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第65話 この世界、今度こそ、俺が支配する

◇◇


 神聖歴三〇三年、六月。

 西の辺境領『ウェスト・フロンティア』に、初夏の強い陽光が降り注いでいた。  

 かつては「焦土の残り香」が漂っていたこの地も、エリオス・リオンハートが降り立ってから数ヶ月で、驚くべき変貌を遂げつつあった 。


 領都ブランフォードの執務室。エリオスは一人、広大な地図を前に思考を巡らせていた。

 彼が統治を任されたこの地は広い。だが、手足となって動くべき「貴族」の家臣が圧倒的に不足していた。それもルクレールの思惑のひとつだろう。領地経営に苦心すれば、余計な手出しをされなくて済む。


(駒は揃いつつあるが、配置が肝要だ……)


 エリオスは、王都のアカデミーを卒業したばかりの弟アランを呼び寄せ、領地の東側、王都へ続く街道沿いの地域を任せていた。比較的治安が良く、交易の要所となるその地には、経験豊富な騎士団長ロルフを補佐に付け、安定を図っている。

 対して、自らが座すブランフォードの守りは、武闘派のリアナとヴォルフを中心に据えていた 。最前線の荒事には、理屈よりも確かな武力が必要だからだ。


(さて……いよいよ『ここから』だな)


 静かに決心を固める。

 それは『覇王』への序章。

 

(どこの誰のいたずらかは知らん。だがこの世に戻ったからには、俺の成すべきことはただ一つ――この世界、今度こそ、俺が支配する)


 ふと、右手の小指に嵌められた赤い宝石の指輪が、淡く脈打つように光った。

 クロエが開発した“超小型通信機”——ペアの相手、セレナ・ヴァレンシュタインからの合図だ。


 エリオスが魔力を流すと、耳元で懐かしい、しかし疲弊の色を隠せない女性の声が響いた。


『……エリオスか?』


「ええ、私です。セレナ様。南部の状況はいかがですか」


 通信の向こう側で、セレナが小さく吐息をつくのが分かった。

 彼女が治める南部地方は不毛な土地が多く、さらに配下の貴族の大半が、先の内乱で敗れた「旧ユリウス派」で占められている。

 彼女の報告は、深刻なものだった。


『……思わしくない。戦死したヘルマン公爵の甥、マーカス・ヘルマン男爵が、私への不服従を露骨に見せ始めている。奴は密かに挙兵の準備を進めているという噂だ。それだけではない……行方不明になっていたドロテア・ヴァイスハルトを、奴が保護したという報告まで入った』


 エリオスの瞳が鋭く細まる。王国三位の剣士ドロテア。彼女のカリスマ性が反乱軍に加われば、火種は一気に大火へと変わるだろう。  セレナは、外では好戦的なエストリア帝国と国境を接し、内では牙を剥く家臣たちに囲まれている。


「……心中、お察しします。今は耐える時です。セレナ様。貴女が折れれば、南部は瓦解する」


『わかっている……。貴公の声を聞くだけで、少しは救われる。すまないな、こんな愚痴を』


 エリオスは彼女を励ますことしかできなかった。物理的な距離、そして政治的な制約が、覇王の腕を縛っていた。


 通信が切れた後、エリオスは再び地図を見つめた。

 王都で実権を握る大公ルクレール——あの老獪な男の狙いは明白だ。


(ルクレールは、旧ユリウス派とセレナの双方を共倒れさせようとしている。そしてその計画に私が介入できぬよう、この最果てに私を押し留めたのだ……)


 その証拠に、ルクレールは一方的にカルヴァン共和国との停戦条約を破棄した。  いつ攻め込まれてもおかしくない状況を作り出し、エリオスをこの地に釘付けにする。南部で反乱が起きても、エリオスは西の防衛を捨てて駆けつけることはできない。  すべてはルクレールの思惑通り。あとは爆発の時を待つばかりだ。


「だが……あの老いぼれは一つ、勘違いをしている」


 エリオスの口元に、冷徹な笑みが浮かんだ。

 彼はルクレールの術中にはまっていることを自覚しながら、ただ座して待つような男ではない。

 その魂は、かつて世界を制する寸前まで駆け抜けた絶対王アルベルトなのだから。


 彼の意識は、遥か三〇〇年前の記憶へと飛んだ。

 それは彼がまだ、小国の王として周囲の大国に包囲されていた若き日のこと。  絶望的な状況下で、初老の軍師はさらりとこう告げた。


『殿下。強き者同士が牙を剥き合っているならば、それを利用なさいませ。“漁夫の利”——大国同士を戦わせ、双方が疲弊し、傷ついた瞬間に、そのすべてを呑み込んでしまえばよいのです』


 当時はその言葉を「姑息な」と一蹴したこともあった。だが、今のエリオスには、そのことわりが鮮明に理解できた。

 ルクレールが仕掛けた盤面。ならば、その盤面ごと食らい尽くしてやればいい。


「失礼します、エリオス様」


 音もなく扉が開き、フェリオが姿を現した。

 その表情には、いつもの軽薄な笑みではなく、獲物を見つけた猟犬のような鋭さが宿っている。


「……耳寄りなネタか?」


「ああ。例のネズミがようやく穴から出てきたぜ。ルカ・フェッラーロ……奴がブランフォードの地下組織に接触を始めた」


 フェリオの報告を聞き、エリオスは不敵な笑みを浮かべた。

 毒薬師。兄の復讐。そしてルクレールの謀略。

 絡み合うすべての因縁が、ブランフォードという新たな舞台で一つに繋がろうとしていた。


「面白い。駒が勝手に動くというのなら、存分に踊らせてやろう」


 エリオスの眼差しは、すでにこの地の混乱の先——王国の頂へと向けられていた。

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