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第76話 ルスグラナ攻城戦

◇◇


 三〇三年、九月十四日。

 日付が更新された直後の深夜、ルスグラナの戦場を包んでいたのは、不気味なほどの静寂であった。城壁を覆う『アブソリュート・イージス』の銀光が、冷徹に月光を弾いている。


 その静寂を破ったのは、低く、しかし数千、数万と重なり合った不快な羽音であった。

 エリオスの号令により、クロエが開発した魔導虫――『星を喰らうアステラ・イーター』が一斉に解き放たれたのだ。


「なんだ、あの影は?」


 城壁の上、眠気をこすりながら見張りについていた共和国兵が、夜空に蠢く巨大な「黒い川」に気づき、声を上げた。

 魔力を一切持たぬその虫たちは、共和国の探知魔術をすり抜け、磁石に引き寄せられる砂鉄のごとく、膨大な魔力を放つルスグラナ城へと殺到した。


「火を放て! 虫けらどもを焼き払えッ!!」


 防衛兵たちが慌てて対人用の魔導ボウガンを構え、魔力を込めた矢を放つ。

 だが、それが破滅への引き金となった。


「――っ!? 弓が、ボウガンが光って……!」


 放たれた矢に、そして兵士たちが握る武器そのものに、『アステラ・イーター』が群がった。魔力を失い飢えた魔晶石が、ボウガンの動力源から強引に魔力を吸い上げ、パンパンに膨れ上がる

 直後。

 シュドォォンッ! という小規模な爆発が、兵士たちの手元で無数に連鎖した。  悲鳴と共に武器が砕け、使い物にならなくなった鋼の破片が石畳に転がる。


 だが、真の絶望はそこからだった。

 兵士の武器という端末の魔力を喰らい尽くした虫たちが、その主目標――城全体を包む巨大な魔力の塊である『アブソリュート・イージス』に、文字通り「たかり」始めたのである。


「馬鹿な。ありえん、こんな原始的な攻撃で……ッ!!」


 城内の制御室で、ニックは狂ったように計器を叩いていた。

 モニター越しに見えるのは、銀色の防壁に真っ黒に張り付き、魔力を吸い込んでは自爆を繰り返す数万の虫たちの姿だ。

 パチ、パチ、とガラスが割れるような乾いた音が、夜の空気を通じて城内に響き渡る。虫が爆発するたびに、世界一の硬度を誇ったミスリル級の城壁から銀の輝きが剥がれ落ち、生々しい石肌が露出していく。


 レオニードは、城壁の上でその光景を歯ぎしりしながら見つめていた。

 剣を抜いても、斬るべき敵がいない。魔道具を手にすれば、それが虫たちの餌となるだけだ。

 ニックの誇った「不落の盾」が、エリオスが放った「飢えた虫」によって、見るも無残に食い破られていく。


「効果が、落ちているぞ……」


 レオニードの呟き通り、夜明けが近づくにつれ、ルスグラナを包んでいた銀光は目に見えて淡くなり、やがて夜の闇に溶けるように消失した。


◇◇


 三〇三年、九月十五日。

 朝日が地平線を赤く染めた瞬間、グランヴェルの進軍を告げる太鼓の音が轟いた。  十日間の停滞を嘲笑うかのような、総攻撃の再開である。


「全軍突撃ッ!!」


 先陣を切ったのは、クロエが急造した新型の攻城兵器。魔力を一点に集束させて放つ『雷杭ライコウ』であった。

 魔導防壁を失い、ただの石造りに戻った城門が、雷鳴のような轟音と共に粉砕される。ミスリル級の強度は既に過去のものとなり、城壁は脆い土塊のように崩れ落ちていった。


 少し離れた小高い丘からはリアナ率いる弓兵隊の火矢が降り注ぎ、混乱する城壁の上をカイルの正確無比なボウガン攻撃が射抜く。

 カイルの放つ一撃は、物陰に隠れる指揮官の眉間を的確に捉え、共和国軍の統制を根底から破壊していった。


「怯むな! 撃って出ろッ!!」


 たまらず城門から打って出てきた共和国の精鋭騎兵隊。

 だが、彼らの前に立ちはだかったのは、白馬に跨るエリオスであった。


「無知なる抗いほど、滑稽なものはない」


 エリオスが静かに右手をかざすと、空気中の水分が瞬時に凍結し、巨大な氷の刃へと変貌した。かつてソーンウィックを沈黙させた魔法『氷神の裁断グレイシア・ディシジョン』が、大地を裂き、突撃してきた兵たちを音もなく氷像へと変えていく。


