二章 6話
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[王国暦426年9月上旬]
エルベール、フレデリクとの再会と別れの後、アンデルは鬼気迫る勢いで研究に没頭した。仲間の新たな一歩に刺激を受けたのか、それとも自らの進む一歩に覚悟が定まったのか、研究にのめり込んだ。研究室にこもり魔法の外部発動を繰り返す。当初は、校舎裏手の林でも行うことを考えたが、エルベールの『慎重に』という言葉もありそれだけは控えていた。そのかわり、土魔法を使い研究室の一角に地面を作り実験を行う。一日に発動できる回数は、主に脳への負担があり限られており、いつも日没の鐘が鳴る頃には強い眠気に襲われていた。そのような日々を続けていたが研究に進展は見られなかった。
「朝か。今日はまだ頭が重いな。とりあえず、今日の分の血だけはもらってくるか」
朝、できるだけ人が少ない頃に屋台で鶏の血をもらうことがここ最近続く日課になっていた。
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
今は自分の購入した桶を持っていき、すっかり馴染みになった屋台のご主人に、血を入れてもらうようになっている。この日も血を入れてもらった桶を持ち、大学へと戻っていく。いつもより重い頭を軽くさすりながら、大学へつながる路地を曲がろうとすると、身体の正面に大きな衝撃を受けた。
「うっ・・・。あっ、大丈夫ですか。お怪我はありませんか」
一人の男性が倒れていた。お互い路地を曲がろうとしてぶつかってしまったようだ。
「あいたた。いや、こちらこそ申し訳ない」
謝りながら男性が立ち上がる。
「ちょっと考え事をしていて、あー、お兄さんこそ大丈夫でしたか」
その男は立ち上がるとアンデルに気をかける。
「私は大丈夫でしたが、あ、あのー申し訳ありません。あなたのズボンと靴を汚してしまいました」
アンデルが男に目を遣ると彼のズボンの裾と履いている靴に鶏の血がかかり、赤く染まってしまっていた。
「うん?あれこれは、血ですか?怪我はしてないと思ったのですが」
男は不思議そうに、やや恐る恐る自分の靴を触って確かめている。
「すみません。実は今血の入った桶を運んでいる途中だったんです。大変申し訳ありませんでした。もしよければ、私ここの大学で勤めていますのでご一緒に来て頂けますか。汚れてしまった靴とズボン何とかできると思いますので」
「大学にお勤めの方でしたか、そうですね、もし汚れが取れるようであればお言葉に甘えさせていただこうかな」
ではこちらへ、とアンデルに案内された男は先を進む背中を見るとすっと顔を下げ、にやっと笑った。
正門前で衛士に挨拶をし客である事を伝えると、なるべく人目につかないようにやや早歩きで、アンデルは男を研究室に案内する。
「こちらに掛けて少し待っていてください」
研究室の椅子を男に差し出し、一度自室に自分の椅子を取りに行く。
「研究室、というかまるで空き部屋のようだな」
わずかの間男は部屋を見渡す。実に殺風景な部屋に男は内心驚きを隠せない。
「机に大量の紙。それだけか・・・」
「お待たせしました」
アンデルが持ってきた椅子を男の近くに置き自分も腰掛ける。
「そのまま椅子に腰掛けていただいて、私の方で汚れを落とします。あの、ちょっと魔法を使いますので冷たかったりしますが安全なので動かないようにだけお願いしますね」
突然の説明に男は混乱する。
「魔法!魔法だと。正気か、何を言ってるんだこいつ。いやまてよ、そうこの国には魔法師がいて、いや魔法師って貴族じゃないか。まずいな、こいつ貴族か。事前情報なしに貴族の前に出るのはまずいな。位も、好みも分からんでは失態をさらしちまう。急ぎすぎたか、くそ」
一人、男が焦っていると、おもむろに伸ばしたアンデルの右手の前に水の球が浮かぶ。水の球が少し大きくなりそのまま男の足を包む。
「うわっ」
思わず男が声を上げるがアンデルは続ける。足を包んだ水の球の内部がぐるぐると回り始める。球の内部で渦ができ始め勢いを増すが男は少しくすぐったいくらいしか感じない。しばらく続くとぱっと水の球が消える。
「乾かします」
そう一言言うと、アンデルの手から男に向かって風が出てくる。アンデルは更に左手を上げると男の濡れた足下が透明な箱のようなものに包まれた。
「それは結界です。少しだけ足に力を入れて踏ん張ってください」
男は言われるがまま足に力を入れ椅子の肘置きを強く握る。結界と言われたその箱のなかに風が入り込み、ぐるぐると風が回り始める。
「お、おぉ、確かに踏ん張らないと足がとんでいきそうですね」
顔を青ざめながら、男は強がって言って見せる。
「これで大丈夫だと思います。一度触って見てもらえますか」
いつの間にか透明な箱も風も消えている。男はふーと息を吐き、自分の足元を触る。
