第16話 嘘つきには『盟神探湯』
【Tips】
盟神探湯
……古代の裁判方法。
神様に真偽を決してもらおうとするもの。
〜方法〜
煮えたぎる熱湯の入った釜の中に手を入れさせる。
→火傷しなければ「無罪」(神の加護あり)
→火傷すれば「有罪」(神の加護なし)
証拠がない争いごとなどで、「神様なら真実を知っているはずだ」という信仰に基づいて行われた儀式です。
普通に火傷します。
【田村梨香・視点】
わたしの姉は、『境界知能』だった。
平均より知能が低いけれど、
かといって知的障害と診断されるほどではない。
いわゆる『グレーゾーン』と呼ばれる場所で、
姉はいつももがいていた。
学校では計算ができずに笑われ、
家では片付けができずに母に叱られる。
要領が悪く、嘘をつくのも下手。
何を考えているか分からないような、
ふわふわとした笑顔を浮かべて、
いつも誰かの後ろを歩いている。
妹のわたしから見れば、
姉は『恥ずかしい存在』でしかなかった。
「お前の姉ちゃん、また先生に叱られてたぞ」
そんな言葉を投げかけられるたび、わたしは姉を、そして姉のせいで馬鹿にされる自分を呪った。
決定的な事件が起きたのは、
姉が高校生になった時だった。
あろうことか、姉は妊娠したのだ。
相手はネットで知り合った、
名前も知らない男。
赤ちゃんができたと伝えた途端、
連絡は途絶え、姉は無残にヤリ捨てられたそう。
「……産みたい」
そう呟いた姉に、家族は激昂した。
特に母は、狂ったように姉を責め立てた。
「これ以上、私たちを苦しめないで!
名前も知らない男との子供と、私たち家族、
どっちが大切なの!」
母の叫びを聞いた瞬間、
姉の瞳からスッと光が消えた。
姉は、諦めたような、
空っぽな笑顔を浮かべて一言だけ答えた。
「……おろします」
病院で処置を終えた帰り道、
姉はずっと、お腹に手を当てていた。
家に帰っても自分の部屋に引きこもり、
たった1人で声を押し殺しながら泣いていた。
わたしには、理解不能だった。
クズ男に騙されるのは論外だし、
そんな男との子供を大切に思う気持ちも、
まったくもって理解できない。
そんなに悲しまないで、
綺麗さっぱり忘れたらいいのに。
わたしはそう思ったが、一方で、
姉がそういう人だということは分かっていた。
姉は馬鹿で、愚かで、救いようがないけれど、
――誰よりも愛情深い人だった。
わたしが作文で賞を取った時、
誰よりも喜んでくれたのは姉だった。
姉のことでいじめられ、泣き伏していた時、駆け寄る姉を、私は「あんたのせいよ!」と突き放した。
けれど姉は、そんなわたしに怒ることなく、
ごめんねと謝りながら、わたしの側にいてくれた。
誰よりも愛情深かったから、
望まれない命さえも愛すことができたのだろう。
たしかに、姉にはたくさん迷惑をかけられた。
でも、それ以上に、わたしは姉に救われていた。
それなのに、
わたしは姉のそばにいてあげられなかった。
子供を堕ろすのは仕方がないこと、
愚かな姉の自業自得だと、
1人泣いている姉に――背を向けてしまった。
次の日、姉が姿を消した。
両親は「厄介者がいなくなって清々した」と口々に言ったが、わたしだけは、姉を探し続けた。
人は愚かだから、
失って初めて大切なものに気がつく。
わたしは、姉よりもずっと愚かだった。
――それから、10年が経った。
姉はもう生きていないのだろう。
わたしも両親もそう思っていた。
しかし、2年前のある日。
姉が突然、家に帰ってきた。
着ている服はボロボロで、
しかも、ひどく錯乱していたが、
栄養状態はそれほど悪くなさそうだった。
「おねがい、梨香!
わたしと一緒に来て!
