表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/18

2話「平八重美里の場合」


「俺がバスケでプロの選手になったら……その時」


「結婚してやるよ!!」

何時だったか彼の口から発せられた将来を想像させる二文字に胸を突かれる様な衝撃を受けた。


そして、そんな子供の口約束を糧に今この時までを懸命に、一心不乱に生きてきた。

例えばそれが一過性の気の迷いだったとして、そうだったとして、けれどもそれは確かに私の中で私という存在その全てを書き換えてくれた。


詮無い事で懊悩し反芻する。

酷く迂遠な思考回路。

そんな過去の私の下らない性根、その全てを否定する様に一見無駄かと思う事を堅実に積み重ねてみたり、柄にもなく水面下で誰の目にも触れない努力をしてみたり。

どこからともなく無尽蔵に湧いてくるこのエネルギーの名前はきっと紛れも無く...。


どこまでも打算混じりに利己的に。

こんな不器用にしか上手く出来ないのだけれど、そうでもしないと…とても正気では居られない。


だって本当は、今すぐにでも焦がれたい。


けれどもきっと、今の私じゃ彼には相応しくない。

ちゃんとずっと隣に居られるように、甘えてなんて居られない。


これから先の未来、彼の隣に居るのは他でもない私だと、最後に勝つのは私なんだと、雑輩達にこの身をもって証明してみせる。


募らせた想いは月日だけでは測れない。


想いの強さと貪欲なまでの現実主義。


それこそが私唯一の武器なのだ。



────────────




「──────ハッ!」

目が覚めると、見覚えのない無機質な白い天井。

なんて事はなく高校入学から半年、何度目か見覚えのある保健室のタイル貼りの天井。


「わっ!」

「ビックリしちゃった〜...起きたんだね〜平八重さん」


「顔色も大分良くなってるし、すっかり元気そうだね〜」


「...あれ?...白石さん?」


隣から不意に聞こえた声に思わずビクッと肩を二三度震わす。

傍らに腰を掛け、心配そうにこちらを見つめ寝台に横になる私の片手を大事そうに両手で握っているのは白石しらいし 萌心ほのみさん。

件の幼馴染、吹寄ふきよせ 弓月ゆづきの彼女だ。

クラスではその朗らかな印象とふわふわとした口調や雰囲気。

そして高校生とはとても思えない小柄な体型が、一部の特殊な層に絶大な支持を得ているらしい。

入学から間もない高校一年の二学期、既に一部の生徒間でファンクラブの様なものが出来ているらしい。


「あれ私なんで…保健室に...?」

口の中は強い苦味の不快感。

頭痛に動悸…何よりも、どんよりと陰りがさした重い心。


「教室で急に嘔吐しちゃって…私と吹寄君とで運んできたんだよ〜」


「あっ!もちろん掃除とかもね、しっかりしておいたから大丈夫!」

曖昧な記憶、着ていたはずの制服は気がつけば吹寄と名前の記入のある体操服に着替えさせられている。


「制服も汚れちゃったから着替えの関係で外に出てもらってたんだけど〜…」

不意に前へ移る彼女の視線を追うと、大きな人影が簡易的な仕切りの前に見える。


「…起きたか美里」

薄い宍色のカーテン。

その仕切りの向こう。

息を殺していたのだろう、不意に現れたバツの悪そうな表情で腕を組む彼を前に、思わず息を飲む。


「う…うん、ごめんねなんか。二人に迷惑かけちゃったみたいで、一緒に帰る所…だったんだよね」

曖昧だった記憶はやがて鮮明に。

眼前二人の存在が、数刻前の出来事が嘘や幻ではなく確かな真実である事を目の前の残酷な光景がこれでもかと物語っている。

真実を認識し再び込み上げる胃液を、これ以上心配かけまいと必死に噛み殺し無理やり飲み込む。

酸っぱくて苦い。




──────これは苦汁か或いは初恋の味か。



どこまでもバツの悪そうな彼とその隣、純粋にこちらの体調を案じてくれているであろう白石さんを見ると感謝や謝意よりも、抑えきれない邪悪な澱の様なものが胸の内とめどなく溢れて来る。