「すごい・・・。乾いていますし、汚れもなくなっています。すごい・・・。これが魔法ですか、初めて拝見させていただきました。あ、あの貴族の方にこのような事までしていただき、大変恐縮であります。申し遅れました。私、トマス・バロットといいまして南部で商人をしております。終戦の知らせを伺い、新たな知見をとドナシオン王国を訪れておりました。知らぬとはいえ、貴族の方に大変失礼があった事何卒ご容赦をいただければ」
片膝をつき右腕を胸に当て緊張した面持ちでアンデルに挨拶をするトマス。突然の態度にアンデルは驚きながら返事を返す。
「トマスさん。あの、誤解なのでまずは座ってください」
床に膝をついていたトマスは言われるまま椅子に腰をかける。
「誤解とは」
「あの、僕は貴族ではなく平民です。たまたま魔法が使える平民で、それもあって今は魔法の研究をしているんです」
「平民で魔法ですか。申し訳ありません、魔法師はすべて貴族の方と伺っておりましたので」
「あ、あのその敬語ではなく楽に話してください。その話し方では僕も困ってしまいますので」
「あー、うっうん。えー、よし。いやー驚いた。驚きました。えーっと・・・」
「あぁ大変失礼しました。僕はアンデルです。この王立中央大学の魔法研究所で所長をしています」
「アンデルさん。アンデルさんは魔法研究所の所長さん。うん?この大学は魔法学というのは無かったと思いますが、神学の一部という感じですか。なにせ南部で魔法師なんてのはほとんどいないようなんで」
「いや神学の一部というわけではないんですが、この研究所自体まだ最近できたばかりなんです。魔法も、神から与えられ貴族しか使えないものでしたので、多分あまり研究とかされていないと思います。たまたま平民の僕が魔法を使えたということで、いろいろあって研究所が作られた。という所でしょうか」
『それは国の機密じゃないのか?こんなあっさりペラペラと南部の人間に話して大丈夫か?いや何かしら罠でもあんのか』
話を聞きながら、頭を目一杯働かせトマスは考える。
『これが罠なら、もしくは何かしらの偽装か?しかし俺をはめる理由は無い。残念だがそこまで影響力も金も持ってない。そうじゃないなら、こいつ。いやでも、仕立て屋の親父の言葉もある。本物の世間知らずかもしれん。いやしかし、平民でこの地位につける奴がお人好しで世間知らずなんてありえんぞ、くそ。思った以上に面倒くさい。しかし、もう少し食い込んでおきたい』
「それはなかなか、すごいもんですね。いやぁ、しかし魔法の研究とは一体どんなもんなんですか」
「あまり具体的にはないんですが、まぁ国のためになる魔法の活用みたいなものですかね」
「なる程、確かにお貴族様が研究するというと少し想像しにくいですが、言っちゃあれですが平民ならこそというところですかね。あと、すごく気になるんですが、あの血は魔法の研究に使ってるんですか街でも噂になっているようですけど」
「えっ、街で噂ですか!しまったなぁ。ちなみにどんな噂かわかりますか?」
「えーっと、大学に吸血鬼がいるやら吸血鬼を育ててるやらみたいなところですかね」
「そうですか・・・。結構広まってますか」
「うーん、正確にはわからんですが、酒のんでたら隣の席からその噂話が聞こえて来るほどには。それに、もしかしたらアンデルさんは気づいてないかもしれませんが、毎日街中を血の桶を持って歩く姿は間違いなく話が広がってると思いますよ」
「それはあまり良くないかもしれないです。研究の事ばっかりで、周りに全く頭を回せませんでした。吸血鬼とか、神の敵とかじゃないですか。失敗したなぁ」
トマスは続けて頭を働かせる。
「あの、アンデルさん。もしよければ、その血の桶なんですが、私の方で取り扱いましょうか。私も商人ですので、ご用命いただければ動きますよ。あと他にも色々必要ものがあればお手伝いさせていただきます。少しだけ、手間賃は加えさせてもらいますがあとは基本購入代金だけでさせてもらいます。それなら街中を血の桶を持って歩き回らずに済むかと思いますが」
「なる程、うーんなら一度お願いしてみようかな。何回かお願いしてみて、途中でやめたりしてもいいですか?」
「もちろんです。辞めるといいますか、必要でなければ頼まない。それで終いですので。」
「わかりました。じゃぁとりあえずお願いしますね。トマスさんに連絡したいときはどうしましょうか」
「そうですね、実はまだ王都の安宿暮らしなのでそちらにお願いします。場所を記してお渡しします。あと当面は毎朝お顔出しさせていただいてもいいですか。朝、血を届け必要な物品を伺い、あれば夕方にはお持ちします。そんな流れなら急用でもない限り顔を合わせられるかと思いますので」
アンデルとトマスが今後の確認をしていると、扉がノックされる。
「アンデル先生、事務のものですが失礼します。ドロテオ学長が先生にお会いしたいと連絡がありました」
「わかりました。今からお伺いしますとお伝えください」
扉越しにアンデルは返事を返す。
「アンデルさん。では私はこれで失礼しますね。明日朝また伺います」
「すみません途中だったのに、よろしくお願いします」
そうしてトマスが出ていくと、もう一度身支度をし学長室に向かうため研究室を後にした。




