第17話 和風ファンタジーの『主人公』
朝、3時。
ぱっちり目が覚める。
当然、窓の外はまだ真っ暗だ。
(よし、ちゃんと起きれた!)
僕は隣で寝ているママンを揺り起こした。
「早く起きちゃった。
1階のゲームコーナーで遊びたい。
お金ちょうだい」
ママンは寝ぼけ眼のまま、
財布から千円札を2枚取り出した。
「……んん、はいはい……」
2000円ゲットである。
(2000円も!?
これはありがたい!
ヘソクリ貯金が一気に増えたぞ!)
もちろん、ゲームをするつもりなんてない。
この2000円は貯蓄にまわす。
ゲームコーナーで遊ぶというのは、
1人で部屋を出るための口実だ。
何も言わずに部屋からいなくなったら、
パパンもママンも心配するからね。
僕はこれから1階のロビーにて、
登戸たちが動き出すのをじっと待つ。
(ブラボーワン、行動を開始する!)
僕は1階へ降りると、ロビーの隅にある大きな観葉植物の影に身を潜めた。
――午前、5時。
ヤツらがロビーに現れた。
日の出まで、あと30分ほど。
まだ暗いうちから山に入って、夜明けとともに作戦を開始する腹積もりなのだろう。
なんとまぁ、仕事熱心なことで。
僕は息を殺して、一団を観察する。
――チーン。
登戸が受付のフロントベルを鳴らす。
「おはようございます!」
奥から受付の人が慌てて飛び出してきた。
ひどく腰が低く、額には冷や汗が浮かんでいる。
登戸は、極めて事務的な口調で告げた。
「私たちは少し旅館を出ますが、
私の娘が部屋で寝ています。
決して近づかず、静かにしておいてください」
「は、はい……承知いたしました」
「ああ、それから。
従業員の田村梨香ですが、幕府の法に抵触したため我々の手で『処分』しました。
彼女ことは忘れてください」
あまりにも平坦な声だった。
ただの事後報告。
感情など微塵も乗っていない。
「しょ、処分といいますと……!?」
受付の人の顔から、さぁっと血の気が引く。
「それは、聞かない方がいいでしょう」
「ひっ……!
しょ、承知いたしました……」
有無を言わさぬ圧力に、受付の人はガタガタと震えながら首をすくめるしかなかった。
登戸たちは、そのまま足早に旅館を出ていく。
◆
(処分、した……?
嘘でしょ!?)
観葉植物の影に隠れていた僕は、
たまらない胸騒ぎを覚えていた。
あの言い方は、どう考えても『殺処分』だ。
そして殺されたのは、
おそらく、あの仲居さん。
僕に『鬼の秘密』を教えてくれた女性だ。
本当に、殺されたのか?
信じられない。
そんな簡単に、人は人を殺せるはずがない。
(なんとかして事実を確かめないと!)
もし殺されたとして、遺体はどこにある?
ヤツらが一晩陣取っていた、あの宴会場か?
(今、宴会場には睡眠中の鴉羽1人しかいない。
ぐっすり寝ているなら、部屋を物色できるかも)
仲居さんの安否が心配で宴会場まで足を運んだが、
そこには強力な結界が張り巡らされていた。
普通なら、絶対に中には入れない。
――そう、普通なら。
(たとえ結界で『壁』を作っても、
空間そのものは隔絶できない!
中の様子を視認さえできれば、
僕の術式で侵入可能だ!)
僕は旅館の裏手の庭へ回り込んだ。
宴会場は庭に面している。
窓の向こうには分厚い遮光カーテンが引かれていたが、ほんの数センチだけ、合わせ目に隙間が空いていた。
そこに目を近づけ、部屋の中を覗き込んだ。
部屋の隅の布団で、あの少女――鴉羽がスヤスヤと眠っているのが見える。
視認完了。
座標設定、オーケー。
「死門遊観」
僕は黒い澱みへと足を踏み入れ、
地獄を経由して宴会場の中へとワープした。
――ス。
無音で床に着地。
鴉羽もスヤスヤ眠ったまま。
完璧である。
(よし、潜入成功……うっ!?)
