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第78話 ルスグラナ撤退

◇◇


 深夜の平原を貫いたあの白銀の閃光は、勝利を確信していたグランヴェル王国軍のすべてを焼き尽くした。


 国王レオポルドのキャンプ地が襲撃され、王の安否が不明であるという凶報は、疾風のごとき速さでルスグラナを包囲する王国軍本陣へと届けられた。


 天幕の中、エリオスによって招集された諸侯たちの顔は、一様に土気色に染まっていた。


「陛下が……あの爆発に巻き込まれただと?」

「なんという不覚。我らがいながら、このような……!」


 絶望と焦燥が渦巻く中、円卓の端に座すエリオス・リオンハートだけは、凍りつくような冷静さを保っていた。彼はまず、魔導通信機を介して王都にいるルクレール大公へと状況を伝えた。


「大公閣下。共和国の残党による攻撃により、陛下が負傷されました。現在のルスグラナ攻略は不可能と判断します。……これより反転、陛下を救出し、即刻帰国いたします」


 通信機の向こうでルクレールが息を呑む音が聞こえたが、エリオスはそれを待たずに次々と命令を下した。


「諸侯は直ちに撤退の準備を。シュタインベルク殿、貴殿には『殿しんがり』を命じます。ルスグラナからの反転攻勢は必至。我が軍の背後を守り抜けるのは、貴殿しかいない」


 ライナルト・シュタインベルクは、一度だけエリオスを鋭く見つめたが、力強く頷いた。


「承知した。死に物狂いで時間を稼いでみせよう」


 エリオスは一瞬だけ口角を緩ませると、自ら白馬に飛び乗り、先陣を切って燃え盛るキャンプ地へと駆け出した。


◇◇


 一方、勝利の叫びに沸くルスグラナ城内。


「やったぞ! 敵の王を討った!」

「ニック主任万歳! 共和国に栄光あれ!」


 ニックという貴重な知能を失った悲しみよりも、宿敵の王を生死不明にまで追い込んだという狂喜が、兵士たちの理性を麻痺させていた。だが、その歓喜の中心にいるべき男の姿は、どこにもなかった。


 参謀長レオニード・アルヴァレス。

 彼は混乱に乗じ、既に一人の市民として城を脱していた。


 郊外の鬱蒼とした森の影。そこで彼を待っていたのは、漆黒の馬を連れたアイザック、そして――。


「お父様!」


 聞き慣れた、愛おしい声。

 駆け寄ってきたのは、老いた母に手を引かれた最愛の娘、ソフィであった。


「ソフィ……! 母上……!」


 レオニードは泥にまみれた膝を突き、二人を強く抱きしめた。国家の英雄という地位も、軍人としての誇りも、この瞬間の温もりには到底及ばなかった。


「済まない……本当に済まない……」

「レオニード、お願いだからもう謝らないでおくれ。私たちは、こうして生きているのだから」


 母の言葉に、レオニードは声を上げて涙した。

 彼は祖国を裏切ったのではない。この小さな家族という、彼にとっての「唯一の国」を守り抜いたのだ。アイザックは無言でその光景を見守り、そして静かに、エリオスが待つ方角を指し示した。


◇◇


 夜明けを待たずに、グランヴェル軍の総退却が始まった。

 それを好機と見たルスグラナ軍が城門を開き、怒涛の勢いで反転攻勢を仕掛けてくる。


「一人たりとも逃すな! 王国軍を壊滅させろ!」


 迫りくる共和国の追撃隊。それを真正面から受け止めたのは、ライナルト率いる重装騎士団であった。


「陛下をお守りできなかった汚名、ここで濯がせてもらう! 獅子の意地を見せよッ!!」


 ライナルトは獅子奮迅の働きを見せた。

 彼の放つ一撃一撃が敵の先鋒を粉砕し、鉄壁の守りが共和国軍の勢いを削ぎ落としていく。彼が殿で時間を稼いだことにより、王国軍の損害は最小限に抑えられ、整然とした退却が可能となった。


 その頃、エリオスは地獄と化したキャンプ地の中心で、瓦礫の下に横たわるレオポルドを発見していた。

 王の身体は爆風に焼かれ、かつての威厳は微塵も残っていない。だが、エリオスが渡した護符のおかげで、その心臓は弱々しくも鼓動を続けていた。


「陛下。お迎えに上がりました」


 エリオスは痛ましい表情を浮かべ、すぐさま高度な応急手当を施した。

 意識のない王を自らの馬に乗せ、エリオスは風のような速さで退却の列へと加わった。


「急げ!!」


 背後で燃え上がるルスグラナの煙を見つめながら、エリオスの瞳には、王を救った「忠臣」としての光ではなく、盤面から不要な駒を取り除いた「支配者」の冷徹な輝きが宿っていた。


◇◇


 西の辺境領、領都ブランフォード。

 急報を受け、城門で軍勢を待ち構えていた大公ルクレール以下、王国の重臣たちの顔は、降りしきる冷たい雨よりも暗く沈んでいた。


 運び込まれたのは、かつて「獅子王」と恐れられたレオポルド三世の、変わり果てた姿だ。全身に火傷を負い、魔導生命維持装置に繋がれた王は、死の淵で微かな呼吸を繰り返すだけの肉塊と化していた。


「陛下を、寝所へ。王国中の名医を今すぐ集めろッ!」


 ルクレールの悲痛な叫びが響く。すぐさま王都や近隣領地から名の馳せた名医たちが招集され、不眠不休の治療が始まった。だが、王の容態は芳しくない。魔導爆発による「魂への干渉」を伴う外傷は、旧来の医術の範疇を超えていた。