 そこへ追い打ちをかけたのは、ライナルト率いる重装騎士団であった。 「王国の意地を見せよ!  ファイラ!!」  騎士たちが一斉に剣に炎のオーラを纏わせ、赤熱する刃を振り下ろす。氷漬けにされた敵兵たちが、今度は炎の奔流に飲み込まれ、蒸発していく。


 わずか数時間。

 十日間の攻防が嘘のように、ルスグラナは崩壊の極致へと追い込まれていた。


◇◇


 煙が立ち昇り、悲鳴と怒号が支配するルスグラナの城門。

 決着が目の前に迫ったその戦場に、一人の男がゆっくりと歩を進めた。


 エリオス・リオンハートである。

 彼は剣を鞘に収め、周囲に護衛すら伴わず、ただ一騎で崩れかけた城壁へと近づいていく。

 その手には、白地の布に平和を象徴する紋章が刻まれた、「和平の使者」を示す旗が握られていた。


 城壁の上で、返り血を浴びたレオニードが、その姿を呆然と見下ろす。

 圧倒的な暴力で全てを破壊し、蹂躙した張本人が、いま、最も穏やかな顔をして「対話」を求めてきているのだ。


「何の用だ!?」


 レオニードの問いに、エリオスは旗をひらひらさせながら答えた。


「見ての通り、貴殿と話をしにきた」


 エリオスは、城門の前の瓦礫の山で馬を止め、真っ直ぐに城壁の上のレオニードを見据えた。

 その瞳には、勝利の昂ぶりも、敵への憎悪もなかった。

 ただ、遥か高い場所から全てを慈しむかのような、絶対的な支配者の静寂だけが宿っていた。


◇◇


 瓦礫の山と化したルスグラナの城門を、エリオス・リオンハートは静かに、そして悠然と潜った。

 城壁の陰や建物の影からは、血と埃にまみれた共和国兵たちが、憎悪と恐怖の混じった視線で彼を睨みつけている。だが、白旗を掲げた「使者」として歩む青年の足取りには、一片の躊躇もなかった。


「こちらだ」


 案内役の士官に導かれ、エリオスは城内の作戦会議室へと通された。そこには、参謀長レオニードをはじめ、数人の指揮官や参謀たちが、死刑執行を待つ囚人のような顔で待ち構えていた。


 エリオスは部屋を見渡すと、事も無げに告げた。


「中佐。貴殿と二人だけで話したい。他の者たちは席を外してもらおう」


「馬鹿なことを! 何を企んでいる!」


 参謀の一人が叫ぶが、レオニードは静かに手を挙げてそれを制した。

 ここで抵抗でもしようものなら、交渉は即時決裂。下手をすれば、数時間後には全員が首となって、この場に並んでいる恐れがあるからだ。


「構わん。退がっていろ。今の我々に、彼を拒む権利などない」


 重い扉が閉まり、室内には沈黙だけが残された。


◇◇


 エリオスは用意された椅子に腰を下ろすと、単刀直入に切り出した。


「俺の元へ来い、レオニード。貴様の知略、俺のために使ってもらいたい」


 レオニードは一瞬、呆気に取られた。だが、すぐに乾いた笑いを漏らす。


「冗談はやめてくれ。我が軍を、そしてこのルスグラナを地獄に変えた張本人が何を言うか。私は共和国の軍人だ。貴殿のような怪物に魂を売るつもりはない」


「共和国、か。もはやその名に意味などないことは、あなたが一番よく分かっているはずだ」


 エリオスの声は、どこまでも冷徹だった。


「レオポルド王がこちらに向かっている。彼が着陣すれば、この城は半日と持たず完全に陥落するだろう。……いや、私が陥落させる。そうなれば、敗北の全責任はあなたに押し付けられる――違うか?」


