7話「平八重美里の悶々」
午前七時。
日の上りの早い六月。
初夏の訪れを感じる心地よい風を遮断する様締め切られた教室の窓。
どんよりと湿り気を帯びた空気の充満する薄暗い教室の中央、何やら動く影を見つける。
今朝はいつもより幾分早く起きた。
と言うよりも、最近ではルーティンになっている恋愛漫画を読み耽けり、巷で話題の恋愛ドラマを一気見した余波か、いつもより数段眠りが浅かった為、二度寝による遅刻の危険性を避ける為にも早めに登校してしまう事にしたのだ。
言わばリスクヘッジという奴。
恋愛においても重要な心構えだ。
教室へ向かう道中、誰一人として生徒とすれ違う事は無かった。
その為教室へは一番乗りかと思ったのだが、どうやら先客が居たようだ。
教室へ一歩踏み入ると締め切られたカーテンを端から開けながら中央、見慣れた顔のクラスメイトへと事務的に挨拶をする。
「おはようございます。今朝は随分と早いんですね」
「白石さん」
薄暗い空間が心地よかったのか、少し眩しそうに眉を傾げこちらを見上げる白石さん。
「おはよ〜。初恋君こそ珍しいねぇいつも時限ギリギリなのに」
「今朝は偶々眠りが浅かったもので、白石さんはニワトリの様に早起きで勤勉ですね」
彼女は大人しく席に座って何やら裁縫の様なものをしている。
小さな巾着袋には、クマのようなパンダの様な……珍妙な少し崩れた今どきのデフォルメキャラクターのワッペンが取り付けられている。
そんな彼女、白石萌心はこなれたように作業の傍ら手元から視線をこちらに移し話しかけてくる。
「ねぇ初恋君。ついにSNS始めたんだね!昨日はフォローありがとうね」
「少しSNSという物に年相応に興味が出てきまして、お試しです」
「でーもっ!ダメだよ〜?あんなにプロフィール個人情報明け透けに書いちゃ〜」
「ネットに出しちゃったものは二度と消えないんだからね」
住所等は勿論伏せてあるが、生年月日、学校名、氏名と公的書類に記入するレベルの個人情報を明け透けに記入してしまっている。
もし不祥事でも起こそうものなら一瞬で特定され晒し者になるだろう。
尤も白石 萌心の情報を手堅く得るための手段、そのアカウントの予定だった為そうした訳だが。
「さっそくさぁ〜?」
「何か投稿とかしないの?写真とかぁ…例えば日記みたいなのでもいいんだよ〜?」
「それが、生憎まだ慣れていない物で。慣れたら動物の写真でも投稿するつもりです!」
打算混じりの目的で作成したアカウントではあったが、公式におすすめされるがまま動物系アカウントをフォローして回った結果、タイムラインは動物達で一杯に。
そんなスワイプするだけで様々な動物の可愛い所のピックアップを見放題なSNSに思わず夢中になってしまっている。
動物をこよなく愛し、実は自らも一人暮らしの自宅沢山の動物を飼っている身、いずれ我が家の動物達もカッコ可愛く載せてあげようとそんな風に画策している。
「それにしてもなぁ〜...」
「初恋君が平八重さんと仲良いなんて私!びっくりだよ〜」
作業の傍ら、裁縫に集中しつつもこの二人だけの空間を取り持つ為、会話の糸口を見つけ広げてくれている様に感じる。
「目的が有って向かった先々、彼女とは偶然よく出会うので必然的に話す機会も増えまして」
「初恋君も、年相応に男の子してるんだね〜」
「十代の多感な時期ですからね、恋心の一つや二つあって然るべきですよ」
「それもそうだねっ!」
「でも...目的って言うのはちゃんと達成出来たのかな?」
「ええもちろん、滞りなく首尾よく進んでいます」
「うんっ!それは良かったねっ!なによりなによりっ!」
そんな中身がある様で無い様な、腹の中を探る様な探らない様な心理的ハードルを敷いた他愛のない会話を幾つか挟み、教室は段々と陽の光でもって明るく仕上がっていく。
しかし丁度、彼女のいる場所だけ日が当たらない。
日陰となったその席彼女の表情はこちらからは伺いしれない。
