3話「平八重美里の大敗」
放課後の教室
締め切られた遮光カーテンの隙間から溢れる夕日が誰かの置き去りにされたエナメルバッグに反射して思わず目を細める。
ホームルームを終え、荷物をまとめると皆思い思い、自らの属するグループの友人達とこれからの予定について歓談している。
先日の歴史的大敗の後、まるで歩く屍のように帰路に着いた。
感覚の無い身体を強引に引き摺り自らの住処へ帰巣本能だけで歩を進める。
上の空、心ここに在らずとはこの事か。
自宅、借りた体操服を乱暴に洗濯機へ投げ入れるもすぐに自らの感情的な行いを後悔し、慌てて取り消すように丁寧にシワを伸ばしてから洗う。
自室へ戻ると電源が切れたかのようにベットへ身を投げる。
思考回路は止まり、知能指数はIQ3と評されるサボテン以下にまでも下落しているのを感じる。
──────ルルル♪ ──────ルルル♪
不意に鳴り響く通知音。
彼専用にダウンロードした特別な通知音。
眩しく映し出される液晶には想い人である彼からの週末恒例家族ぐるみの食事のお誘いのメッセージ。
一も二もなく、若干の申し訳なさを持ちつつも断りの連絡を入れる。
彼にとっても親に強制された煩わしい行事の1つ。
きっとその方が幾分好都合だろう。
思えば他愛ないやり取り、何をいつ送っても既読が着き返信が帰ってくるのは当たり前に数時間から遅ければ数日後。
そんなぶっきらぼうな幼なじみの彼。
親や共通の知り合いを介さない私信のやり取りを最後にしたのはいつ以来だろうか。
悶々とそんな事を反芻する様に考えている内、次第に瞼は重くなり、食事も入浴も日課のストレッチさえもその全てを置き去りに、気づけば翌日の朝を迎えていた。
──────
県立辻占高校、男女比が男子四割、女子六割のこの学校で入学から数ヶ月、男子女子共に人気を集め、一部ファンクラブさえ出来ている彼女、白石 萌心。
緩く巻かれた腰までの艶やかなブロンドの髪と、ふわふわとした洋菓子の様な雰囲気。
眠りを誘う様な甘く優しい声色。
何よりも、その高校生らしからぬ小さな体躯が、見るものを庇護欲と、あってはならない劣情で満たす。
「あの白石さん…これ!」
「──────?」
先日弓月に借りた体操着。
大敗による心身の疲れから昨日は思わずの寝落ち。
すっかり乾かす事を忘れていた体操着を慌てて今朝になり乾かしアイロンをかけ丁寧に畳んで持ってきた。
直接返すには少し勇気が足りなかった為、彼女を介して返却する事を選択した。
そんな自らの安易な選択が足を鉛のように重くさせる。
重過ぎる足を強引に引き摺り、そして複雑な心境を胸の内に抱えたまま彼女へ声をかける。
「白石さんごめんね、これ…弓月に体操着ありがとうって伝えてくれるかな?」
綺麗に折り畳まれた体操着を彼女に手渡す。
「うん任されたよ!平八重さんが元気になって良かったぁ」
甘く天女の様な微笑みに固く結んでいた表情筋が思わず無意識に緩むも謎の反骨精神で慌てて引き締める。
受け渡しの際微かに触れた指先がやけに柔らかくて、間近で見る彼女の、この世のものとは思えない造形美に思わず息を飲む。
これが白石 萌心。
運命だと信じて疑わなかった件の彼。
家族よりも近い距離、結ばれる時を今か今かと待っていた白馬に乗った幼馴染、吹寄 弓月が惚れた相手。
「……ッ!白石さん!」
「…?」
やり取りを終え、荷物を纏めスマートフォンで誰かにメッセージを送っている彼女。
恐らく弓月だろう。
待ち合わせでもしているのだろうか、数日前まで自分が居た場所を当たり前のように独占する彼女にダメだと分かっていても恨み辛みの様な物を憶える。
そんな心情のせいか、帰ろうと踵を返した彼女に見切り発射、思わず声をかけてしまった。
「弓月っ!白石さんに変な事…してないかな?弓月デリカシー無い所あるから…さ」
こういう時、取り繕ってヘラヘラとする八方美人な自分に嫌気がさす。
周りに合わせ敵を作らず、皆が幸せだったらそれで良いよね!
