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第71話 焦土の祈り、覇道の残影

 三〇三年、八月十八日。

 ソーンウィック城の外壁の上には、命を削るような冷たい沈黙が降りていた。

 つい先刻まで戦場を支配していた八月の狂おしい猛暑は、あまりに巨大な魔力の爆発によって大気そのものが焼き払われ、一時的な空白へと変貌していた。空には、渦巻いていた黒雲さえも一掃され、不自然なほどに澄み渡った蒼穹が広がっている。


 エリオス・リオンハートは、外壁の端で、白煙の立ち上る地平を静かに見つめていた。  彼の背後には、運命を共にする五人の影――カイル、リアナ、ヴォルフ、アイザック、そしてルカが、それぞれの武器を握りしめたまま立ち尽くしている。


「……あれが、国家を賭した新兵器の末路か」


 リアナが、かすかに震える声で漏らした。

 彼女の視線の先、カルヴァン共和国軍の中央には、もはや「軍」という実体は存在しなかった。エリオスによって反射された『アストラ・ノヴァ』の巨弾は、放たれた時よりも遥かに鋭い速度で主を襲い、その着弾地点には、数千、数万の将兵が一瞬にして蒸発した巨大なクレーターが口を開けていた 。



 爆心地には、音も風もない。

 ただ、不自然なほどぽっかりと開いたその穴の周囲で、残された共和国兵たちが、自らの武器を落とすことすら忘れ、茫然自失の態で立ち尽くしていた。


「怖気づくな、と言いたいが……無理もない話だ」


 ヴォルフが低く唸るように言い、愛剣の柄を強く握り直した。

 彼ら精鋭ですら、エリオスが展開した光の鏡――魔女メイリスの理に基づいた『魔法の反射』という神業を目の当たりにし、底知れぬ畏怖に身を震わせていたのである。



 カイルは唇を噛み、震える手で愛弓を握り直していた。偵察の目を持つ彼には、より鮮明に見えていたのだ。音速で衝突した四属性の魔晶石が放った白光が、いかに容易く、人間の肉体と精神を「無」へと還したのかを 。


「あと十五秒……。もしエリオス様が動かなければ、消えていたのは僕たちの方でした」


 カイルの呟きに、皆が改めて己の主君の背中を見た。

 エリオスは外套を風に揺らし、ただ静かに背を向ける。その瞳には、万単位の命を散らしたことへの罪悪感も、勝利の昂ぶりもなかった。


「アイザック、全員を城内広場へ。……生き残った連中に、これ以上の抵抗は無意味だと教えてやる必要がある」

「はっ!」


 アイザックが短く答え、迅速に兵を動かし始めた。


◇◇


 混乱、怒号、そして魂の底から絞り出されるような泣き声。

 十万を数えた共和国軍の陣形は、中心部という「核」を失ったことで、瞬く間に烏合の衆へと成り下がっていた。

 だが、その空白を逃すエリオスではない。


「リオンハート軍、出陣!」


 ソーンウィック城の巨大な城門が轟音と共に開き、黒鉄の軍勢が雪崩れ出た。

 全員が漆黒の鎧を纏い、鬨の声すら上げずに前進する。その姿は、混乱の極致にある共和国兵たちにとって、地獄から現れた死神の行進に等しく見えた。


 先頭に立つのは、エリオス・リオンハート。

 彼の周囲には、ヴォルフ率いる歩兵隊が無言で展開し、立ち塞がる敵を文字通り「刈り取って」いく。

 それはもはや「戦い」とは呼べないものだった。

 鉄と血がぶつかる音の合間に響くのは、近代兵器という虚飾を剥ぎ取られた人間たちの、無様な悲鳴だけである。


「全軍、撤退せよ! 撤退だ! これ以上の戦闘は不可能である!!」


 共和国軍の後方、かろうじて壊滅を免れた地点から、拡声の魔道具を通した悲痛な叫びが響き渡った。

 参謀長、レオニード中佐である。彼は「非人道的だ」と最後まで反対し続けたアストラ・ノヴァが、自らの軍を焼き尽くした惨状を目の当たりにし、血の涙を流しながら決断を下したのだ 。


 その号令を合図に、残された共和国兵たちは一斉に逃げ出した。

 波が引くように、あるいは腐った肉が剥がれ落ちるように、彼らは国境へと向かって後退していく。かつて「解放」という名の侵略によって制圧していた旧グランヴェル王国領は、この日をもって、すべて失われた。


◇◇


 夕暮れ。

 戦場に立ち込めていた焦げ臭い煙は、夕風に流され、西の空を血のような赤に染め上げていた。


 リオンハート軍は、追撃の手を緩めることなく、かつてフェッラーロ家が治めていた国境付近の廃村に辿り着いた。

 もはや「村」と呼ぶには痛々しいほど、そこは荒れ果てていた。

 焼け落ちた柱。崩れた井戸。数年以上の月日が流れてもなお、かつてこの地を襲った戦火の爪痕は、すすけた地面に深く刻まれている。


 赤く染まる夕陽の下、エリオスは静かに歩を進めていた。

 その隣には、鎧を纏うことなく、いつもの服に身を包んだルカ・フェッラーロの姿があった。


「ここが……俺の……」


 ルカは足を止めた。

 一軒の、土台だけが残った焼け跡の前で、彼は崩れ落ちるように膝をついた。

 三十年前、兄アレッサンドロと共に笑い、そしてすべてを失った場所。

 エリオスが「家園を浄化してやる」と告げ、自ら奪還して見せた、フェッラーロ家の魂の帰る場所である。


 ルカはしばらく無言のまま、指先で黒く汚れた地面をなぞっていた。

 やがて、その震える唇から、掠れた声が漏れる。


「……ただいま。兄上……。俺、帰ってきたよ」


 その言葉には、裏社会を這いずり回り、毒に手を染め、復讐だけを糧に生きてきた男の、年月を越えた絶望と、ようやく辿り着いたわずかな温もりが宿っていた。


 エリオスは、黙ってルカの肩に手を置いた。

 それは、主従という形を超えた、覇王なりの「救済」の証明であった。

 エリオスはそっとその場を離れ、一人で西の空を見上げた。


 沈みゆく太陽が、燃え尽きた村の残骸を、まるで弔うように照らしていた。

 エリオス・リオンハートの「再征服」は、まだ始まったばかりだ。

 だが、この焦土の上に、彼は新しい世界の礎を築こうとしていた。


 戦場は静寂に包まれていた。

 しかし、その静寂は、次の時代へと向かうための咆哮の前触れであることを、この場の誰もが予感していた。

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