いつもと変わらない調子の彼女とそのふわふわとした声色から、今この場で得られる物は無いと諦め私信のやり取りへ意識を切り替える事に。
「吹寄君とはその後……上手くいっている様で」
ピクリッと視界の端の彼女が、その肩が不意に数回動いた気がした。
「うん……」
「おかげさまで仲良くさせてもらってるよ〜♪」
「その節はどうもお世話になりました、感謝してるよ初恋君♪」
思い過ごしだったのか彼女は先程と全くもって同じ姿勢と位置を維持している。
こちらへ向けられていた視線もやがて手元へと帰り元の作業へと意識を戻している。
その後も時折相槌のようなものを挟み、会話のキャッチボールは一切の遅延無く軽快に行われる。
年相応な他愛もないやり取り。
担任教師の機嫌が悪いだとか、体育は小雨でもサッカーだとか、誰と誰が不仲だとか、そんな話。
そして一番話題に上がるのはやはり件の彼、吹寄弓月の話。
「クラスのみんなもすぐ受け入れてくれて、順風満帆?ってやつだよ〜。本当ありがとね〜」
「いいえ。お二人共とてもお似合いだと思います」
そんな井戸端会議の様な所在無いやり取りをいつくか交わし、一人また一人と教室の扉を抜けてクラスメイトが入って来る頃、どちらからとも無く会話は終わり、クラスメイトに対する日常の挨拶へ自然と移行して行った。
────────────
「にしても……」
「平八重さん遅いですね」
放課後、既に教室内に残されているのは数名。
吹寄 弓月と白石 萌心が連なって帰るのを見計らって後を尾ける算段だったが、放課後直ぐに職員室に呼ばれてしまった平八重さん。
クラス長としての仕事だろうかやけに戻りが遅い。
そうこうしている間に、白石 萌心に合わせた歩幅でゆっくりと歩いていく吹寄 弓月達カップルは校門から姿を消していた。
「ごっ──────…ごめん!ごめんねっ初恋君!」
慌ただしく開いたままの教室の扉音もなく滑り込んで来た平八重さん。
委員長たるもの廊下を走る訳には行かない。
その為極限の早歩きで戻って来たようだ。
「遅いですよ平八重さん。吹寄君たちの姿は既に見えなくなってしまいました……」
「先生に急に呼ばれちゃって…」
「なんでもこのクラスで盗難があったらしくてね?」
「盗難?また学び舎では聞きたくない物騒な話ですね」
「うん…それも白石さんの私物みたい!」
「本人は大した物でもないから犯人探しするつもりはないみたいだけれど...」
「先生からは一応再発防止の為の注意みたいな事をお話されたの」
盗まれたのは白石萌心の私物。
彼女お得意の裁縫、ワッペンをつける前の巾着袋を一枚机に置いて出たタイミングで何者かに盗られてしまったようだ。
「年頃の男子なら白石さんの私物はさぞ魅力的に映るでしょうね」
「男子とは限らないんじゃない?女子人気もあるし…それに好意的な感情だけじゃなくて、きっともっとドロドロしたモノかもよ?」
「吹寄君もモテますからね。雰囲気イケメンですから」
「雰囲気じゃないよっ!ちゃんとイケメンだよっ!」
「そんな事より、二人を追いかけましょう。距離が空いた分尾行では返って好都合かもしれません」
遅れた彼女に気を遣わせないようにそんな一言を付け加え、業務的なやり取りも程々に、既に見送った彼等の背中を追うため足早に教室を後にする。
──────ほっほっほっほっ……はぁ〜…。
校門を抜け、駅の方向へひた走る。
肩にかけたスクールバックの中重たい教科書と弁当箱が揺れ動きガッチャガッチャと喧しく耳元で鳴り響く。
上下に揺さぶられる荷物の重力で、足がやけに重く直ぐに疲れ始める。
「は…初恋君……ちょっと、ちょっと歩きたい…かも」
「恐らく二人はまだ駅に着いて居ないと思いますが…そうゆっくりは…」
「いえすみません、少し歩きましょうか」
荷物を担ぎその重さに四苦八苦しているこちらと同様にスクールバックを背負う形の平八重さん。
決して体力が無い訳ではない彼女が、ここまで疲労の色を見せているのには彼女の体質、一重に身体的特徴が寄与しての事だろう。