やがて込み上げる涙を…堰き止めた瞼の裏、その止め方すらも思い出せなくなる。


「もう…もう大丈夫だから、ほんとにごめんねありがとう」


「ゆづ……うぅん。弓月!体操服、今度洗って返すね!」


「さっ、私ももう帰るから。二人は気にせず行っちゃってよ!」

二人共どこまでも心配そうにこちらを気にかけてくれている。

だが、今は一人になりたい気分だ。

ましてやこれ以上、この二人を前に私は私では居られないだろう。

恥を上塗りする前に…、そう思い精一杯の作り笑顔でもって二人を後押しし、暗くなる前に連なって帰る事を進めた。


名残惜しそうにその場を後にする二人を目線と簡単なハンドサインで見送ると、閉まる扉の音を合図に、堰き止めていた涙が一斉に溢れ出す。


「ッ…………!!」

声にもならない呻き声のようなものが喉奥から不随意に溢れる。


今、たった今全て終わったのだと。

十五年間、産まれ落ちると同時に落ちた恋。

運命だ、両思いだと勝手に勘違いし、勝ちを確信したが故、現状に胡座をかいた。

まるで自らを幸せなラブストーリーのヒロインだと思い込み、酷く慢心していた。


圧倒的安全圏。

勝者でいられるそこに安住し半永久的に傷つかない様、進展も望まない、そんな防衛本能の様なもの。

そんな自分を過去に戻れるのなら力いっぱい殴り飛ばしてやりたい。


叶うなら彼に想いを、誰よりも先に伝えたかった。

それももう、今となっては全て手遅れなのだと、ようやっと理解した。


「痛い...痛いよぉ...ゆづ...私...っ!」

押さえつけた胸の内、手の届かない奥深く強く痛み続ける。

こんな痛みは今まで一度も味わったことがない。


こんなにも辛いなら、もういっその事楽に...──────。




「――『完璧なる女王の陥落。竹馬の友という甘美な檻に胡座をかいた少女は、夕暮れの教室で足元から崩れ落ちた。噛み砕くことも飲み込むこともできぬ絶望。恋は盲目、愛は瞠目、されど彼女の目は今、涙で曇り果てている……』。うん、これはいい、実に薄っぺらい臨場感があるな」


「──────ッ!?」


誰もいないと思っていた静かな保健室。

簡単な仕切りのみの横並びのベッド。

左隣から独り言のような、冒頭モノローグで流れる様な謎ポエムが聞こえて来る。


「誰か居たんだ…ね。騒がしくしてごめんなさい」

急ぎ涙を拭い、手の甲をシーツに押し付け乱暴に拭う。

泣き枯れた声を取り繕い、なるべく綺麗な声で謝意を込めて隣の人物へ簡潔に伝える。


「声に出す気は無かったんですが、こちらこそ失礼しました」

軽い口調で然程気にも留めていない、何も無かったかの様な軽快な声が隣から返ってくる。


──────シャ──────ッ


ふと不随意にカーテンが窓から吹き込んだ風に大袈裟に揺られる。

薄い仕切りのカーテンはその勢いのまま半分程開く。

少しの躊躇いを持ちつつ、隣人への挨拶を兼ねてほんの少し身を乗り出し隣を覗き込んでみる。



「初恋君…?」


「こんにちは、平八重さん。吹きすさぶ風がどうにも情緒的で、とても気持ちが良いですね」


覗き込んだ隣、顔色の悪い色白の男の子がベッドのリクライニングを最大にまで上げ、何かを一心不乱に書き記していた。

その傍らには彼の座高まで積み上げられた漫画雑誌の山。

そのどれもが、恋愛を表売りにしているロマンティックな雑誌達。

一心不乱にその分厚い雑誌を読みながら、同じ熱量でメモ帳にも何か書き記している。


見覚えのある見知った顔。

そんな彼は同い年、同じクラスの初恋はつがい 叶人かなと君。

高校入学から既に半年。

未だ直接二人きりでは話したことの無い?男子生徒。

入学当初その冗談みたいにロマンティックな名前と整った中性的な容姿のギャップから注目を集めたが彼自身が自ら周りと一定の距離を置き始めたことでその注目は一過性の物で終わった。

