二章 9話
15
[王国暦426年9月上旬]
トマスと別れアンデルは自室に帰ってきた。
「僕にとっての初心は、何なんだろう」
寝不足の頭でぼんやりと考えを続ける。
「魔法が使えた僕は、教会の人たちの勧めを受け軍の道に進むことを決めた。でも士官学校はきつかったなぁ。それまで周りは優しい人たちばかりだったのに、あそこは怖い人たちしかいなかったな。ふふ。それに、貴族の人達もきつかった」
それまでと大きく環境が変化した士官学校時代を思い出す。
「あの時、僕はどうして耐えれたんだろう。どうして頑張れたんだっけ?」
訓練と座学に明け暮れる日々、希薄な人間関係の中でもアンデルが心折れずに前へ進み続けることができた理由。ぼんやりとした頭の中で上手く思い出すことができない。
「あぁ、そうか。僕の気持ちというか、みんなの為?いや、と言うより孤児院の先生達や、教会の人が喜んでくれた、僕が頑張れば喜んでくれる。そんな思いが一番だった気がするな」
誰かの、あの人の為と言うほど綺麗で強い思いはない。ただ、周りが喜んでくれる。
「大隊に配属され、エルベール隊長やフレデリク参謀、ヴィルジール中隊長達は優しかったな。もちろん厳しかったけど、まるで家族の中にいるような・・・。三年間色々な場所で戦い、そしてベルク要塞戦」
瞼を閉じ、ベルク要塞の戦いを思い出す。暗闇の大地から聞こえる虫の声、蒸し暑い空気の匂い。緊張する身体から聞こえる鼓動の音。そして爆発の轟音、仲間達の叫び。広がる煙と焦げた匂い。遅れて立ち込める血の匂い。そして、ヴィルジール中隊長の威厳に満ちた立ち姿。
「・・・あっ」
アンデルが目を覚ます。
「寝てたのか。・・・。もう一度、あの場所へ行こう。研究者としての出発点。僕の人生の・・・、とても大切なあの場所へ」
「まだ時間は大丈夫そうかな」
高く登った太陽を窓の外に確認するとアンデルは部屋を出る。
「失礼します。アンデルです」
「入りなさい」
部屋の中から返事が聞こえるとアンデルは扉を開け中に入っていく。
「ドロテオ学長、先日ご指摘を頂いた研究内容について、検討を重ねていたのですが、しばらく研究室を離れ、ベルク要塞の跡地などをみて回りたいと考えています。実際に魔法が発動された場所を一度しっかり確認することで、新しい気づきにつながるのではないかと思いまして」
ドロテオ学長は目を閉じしばし考え込む。
「ふむ。そうだね、それは構わないよ。何なら、そう研究、研究と視野を狭めず、色々なものをみてきなさい。そなたはそういった所がまだまだ足りておらんように思うでな。
一つだけ、気をつけて貰いたい。旧帝国領は編入されまだ間もない場所だ。そのような土地で、そなたの素性が広まるとどうなる」
「はい。よく思わない者たちもいるかと」
「そうじゃな、我々から見れば戦争を終わらせた英雄であっても、彼の地では祖国を滅ぼした悪魔になってしまうやも知れん。研究者として動くことは問題なかろう。ただし軍人であったことは他言せぬように心がけなさい。まぁ、そなたは強いからのぉ、自分の身は自分で守れるじゃろうがいらぬ諍いはないほうがよいじゃろう」
「ご忠告ありがとうございます。そのあたりは細心の注意を払うよう心がけます」
「ふむ、まぁ帰ってきたらまた報告に来ておくれ。見たもの聞いたもの楽しみに待っておる」
「はいそのようにさせていただきます。ありがとうございました」
「こんにちは!」
次にやってきたのは孤児院であった。
「まぁ、アンデルお帰りなさい」
ブランシュ先生が出迎えてくれる。
「先生、実は少し王都を離れ、旧帝国領の方へ行くことになりました。なので、期間はまだ決まっていませんが、ご挨拶だけと思いまして。あと、これみんなにどうぞ」
沢山のリンゴが詰まった袋をブランシュ先生に渡す。