帰らないといけないの!」
錯乱していた姉を、両親は強引に病院へ連行。
結果、そのまま精神病院への入院が決まった。
姉はしきりに「帰らないと」と叫び続けたが、どこへ帰るのかは決して口にしなかった。
入院当日。
姉は最後に、私と二人きりで話がしたいと言った。
「わたしね、娘がいるの」
姉が語ったのは、
とうてい現実味のない失踪劇。
あの日、子を堕ろした悲しみから自殺しようと、かつて家族で一度だけ旅行した鬼掘谷を訪れたこと。
死に場所を求めて山深くへ入り、そこで『赤洛』という名の赤鬼に出会ったこと。
孤独な鬼と、子を産めなかった人間。
奇妙な共同生活の中で2人は惹かれ合い、
2年前に『菊千代』という娘を授かったという。
しかし、2人は子育ての方法を知らなかった。
なんとか乳離れの時期を迎えることができたものの、さすがに限界を感じた姉は、わたしを頼るために1人で山を下りることにしたらしい。
「お願い……わたしの代わりに。
赤洛と菊千代を助けて」
姉は泣きながら、わたしの手を握りしめた。
「……わかったわ」
気がつくと、わたしは頷いていた。
それが、姉との最後の会話になった。
入院から半年後。
姉が病室で自ら命を絶ったという連絡が入った。
このことは、2人にはまだ伝えていない。
伝える勇気が、わたしにはなかった。
わたしは姉の遺言を守るため、
この旅館に就職した。
休みのたびに食料や子供服を抱えて山へ入り、
まだ幼い菊千代の世話をする。
鬼のツノは生えていたが、
それ以外は人間と変わらない。
しかも、顔立ちが姉によく似ていた。
また、最初は震えるほど恐ろしかった赤鬼も、話してみればとても誠実で、姉を深く愛していることがわかった。
最初は義務感しかなかったのに、
いつの間にか彼らとの時間は、
わたしの『生きがい』にすらなっていた。
でも、その一方で。
いつかはこの関係も破綻すると分かっていた。
こんな歪な関係性が、一生続くわけがないと。
そして、運命の日がやってきた。
宿泊客に、ガキの姿をした『怪物』がいたのだ。
偶然にも赤洛たちの存在に気がついたそのガキを、わたしは迷わず崖から突き落とした。
姉の忘れ形見を守るためなら、
私は人殺しにだってなる。
それだけの覚悟があった。
それなのに、その怪物は傷一つ負わずにわたしの背後に現れ、あろうことか自分を殺そうとしたわたしを「素晴らしい!」と褒め称えたのだ。
意味がわからない。
完全に頭が逝っている。
結局、わたしはその怪物の「秘密を守る」という言葉を信じるしかなかった。
相手は術士で、わたしは非術士。
どうすることもできない。
正直、まだ完全には信用していないが、
危害を加えるつもりがないことは伝わってきた。
たぶん、大丈夫だろう。
最悪のイレギュラーをやり過ごし、
これで当面の間、わたしたちの安全は守られた。
そう安堵したのも束の間。
今度は、怪物よりも残忍な『国家』が私たちの前に現れた。
◆
「田村梨香さん、で合っていますね?」
わたしは今、椅子に手足を縛り付けられている。
話すこと以外は何もできない。
目の前には、冷徹な瞳をした男。
――陸軍少将・登戸が座っている。
「これからする質問に、正直に答えてください。
我々は戦時刑事特別法に基づき、
あらゆる刑罰執行権限を有しています。
もし虚偽の供述を行った場合、あなたは『職務妨害』および『虚偽申告罪』、『治安維持法違反』等の罪で、この場で『処分』されることになります。
よろしいですね?」
難しい言葉を並べられても何も分からない。
けれど、『処分』という言葉だけで、
自分の末路は予想できた。
「では、最初の質問です。
あなたの姉、田村真衣は妖怪と交わり子をなした。
『はい』か『いいえ』で答えなさい」
心臓が早鐘を打つ。
どこから情報が漏れたのか。
まったく分からない。
もちろん、認めるわけにはいかない。
姉の代わりに、私があの2人の幸せを守る。
「いいえ」
私は迷うことなく、嘘をついた。
「そうですか。
では、次の質問です」
(――え、それで終わり?)
てっきり、もっと厳しく追及されると思っていた。
その後も10個ほどの質問を淡々と投げかけられたが、わたしはそのすべてに嘘を重ねた。
どうやら、私は助かるらしい。
そんな安堵が、頭をよぎる。
「よし、では最終確認を行います。
鴉羽は――まだ遊んでいるようですね。
まったく、困った娘だ」
登戸は一度、部屋を後にした。
数分後、
中学生くらいの物静かな少女を連れて戻ってくる。
「では、鴉羽。
いつものように」
「――はい。
神明・盟神探湯」
急に、少女の雰囲気が変わった。
「それでは真偽を決する。
その方、先の宣告に嘘偽りはないか?」
少女の口調がおかしい。
なにか上位の存在と相対しているような、
そんな感覚を覚えた。
「はい、わたしは嘘をついていません。
――!!!」
そう言い切った瞬間。
失禁するほどの激痛が、わたしの右腕を襲った。
熱湯をぶっかけられ、
そのまま皮膚を剥がされ続けているような、
耐え難い苦痛。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
驚いて右腕を見ると、そこだけが赤く変色し、湯気のような煙を上げていた。
「やはり、嘘を言っていたのですね。
とても残念ですが、まだ間に合います。
正直に話しなさい」
男が冷たく見下ろしてくる。
(あついあついあついあつい、熱イッ!)
痛みはまったく引かない。
いや、それどころか、
焼けるような痛みはどんどん増していく。
考えが甘すぎた。
コイツらは術士なのだ。
わたしの嘘を簡単に見破り、
そのうえで拷問することくらい訳ない。
(それでも……!
わたしは、意地でも嘘を貫き通す……!)
どれほどの時間が経っただろうか。
わたしの右腕は、炭のように黒く壊死していた。
もう、痛みすら感じない。
わたしは、耐え切ったのだ。
(やった……これでもう……!!!)
これで白状させる手段はなくなったはずだ。
そう安堵しかけた、その時。
今度は、左腕が燃えるような熱に包まれた。
「まだ、足もありますからね」
登戸は、まるで明日の天気を語るような軽さで、わたしを絶望の淵へと落とした。




