第12話 死人に『口なし』
「赤鬼と、その娘について教えていただくことはできませんか?」
僕の問いかけに、仲居さんの肩がびくんと跳ねる。
と同時に、彼女は瞬時に表情を消して平静を装う。
「……わたしは何も知りませんし、
そんな話、聞いたこともありません。
何か勘違いしているのではないですか?」
あくまで、知らぬ存ぜぬを貫き通すらしい。
(そんな隠さなくてもいいんだけどな。
取って食うわけでもない。
誰かに言いふらしたりするつもりもない。
僕はただ、知りたいだけ)
誤解されているなら、誤解を解けばいい。
僕は僕の意図を、正直に話すことにした。
「大丈夫です、安心してください。
僕はただ、妖怪が大っ好きなだけなんです」
「え……?」
「妖怪のことは、全部知りたい。
僕の知的好奇心が、疼いて止まらないんです」
僕は自分の胸に手を当て、陶酔するように言葉を継いだ。熱のこもったオタクのように。
「妖怪は純粋で、気高く、そして美しい。
日々、仮面を付け替えて騙し騙し生きている、
不純で、矮小で、醜い人間たちとは違って、
妖怪は『確立した個』を持っているんです。
孤高なんです。
1つの仮面、信念しか持たない、
と言い換えることもできましょう。
彼らは存在自体が希薄であるがゆえに、
存在意義を1つに絞らねば、
この世界に存在することができない。
逆に言えば、
存在意義を確立することで、
この世界で強烈な存在感を放っている。
いや、『この世界』というのは語弊があるかな?
まぁ、この話は、今はする必要がないでしょう。
永遠にする必要がないでしょう。
知らなくて良いこと、
知らない方が良いことなんて、
世の中にはたくさんあります。
話が脱線しました。
つまり僕が言いたいことは、
妖怪こそ人類の目指すべき到達点である、
ということです。
スポーツ選手が自身のすべてを賭けて、
そのスポーツの完成を追い求める。
自身の存在意義を、1つの競技に見出す。
学者が自身のすべてを賭けて、
その学問の完成を追い求める。
自身の存在意義を、1つの学問に見出す。
そんな姿に、強烈な存在感に、
人々は憧れ、熱狂する。
そして、自分もそうなりたいと希う。
だとしたら!
存在自体が存在意義である妖怪こそ、
究極の人類、真人類なのです!
なぜ僕が妖怪を、
愛しているのか、
心酔しているのか、
熱狂しているのか、
ご理解いただけたでしょうか?
ご理解いただけたなら、
ご理解いただけたでしょう。
僕が、あの鬼の親子に、
一切の危害を加えるつもりがないことを。
いや、むしろ、
もしも、彼らを害する者がいれば、
逆に僕がその不届き者を、
害するでしょう。
誅するでしょう。
木っ端微塵にするでしょう。
それこそが僕の存在意義であり、
守るべきたった1つの信念なのだから。
あ、勘違いされると困るので、
あらかじめ断っておきますが、
僕は、妖怪だからといって、
無差別に庇護するつもりはありません。
その妖怪の存在意義が、
『打倒されるべき邪悪』であるならば、
僕はむしろ積極的に打倒します。
和風ファンタジー作品の主人公のように、
善良な妖怪を救い、一方で邪悪な妖怪を滅す。
他でもない、この僕が、打倒したい!
そうしたい!
それこそが、
この世界に生まれ落ちた僕の生き様なのです!」
語るうちに、自分の声が震えていくのがわかった。頬を歪め、瞳の奥にどろりとした情熱を宿して仲居さんを見つめる。
「えぇ……なに、この子、怖い……」
仲居さんが、目に見えて引いた。
理解不能な狂人を見るような視線。
(あ、やべ……しゃべりすぎた)
いかん、いかん、失敗した。
妖怪の話になると、ついつい饒舌になってしまう。
自分が4歳児であることをすっかり忘れていた。
(ドン引きされてるな、僕。
まぁ、まだ失敗と決まったわけではない。
この演説が、吉と出るか凶と出るか。
どっちなんだい!?)
恐怖で顔を引き攣らせる仲居さん。
けれど、彼女の瞳から少しずつ動揺が消えていき――ある種の『諦念』が宿るのを、僕は見逃さなかった。
(ふふ、やったぞ!
どうやら僕の『熱意』が伝わったようだ!