クラス内での彼の独特なテンションと価値観。

喋らなければイケメンなのに、なんて評されクラスの皆からは入学半年の今現在謎に包まれた変人という認識で通っている。



「今朝は寝不足で、昼過ぎから保健室で休ませて貰っていたんです」


「お陰で読書の時間が確保できました。保健室の無機質なベッドもたまには良いですね」


彼を見た目だけで表現するのなら清潔感が有り肌は絹の様に白くきめ細かく、顔立ちも整っているどこか女の子寄りな印象。

現在の体調不良による顔色の悪さも相まってどこか透明感すらある。


「そう...だったんだね」

「うるさくしちゃってその…ごめんね?」


「いいえ、とんでもない。寝ていた訳では無いので気にしてませんよ」

視線は眼科、彼の手元。

忙しなく捲られるページと綴られるメモ。

1ページめくる度に一喜一憂大袈裟に表情がコロコロ変わっていく様子はまるで子どもの様。

そんな彼の言葉遣いは同い年とは思えない程綺麗で、年相応それ以上に落ち着いている印象を受け、目の前の行動と言動に強く不思議なギャップを感じる。

そんな見た目だけならモテて仕方なさそうな要素で構成された彼が周りから変人扱いされている理由がやはりどうにも見当たらない。


いわゆる世間の認識と私の中での彼の印象とでは然程の差異は無い。

だが目の前の彼を見るに凄く紳士的で取っ付きやすく、世間から評される変人とは程遠い印象を受けとった。


「あ〜ぁクラスメイトに恥ずかしいところ見られちゃったな〜...」


「あのさ!提案なのだけれど...何も見なかったことにしてくれるかな?」

恥ずかしさで居た堪れなくなる。

思い出して声が震える、喉元をぎゅっと締め付ける事でなんとか耐える。

目の前の彼の表情からは冷やかしや中傷めいた物は感じ取れない。

それどころか視線は手元へ向きこちらを見てすらいない。


「溜まりに溜まった作品達を読み耽っていたので、会話自体そこまで鮮明には聴いていませんよ」

「僕は物語に深く没入するタイプなので」

自慢げに積み上げられた雑誌達を指さすと一冊こちらへ見せてくれる。


「そっか……そうだよね。なら良かったよ」


「人の恋愛ごとなんて、案外周りは興味無いものだよね……」


「そんなに心配しなくても平八重さんの歴史的大敗、圧倒的大番狂わせな失恋に関して、ある事ない事吹聴して回ったりはしませんよ」


一瞬の沈黙の後、ボソッと小さな声で漏らされたその言葉に、大袈裟に狼狽してしまう。


「れ、歴史的...大敗!?」

聞き捨てならないが、事実に他ならない揶揄を無理やり嚥下する様に飲み込む。

再び彼へ視線を戻すと、こちらの心情など露知らず何処か嬉しそうで、同時にどこか所在無さげな表情で、何とも言えないそんな雰囲気を纏い口を開く。


「初恋君それってどういう……」


「これ」

「...?」


「僕が毎月欠かさず発売日その日に読んでいるこの作品!おとめ×ランブル!」


「連載初期からずっと追い掛けてる、この青春に致死量の砂糖を加えた様な恋愛漫画!なんと既刊46巻!未だに主人公とヒロインは付き合ってすら居ません!」


自ら読んでいた雑誌をグッとこちらへ開いて見せ付ける彼。

見開かれたページでは少し距離感のある男女がどこか余所余所しくも初々しく手を取り合っている。


「恋愛漫画でディーティング期間をここまで引き伸ばした作品が過去あったでしょうか!?」


「物語は青春を根本に、高校の部活を舞台にしたありきたりで幸せな結末が約束された青春群像劇。展開はどれもご都合主義でチープな物」


「けれども僕は、この恋に出会ってしまった...!この一作品、誰かの恋路...」


「その続きが気になって気になって…今では夜しか眠れません!」


付かず離れずに40巻以上掛け、少しの進展を更に数巻に分けた迷作。

月刊マーガリン創刊以来のエース作品、おとめ×ランブル。

数多の女子を虜にする恋愛漫画を多数抱えた、女子で知らない者は居ない漫画雑誌、月刊マーガリン連載十年目の超看板作品だ。


「あっその作品!途中で読むのやめちゃった奴だ...。小さい頃読んでた記憶があるけれど、私の好きなキャラクター達がみんな報われなくて...」


主人公とヒロインが紆余曲折を経て結ばれる為だけに動かされる周りの雑輩な登場人物達。


ご都合展開の為に被害を被るのは何時だってそんな彼、彼女等だ。

誰かの勝利の陰にはかならず立役者が居て決して日が当たることはない。

そして勝者が居るという事は、すべからく敗者が居るということ。


主人公へ長年想いを寄せる幼なじみが、ぽっと出のヒロインを後押しする為になくなく身を引く。

そんな幼なじみを好きな親友キャラもそれと同時に失恋する。

勝者と敗者の数は比例しない。

敗者とはたった1人の勝者以外の大多数全ての者を指す。

そんな実力主義な現代風刺的なラブストーリー。


「皆が報われてしまったら、恋愛なんてものは成立しませんからね」


「それにしてもこの作品は周りの犠牲を受けて尚...少し迂遠過ぎるとは思いますが」

このペースなら史上初の恋愛漫画で100巻の大台に乗ることも夢では無い!

