第13話 不穏な『影』
「……な、なんで生きて!?
ひっ、化け物……!」
仲居さんが、喉をひきつらせて絶叫した。
まぁ、無理もない。
今さっき、自分の足で崖から突き落としたはずの少年が、音もなく背後に立っているのだ。
幽霊さながら人外の類にしか見えないだろう。
だが、今は彼女の恐怖などどうでもいい!
溢れ出す感動を、僕は伝えなければならない!
「とても素晴らしいですッ!
僕は感動しました!
あなたの覚悟を!
あなたの狂気を!
あなたの愛を!!
心が『感』じ取って、心『動』かされました!」
殺されかけたことへの怒りなんて、微塵もない。
むしろ、「見事なり!あっぱれ!」と喜んでいる。
きっと、この感情は誰にも理解されないだろう。
普通の人は、こんな思考回路を持っていない。
そう、僕は普通じゃない。
生粋の和風ファンタジーオタクだ。
例を挙げるなら。
生粋のBLオタクが『時計の長針と短針』にカップリングを見出し興奮できるのに近い。
僕は彼女の行動に『和の美意識』を見出していた。
和の美意識。
これを説明するためには、『黒塚』という怪異譚を引き合いに出すのが最も適切であろう。
=====
【黒塚】
昔、京都で乳母をしていた岩手という女性がいた。
彼女が養っていた姫様は病を患っており、その病を治すためには『胎児の肝』が必要であった。
そう、まだ腹の中にいる赤ん坊の内臓である。
「姫様のために、私が胎児の肝を取ってきます」
そう言って、岩手は旅に出た。
生まれたばかりの、自身の娘を京都に置いて。
こうして、岩手は福島の安達原にある岩屋で、旅人に宿を貸しながらチャンスを待つことにした。
長い年月が経ち、運命の日がやってくる。
ある日、一人の若い妊婦が宿を借りに訪れた。
ずっと待ち続けた、獲物がやって来たのである。
(これで、姫様を救うことができる)
岩手はついに妊婦の腹を裂き、中にいた赤ん坊の生肝を取り出した。長年の夢が叶ったのだ。
けれど、罪には罰が与えられる。
殺した妊婦が身に着けていたお守りを目にし、岩手は驚いた。それは、自分が京都を発つ時、まだ生まれたばかりの娘に残したものだった。
岩手が殺したのは、
自身の娘と孫だったのである。
こうして、そのあまりの衝撃と絶望から彼女は狂い、恐ろしい鬼婆へと変貌してしまったのだ。
=====
お分かりいただけただろうか?
いや、『心動いただろうか?』
人は、
愛ゆえに人の道を外れる覚悟を決め、
愛ゆえに罪を犯し、
愛ゆえに狂気に染まり、
そして結果、『鬼』となる。
そんな、愚かで醜い怪物に、
ある種の共感を覚え、
あまつさえ美しさまでも見出してしまうのが、
日本人なのである。
これこそが、『和の美意識』なのだ。
話を戻そう。
つまるところ、和風ファンタジーをこよなく愛する生粋の日本人であるところの僕は、この仲居さんを美しいと思ってしまったのだ。
いくら自身の姉の夫と娘とはいえ、
彼らは鬼、妖怪、怪物である。
忌み嫌われる存在である。
そんな怪物を守るために罪を犯すなんて、
非合理的で、実に愚かだ。
狂気の沙汰だ。
でも、だからこそ。
そこには『本物の愛』が存在する。
それこそ、ひょっとしたら本当に『鬼』になれるんじゃないかと思えるほどの。
(いつか僕にも、鬼になれるくらい誰かを愛せる日が来るのだろうか?)
「とても素晴らしいですッ!
僕は感動しました!
あなたの覚悟を!
あなたの狂気を!
あなたの愛を!!
心が『感』じ取って、心『動』かされました!」
独りよがりな価値観に陶酔し、
姑獲鳥のような奇声で感動を叫ぶ僕。
「――ひぃっ!」
理解不能な怪物を前にして、仲居さんは恐怖で足腰の力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「な、なんなのよ、アンタ!
近寄らないで!