喜んだのも束の間、
部屋に降り立った瞬間、
強烈な『血』の臭いが鼻をついた。
頭が痛くなるような、鉄臭さ。
(……鴉羽はよくこんな部屋で眠れるな)
僕はしかめ面のまま、臭いの発生源を探す。
(――あれだ)
まず目に入ったのが、
きれいに折り畳まれたブルーシート。
旅館の支配人から貰ったものだろう。
近づいて確認してみると、
(たしかに、血が付着している)
ところどころ、赤い斑点があった。
すでに『使用済み』らしい。
このブルーシートだけでも吐き気を催す。
だが、本当に恐ろしいのはこれじゃない。
(――こっちの方がヤバい)
ブルーシートのとなりに置かれた、
寝袋のような長方形の黒い袋。
映画やドラマで、警察官がよく使う道具。
殺害された遺体を入れる『遺体収納袋』だ。
(……開けよう)
僕は息を殺しながら、袋のジッパーを下ろす。
果たして、中に入っていたものは――。
(…………っ)
声が出なかった。
呼吸すらも忘れた。
心臓が早鐘のように打ち鳴り、
視界がぐらりと揺れる。
事実だけを簡潔に述べるなら。
中に入っていたのは、やはり『遺体』だった。
この人はたぶん、あの仲居さんだ。
なんとなく面影はあるが、遺体の状態が悪すぎて断定できない。
直立の姿勢で納められた、無残な亡骸。
目玉はある。
歯もある。
肉体のパーツも、すべて揃っている。
ただ一つ、『皮』だけがなかった。
全身の皮膚が、
頭のてっぺんから爪先まで、
綺麗に剥ぎ取られている。
一見すると、理科室にある人体模型のようだ。
だが、違う。
プラスチックでは絶対に表現できない、
血の匂いと強烈な肉感。
そして何より、
皮のない顔面に張り付いた、
死ぬ瞬間の『表情』が、
紛れもない『本物』であることを証明していた。
「おぇっ……」
胃酸がせり上がり、強烈な吐き気が襲う。
両手で口を塞ぎ、必死に声を殺す。
(殺されたのは間違いない。
でも、なんで全身の皮を剥いだ……?
何か呪術的な意味があるのか……?
わからない、わからない、わからない)
人間の業の深さと、昨日まで普通に話していた仲居さんの無惨な姿に、僕の思考はショートしかけていた。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け!
僕は、生粋の和風ファンタジーオタク!
グロいシーンは、ゲームで散々見てきただろ!)
ゲームの世界で起こっていたことが現実になった。
よかったじゃないか!
これこそが、僕の求めていたものじゃないのか?
だったら、動揺なんかせずに喜べよ!
そう自分に言い聞かせるが、
足の震えは止まらない。
へたり込みそうになった、その時だった。
「理の外より来たりし魂よ。
我、汝に天命を告ぐ」
ビクンッ、と。
凄惨な死体への恐怖とは全く違う、
本能的な『畏怖』が背筋を突き抜けた。
声がしたのは、背後。
振り返ると、部屋の隅で寝ていたはずの鴉羽が、白目をこちらに向けて言葉を紡いでいた。
「汝が征く道の果て、
天覆うほどの『禍星』あり。
汝か、禍星か。
二つに一つ、必ずや砕け散る運命にある。
されど、汝もまた理を外れし新星なり。
なれば、かの巨星をも打ち砕くやもしれぬ」
いや、あれは彼女の声じゃない。
彼女の小さな体には到底見合わない、
幾重にも重なったような重低音。
圧倒的な上位存在のプレッシャー。
(天命……!?
鴉羽の体を借りて『何か』が喋ってるのか!?)
「――ただ知れ。
此の世に、すべての運命を救う術などなし。
救われる命もあれば、零れ落ちる命もある。
誰を救い、誰を切り捨てるか……己が選択せよ」
そう言い終えると、
鴉羽はふたたび目を閉じて、
寝息をかきはじめた。
同時に、圧倒的なプレッシャーも消え去る。
(すべての運命を救う術はない。
誰を救うか、選べ、だって?
そんな当たり前のこと言われても困るわ!)
ただでさえ頭パンクしそうな状況なのに、
急に意味わからん予言をしてきやがって!
マジで誰なんだよ!