なんて雄弁に語る彼を前に、思わず気圧されてしまう。


「そういえば、好きな言葉があったんだよ。本当最初の方、主人公とヒロインが皆の後押しを受けて初めて心を通わせるとき...」


『恋愛とは出口の無い、答えの無い迷路の様な物だ。突破する為のエネルギーはエネルギーコスト上昇のこの時代計り知れないものだろう』


「そうっ!それそれ!懐かしいなぁ〜」


「チープだけれど、噛めば噛むほど味がする...そんな言葉ですよね、僕も好きですこの謎ポエム!」


「彼らは、一体あと何十巻掛けて付き合い、交際してから何十巻掛けてどの様な顛末を迎えるのか…」


「恋愛漫画はそれを誰より全知的な特等席で観測できる、フィクションにはそんな良さがありますよね!」



「うっうん、そう...だね?」

眼前の彼、初恋叶人は最初の謎ポエムの様な…そして謎のメモの様な物を書き記していたノートを傍らに置くと視線が不意にこちらに向けられる。

品定めをする様な獲物を見つけた様なそんな目つきと表情で目と目が合い視線が交差する。


数分、いや実際には数秒間。

体感時間無限に感じるその間一切その視線を外すこと無く前、こちらだけを黙って見据えている。

一説には6秒間目が合うと好意が芽生え、強く惹かれ合うなんて恋愛心理学において嘯かれているが…。


ぶつかり合う視線に耐えかね思わず目を背けそうになった時、──────ずいっ!っと

半身勢いよくこちらへ乗り出して来る彼。

瞳が、そのさらに奥、虹彩を超えた瞳孔までもが視認できる距離。


あっ…初恋君、彼...睫毛凄く長い──────


「恋という物はため息と涙で出来ている」


「誰もが知る劇作家、シェイクスピアの名言です」


「しぇいく…誰?」


「彼は、今では当たり前な恋愛漫画やそれに類するテンプレート、ひな型や様式美...その全てを作った人物です」


「心理描写はどこまでも艶めかしく繊細で、今では王道と呼ばれる展開の殆どは彼が世にもたらした物です」


「尤も400年も前の誰か個人の思想、見栄えよく剪定された言葉より、動物的本能を体現した青々しくも理性なき言動の方が僕には魅力的に見えますが」


「うぅん?...えっと、どうにも理解が追いつかないや...わたしダメダメだね...」


「平八重 美里さん。漫画や映画、フィクションではない本物の恋をしているあなたは今、一体どんな気持ちに包まれているのでしょうか?」


「どんな気持ち……?」


「僕知りたいんですよ、本物を」


「彼の言う通り、恋はため息で形成されていましたか?」


「涙はどうしようもなく、ついてまわる物なのですか?」

ワクワクと期待のこもった表情。

突拍子も無く脈絡も無い、空気の読めない他人を慮る事の一切が感じ取れない質問。

だが、まるで会話を通して催眠にでも掛けられたかの様な不思議な思考回路と不思議な時間。

やけにふわふわとする体内が自然と口を軽くする。


保健室のエタノールの鼻をつく強い香りのせいか、窓から吹き込む季節由来の匂いか、はたまた彼の醸し出す独特なテンポや雰囲気のせいか……。

逡巡思考を巡らすも淀み強くかかった靄を内に秘める事に限界を感じ思わず口から溢れ落とすように吐露してしまう。


「気持ち、そうだね...」


「悲しい、苦しい。ため息も止まらないかも...それに涙も...ね」


「それではやっぱりっ...!」


「ううん…でも、それよりも何よりも」


「すっごく悔しい!...かな」


「悔しい、ですか?」

少し考え込むような仕草で俯く彼を前に、先んじて口から出た言葉達を皮切りにぽつりぽつり零れ落ちていく。


クラスの親しい間柄の子達にはきっとこの先一生吐露できないであろう暗く淀んだモヤモヤ。

なんでもないただのクラスメイト、それもどこか浮いている害の無さそうな彼にだからこそ、壁打ちの要領でぶつける事で楽になろうと画策してみる。


「弓月とはね、産まれた時からずっと一緒に居たから、当たり前に何の疑いもなく、いつか時のタイミングで結ばれると思ってたんだぁ...」

一人、あの瞬間から悶々と頭の中繰り返し反芻している。


『なんで…私じゃないのだろう?』


『いっしょに過ごした時間は一体...』