高校生に付いていていい範疇を超えた特大サイズの双丘。
暴力的なまでのそれが重力に逆らい、バックの荷物同様乱暴に上へ下へ。
それが彼女の体力を根こそぎ奪っている様だ。
運動神経や体力に自信のある彼女も、自らに科せられたこの枷が絡む事柄はどうにも苦手な様である。
「取り外し出来たら良いですね…」
「はぁ…はぁっ──────えっとなんの話かな?」
「いえ、僕とした事が失言でした」
少しの休憩の後、彼女の体力が戻った頃再度気合いを入れ直すと今度は駅までを早歩きで向かう。
「見えた!」
大声で指を指す彼女を制止し、サッと物陰に隠れる。
仲睦まじく手を取り合いお揃いのキーホルダーを揺らす二人の姿を後方から捉える。
駅構内の薬局へ寄り、その後百円均一のお店を二人見て回っている。
二人の視界には映らぬよう物陰を移動しながらやや距離を置いて観察する事に。
「あんなにずっと見せつける様に手繋いじゃってさ!動き辛くないのかねーっ!まったく」
眼前の二人の甘い蜜のような時間を真正面から受け止め、既に瀕死の平八重さん。
そんな彼女からは三秒に一つは彼らに対する愚痴がこぼれる。愚痴と言うよりは一方的なやっかみに近いが…。
「手を繋ぐ事は恋愛ホルモンと呼ばれるオキシトシンの分泌を促したり、健康面では血圧を下げたりと良い事だらけなんですよ平八重さん」
「ん〜もうっ!それとこれとは何とやらだよ初恋君!」
尚も溜飲の下がらない様子の彼女を引き摺り、買い物を終え駅のホームへ向かう二人の後を追う。
一番線、吹寄弓月の自宅方面の電車に乗り込む。
夕方十七時過ぎ、帰宅ラッシュの時間帯と重なり到着した電車は仕事を終えたサラリーマンや学生で所狭しとビッシリ。
これがただの下校ならば何本か電車を見送る事も検討したのだが、三つ隣の乗り降り口、吹寄弓月と白石萌心が半ば無理やり乗り込むのを見届けると、一も二もなく車内へ身を潜らせる。
「はっ初恋君!ちょっとっ、わたし乗れないかもっ!」
入口扉、優先席隣四隅に居場所を確保すると、入口でぴょんぴょんジタバタとしている平八重さんをそこに無理やり引きずり込む。
──────っむぎゅべっ!!?
「……はっはちゅがいくん…息できないかも〜っ?!」
「吹寄君の最寄り駅まで二つですから我慢してください」
「あっあと決してこっち向きにならないで下さいね」
デザイン最悪な人間に対しても僕だって年相応の感情は抱く。
こちらも一応の健全な男子という建前、彼女をこちら側に向かせると、どうしてもその暴力的な二つの山に埋もれる事になり社会的な死と窒息死は免れない。
その為入口扉に向かって立たせられた平八重さんは自らの胸に押し潰される形となっている。
その後扉が開く度に双丘を扉に挟まれては顔を赤くして自らの手で無理やり押し潰し、扉を閉め、また潰される。
そんなムーブを何回か繰り返し、目的地となる駅へ到着する。
「白石さんもここで降りるんですね」
「…平八重さん?邪魔ですから放心してないで早く降りて下さい」
「はぇ〜…はっ!...もうっ酷い言われ様だよ」
顔を耳を真っ赤に染め上げ、息の荒い様子の彼女。
半ば放心状態の背中をそっと押し出し急ぎ下車する。
降りた先、吹寄弓月の最寄り駅。
ホームで名残惜しそうに見てられない致死量のカップルムーブを交わし別れる二人。
その後吹寄弓月は真っ直ぐ家路へ。
白石萌心は彼を見送った後仕切りに時間を確認した後、再度電車へと乗り込むかと思われたが…
「出ましたね、改札」
「えっ?どうゆう事、白石さんもここが最寄り駅ってこと?」
「分かりませんが…とにかくついて行きましょう」
改札を抜け、吹寄君の向かった先とは逆側に迷い無く進み続ける白石萌心。
そのスピードは常軌を逸していて、街ゆく早歩きのサラリーマンを次々抜いていく。
平八重さんと物陰に身を潜めながら彼女を尾けているが、少しでも目を離したら見失ってしまいそうな程。