 レオニードの指先が、かすかに震えた。

 まさにエリオスの言う通りだからだ。

 彼の脳裏にヘンリー大統領の言った『国家反逆罪』という単語がよぎった。


「それだけではない。ルスグラナが陥落寸前——その事実は、皮肉なことに貴国の記者たちから国民へ正しく情報が流されている。そしてその責任は参謀長のあなたにある。となると貴様の家族も無事では済まないでしょうね」


「ぐっ……」


「今この瞬間も、首都にあるあなたの自宅は暴徒に囲まれ、壁には『無能』『裏切り者』の文字が踊っている。窓ガラスは全て割られ、妻と娘は暗い屋敷の奥で、明日の命も知れぬまま怯えている」


「貴様ッ!!」


レオニードが机を叩いて立ち上がる。


「家族に……私の家族に指一本でも触れてみろ、刺し違えてでも貴様を殺してやる!!」


「逆だ、レオニード。指一本触れさせないために、俺は部下を送った」


 エリオスは懐から通信機を取り出し、一つの回線を繋いだ。


『こちらアイザック。エリオス様、聞こえますか?』


 レオニードは通信機を奪い取るように掴み、怒鳴り散らした。


「家族をどうした!? 罠なら今すぐやめろ!」


『中佐。落ち着いてください。私たちは、彼女たちを助けに来たのです』


 通信機の向こうから、アイザックの静かだが力強い声が響く。そして――。


『あなた? あなたなの!?』


 聞き間違えるはずのない、年老いた母の声だった。


『レオニード。この方たちの言うことを信じなさい。アイザックさんが来なければ、私とおまえの娘は今頃……』


 レオニードの力が、ふっと抜けた。

 アイザックは、暴徒と秘密警察の監視の目を潜り抜け、レオニードの母と娘を確実に確保し、保護していたのだ。


 エリオスは、崩れ落ちるように椅子に座り直したレオニードを見つめた。


「選べ。家族を見捨て、守る価値のない国家と共に処刑台に登るか。それとも、俺の懐でその牙を振るい、大切な家族を守り、新しい秩序を創るか」


 長い沈黙が流れた。


 本当は出会った瞬間から予感していた。

 いつかはこのエリオス・リオンハートの前でひざまずくことを。

 そして、生涯の忠誠を誓うことを。

 いや、それを本心では望んでいたのかもしれない。

 守るべきものはなんなのか。

 頼るべき相手は誰なのか。

 ともに手を携え、戦うべきパートナーは誰なのか……。


 レオニードは、瓦礫の隙間から差し込む夕陽を見つめ、やがて、重々しく、しかし確かな意志を込めて頷いた。


「わかった。私の命、貴殿に預けよう」


「賢明な判断だ」


 エリオスは、レオニードが差し出した右手を、薄く微笑んで握り返した。


「だが、勘違いするな。あなたが仕えるのは、グランヴェル王国ではない。エリオス・リオンハート個人だ」


「どういう意味だ?」


 怪訝な顔をするレオニードに対し、エリオスは声を潜め、この世で最も甘美で残酷な密命を告げた。


「エリオス・リオンハートの部下として、貴様に最初の任務を与える。グランヴェル国王レオポルドを襲撃しろ。……殺す必要はない。深手を負わせ、心を折るだけでいい」


「なっ!?」


 レオニードは、目の前の青年の狂気に、改めて全身の血が凍りつくのを感じた。

 自らの主君を、味方の将に襲わせる。それが、覇王が仕掛ける「再征服」の真の幕開けであった。


「ククッ、面白い。エリオス様は本当に……とんでもない化け物だ」


 レオニードは、もはや笑うしかなかった。

 こうして、共和国の天才軍師は、王国を根底から揺るがす「覇王の刺客」へと変貌を遂げたのである。

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