「確かに...吹寄君と平八重さん。両者共にクラス内外問わない人気者で、恋人同士になったのなら、それはお似合いだろうと、僕も陰ながら勝手に思っていました」


「少なくともご都合主義なフィクションであったなら必ずそうであったと断言出来ます」


そう、私たちは誰から見てもお似合いで。


けれどもこれは作られた物、フィクションなんかじゃなくて、残酷にも正真正銘本物で……。


「そう…」

「そうだよ、そうなんだよ……」





「──────やっぱりそうなんだよっ!!?」





二人連なって歩くはずだった未来を想像して、涙と大聲が自然と同時に飛び出す。


「うんうん、忖度なく本心本気でそう思います」

第三者からの肯定的な意見を受け、自らも強く思っていたお似合いの四文字に強く反応してしまう。


今から数時間前の朝、眠気まなこで目覚めた時の事から順繰りに思い出す。


「だってね、今朝もいつも通り、登校する時にはお家まで朝早く起こしに行ってご両親にもいつもの様に挨拶したの!」


『あぁ、美里ちゃんが弓月のお嫁さんだったら良いのにねぇ〜』


「なんて例のごとく言われちゃったりして、面倒くさそうに起きてくるゆづの寝ぼけた顔が憎らしくも可愛くて…」


「そんな少女漫画な1日を素で遂行してたんだよっ!?」

産まれた時からお隣さん。

幼稚園から小学校、中学校から高校と繰り返してきた長年のルーティンワーク。

当たり前だと思っていた、それはまるで無意識下に吸って吐く、一分間に二十回行われる呼吸の様に、至極当然に。


特別に用意する彼の為の時間、彼の為だけに早起きする朝が面倒だと思った事も幾度も数え切れないほどにあった。

でもその時間が、面倒臭いと思う感情までもが、どうしようもなく…たまらなく好きだった。


「なのにっ──────!なのにさ…なんでよっ!」


叩きつけた拳は虚しく包布にシワを残すだけ。

あぁ、どうにも情緒が不安定でいつも通りの自己を形成する事が出来ない。

取り繕ろおうと纏った端からすぐに崩れ去ってしまう。


眼前、静かに話を聞いている彼は少し気圧されてはいるものの真剣に私の一言一言に耳を傾け、一つも溢れ落とさないよう傾聴に徹している。

そして時折、ノートへペンを乱雑に走らせる。


「──────はぁ……ごめんね、今落ち着くから少しだけ時間を...ください」


──────スゥ...はぁ...やはりため息は止まらない


「いえ、思ったよりも元気そうで何よりです」


ベッド横、自らの荷物の隣。

二人が置いていってくれたお水を勢いよく飲み干し熱くなり暴走した内部を強引に冷やす。

彼を壁に見立てる事により少しばかり気が紛れる事を確認した為、引き続き他愛もない会話を続けている。


「さっきのポエムみたいなのさ」


「もしかしなくても私の事...でしょ?」


ポエムの様なそうでは無いような…界隈に明るくない為何となくの認識ではあるが、物語を簡潔にまとめたモノローグの様な、そんなイメージ。


「ええどうにも癖で、悪癖だとはわかっているんですがこれがなかなか治らず」


ニコニコと朗らかな笑顔の初恋君。

やはり彼に対する大衆の印象は単なる決めつけなのではないだろうか。

彼と話していると言い様の無い、どこか不思議な感覚を憶える。

落ち着く様な、でもそれでいて全て見透かされている催眠誘導の様な、或いは何か試されているような...。


「初恋君は、意外とメルヘンチックな一面を持ち合わせて居るんだね?」


「まさか!僕ほどメルヘンチックと程遠い人間はそう居ませんよ」


「そうかなぁ?でもやっぱりどちらかと言うとロマンティック?の方が似合ってるかも?」


「そういえば、初恋君とこうして二人で話すのは初めてだったかな?」


実りがあるかどうかはさておき、頭をほんの少し使う会話を経て、やがて取り戻し始めた自分という形。

余裕の生まれた僅かな隙間、ほんの少し微笑みを持って彼に問いかけてみた。


「いえ」


「入学当初一度だけ。僕からお声かけしてます」


「えぇっ!...その、覚えてないや...ごめんねっ?」


覚えてない...、いや!こんな印象の強い彼を私は本当に覚えていないのか?

