三章 3話
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[王国暦426年9月下旬]
大陸南部の東海岸、都市国家メルリポートにトマス・バロットが営む店はあった。大森林に近く、その恵まれた資源と港に適した立地から南部でも古くから栄えた都市国家の一つであった。
「これからの段取りだが」
店の二階にある食堂で、二人の弟に今後の方針を伝える。
「まず私は、ベンリルに支店を開設する準備に入る。その準備の手伝いと、実際にベンリルでの雑務について、マリルに頼みたい。カイルにはこのメルリポートの店を引き続き守ってもらいながら、インクやその他の研究のため各分野との調整をして欲しい」
椅子に腰掛け、机に両腕を置きトマスの話を聞いていたカイルは、一度眉間に皺を寄せるとトマスに聞き返す。
「兄さん、私はここに残るのですか?」
わかりやすく悔しそうな表情を浮かべながら尋ねるカイルを見ると、マリルもまた不安そうにトマスを窺う。
「カイル、すまない。正直二人とも北部に連れて行きたい気持ちはあるんだ。けれど、この店を守るならやはり経験の多いカイルに頼みたい。逆にマリルにはいち早く一人で動けるようになってもらうためにも、私の目の届く中で経験を積んでもらいたいんだ。今後落ち着いていけばもちろん交代してもらうことも考えている。まず一番難しい最初の部分を失敗せずに乗り越えるにはこれが一番だと考えた」
トマスは二人を交互に見つめながら真剣に気持ちを伝える。これまでいろいろと任せてきたのはカイルが中心であった。また、マリルを直接育てたいという気持ちもまた正直な思いでもあった。
「兄さん、すみません。・・・少し大人げない反応をしてしまいました。もちろん、兄さんのおっしゃる通りだと思います。お話を聞いているうちに、北部への思いが高まってしまって、つい甘えたことを言ってしまいました」
カイルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、私のほうこそいつもカイルには甘えてしまっている。カイルに頼んでおけば安心と思い、ついカイルの気持ちは後回しにしてしまってきたからね。申し訳ない。けれど、今回もう一度だけカイルに甘えさせてほしい。これは私たちにとって大きな勝負どころだと思う。一つの街の商店で終わるのか、もっと上の世界に挑戦できるのか、すまないカイル」
トマスはカイルに向かって頭を下げる。
「兄さん・・・やめてください。そうは言っても兄さんに頼られることは僕にとっての誇りです。そうやって兄さんに頼られる人材になるべく努力はしてきたつもりなので。安心してこの店は任せてください。新しい鉱石の活用も含めて、期待以上の仕事をしてみせます」
最初の不機嫌さは露と消え、堂々と答えるカイルの顔は、強い決意を持った商人の顔であった。
「マリル、聞いたとおりだ。お前も兄さんについて、必死に学んでこい。直接兄さんの仕事を学べるんだ、絶対にこの機会を無駄にするなよ」
カイルはマリルに向かい真剣な表情で発破をかける。
「カイル兄さんありがとう。俺も何としてでもトマス兄さんを追いかけてくる。トマス兄さん、厳しくお願いします」
頼もしさを感じる弟たちのやりとりにすっかり胸いっぱいになったトマスは、手をぱちんと鳴らすと立ち上がる。
「さぁ、細かい話を詰めたらすぐに動き始めるぞ。ここから勝負の始まりだ」
三人はそこから街を駆け回り始める。トマスとカイルは鉱石の活用方法について、長く取引をしてきた信頼できるインク工房に相談をする。カーター工房の時と同様に研究時の費用を負担し、売り上げ額から一定の金額を受け取る形を取り決めていく。また、付き合いのある各分野の工房にも赴き鉱石の説明や今後の研究を提案して回る。その中から前向きな返事をもらえた工房と契約を結んでいく。その間、店の管理をマリルに任しこれまでの取引を改めて一人で対応させていく。
「しかし研究への投資がだいぶ嵩みましたね」
ある程度落ち着いた頃、カイルはぼそっとつぶやく。トマスの耳にそのつぶやきが届く。
