二章 4話
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[王国暦426年8月28日ーー王立中央大学]
孤児院を訪ねた翌朝、アンデルはいつもより爽快な目覚めを迎える。昨日帰り道で買ったパンを食べ身支度をする。孤児院の子供たちが、いつもより多いパンや、いつもは出ないリンゴをうれしそうに頬張っている姿が思い起こされる。
「ふふ。さぁ、続きをしなくちゃ」
研究室に移り、床に手を置くと風魔法を思い浮かべる。手と床のすき間から頼りない風がフワっと流れてくる。
「やはり床から魔法は出てこない、か。考え方が違うのかな。もっと極端に床からの魔法発動を想像して・・・」
それからアンデルは幾度も魔法の発動を試みる。室内のため、とりあえず風と光の魔法を続けてみる。
「えっ、もうお昼か」
窓から聞こえてくる昼の鐘の音に驚く。午前中ずっと続けられた試みは一向にうまくいかない。集中が途切れると空腹を感じ、自室に置いてあるリンゴを取りに行く。コップに水を注ぎ椅子に腰掛ける。
「もう一度、整理して考えろ。想起、魔力、発動。地面や壁から魔法を出すにはどこに問題がある・・・」
思考を繰り返しながら、机に置いてあるコップに手を伸ばそうとした時、しっかりと見ていなかったアンデルは手元を誤りコップに手が当たり倒してしまった。中の水がアンデルのズボンへとこぼれてくる。
「あっ、しまった。ズボンが濡れちゃったじゃないか。これじゃあオルビア先生の言ってたお漏らしじゃないか。ふふ」
そう言って風魔法でズボンを乾かそうとした。
「まって。まてよ。オルビア先生は昨日なんて言った」
ガタンと椅子を押し出し、立ち上がるアンデル。
「『布団から魔法が飛んでくるんだ』先生はそう言っていた。なんで!なんで昨日気づかなかった。おかしいじゃないか、まだ三歳の僕がなんで魔法を、しかも布団から魔法が出るって、どういう事だ!」
アンデルは部屋の寝台に敷かれたままの布団に手を付き魔法を出そうとする。
「今の僕は布団から魔法なんて発動出来ない。壁からも、地面からも。何が違う・・・。落ち着け整理するんだ。」
布団から手を離し、椅子に座る。もう一度コップに水を注ぎ一気に飲み干す。
「今の僕と三歳の僕。魔法についての意識、知識が全く違う。魔法は教会から来たという男の人が最初に教えてくれ説明を受けるまで自分では何も分かっていなかったはず。それは五歳くらいだった。三歳の僕は魔法について何も知らない、それどころかようやく物事を考えられるかどうかの時期だろ。魔法のための想起なんて絶対にできないじゃないか。じゃぁ何が起きた。何が違う」
今まで考えた事もなかった出来事。アンデルの頭はぐるぐるかき混ぜられたかのように混乱する。
「お漏らしか、自分のおしっこで濡れた布団・・・。壁、床、土・・・」
思考の渦の中で少しずつ、一つずつ何かが組み合わさっていくように思えた。
「ベルク要塞の血で染まった大地、雨でぬかるみ始めた地面。そうか、濡れているという共通点か」
繋がり始めた思考が消えてしまわないように、アンデルは急いで掛け布団を取りに行きそれを床に広げる。それを水魔法で濡らす。そして恐る恐る濡れた布団に手を置くと火魔法を思い描く。布団から火炎が浮び上がる姿を強く強く思い浮かべると軽く魔力を流す。
「あっ」
布団の中央から小さな炎がふわっと浮かび上がるとすぐに消えてしまった。
「で、できた。布団から魔法が出た・・・」
失敗を重ねながら、ようやく魔法の外部発動に成功した。アンデルは強く興奮する。かつてこの形で魔法が発動されたという事を見たことも聞いたこともない。まさに新たな発見だった。それでもアンデルは意図的に興奮を抑える。
これではオルビア先生の言った『魔法が飛び出した』『命がけ』にはもの足りなかったからだ。アンデルはすぐさま気持ちを切り替え先ほどよりも少し強く魔力を流す。
「あれ、出ない」
強く込めた魔力に布団は反応を示さず何も起きない。二、三度繰り返すも反応はない。布団から手を離そうとすると、最初よりも布団が乾いていることに気がつく。アンデルは水魔法で最初よりも多めに布団を濡らす。