記憶を遡り探してみる。

思い当たるとすれば...あれは入学当初の事だったか。


新入生に等しく訪れる引く手数多の部活の勧誘。

彼はその全てを即答で断り、自らよく分からない部活を立ち上げた。


そんな話が風の噂に乗って耳に届いたその頃合い──────。

「......あ」


「部活の勧誘。もう随分と前の事です忘れているのも無理はありません」


「健康的で文化的な最大限の恋愛を営む部、略すと頭文字をとってMCML部」

分かりやすく手前のノートに書いて見せてくれる。


「尤も、略す必要性は皆無ですが..様式美的に」


「なんかそのキャッチーな響き…思い出したかも!その不思議な名前は初恋君が考えたの?」


「僕が考えました。そして以前の勧誘時にも、今と全く同じ反応と質問をしていましたね」

面白そうに笑う彼の表情が荒んだ心には丁度良く心地よい。

次第に鮮明になる記憶。

彼が何やら珍妙な部活を立ち上げたと噂になった頃確かに勧誘の様なものをされた覚えがある。

校舎裏へ呼び出され、告白でもされるのかと緊張で身構えていたのだが、待ち構えていた彼は手書きの拙い説明書の様な物を持ってプレゼンテーションしてくれた。

だが空返事で直ぐに断りを入れた記憶が蘇る。



「…うんたった今全部思い出したよ。コンセプトが不明で怖くて断ったんだったね」


「あはは、平八重さんにお声かけかけしたのはその正直な所が魅力的だったからかもしれませんね」

魅力的、なんてそんな言葉を気軽に異性に臆面も無く吐けてしまうのだから、彼はきっと恋愛や異性との付き合いにおいて経験豊富で、恋人に困った事なんてただの一度だって無いのだろう。