「この狂人には、下手に隠すより話した方が安全だ」と、観念してくれたらしい)
――少なくとも、僕にはそう見えた。
しばらくして、仲居さんが重い口を開く。
「君……どこで見たの?」
何を、かは言うまでもない。
僕は、露天風呂で見た少女と赤鬼の話をした。
正確に言うと、露天風呂で見たのは少女だけなのだが、ここら辺の説明は面倒&固有術式の開示をするつもりはないので、テキトーに誤魔化しておいた。
「……そう。旅館には近づかないよう、もう一度ちゃんと言っておかないといけないわね」
彼女の瞳に、深い哀愁が混じる。
そこには身内を案じるような、
切実な願いが宿っていた。
「……いいわ。誰にも言わないと約束できるなら、話してあげてもいい。ただし、ここじゃない場所で」
彼女は深く、諦めを含んだため息をついた。
「本当ですか!」
「8時に私の休憩が入るわ。
旅館の外、裏手の山道に来て」
(よっしぇい!)
約束を取り付けることに成功!
ありがとう、名も知らぬ仲居さん!
というわけで、
僕たちは一旦解散した。
オレンジジュースも、忘れずにいただいた。
◆
約束の8時になった。
「父上、僕、もう一度温泉に入ってきます」
「おー、俺は酒が回っちまったからパスだ。
のぼせんなよー」
父上は顔を真っ赤にして畳に転がっている。
実に好都合だ。一緒に行くと言われたら、また別の言い訳を考えなければならなかったからね。
僕は部屋を出て、旅館の玄関に向かう。
(おっと、危ない、危ない)
旅館の玄関、つまりはカウンターに人がいた。
受付の従業員だ。
(ブラボーワン、ポイントに到着。
旅館からの脱出を開始する)
夜、子供が一人で出歩くのは目立つ。
というか、絶対に止められる。
僕は気配を殺し、影に紛れるようにして、誰にも見られずに旅館の外へ出た。
「……ちゃんと来たのね。
誰にも見られなかった?」
旅館の裏へ回り込むと、あの仲居さんがいた。
先ほどまでの狼狽ぶりは完全に消え、そこには静謐な、どこか覚悟を決めたような女の横顔があった。
「はい、受付の人にも見られていないですよ。
子供1人で外に行くのは怪しいですからね。
というわけで、早速、教えてください」
「ここで話すのも難ですし、
歩きながら話しましょう」
彼女は街灯もない暗い山道へと歩き出す。
僕はその後ろを追った。
宿の明かりが遠ざかり、風の音だけが不気味に響く。
「君、鬼堀谷の鬼伝説は知ってる?」
「はい。来る途中のパンフレットで読みました。悪さをする鬼たちに、僧侶が賭けを持ちかける話ですよね。最後は、僧侶が機転を利かせて鬼を追い払ったという……」
そう、鬼掘谷だ。
おそらくこの道の先には、鬼が一晩で掘ったとされる深い谷がある。
パンフレットの地図に載っていた。
「ええ、表向きの物語はそうね」
仲居さんは立ち止まることなく、一定のリズムで歩きながら、淡々とした口調で続けた。
「……あの話にはね、続きがあるのよ。あの日、賭けに負けた鬼たちは、僧侶によって『とある呪い』をかけられた。それは、『人に見られたら命を落とす』という呪い。ほら、伝説の最後にこう書かれていたでしょう? 『鬼たちは二度と人々の前には現れなかった』と。それは約束ではなく、強制された『縛り』だったの」
(ふむ、実に興味深い。
呪いによる『契約の強制履行』。
いったい、どんな術式なんだろうか?)
彼女の話は続く。
「鬼の脅威がなくなったことで、人々は安心してこの地を切り拓けるようになった。山の麓は開発され、温泉地として大いに栄えたわ。でもその一方で、鬼たちの住処は奪われ続けていった。逃げ場を失い、偶然、人に見つかっては死んでいく仲間たち……そうやって、彼らは絶滅の一途を辿ったのよ」
なるほど、それはとても深刻な問題だ。
まさに、『環境破壊』である。
妖怪たちの住処が奪われ、絶滅の危機に瀕する。
そんなこと、絶対にあってはならない。
こうなったら、この僕が直々に、環境保護団体ならぬ、妖怪保護団体を設立せねばならないな。
(……ん、待てよ?
鬼は人に見られると死んじゃうんだよね?