なんて机上の空論、夢の様な物を信念に生きてきたけれど、それが平八重 美里。
他でもない私と言う人物なのだけれど…。
「ごっ、ごめんね!今のなし!デリカシーないのは私の方だったよね..」
「吹寄君は…」
「帰り道、いつも重たい荷物を持ってくれるんだぁ〜...」
胸の内溢れかえったとっておきの宝石箱。
大事な物を見せびらかす様に、頬を夕日より赤く染めここには居ない彼の事を話す彼女。
「私が用事で遅くなる時も、1人だと危ないから〜っていつまでも待っててくれるし」
「なにより…私の小さな歩幅に一生懸命合わせて歩いてくれるの」
「それがすっごく...」
「すっごくすっごくね...嬉しいんだぁ!」
「あはは...なんだか恥ずかしいね〜」
嬉しそうに惚気けた彼女は羞恥で上がった体温を逃がすように手をうちわ代わりにぱたぱた扇いでいる。
........................…知らない。
知らない知らない知らない。
そんな弓月、私は全く知らない。
二人連なって歩く時車道側を歩くのはいつも私。
荷物を持ってくれた事なんて一度だって無い。
歩幅だって、弓月の速すぎるペースにいつも必死について行っていた。
それが当たり前だと思っていた。
「そう…なんだね...」
「それに吹寄君はね......ううんっ、これは内緒っ!」
「なんだ...」
「ラブラブだね!そりゃこんなに可愛い彼女が居たら弓月も大事にするよね!!」
「そんなそんなっ!平八重さんだってすっごくすっごく可愛いよっ!」
「でも、その...ありがとうね?平八重さん」
「わあ〜っやっぱりこういうの惚気みたいで恥ずかしいなぁ〜あははは」
「あはは!あははは...あはは......はぁ...」
あ〜…もう居なくなりたい。
全てから逃げ出したい。
勉強も恋愛も毎週楽しみにしているドラマの続きも何もかもがどうでもいい…。
ここで私の物語を、これ以上恥を上塗りする前に、せめて綺麗なまま終わってしまいたい。
そんな気持ちに包まれる。
「引き止めちゃってごめんね白石さん!」
「あっ...それと」
「どうか末永く…………っお幸せにね!」
「うん!平八重さんにも素敵な人が見つかると良いね〜!」
絞り出した精一杯の虚勢。
曲解することも無く、真っ直ぐに言葉を受け取った白石さんは、満面の笑みでその小さな身体から伸びる小さな手を目いっぱい振りながらその場を後にする。
勝者と敗者。決着が着いたのならノーサイド。
そう心では分かって居ても簡単ではない。
見送るのは視線だけ。
去ってゆく彼女に手を振り返す事は…ついぞ出来なかった。
誰もいなくなった教室。
仄暗くなり始めた景色。
窓から外を見下ろすと校門では所在無さげに壁に寄りかかるかつての想い人、吹寄 弓月の姿が見えた。
次いで、小さな足をパタパタと忙しなく走らせ彼に近づく白石さんの姿。
そんな彼女の存在に気づいた弓月は慌てて姿勢を正し、極自然に彼女の荷物を自分の荷物と纏めて肩に担ぐ。
やや動きづらそうにしながらも空いた手を隣を歩く彼女と繋ぎ合わせ何度か視線を交わし幸せそうに帰路に着く。
「白石さんとなら、ゆづもきっと幸せだよね」
瞬きも忘れ乾いた瞼にも気付かず、彼等の背中が見えなくなるまで、私はその場からずっと動けずにいた。