「お恥ずかしい事に、今現在も部員は僕一人しか居ないので、活動は趣味の延長みたいなものです」


「平八重さんの言う先程のポエムの様な物。実は的を射ていて、簡潔な活動報告の様な物なんです」

活動に際し付ける備忘録の様な物。

それも簡潔にまとめあげた一口サイズの。


「理由は簡単で、この方が楽なんですよね」

逐一の進捗を時系列に沿って事細かく書くよりも、簡潔な物語調にした方が幾分書きやすくそして分かりやすい。

そんないい加減な理由。


『健康的で文化的な最大限の恋愛を営む部』


部員は彼一人、顧問も着任していない為非公認の部活であり、未だ日も浅く活動実績の少ない謎に包まれた部活。

しかし、その突飛な名前と珍妙な彼の存在が不思議とその名前を記憶させていた。


「名前の通り恋愛を生活ベースに落とし込む為に試行錯誤する...単純で明快な部活です」


「なんだか改めて聞くと、今になって少し気になるかも...」


「平八重さんに手酷く振られてから早半年、ようやっと少しの興味を持ってもらえたようで」


気になる…思わず口にしたその響き。

そんな私の声を聞き漏らさず、すかさず待ってましたと云わんばかりに拾い上げる初恋君。

整った顔と変わらないテンション、そして貼り付けた様な明朗な表情でこちらを見ている。


コホンッとわざとらしく一度咳払いをする彼。

すかさず体勢を整えると、変わらない表情で真っ直ぐに視線を合わせて話し始める。


「平八重さんは、恋愛が脳や体に齎す影響をご存知ですか?」


「う〜ん………なんだろう?」


夢中で走って走って、でも疲れる事なんて決して無くて、どこか幸せで満たされた水中に浮いた様な、それでいて底から炙られている様な焦燥感もある……そんな感じ。



これを私なりに言語化するのなら──────


「──────...幸せドキドキ?」


「それも……間違ってはないかもしれませんね」

終始朗らかだったはずの初恋君の表情が、眉尻がふと困った風に下がる。

少し思考の浅い稚拙でチープな発言だっただろうか。


「例えば…ドーパミン等の快楽物質による強い幸福感とリラックスホルモンの分泌。心身にプラスに働く活力や痛みの抑制効果なんてのもあります」


よく恋愛で周りが見えなくなるのはこのリラックスホルモンによる注意力の低下なんかが大きな原因らしい。

「へぇ〜...改めて認識すると恋ってすっごいね〜」


「ええっ!恋って凄いんです!」


「それに他にも...てっダメだ、あははは!」

話の途中、なにか堪えるような仕草をしていた初恋君は咬み殺すことに耐えかねついには吹き出す。


「なにっ?なんでそんなに笑ってるの?!」


「あぁいえ...幸せドキドキがどうにも喉元に引っかかってまして…えぇ本当、大丈夫ですから、ふふっ」

困った顔、下がった眉。そのどれもがただ笑いを堪えてるだけだった。


「なによ〜…そんなに笑わなくてもいいじゃない…」


「いえ...実は」


「平八重さんの認識が甘い訳ではなく、皆が皆、恋愛に関する捉え方なんて案外そんな曖昧な物なんです」

彼は言う。

大体の物はその形を成していて、言葉で身体で知識で行動でその物を表す事が出来る。

しかし形の無い感情、取り分け恋に関して。

誰かに対して募らせるこの本能由来の感情について…未だどこか不明瞭でその実態を上手く掴めずにいる。

悲しみや驚きに勇気。

数ある姿無き感情達。

そのどれも一つ二つ或いは更に複数、確かな形がある。

けれども恋は、どこまで行っても不鮮明でまるで蜃気楼の様で、千変万化掴みどころがなくて...。


「恋は盲目、愛は瞠目とはよく言ったもので…」


「皆周りの顔色を気にして生きている現代。周りが見えなくなる程の幸福感を享受出来るのはきっと恋しかないのではないでしょうか?」


「恋愛という特別な感情を育て享受し、特別なイベントではなく日常のルーティンに落とし込む...それはとても満たされた幸せだと思いませんか?」

彼の口から発せられる恋や愛と言った単語。

特別甘いその言葉。

色にしたら赤かピンクか...そんな言葉たち。

ずっと好きだった夢の様なその言葉が今は耳を通る度に自然と痛みに変わる。


「ドラマや漫画や小説に映画。フィクションであっても十分に満たされる」


「けれど、そのどれよりも、間近で見る本物の恋愛達は美しく綺麗だ」


「泥臭くて生々しいですけどね」


「事実は小説よりも奇なり。フィクションに剪定されていない、生でしか観測できない得られない物が、確かにある」


小さい頃親に強請った分厚過ぎる少女漫画雑誌。

やけにめくり辛いページを一枚一枚ワクワクを胸の内に収めて読みフケた…いつかのわたし。

そんな既製なワクワクよりも十五年、生まれた時から携え、心を捧げた恋はそれを遥かに凌駕する程に身を焦がしていた。


「無類の評価を得る文学的心理描写よりも、声を振り絞り、臓腑を震わせ、身から切り出した本物の『好き』の二文字の方が遥かに魂まで届き心を震わせると僕は思います」


「僕は、そんな何者かの恋愛を誰よりも、当人達よりも特等席で見たいんです。まるで全知的な読者の様に、それでいてまるで僕自身もその物語の登場人物になったかのように」


酷く我儘で傲慢な願いだが、分かる気がする。

自分自身では無い誰かの恋愛に価値は有るのだろうか?なんて疑問は愚問だろう。

思えば少女漫画やドラマや映画のラブストーリー。

そのどれもが我々とは一切接点のない赤の他人。

そんな他人と他人の恋路とその結末を今か今かと待ち続けそれを胸いっぱいに享受する。

誰しもが当たり前にやっている事だ。

そのどれより高度に強度で堅牢な物。


それが彼が掲げる部活のスローガン。


「その為に必要なお手伝いをする。例えるなら恋愛の万事屋、何でも屋、近年ではコンビニ屋なんて言い方もあるかもしれません」

こんな時あんな時、誰か第三者の協力があったなら、もっと円滑に上手く進めれたのではないか…。

そんな手の届かないところのお手伝い。



「ですが…なかなか簡単には行かないものですね…」

入学早々志し高く意気揚々と立ち上げた部活。

手探りで闇雲に突き進んだ結果、このままでは活動どころか存続もままならない状態で圧倒的窮地に立たされている様だ。


「相談?依頼...ていうのかな?もう何人かは来てるの?」

素朴な疑問。

誰がどんな時にどの様な助けを必要としているのか。

ほんのちょっとの興味心。

もしかしたら弓月も...。


「最近だと、付き合いたての進捗の相談や彼氏彼女の素行調査に身辺調査。告白代行などの依頼が多いですね」

付き合いたての関係値、連絡の頻度や手を繋ぐタイミングに初デートの場所の相談、彼や彼女の周りに居る人間や当人の人間性の調査などなど...じつに多義にわたる依頼内容達。