 その医療チームの末端に、一人の青年がいた。ルカ・フェッラーロ。

 かつて天下一の名医と謳われながらも没落した、フェッラーロ家の末裔だ。彼はエリオスの命によりこの場に駆り出されたが、その胸中は複雑極まりなかった。


(なぜ、俺がこの男を救わねばならないんだ)


 ルカは、苦しげにうなされるレオポルドを冷めた瞳で見つめていた。

 兄の命を奪い、家門を崩壊に追い込んだのは、当時第一王子だったこの男が、強引に戦争継続を唱えたのが遠因だ。自分にとっては不倶戴天の敵。死んでくれた方がせいせいする――。


「おい、落ちぶれ! 手が止まっているぞ!」


 肥大した自己愛を纏った年長の医師が、ルカを怒鳴りつける。


「しょせんは没落したフェッラーロ家の残党か。ほら、さっさとこの汚れた包帯を片付けてこい!」


 医師たちは、ルカをまるで奴隷のように小間使いをさせた。ルカが少しでも専門的な意見を述べようものなら、「小癪な」「身の程をわきまえろ」と嘲笑が飛ぶ。ルカは拳を握りしめ、ただ泥水を呑むような屈辱に耐え続けていた。


 一週間が過ぎても、王の容態は悪化の一途を辿っていた。絶望が支配する評議室で、エリオスが静かに口を開いた。


「ルクレール閣下。……これ以上の停滞は陛下の命に関わります。ここは一つ、私が最も信頼する医術師に全権を預けてはいかがでしょうか」


 エリオスが指し示したのは、隅で雑用をしていたルカだった。

 医師たちの嘲笑が響く中、ルカ自身も戸惑いに顔を強張らせる。


「俺に……全権を? エリオス様、正気ですか。俺は……」


 エリオスは歩み寄り、ルカの肩に手を置いた。その瞳は、本当に何事もないかように、静かだった。


「自信を持て、ルカ。お前が今日まで積み上げてきた知識、耐え忍んできた歩みは、決して間違いではなかった。……それを今、ここで証明してみせろ。お前の家門の誇りは、他人の嘲笑などで消えるものではないはずだ」


 その言葉は、冷え切ったルカの芯に火を灯した。

 エリオスの期待。それは救いであり、同時に逃げ場を失わせる呪縛でもあった。ルカは深く息を吐き、澱んだ瞳に鋭い光を取り戻した。


 そこからのルカは、別人のようだった。

 彼は単なる治療に留まらず、幼い頃から読み漁った専門書から得た秘伝の薬草知識を総動員し、王の刻一刻と変わる容態に合わせた「オーダーメイドの調薬」を自ら行った。さらに――。


「クロエ、頼む。この術式を組み込んだ針が必要だ」

「任せてよ、ルカくん! 魔晶石の共鳴、最高出力で調整するね!」


 魔道具製作の天才クロエと協力し、血管内の魔導汚染を直接浄化する、前代未聞の医療器具を完成させた。医師たちが「邪道だ」と騒ぎ立てる中、ルカは一切の迷いなく王の胸に銀針を打ち込み、薬液を流し込む。


 そして。

 死の淵にいたレオポルドが、大きく息を吸い込み、10日ぶりにその目を見開いた。


「ば、馬鹿なッ! 起きた……陛下がお目覚めになったぞ!!」


 驚愕し、腰を抜かす医師たち。ルカは額の汗を拭うこともせず、自分を嘲笑い続けた医師の一人の顔を正面から見据えた。


「これがフェッラーロだ。バカ野郎」


 短く、吐き捨てるような一言。

 医師たちは一言も返せず、ただルカの背中を呆然と見送るしかなかった。


 それから一週間。王の容態は奇跡的な回復を見せ、ついに起き上がれるまでに至った。レオポルドは重臣たちに守られ、王都に帰っていった。


 さらに十日が経った頃。

 エリオスとルカの元に、国王直々の勅命が届く。王都への招聘である。


「まさか、バレたのか……」


 王都へ向かう馬車の中、ルカは蒼白な顔で呟いた。


「ゾヨラ伯爵の毒殺の件……」


 ルカの震えに対し、向かいに座るエリオスは、窓の外の流れる景色を眺めながら、どこまでも余裕の表情を崩さなかった。


「さあな。行けばわかるさ」


 エリオスの穏やかな微笑に、ルカは再び底知れぬ恐怖を覚えた。


(なぜここまで平然としていられるのだ……?)


 王都、謁見の間。

 玉座に座るレオポルドは、未だ顔に包帯を巻いた痛々しい姿ながらも、その瞳にはエリオスへの狂信的な信頼が宿っていた。


「エリオス・リオンハート。……そなたの先見の明と、忠義。そして送り込んでくれた医師の腕に、俺は救われた」


 王の声が響く。


「そなたを『侯爵』へと格上げし、西域の統括権を更なる強固なものとする。……そしてルカ・フェッラーロ」


 ルカが深く頭を下げる。


「そなたには『男爵』の位を授ける。……これをもって、フェッラーロ家の再興を認め、その医術を王国の至宝と宣言しよう」


 ルカの目から、熱いものが溢れた。

 没落し、泥水を啜り、消えかけていた家名が、今この瞬間、再び光り輝く場所へと戻ったのだった。



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