でも、あの鬼は僕に見られても平気だったような)
少女を追いかけていった先で出会った赤鬼。
僕は、あの赤鬼をちゃんと視認したはず。
この目でじっくりと見たはず。
それにも関わらず、
彼が呪いによって命を落とすことはなかった。
もっと言えば、あの少女も半分は鬼である。
彼女もまた、呪いの効果を受けていない。
この事実から導き出される答え。
――それは、すなわち。
「でも、不幸なことばかりが続くわけじゃない。
死んでいく命もあれば、生まれてくる命もある。
妖怪だって、それは同じことよ」
「つまりそれが、あの赤鬼だった。
呪いは遺伝しなかったんですね」
そう、あの赤鬼は、僧侶が鬼たちに呪いをかけた『後』に生まれたのだ。賭けに参加していないのであれば、呪われる筋合いはない。
結果、あの赤鬼も、その娘も、僕の視線を浴びても消滅することはなかったというわけだ。
「……君、すごく賢いわね。
ほんとうに子供なの?」
仲居さんが不意に足を止め、振り返る。
「え、そうですか?
なんか、照れますね(えへへ」
「……ええ、本当に恐ろしいわ(ぼそっ」
「ん、なにか言いましたか?」
「いいえ、話を続けましょう」
仲居さんが、再び歩き出す。
「君の言うとおり。
君が見た鬼こそ、呪いから解き放たれた唯一の鬼。
名は――『赤洛』。
彼は、滅びゆく運命にあった鬼一族の間に産み落とされ、一族が滅んでいくのを最後まで見届けた。
たった一人で……最後まで見届けたの」
一族最後の希望にして、
仲間たちの死を見届けなければならなかった、
悲劇の赤鬼、赤洛。
(あの赤鬼の名前、赤洛って言うんだ。
にしても、悲しい話だな)
僕は沈黙したまま、仲居さんの背中を追う。
気がつけば、
僕たちは切り立った崖のすぐ近くまで来ていた。
鬼堀谷の、すぐ近くまで。
「赤洛は人間を恨んでいる。
一族を騙し、すべてを奪った人間を。
けれど、彼は決して人間を襲わなかった。
そして――」
仲居さんが崖の淵で足を止め、ゆっくりと振り返った。
「愚かで頭が悪く……そのくせ誰よりも優しい私の姉と出会い、2人は恋に落ちた。
そうして産まれたのが、
鬼と人の子、菊千代よ」
今宵の月は満月なれど、
逆光となった仲居さんの表情は読み取れない。
けれど、なぜだろう。
なんとなくだが、
彼女は今、僕を見下ろしているような気がした。
――とても冷たい目で。
「あれを、見て」
彼女が崖下を指さす。
「何かあるんですか?」
僕はなんの警戒もせずに、崖から身を乗り出した。
しかし、何も見えない。
唯一、見えるのは、
落ちれば確実に命を落とすであろう断崖絶壁だけ。
「何もないじゃ――あ」
「死ね」
背中に、強烈な蹴りを入れられた。
まさに、不意打ち。
してやられた。
やり返された。
僕は重力に引かれ、あっさりと崖下へ放り出された。
「この話は誰にも言わないこと。
その約束は、必ず守ってもらうわ」
死人に口なし。
彼女はこの場所へ僕を誘い込み、物理的に口を封じる道を選んだのだ。
――死門遊観。
◆
「あんたがただの子供なら、
適当にごまかして終わりにするつもりだった。
でも、あの呪詛のような独白を聞いた時、
あんたがとんでもない異常者で、
生かしておいたら脅威になると分かったの。
私を、恨んでもらっていい。
私も、恨んでいるから」
奈落の底へと消えていった少年に向かって、彼女はぽつりと呟いた。
この高さから落ちれば、助かるはずがない。今頃、少年の体は岩に叩きつけられ、無残な肉塊に変わっているはずだ。
彼女の表情は、どこか憑き物が落ちたように虚ろだった。分かっていたのだ。いつか、秘密を守るために手を汚さねばならない日が来ることを。
あの愚かな姉のために、
私は、人を殺め――。
「素晴らしいィッ!」
突如、背後から歓喜の叫びが響いた。
心臓が止まるかと思った。
驚愕して振り返ると、そこには崖下へ落ちたはずの少年が、衣服の乱れ一つなく、無傷のまま、恍惚とした表情で立っていた。