「初恋君が告白代行だなんて、なんだか全く想像出来ないね」


「告白代行は...正直骨が折れます。なるべくは当人で行ってほしいものですね」

苦労の滲み出る表情をする初恋君。

目の前の彼のイメージが二転三転ガラリと変わっていく。

世間の評価と実際に見て感じた自分なりの評価の総評はメル変チックといったところか。

どこか掴みどころの無い人と言う総評だ。


「告白代行...か...」

もし...もっと早く彼と、この部活に出会えていたのなら弓月の隣に彼女として並ぶ未来はあったのだろうか?

後悔先に立たず、そんな『もしも』を繰り返し続ける脳内。


「…もし、もし私がお願いしたら本当になんでもお手伝いしてくれるの?」

自分の中、ふと暗く淀んだものが顔を見せる

生まれてから今の今まで感じたことの無い正体不明の感情。



「憲法で定める健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利、生存権」


「そこから着想を得たこの部活」


「僕個人の考えとして、そんな最低限度の生活には、自由行動な恋愛も入っていると勝手に思ってます」


「そして、その為にやらなければいけないこと...」


「坂道で転びそうな、困った人を助ける義務」


「なので」


『社会通念上宜しくない事以外は何でもします』


どこか誇らしそうな表情で思いの強さを雄弁に語る彼。


「最もここ数週間、一組しか依頼を受けていませんが…」

先程まで雄弁に語っていた表情態度とは一変、急直下、遠い目をしている。

何もない方向を少し悲しげな表情で見つめる初恋君。

そんな彼を見ているとやはり幾分か心が安らぐ気がした。



「あははっ、なんだか…初恋君らしい素敵な部活だね」

彼の雰囲気のせいか、見え隠れしていた正体不明な黒い物は気づけばすぐにその姿を隠していた。


「……本当に、素敵だね…」

けれどもやはり…口を通る笑いは乾いている。

愛想と愛嬌を保つための何でもない相槌が不意に顔を出す。


恋愛というものに、つい数時間前まで陶酔し浮ついていた自分。

今現在失意のどん底に沈み奥底に縫い付けられている。

恋愛に地の底まで叩きつけられ再起不能の致命傷を受けた私。

ただ漫然とした本能だけで自我を保っている状態。

とてもこんな恋愛をテーマにした不明瞭な部活に関わっている余裕など今の私には無い。


「一度振られてますから、もう入部してくれとは言いません」


「ですがもし、猫の手でも借りたいそんな時が来たのなら…今日この日この時何かの縁!平八重さんの依頼も僕がきっと叶えます」


「初恋君…」


「──────それにっ!」


「恋愛事は一見自分と相手の一対一と思われがちですが、周りの適度なサポートあってこそ質の良い唯一無二の恋愛になると僕は思います!」


(失恋から立ち直る手伝いもしてますよ!)

なんて甘い言葉を添える初恋君の誘いに思わず泣いて縋り、甘えそうになる。


情けなくて愚かな恋に恋する乙女だった数時間前かつての私なら、興味心でゆづの事を彼に依頼しその結果にキャッキャうふふの一喜一憂をしていたのかもしれない。


けれど


「ううん、せっかくだけれど、...大丈夫!」

目を瞑ると、瞼の裏には幼なじみであり恋慕の対象である彼が鮮明に浮かぶ。

あと何度、思い出して泣けばこの苦しみを超えることが出来るのだろうか。



「もう…もう私はね……」

恋に恋する自分が誇らしかった。

一体今まで何度、この思いに助けられて来たのだろうか。

きっとずっと、一生連れ添って歩く感情だと信じて疑わなかった...。



──────でも、もう今はちがう。

こんな思いをするくらいならもういっそ


「一生恋なんてしないからっ──────ッ!!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