開発された駅周辺からさっさと離れ閑静な住宅街を抜け、車の往来が無い細い小道を抜け彼女がやって来たのは──────。
「──────幼稚園?」
まるで予想していなかった場所に、白石萌心は一切の迷い無く入っていってしまった。
「白石さん、小さい小さいと思っていましたがまさか幼稚園児とは…」
「なにバカな事言ってるの初恋君…拾ってあげないからねそのボケは」
冗談を一切拾って貰えず思わず子供のようにいじけるが、直ぐに思考を切り替える。
ターゲットである白石萌心が出てくるのを物陰にて今か今かと待つ。
十分もしない内、保育士さんといつもどうりのふわふわとした声色で挨拶を交わす白石萌心の姿が見える。
「白石さんの家族構成って思い返せばまったく知らないかも…」
「うさぎを模したドールハウスの住人と言われても通りそうですもんね」
ミニチュア玩具の世界。
二足歩行へと進化を遂げた動物達の中、大きなおうちでお姫様でもしていそうな彼女。
「意外と皆、表面的な所だけを注視しその中身は見ないものです」
彼女の目的は恐らく家族のお迎えだろうと断定付ける。
引き続きその動向を見守ると、他の園児達の後彼女も入口から出てくる。
「ほらっ帰るよ〜っ──────!!」
「れいな!あゆ!さら!ひとみ!」
仲良く手を繋ぎ寝てしまった、いや寝たフリだろう一人を背中に背負い前にも一人無理やり抱きかかえるように現れた白石萌心。
「よ…四人!?」
「白石さんの子供ですかね」
「そんなわけないでしょ…」
四人全員女の子、白石自身を含めれば五人姉妹という事になる。
歳の頃は全員五歳程、白石萌心とは十歳程度全員離れている事になる。
「え〜みんな白石さんに似てる!可愛いね初恋君!」
「産まれたばかりのハムスターみたいであどけなくて可愛いですね」
「んっ…なんか癪だけどそれは少しわかっちゃったよ」
わらわら〜っと白石さんの周りをウロチョロする小さき者たちに思わず頬が緩む。
そのまま手を取り合い歩いて帰る様子に慌てて尾行を再開する。
「ねぇ〜!れいなタオル持って帰ってきて無いよっ!あゆも連絡帳置いてきたでしょ?」
そんないつもとは雰囲気の違う白石萌心に悪いとは思いつつ思わず聞き耳を立てる。
一駅分程歩いた所で細い抜け道の様なところに入り、辺りを見回すとなんとも言葉にしづらい…モダンハウスと言えば聞こえはいいが木造平屋建てのオンボロハウスへと入っていった。
「平八重さん、僕はもう白石さんが吹寄君に隠している理由が分かりましたよ」
「奇遇だね初恋君、私も同じくわかっちゃったよ」
白石萌心を白石萌心たらしめるブランド力。
緩く巻いた腰程のブロンドの髪、長く整った睫毛、幼い見た目ながら完成されたまるで精巧な人形の様。
西洋のお姫様の様な彼女が同級生は勿論彼氏にすら秘密にしている事。
オンボロ古民家の大家族という余りにも庶民的すぎる実態。
「それにしても…古くて小汚い平屋ですね〜」
「初恋君、言葉を選ぼうね…」
ツタや苔の生えたトタン窓は寧ろ趣すら感じる。
子供五人を不自由なく学ばせて、健康的に食わせれている事から決して世帯年収が低い訳では無いのだろう。
…が食い扶持が多すぎる故の破綻といったところか。
庭には不細工な手作りのバスケットゴールと古く薄汚れて空気の抜けきったバスケットボールが幾つか転がっている。
「多頭飼育崩壊…って奴ですね」
「動物で例えるのやめなって…人間も一応動物だけれど」
何にしてもこれで白石萌心とその秘密を暴く事に成功した。
あとは吹寄弓月に報告するだけなのだが…。
「これを一体...どう報告したらいいものか」
見たもの全てを明け透けに伝えてもいいが、それが必ずしも二人にとって正解とは限らない。
そんな風に決めかねていると、隣でなにやら神妙な面持ちの平八重さんが、満を持した顔で口を開く。
「あんなに沢山の子供…コウノトリさん大変だったよね…きっと。」
「…はい?」




