第22話 プロジェクト『ニルヴァーナ』
3日間の旅行もあっという間に終わり、
僕たち家族は、無事に我が家へ帰還した。
「ほら、マタキチ、お土産です。
海が近かったので鱈の干物を――」
「ニャッスン!」
――しゅばっ!
マタキチは目にも止まらぬ速さで僕の手から干物をひったくり、そのまま屋根の上へと逃げてしまった。
ひさしぶりの再会だというのに。
ずいぶんと塩対応である。
もしかすると、マタキチは僕のことがあまり好きではないのかもしれない……。
(いや、そんなわけないか!
照れてるだけだな!)
マタキチはきっとツンデレさんなのだ。
あんなに激しいスキンシップ(マタキチ吸い)を交わした仲なのだから。
僕とマタキチは心で通じ合っている。
「そうだよね、マタキチ?」
屋根の上で干物を貪るマタキチに語りかける。
――しかし、返事はなかった。
フッ、ツンデレさんめ。
(さて、次は儺流ちゃんに挨拶しないと。
色々と報告したいこともあるし)
「お母さん、ご近所さんにお土産を渡しに行ってくるから、いい子にしててね」
「俺はちょっと寝るわ〜。運転つかれた〜」
ちょうど両親がいなくなった。
今のうちだ!
僕はトイレへ駆け込み、鍵をかける。
当然、便意ではない。
「——死門遊観」
虚空に開いた黒い澱みの中へ飛び込み、
地獄へと降り立つ。
いつもの、見知った灼熱の大地——、
ではない。
これまでとは明らかに雰囲気が変わっている。
「おぉ、ボウズ。
戻ってきたか」
——ドスンッ。
声のしたほうへ振り向くと、巨大な栗の木を地面に植え終えた赤洛が、額の汗を拭っていた。
地獄に『緑』。
昨日まで完全なる死の大地だったこの場所に、
生命の息吹が根付き始めている。
それに、緑だけではない。
——ジョボボボボボボボ。
枯れ果てた大地に、
澄んだ水が流れ込んでいる。
宙に開いた小さな黒い澱み(現世の川底と座標を繋げた極小の死門遊観)から、絶えず水が注ぎ込み、赤洛が一晩で掘り起こした『ため池』を満たしていた。
「どうですか、計画の方は?
自給自足の生活はできそうですか?」
「まだ分からん。
水はどうにかなったが、
草木は時間が経たんと育たんけぇの」
「まぁ、まだ1日しか経ってないですからね。
ひとまず、できることからやっていきましょう」
「あぁ、そうやな」
「そういえば、菊千代ちゃんはどうしてますか?」
「菊千代なら、あそこで猪焼いてるで」
「うおっ」
赤洛の指さす方を見ると、菊千代ちゃんが丸々太った猪を焚き火の上で炙っていた。
まるで某狩猟ゲームの肉焼きのように、
クルクルと回して全体に火を通している。
おそらく、赤洛が山で仕留めたものだろう。
僕は彼女のそばに歩み寄った。
「どうですか、ここの生活は?
何か欲しいものとかありませんか?」
「……ウチはなにもいらん」
菊千代ちゃんは、
猪肉から目を逸らさずに短く答えた。
声色に警戒心が混じっている。
赤洛とは魂でぶつかり合ったおかげで(物理的にも蹴り飛ばしたが)、それなりに打ち解けることができた。
しかし、菊千代ちゃんとはまだ距離がある。
まぁ、無理もない。
急に住処を追われ、
こんな場所に連れてこられたのだ。
まずはこの新しい生活に慣れてほしい。
ちなみに、田村梨香……あの仲居さんが殺されたことは、菊千代ちゃんには言っていない。
赤洛と話し合った結果、菊千代ちゃんの精神状態を考慮して、今言うべきではないと判断した。
「何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
とりあえず、2人とのコミュニケーションはこのくらいでいいだろう。
僕は次に、餓鬼たちの様子を観察することにした。
『コノサキ、ハイレナイ!』
『イヤナケハイ、スル!』
いつもは僕を見るなりヨダレを垂らして襲いかかってくる餓鬼たちが、ひどく怯えて近寄ってこない。
(うん、結界はちゃんと作動しているな。
拠点として、確実に形ができつつある。
1日で一気に計画が進んだぞ!)