「あぁ、さすがに緊張してしまうね。けれど、この緊張は勝負の時にしか味わえない。緊張にのみ込まれないように、けれどその気持ちを忘れないように向き合っていくんだ。絶対に勝負に負けないという気持ちを持って向き合うんだ」
トマスの力強い言葉にカイルも頷く。
トマス達が準備を始めて一週間ほど、大方の準備が整い、あとは出発の日時を調整することぐらいになった。三人はようやく落ち着いたのを見計らい、夜の帷の下りた街の食堂で酒を交わす。
「いやぁ、何とか準備が整ったね。二人ともまずはお疲れ様」
トマスの労いにあわせ二人の弟も酒の入った杯を上げる。休息日前日なのもあり、食堂は満席に近く賑わっている。注文していた料理が運ばれると皆それぞれ皿に取り分け食べ始める。
「でも兄さん、もう一度考えてほしいんだ。ベンリルの投資用の資金を持っていくのに、二人だけで行くというのは危険すぎるよ」
カイルはここ数日、同じ話を繰り返しトマスに伝えていた。旧帝国領の復興や整備が遅れている影響のためか、はたまた何かしらの嫌がらせなのか、南部発行の為替手形が旧帝国領内で認められていなかった。そのためトマスは苦渋の決断として、初期投資分を現金として持っていくことを考えていた。
「トマス兄さん、俺もそう思います」
カイルの頼みにトマスはよい返事を返してこなかった。
「確かにわかるんだよ。大金を持って動くことはあまり賢い方法ではないってね。ただ、取引は最初が肝心なんだ。約束通り、初期投資分をきっちり支払うことこそ信用の一歩目なんだ。それに護衛を頼むにしても、それこそ素性の分からない相手と数日間、大金と共に旅をする事のほうが不安でね」
これもまたここ数日トマスが繰り返してきた返事であった。
兄の身を案じてくれる弟たちの気持ちと、身の危険を承知しながら解決策を提示できないことに頭を悩ませ、答えを見いだせないままであった。
「北部へ向かう予定の商人がいないか探したんだ。同行できればまだ安全かもと思ってね」
マリルが二人の兄を見ながらそう伝える。
「なかなかいい時期の人がいなくてね。一番近くて11月頃出発するかもって所だったんだ。それだとあまりにも遅いしね」
マリルは残念そうに下を向く。三人それぞれが答えを出せないまま、悶々としながら酒を飲み料理を口に運ぶ。
「はぁ、三人揃っての食事をするのもしばらく難しいかもしれないのに、もう少し楽しくやりたいものなんだがな」
そうトマスが愚痴をこぼした時、食堂の奥の一角から大きな悲鳴が聞こえる。
「おい姉ちゃん!どうすんだこれ!」
三人は一斉に声の方へと目を向ける。店のなかの客も皆同じ様に視線を向けた。
「も、申し訳ありません。・・・」
食堂の給仕をしていた若い女性が、客と思われる髭をはやした大きな男に怒鳴られている。
「お客様、申し訳ありません。お召し物の汚れは私どもの方で対応させていただきます。お食事代も結構でございますので、どうかご勘弁ください」
店の主人だろうか、小柄な老人が怯えた女性給仕の横で頭を下げていた。
「おいおい、そんなんで済ますのか?どいつもこいつも、南部の奴らは北部の人間を馬鹿にしやがって」
大柄の男は拳で店の机を強くたたきつける。
「北部の人間のようですね。食事をこぼされて怒っているようですが・・・」
カイルがそっとつぶやく。北部での終戦以来、少しずつではあったが旧帝国領の平民が南部にやってくることが増えている。その男もそんな中の一人であった。
「何が自由の国だ、まともな仕事もありゃしねぇ!どこに行っても帝国の人間だとわかったら見下しやがって」
男は周りも気にせず大声をあげ続ける。顔を紅潮させ、興奮状態の男はついに拳をあげると店の主人に振り下ろそうとする。店の客が誰も動けずに固まっている中、マリルが男を止めようと足を前に出した。
「マリル!待て」
カイルが慌ててマリルを止めようとした時、大男が突然宙を舞い床に叩きつけられた。店内は騒然とし、客たちのざわめきが広がる中、大男の腕をつかみ抑えつける壮年の男性の姿が見える。そしてその横で額を押さえながら首を横に振る一人の男性の姿があった。