「わざわざお気遣いありがとう。旧帝国領、東へは一人で行くの?」
「はい。一応研究の一環としていきますので、一人の予定です」
「まぁ、それは重々気をつけて行かなくてはなりませんよ。あと、旅先では無理をしない事、知らない土地で体調を崩せば大変な事になりますからね。くれぐれも忘れないように。いいですね」
「はい。心に刻み込んでおきます」
「ふふ。無事に戻ったら、また顔を見せてくださいね。あぁ、今日はベンが出ていますのでベンにはまた伝えておきます。気をつけて行ってらっしゃいアンデル」
日没を報せる教会の鐘が響く。アンデルは何軒かの食堂を回り人を探している。
「あっ、いた!」
アンデルが、食堂の隅で酒を飲む男に手を振る。そしてその男の向かいの席へ遠慮なく腰をかける。
「ようやく見つけましたよ。学校の方から、いつもならもうこのあたりのお店で飲んでるんじゃないかと聞いて探したんですよ先生」
「お前、いきなりやってきてそんな怒ることないだろうよ」
「怒ってなんかいませんよヴェス先生」
「ふん、まぁ怒ってんのは私の方だよ、アンデル。飯でも食べようと言っておいたのに音沙汰ないから、もうお父さんなんか捨てられたんじゃないかって」
ヴェスペリオは大げさに泣いたふりをする。
「それは、申し訳ありませんでした。謝ります。ところで先生、もう酔っておいでですか」
「ははは。失礼な、こんな時間から私は酔いませんよ。まぁ、いいでしょう今から一緒に食事にしましょう。それで許します」
「ふふ。はい、ご一緒させていただきます」
ヴェスペリオは店の主人に酒と料理を注文する。
「さぁ、アンデル。お前と酒を交わすのは初めてだな。父さんはうれしいです。とても」
「はい。僕も」
二人は酒の入った杯を軽くあわせると一気に口に注ぐ。
「はぁこんなうまい酒は初めてかもしれないな。ありがとう、アンデル」
うっすら朱に染まったヴェスペリオの顔に大きな笑みが浮かぶ。
「で、最近はどうだい、アンデル」
「はい、まだ短い期間ですが色々ありました。その事を含め、先生にお話をしたいと思って探してたんです」
出された食事をつまみ、酒を飲みながら、アンデルはこれまでの研究についてヴェスペリオに説明をする。
「・・・。なるほどねぇ。吸血鬼の噂は私も聞いていた。アンデルのことだとは知らなかったがね。そうだな、禁止を決めたドロテオ大司教の判断は間違ってないと思うよ。異端審問については私もそこまで詳しくはないけどね、奴らに言い訳や説得は効かないと聞いている。奴らが判断したらそれが神のご意向になるんだそうだ。私みたいなはみ出し者には奴らこそ胡散臭く見えるが、まぁそれもまた教会だよ。十分気をつけなさい」
「はい。重々に。ただその禁止で少し行き詰まってしまったという感じです」
「まぁそうだろうねぇ。魔法については私も全く門外漢だ、助言できなくて申し訳ない」
「いえ、まぁ、そういう事もあって実はこれから旧帝国領、ベルク要塞に行ってこようと思いまして」
「えっ、旧帝国領かい。それはまた、思いきったね。なら、大司教は許してくれたということだね」
「はい、承諾いただきました」
「ならいいんじゃないかな。士官学校から今までずっと働き続けてきたのだろう。少し休みも兼ねて行ってきたらいいと思うよ。まぁくれぐれも気をつけてだけどね」
「はい今日、ブランシュ先生にもそのように言われました」
「あっ、孤児院に先にいったのかい。父さん妬いちゃうよ」
ヴェスペリオは残っている酒を一気に飲み干す。
「ふふ。先生とはゆっくりお話したかったので最後にしました。すみません」
「そういう事にしておきましょう。ははは。いやでもまた無事に帰ってこないといけないよ。あまり心配をかけないようにね」
二人の久方ぶりの食事、そして初めての酒の席は、遅くまで続いた。