そんな怒りとは裏腹に、
僕の心は少しずつ落ち着きを取り戻してきていた。
――はぁ、はぁ、はぁ……。
息を整えてから、
僕はもう一度、目の前の無残な肉塊を見下ろした。
現実を、ちゃんと直視する。
(僕は……甘かった)
和風ファンタジーの世界で、
和風ファンタジーの主人公になりたい。
そう夢見るのは簡単だ。
でも、実際になるのは簡単なんかじゃない。
僕の夢見る主人公は、
大切なものを失って、
死ぬほど苦しい思いをして、
不条理に振り回されながら、
それでも必死に足掻いて、
一縷の希望をなんとか掴み取り、
立ちはだかる悪を倒して、
壮大な物語の結末を迎えていた。
いつだってギリギリで、
いつだって真剣だった。
僕みたいに遊び感覚でプレーしていない。
僕は、本当に愚かだった。
すでに仲居さんの命は、零れ落ちている。
僕は、この人を救うことができなかった。
――でも。
「まだ……救える命はある」
善良な妖怪は、必ず救う。
僕の恋い焦がれた
和風ファンタジー主人公のように。
それこそが、この世界に生まれた僕の生き様だ。
「ごめんなさい」
僕は仲居さんの亡骸に、静かに頭を下げた。
「あなたを救えなかった。
だから、せめて……。
あなたが守りたかったモノは、僕が守る」
決意と共に立ち上がる。
もう、足の震えは止まっていた。
「死門遊観」
僕はふたたび黒い澱みへと飛び込み、
一瞬にしてその場から姿を消した。
◆
「おーい、でておいでー。
わたしがきたよー」
まだ薄暗い山の中に、
透き通った女性の声がこだまする。
「おかあさんの声じゃ!」
菊千代は目を輝かせ、
隠れ家である洞窟から飛び出そうとした。
「待てぇ!」
父親である赤洛が、
鋭い声でその小さな体を制止した。
声は、たしかに梨香のものと同じ。
だが、何かが決定的に違う。
声の抑揚か、言葉の間合いか。
言葉にするのが難しい、
本能的な違和感を感じ取った。
それに、気がかりなことはもう1つある。
昨日の夜、あの人間のガキが叫んでいた。
『ヤバい奴らが菊千代を狙っている』と。
人間の言葉を信用するわけではないが、
用心するにこしたことはない。
「ワシ一人で見てくるけぇ。
菊千代、おどれはここに隠れとれ」
「嫌じゃ!
うちも、お母さんに会いたいんよ!」
「ダメじゃ!
昨日もそう言って1人で旅館に近づいたから、
変なクソガキに襲われたんやろ!
すぐに連れてくるから、ここで待っとき!」
駄々をこねる娘をなんとか宥めすかし、赤洛は単身、声のする方へと歩みを進めた。
そして木立の向こうに、人影を見つける。
間違いなく、梨香だ。
自分がただ1人愛した人間の妹であり、
何かと世話を焼いてくれる、
数少ない、信頼できる人間の1人だ。
「おーい、でておいでー。
わたしがきたよー」
彼女は直立不動のまま、仮面のような不気味な笑顔を浮かべ、虚空に向かって呼び続けている。
「どうしたんじゃ、いきなり。
今日は来る日じゃなかったろうが」
声をかけても、彼女は答えない。
こちらを見ようともしない。
「おーい、でておいでー。
わたしがきたよー」
まるで壊れた蓄音機のように、
一定のリズムで同じ言葉を繰り返すだけ。
「おい、大丈夫か――」
数歩近づいた赤洛は、彼女の体から禍々しい霊力が漏れ出していることに気づき、戦慄した。
「……梨香、おどれ――」
『結界術・八尋御籠』
――ズドォォォンッ!!
瞬間、赤洛を中心にして、半径100メートルにわたり円を描くように地面が爆発した。
そこから凄まじい速度で巨大な樹木が成長を遂げていく。太い幹が複雑に絡み合い、あっという間に巨大な『木の檻』を形成した。
「もういいですよ」
木陰から、男の声が響く。
それと同時に、梨香はぴたりと言葉を止める。
「半妖の娘は一緒にいないようですね。
まぁ、いいでしょう。
この女でダメなら、
次はあなたを使って誘い出せばいい。
わらしべ長者というやつです」
姿を現したのは、
黒い軍服に身を包んだ男たちの集団。
その中心で、
登戸が冷酷な瞳で、赤洛を見据えていた。