「これでもう一度・・・。よし出た!もう一回どうだ、今度はもっと強めに魔力を・・・」
何度も布団からの魔法発動を試す。布団をぬらしては魔法の発動を繰り返す。
「そうか、ある程度布団が濡れた状態じゃないと魔法が発動されない。それに繰り返しは難しいし、通常の魔法よりも威力がでない」
それからもアンデルは布団の実験を繰り返す。濡れている水の量、魔力の量を何度も変えて試しながら続ける。
「だめだ。思ってる以上に出てくる魔法が弱い。いろいろやってるけど、どうしても強くならない」
実験を繰り返していると、窓から教会の鐘が聞こえる。
「ふぅ。これだけ魔法を使い続けたのも初めてかな。さすがに疲れた。後は記録だけ整理して今日はおしまいにしよう」
アンデルは今日の実験を記録として残していく。初めて布団から魔法が発動されたことから、布団の濡れ具合と魔力の強さを感覚的な量ではあったがなるべく細かく、覚えている範囲で書き記していく。
「けど本当に驚いた。魔法でこんな事ができるなんて。今までは自分の感覚と経験を積むことだけで魔法は上手く行ったけど、これはそうじゃない魔法か。
明日はまず布か何か買いに行こう、布団が破れても困る。それに地面でも試さないとだめだな。でもどこでやろうか」
寝台に上がり、明日にやる事を考えているといつの間にか眠りについてしまっていた。
[8月29日]
翌朝、アンデルは身支度を済ませると早速買い物に出かける事にした。
「あの仕立て屋さんで布を買って、ついでにパンも買い足して。いや最近パンとリンゴばっかりだな。軍は肉料理が多かったからなぁ、朝だけど肉料理探してみよう」
仕立て屋の主人に『お兄さんが何に使うんですか?』と訝しがられながらも大きな布地を数枚購入し、朝から空いている屋台を探す。
「もう何か食べれますか」
一軒の屋台の主人に声をかける。
「いらっしゃい。そうだねぇ丁度さっき締めた鶏の料理なら出せるよ。もうちょっとだけ時間は大丈夫かい」
そう言うと主人は、屋台の裏に吊るしている血抜き中の鶏を指差す。
「えぇ。少しぐらいなら待ちますので、お願いします」
そう言って主人に銅貨を二枚渡すと屋台前に置かれた椅子に腰掛け、アンデルはその鶏を何気なく見つめる。血抜きはほとんど終わりかけのようで、切られた首からわずかな血がポタッと下に置かれた桶に落ちる。
「・・・。そうか、そうだよ。ちゃんと思い出せば、それも確かにあったんだ。考えることを避けてたのかも。ベルク要塞の地面は仲間達の、そう・・・血で染められてたんだ。可能性はある・・・か。試さないわけには・・・いかないか。でも血は、どうしよう」
椅子に座り険しい顔でぶつぶつとつぶやく若者を不思議そうに見た屋台の主人が声をかける。
「お客さん大丈夫かい、料理できたぜ」
そういってアンデルの前に焼いた鶏肉料理を出す。
「あ、すみません。ありがとう、いただきますね」
久し振りの鶏肉だったが、考え込むアンデルにはその味も感じられないまま食べ終える。そして店をあとにしようと立ち上がった時、屋台の横に血抜きに使った桶が並べてあるのを見つけた。
「ご主人!この、血抜きに使った桶売ってもらうことできますか」
「えっ、お、お客さん何言ってんだい。これは売り物でもないし、後で捨てるやつだよ」
いよいよ若者が怖くなってきた主人は後ずさりしながら答える。
「捨てるならぜひ私に売ってください。どうか、どうかこのとおりです」
深々と頭を下げるアンデル。
「いやまぁ、そうだな。困ったな、まぁ血の代金は要らないが、桶の代金だけもらえるなら構わねぇかな」
本当に困ったように主人が答えると、アンデルはすぐに銅貨三枚を机に置く。
「これくらいで足りるでしょうか」
「あぁ、大丈夫だ。よくわからんが持っていきな」
そういって渡された鶏の血で波打つ桶を持ち反対の脇に大きな布地を挟みながらアンデルは研究室に帰っていく。途中すれ違った住民に驚きの眼差しを向けられていることなど露も知らずに。