僕は満足そうに頷いた。
仲間が増えたことも大きいが、何より餓鬼の襲撃を完全に防ぐ『結界』の構築が上手くいったのはデカい。
『古代鬼族の呪角』
鬼族に代々受け継がれてきた強力な呪物。
魔を退ける力を持つそれが、結界の要だ。
仲間の鬼たちが滅んだあとも、
赤洛が大事に守り抜いてきたらしい。
赤洛たちを助けた副産物として、
強力な呪物を手に入れることができた。
僕はこの呪物を祀り立て、呪鎮式の結界を構築する『核』としたのだ。
これで餓鬼たちに邪魔されることなく、
拠点作りに集中できる。
ひとまず、地獄の現状確認は済んだ。
次は——。
「2人とも、紹介したい神様がいます。
ちょっと集まってください」
◆
依代から召喚された、ミニサイズ儺流ちゃん。
彼女は一変した地獄の景色に目を白黒させる。
「……いろいろとツッコみたいが、
ひとまず、おかえりじゃな、灯弥。
家族旅行は楽しかったかのぅ?」
「そうですね……。
頑張らないといけないな、と思いました」
「それ、本当に家族旅行の感想なのかぇ?」
まるで部活の合宿から帰ってきたような感想に、宙を浮く儺流ちゃんがジト目を向ける。
でも、これが僕の嘘偽りない本心だ。
もちろん楽しいこともたくさんあった。
でも、楽しい思い出が霞んでしまうくらいの衝撃を、僕は——いや、僕たちは体験した。
「それで、これはいったいどういう状況じゃ?」
挨拶もひと段落つき、儺流ちゃんが本題に入る。
彼女が地獄に来たのは3日ぶりだ。
たったの3日間で、死の荒野には水が張り、緑が芽吹いている。
そして何より、新メンバーが2人も加入しているのだから、驚くのも無理はない。
「ゴホンッ、では、紹介しましょう!
これから共に修行する仲間!
赤洛と、菊千代ちゃんです!」
◆
「……なるほど、事情は分かったが。
やはりおぬし、狂っとるのぅ」
旅行中の出来事をすべて話し終えると、
儺流ちゃんは頭を抱えて深いため息をついた。
「僕、そんなに狂っていますかね?」
確認するように、赤洛と菊千代ちゃんの方を見る。
——2人とも、スッと目を逸らした。
そんな、ひどいよ。
「泣く子もだまる帝国陸軍に喧嘩を売るなんてのぅ。
やつらの残忍性は、世界でも指折りのものじゃぞ。
今回は運良く逃げきれたから良かったものの。
捕まったら只では済まなかったぞ」
儺流ちゃんの忠告はもっともだ。
それは、僕自身が一番よく分かっている。
僕はあの時、この目で見たのだ。
やつらがどれだけ容赦なく人を殺し、
命を道具として使い捨てるかを。
ちらりと赤洛の方を見る。
彼もまた、あの時の絶望を思い出したのだろう。
その顔は、まさに鬼の形相そのものだった。
「儺流ちゃんの言いたいことも分かるけど、
……見捨てることは、できませんでした」
僕はぐっと拳を握りしめ、
真っ直ぐに儺流ちゃんの目を見返す。
「……その無鉄砲さは火矛累の倅らしいのぅ」
儺流ちゃんが小さく呟いた言葉は、
僕の耳には届いていなかった。
僕の思考はすでに、『未来』へと向かっている。
「それでは、今後の計画について話します」
僕は赤洛、菊千代ちゃん、そして儺流ちゃんを真っ直ぐに見据えて、はっきりと宣言した。
「計画の名前は『プロジェクト・ニルヴァーナ』。
僕が目指すのは、『最高の救済』。
この世の悲劇を、不条理をすべて叩き潰す。
そのために僕は、正義の呪術教団を立ち上げる!」




