は劇的に向上している。治安だって安定した。
だが、彼らはそんなことお構いなしに「帝国主義は滅ぶべし」と叫び、あろうことか国の大事な式典に乗り込んできたのだ。
向こうにも手練れの術師がいた。
こっちにもかなりの負傷者が出た。
あぁ、頭が痛い。
(……まぁ、難しいことは上が考えればいい)
俺は政治家じゃない。
俺の仕事は、降りかかる火の粉を払い、家族と市民の生活を守ること。それだけだ。
空になったお猪口に、再び酒を注ごうとした。
その時だった。
「ニャ〜」
庭の闇から、漆黒の影が現れた。二股に分かれた尻尾の先で、青い鬼火がゆらゆらと揺れている。
マタキチだ。
「なんだ、お前も起きてたのか」
マタキチは音もなく縁側に飛び乗ると、なにやら威圧的な視線を向けてきた。
「酒が欲しいのか?
ほら、やるよ」
俺は苦笑しながら、お猪口になみなみと酒を注ぎ、マタキチの前に差し出した。
しかし、
「ニャクスッ!」
――ペェンッ!
マタキチの前足が目にも止まらぬ速さで閃き、お猪口を庭へと叩き落とした。
「……な、なんだよ。
酒が欲しいんじゃないのか?」
「ニャ〜!!」
マタキチが毛を逆立てて抗議の声を上げる。その瞳には、並々ならぬ切迫感が宿っていた。
「……はぁ。分かった。
ちょっと待てって」
俺はため息をつき、丹田に意識を集中させる。体内で練り上げた霊力を指先に集め、マタキチの首に巻かれた注連縄――そこに縫い付けられた小さな鈴に触れた。
『第一封印・解呪』
カッ、と淡い光が溢れる。次の瞬間、猫の輪郭がブレて膨張し、光が収束すると――そこには、黒い着物を崩して着た、妖艶な女が座っていた。猫耳と二股の尻尾はそのままだが、見た目は二十代半ばの美女だ。
彼女は、何やら怒っている。
「え、なに、俺なんかやっちゃいました?」
俺が恐る恐る尋ねると、人型になったマタキチはムスッとしたまま無言で俺の手から一升瓶をひったくり、ラッパ飲みを始めた。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁッ!」
豪快に3分の2ほど飲み干す。そして、彼女は手の甲で口元をぬぐうと、俺を睨みつけた。
「オミャーの子供、頭おかしいニャ!」
「……は?」
(開口一番、息子の悪口かよ)
どうやら、マタキチは灯弥のことで相当腹を立てているらしい。
「ここんとこ毎日、毎日!何の抵抗もできにゃいニャーを、下卑た笑みを浮かべにゃがら追いかけ回して!それで捕まったら最後、ニャーの腹に顔を埋めて、匂いをスンスンスンスン狂ったように嗅いで、耳元で『アァァァッ!』って絶叫をあげる……!」
マタキチは身震いをして、再度酒をあおった。
「あのガキ、絶対におかしいニャ!にゃにかに取り憑かれてるんじゃにゃいのか!」
「お、おい、声がでかい!(ボソッ)
静江と灯弥が起きちまうだろ!(ボソッ)」
俺は慌ててマタキチの口を手で塞いだ。
「むぐぅ……!」
マタキチが人語を解し、あまつさえ人型になれることは、静江には話していない。
絶対面倒ごとになるから。
俺は2人が起きて来ないことを確認し、ゆっくりと手を離した。
「……いや、まぁ、灯弥がちょっとおかしいことは、俺も気がついている」
俺は一升瓶を取り返し、一口あおった。
「何がトリガーになるのかいまいち分からんが、あいつ時々、白目を剥いてビクンビクンと痙攣するんだよなぁ……。静江ちゃんは『喜びの表現』だと言い張ってるが、流石に無理があるよなぁ」
「そうニャ!
あれはヤバいニャ。
本能が警鐘を鳴らしてるニャ」
マタキチは膝を抱えて、深刻な顔をした。
「なぁ、あのガキ、さっさと里子にでも出した方が良いんじゃにゃいか?あれは将来、とんでもない災厄をもたらす気がするニャ」
「おま……それは言い過ぎだろ」
確かに、灯弥は変わっている。
生まれた直後から妙に落ち着いていたし、数々の奇行は目に余る。普通の赤ちゃんとは、決定的に何かが違う。
けれど、
「あいつは、俺と静江の大切な息子だ」
その事実だけで、十分なのだ。
たとえこの先、息子が大罪人になろうと。
俺も、静江も、あいつを愛し続ける。
「……ずるいにゃ」
「ん、なんか言ったか?」
「いや、にゃにも。
ほら、酒が切れたニャ。
新しいのを持ってくるニャ」
マタキチが空になった一升瓶を逆さにして振ってみせる。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
「つまみも欲しいニャ。
鰹節が良い」
「はいはい」
俺は苦笑しながら立ち上がった。
月明かりの下、奇妙な2人(1人と1匹)の晩酌は、夜明けまで静かに続いたのだった。
「てか、お前なら灯弥から余裕で逃げ切れるだろ。
なんで赤ちゃんに捕まってるんだよ」
「あいつ、すでに闘気の扱いを心得てるニャ。
めっちゃ高速でハイハイしてくるニャ。
意味わからんのニャ。
怖いニャ」
「そうか、もう闘気を操れるのか!
ははは、さすが俺の息子だな!」




