二章 7話
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[王国暦426年9月上旬]
「アンデルです。失礼します」
学長室の扉を開けると、大きな机に書類が積まれその奥にドロテオ学長が座っている姿が見える。
「あぁ、来てもらってすまないね。どうかな研究は、順調かね」
机に両肘をつき、上で手を組みながらドロテオ学長は尋ねる。
「はい、少しずつというところではありますが」
「ふむ。それは何よりだ。アンデル、今はどのような研究内容かな。簡単でもよい、少し聞かせてほしい」
「はい。魔法の、仮ではありますが、外部発動と呼んでいるものの仕組みについて研究を続けています」
「ほう、外部発動か。具体的にはどういったものかね」
「ご存知の通り、通常、魔法は魔法師の体内から魔力の流れが起き、そして身体近くから発動されます。そこを起点として状況に応じ、放出という形でいわば遠くへと飛ばします。しかし今回の実験は、ベルク要塞での魔法発動の再現を目標として、身体を起点としない、つまり外部を起点とした魔法の発動放出を目指しています」
アンデルはなるべくわかりやすくなるよう心がける。
「ふむ。確かに今までそのような、外部から発動される魔法というものは聞いたことがないな。それが可能であればなる程、戦術にも幅が出る、新たな魔法の形ということかのぉ」
「はい。おっしゃる通りかと」
「なるほど」
ドロテオ学長は組んだ手に、額を何度か当てる。
「アンデル、研究については順調ということで良いのだが、一つ確認せねばならん。街で吸血鬼なる噂が広がっている事を、知っておるか」
アンデルに緊張が走る。まさに先ほど聞いたばかりであった。
「・・・。はい、つい先刻私も耳にいたしました。申し訳ありません。おそらく、私の軽率な行いでそのような噂が広まってしまったと考えています」
「ならば、血を使って実験を行なっている。それで間違いはないな」
「はい。・・・。間違いありません」
「古臭いお伽話ではあるが、そなたも吸血鬼ぐらいは知っておろう」
「はい。孤児院の頃にはお話としてよく聞いていたかと」
「そうであろう。
神から人へ、奇跡として与えられた御業の力。それに嫉妬した悪魔が遣わした吸血鬼なる化け物。人の血を吸い人から魔力を奪った。人々は力を合わせ吸血鬼を倒し、残りの魔法の力を守ることに成功した。そして残った魔法師は貴族としてその後も国を守っていく。
で、あったな」
「はい」
「アンデル。吸血鬼の噂はな、そなたの研究内容とあまりにも相性が悪い。言わずもがな教会との相性も最悪じゃ。教会がささえる大学が吸血鬼を育てるなど冗談にもならんのじゃ」
「・・・おっしゃる通りです」
「アンデル、悪いが今後血を用いた実験、研究は一切禁止とする。お前を守るためと理解してほしい。万が一でも、異端審問にかけられでもすれば、私とてそなたを守ることはかなわん。わかるな」
「はい。今後血を用いた実験、研究は行わない事約束いたします」
うつむきながら弱く答える。
「あぁ。頼むな。時間は掛かってもよい、別のやり方で研究を進めなさい。今日は以上だ」
頭を下げアンデルは学長室を出ていく。
「アンデル、異端審問だけは避けねばならんのだ。おい」
ドロテオ学長は、他に誰もいない部屋に声をかける。すると部屋の奥にある扉から、一人の男が入ってくる。
「急ぎすぎなくともよいが、街の噂を上書きし消しなさい」
ドロテオ学長に声をかけられた男は黙って頷くと静かに部屋から消えていった。
研究室の椅子に座り、深いため息をつく。
「エルベール隊長から『慎重に』と言われてたのに。僕は一体何をしてる。冷静さも、慎重さもこれじゃだめじゃないか」
頭を抱え下を向くアンデル。
「しばらく、頭を冷やさないといけないかな。はぁ。あっ、いけない。トマスさんに血の購入お願いしたばかりだ。あー、もう。せっかくのお話だったのに、すぐ断りにいったらトマスさんに呆れられてしまうか。でも仕方ない、トマスさんに謝りに行かないと」
トマスの渡してくれた連絡先を頼りに宿へ向かう。
「それにしても、異端審問か。正直噂で耳にしたくらいだけど、本当にあるんだ。ドロテオ学長だって王都教区の大司教のはず。その大司教でさえどうもできないか・・・」
考え込みながら歩いていると、目的の宿が見えてきた。
「ここの二階の奥の部屋か。部屋にいるといいけど」
宿に入り受付に訪問を伝え二階にあがる。
「ここかな」
二階奥の部屋の前で立ち止まり、扉をノックする。
「トマスさん、いらっしゃいますか。アンデルです」
「おー、アンデルさん?どうぞ、入ってください」
返事があったことに安堵しながらアンデルは部屋へと入った。
部屋には沢山の荷物が大きな袋に入れられ置かれている。小さな机には沢山の書類が置かれている。どうやら今も何かを書いていたようだ。
「これはこれは、早速お越しいただいて、どうされましたか」
「トマスさん、すみません。先ほど血の購入をお願いしたばかりでしたが、あのお話無かったことにしてください」
アンデルは深々と頭を下げ謝った。
『ほぅ、また急な展開ですね。時間的に、ふむ。学長さんとのやり取りですね』
トマスは笑顔で答える。
「おやおやそうですか。いや、そんな謝罪なんて必要ないですよ。もともと唐突に私が提案させていただいただけの話です。なーに商売ではありふれた話です。お気にやむ必要はありませんよ」
「いやそれでも、お願いしたそばからお断りとなればトマスさんに大変失礼な事をしてしまったと思います」
「ふふ、真面目なお方ですね。商売の世界にいますとね、裏切りや嘘、誤魔化しなんて当然なんですよ。むしろそれを自らの能力として誇っているような奴らのほうが多い世界です。なのでそれが真実か、どんな意図が隠されているのか見抜く力もまた商人としての能力です。言ってしまえば、騙された奴が悪い、というところです。アンデルさんは、そういう方では無い、と私の『能力』で判断しております。安心してください。それよりも私としては、また次に何かご入用があればどうぞご遠慮なく私をお使いいただければと思っています」
トマスの話にアンデルは少し気が楽になる。
「ありがとうございます。謝りに来たのに、慰めていただいてしまって。おかげで少し楽になりました。また何かあればお願いに来ます。よろしくお願いします」
アンデルはもう一度頭を下げると部屋から出ていった。
「彼に関わるのは、神の祝福か悪魔の誘惑か。私も少し慎重にならなければならないか・・・」狭い部屋の粗末な椅子に座り、腕を組みながらトマスは長い思考に沈んでいった。
少し気が楽になり、すっかり日も落ちたなか研究室に戻ったアンデル。今日一日すっかり忘れていたが、まだ血が入ったままの桶が部屋の隅にそっと置かれているのが目に入ってきた。