こっちに来ないで!」
彼女は尻餅をついたまま、
必死に地面を掻いて後退する。
目の前の狂人から一刻も早く離れようと。
だが、彼女は忘れていた。
自分の背後には、逃げ場などないことを。
「――あ」
スカッ、と。
彼女の手が虚空を掴んだ。
重力に逆らえず、彼女の体は崖下へと傾く。
「キャアァァァァァァァァァ!」
そしてそのまま、彼女は勝手に落ちていった。
(えちょ何やってんの!?)
せっかく、気持ちよくなっていたのに。
僕は一瞬で我に帰り、
我を忘れて崖から飛び降りる。
仲居さんを助けるために。
「タスケテェェ!」
空中でバタバタともがく仲居さん。
僕はその手を掴み、しっかりと抱き抱える。
「死門遊観!」
そして瞬時に、地獄の門を開く。
今さっき仲居さんに蹴落とされた時にも、僕はこの方法で生還し、彼女の背後にワープした。
『闘気巡流』
『闘気纏与』
闘気巡流で自身の体に闘気を巡らせ、
闘気纏与で仲居さんに闘気を纏わせる。
いずれも、武術の基礎術式であり、
肉体や物質の強度を底上げする効果がある。
これで落下の衝撃にも耐えられる。
――ダァァァァァンッ!!
地獄の硬い地面に着地。
凄まじい衝撃が足底から脳天まで突き抜けたが、術式のおかげで骨一つ折れることなかった。
仲居さんも無事である。
「……あれ、なんで、私、生きて」
仲居さんが恐る恐る目を開ける。
しかし、そこはもはや別世界であった。
いたる所で業火が吹き荒れる、灼熱の風景。
「――え、ここはどこ!?」
(あぁ、しまった)
僕は内心で頭を抱えた。
この場所(地獄)を見せること。
それすなわち、完全な術式の開示に他ならない。
固有術式。
それは、誰にも真似できないオンリーワンの異能。
つまりは『奥の手』である。
未知であればあるほど、効果を発揮する。
転移する場面を見られるだけなら、『空間転移系』の術式であると誤認させることもできよう。
だが、転移先が地獄であるとバレてしまえば、敵に術式攻略の余地を与えてしまうことになる。
今のところ、僕に敵なんていないが。
(まぁ、人命救助が最優先だな。
それに、秘密の対価として丁度いいだろう)
鬼の秘密を教えてもらっておいて、
なにも返さないのは道理に反する。
秘密を教えてもらった代わりに、
僕も自分の秘密を教えた。
そう、折り合いをつけよう。
「死門遊観」
こうして、僕たちは再び崖の上に帰ってきた。
もう落ちたくないし、落ちてほしくない。
(――ふぅ、さてと)
そろそろ旅館に帰らないと、父上に怪しまれる。
それに、仲居さんの休憩も終わる頃合いだろう。
僕は、まだ震えている仲居さんに、優しく、けれど断固とした口調で告げた。
「忘れているかもしれないので、もう一度言います。
僕は、秘密を守ります。
鬼を見たことも、今日聞いた話も、
僕の胸にちゃんとしまっておきます」
彼女はガタガタと震えながら、何度も頷いた。
もはや逆らう気概など微塵もなさそうだ。
ついでに、これも言っておかないと。
「だから、仲居さんも約束してください。
僕の能力を誰にも言わないこと。
お互い、秘密は守る。
僕たちは、互いの秘密を知った――仲間です」
僕はしゃがみ込み、子供らしく小指を差し出した。
『ゆびきりげんまん』である。
「はぁ……はぁ……分かったわ。
約束、しましょう」
指切り成立。
「さぁ、旅館に戻りましょうか」
◆
その後。
旅館に戻った僕は、何食わぬ顔で温泉に浸かった。
パパンに風呂に入ってくると言って出てきたから。
アリバイ工作である。
(ふぅ、一仕事したあとの風呂は最高だね!)
湯上がり、火照った体を冷まそうとロビーへ向かう。
その時だった。
「ですからね、従業員さん。
私は『協力』をお願いしているだけですよ」
ロビーの奥から、低く威圧的な声が聞こえた。
見れば、数人の男たちが従業員に詰め寄っている。
見た瞬間に、背筋が粟立った。
そいつらの身から漏れ出す、濃密な霊力と闘気。
隠す気さえない、圧倒的な『暴力』の気配。
その男たちは――僕と同種の人間。
つまり、『術士』であった。




