第21話 残る『禍根』
「消えた、だと――どこへ行った!」
登戸は柄にもなく、大声を張り上げた。
目の前にいたはずの赤鬼が、まるで地面に吸い込まれていくかのように消えたのである。
(いや、地面に吸い込まれたのではない。
黒い澱みのようなものが突然現れて、
それが赤鬼を呑み込んだのだ)
――そこから導き出せる可能性。
おそらくは、空間転移系の固有術式。
めったにお目にかかれない、
極めて希少かつ強力な能力だ。
『術式』を研究対象とする登戸は、状況を即座に呑み込み、すぐに空間転移の『絶対的な弱点』を思い出す。
「皆さん、すぐに周囲を捜索しなさい。
空間転移で結界を越えることはできません」
「「「はっ!」」」
空間転移の基本原理は、
空間の圧縮と接続による座標移動である。
非常に厄介な術式ではあるが、しかし、結界を挟むと正常な空間接続ができなくなるという弱点が存在する。
つまり、敵は『結界術・八尋御籠』を破らない限り、逃げ切ることは不可能なのだ。
故に、登戸たちが最も危惧しなければならないことは、結界を破られ、外へ逃れられること。
結界を破られる前に、
赤鬼と新手の術士を捕まえなければならない。
(あの赤鬼を助けた何者かがいる……。
できることなら、その術士を生け捕りにしたい)
空間転移の弱点として、もう一つ『霊力の消費が尋常ではない』ことが挙げられる。
連続での使用は不可能。
逃げ回ったところですぐに霊力は底を突く。
消費し切らせてしまえば、
生け捕りも十分に可能だ。
予想外のハプニングではあったが、
これはまたとないチャンスでもある。
空間転移は非常に魅力的な研究対象だ。
(現在進行中の研究を終わらせたあとの、
次の研究テーマが決まりましたね)
登戸は、無意識のうちに口角を歪めていた。
――しかしこれは、完全な判断ミスである。
灯弥の固有術式『死門遊観』は、空間転移ではなく地獄への門を開くというもの。
空間転移とは、根本的に異なる未知の能力。
ゆえに、結界を超えた移動も可能である。
◆
『こちら柳田!
ダメです!
どこにもいません!
完全にロストしました!』
部下からの報告に、登戸は声を荒らげた。
「そんなはずはない。
結界はまだ破られていない。
この中にいるはずだ。
徹底的に捜索しなさい。
落ち葉の裏まで、徹底的に!」
赤鬼の姿が消失してから、
すでに30分が経過していた。
にもかかわらず、
登戸たちはターゲットを見失ったままだった。
結界の中は、それほど広くない。
帝国陸軍のプロフェッショナルが5人がかりで捜索すれば、数分で捜索しきれるほどの面積だ。
だがそれにもかかわらず、
痕跡一つ、見当たらない。
(何かがおかしい。
私の目を以てすれば、
ほんのわずかな霊力の残滓でさえも感知できるはず。
だが、まったく……何も見えない)
霊視力。
非術士には視認できない霊力や闘気を見る力。
術士によってその精度は大小するが、登戸の霊視力は、帝国軍の中でもトップ0.01%に入る代物だ。
たとえ高度な隠遁術を使って気配を完全に殺していたとしても、私の目から逃れることなど不可能。
それだけの、絶対的な自信があった。
これだけ探して見つからないということは、
逃げられた可能性が高いということ。
(――まさか)
登戸の脳裏に、ある恐るべき『可能性』がよぎった。
(結界の干渉を受けない空間移動術式。
そんなものが、本当に存在するのか……?)
結界を無視できる空間移動など、
セキュリティの概念を根本から崩壊させる、
規格外の能力だ。
国の重要拠点や元首の寝室にすら、
入りたい放題、殺したい放題になる。
もし、そんなものが本当に存在するなら、
絶対に我が国の管理下に置かなければならない。
万が一にも他国に渡るようなことがあれば、
非常に厄介な軍事力となる。
(だが、まずは――)
思考を切り替え、登戸は伝令術式で部下たちに命じた。
「葛木准尉、結界を解きなさい。
作戦を変更します。
これより我々は、本来のターゲットである半妖の娘の捜索を最優先とします。
全員散開し、山狩りを開始しなさい!」
『む、無理です!
これだけの広大な山中を、
たった5人で探すなど――』
「口を慎みなさい!」
登戸の一喝が、通信先の部下を震え上がらせた。
「ようやく、私たちの研究が完成するのです!
なんとしてでも、半妖の娘を見つけ出しなさい!」
『『『――はっ!』』』
しかし、この後、
彼らが半妖の少女を見つけ出すことは終ぞなかった。
◆
「クソォォォォォオッ!」
――ズドォォォォォンッ!
闘気をまとった登戸の蹴りが、
鬱蒼と茂る木々を、扇状に粉々にする。
完全なる八つ当たりだった。
常に冷静沈着な彼が、
ここまで感情を露わにするのは珍しい。
あと少し。
あと少しで!
歴史に残る研究を完成させることができるのに!
半妖の娘さえ手に入れば、
すべてのピースが揃ったのに!
(『非術士を術士へと変える』術式の開発。
これが成功すれば、我らが帝国は最強の軍事力を手に入れることができる!)
術士が生まれる確率は、およそ2%。
それはどこの国だろうと変わらない、
絶対的な真理だ。
たったの2%。
どの国も術士の需要と供給は常に破綻しており、慢性的な術士不足に悩まされている。
だからこそ、この研究が完成すれば、帝国の軍事力は他国を圧倒的に凌駕する。
国民すべてを術士に変えることができれば、帝国は文字通り『無敵』となるのだ。
(わたしは――諦めない)
第2次世界魔術大戦から、
すでに90年が経過した。
帝国の安寧はまだ守られているように見えるが、世界は着実に、次の大戦へと舵を切っている。
(わたしには、確信がある。
次の大戦がひとたび始まってしまえば、
人類は必ず終焉を迎える)
この90年間のうちに、
魔術、呪術は洗練されすぎてしまった。
次に世界規模の衝突が起これば、
人類はそれに耐えられない。
まさに、『最終戦争』である。
そうならないためにも、我ら理性ある東陽人が圧倒的な武力を以て他国を平定し、世界統一を成し遂げることは急務!
平和は、力でしか創り出せない。
倒木の上に立ち、登戸は拳を握りしめた。
「どこの誰だか知りませんが、
我々の……世界救済を邪魔したこと、
必ず後悔させてやります」
山々に響き渡ることもない、
誰の耳にも届かない静かな宣戦布告。
登戸の瞳には、狂信的なまでの執念と、
消えることのない昏い炎が揺らめいていた。




