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まぶたに届く柔らかな陽光で目を覚ました私は、もはや手慣れた動作で隣のサイドテーブルへと視線を送った。
案の定、そこには本日も流麗な筆跡で書かれたメモと、見慣れない一輪の花が置かれていた。
本日の花は、鮮やかな黄色い向日葵に似た、帝国の固有種である小ぶりの花だった。
『おはよう、ルチア。今日も素晴らしい秋晴れだね。
今日は君に見せたい特別な場所があるんだ。朝食を済ませたら、動きやすい服装に着替えて待っていてほしい』
「……動きやすい服装?」
私はメモを握り締め、添えられた黄色の花をじっと睨みつけた。
黄色。アランデルの古い花言葉において、黄色は「裏切り」や「警戒」。
そして「動きやすい服装」と「特別な場所」……。
(ついに……ついに本性を現す気ね、氷の死神……!)
私の脳内警報が、これまでにない大音量で鳴り響いた。
ドレスではなく「動きやすい服装」を要求されたということは、ドレスでは逃げにくい場所――すなわち、舗装されていない山道や、深い森の中、あるいは足場の悪い断崖絶壁へと連れて行かれるということだ!
「お、お嬢様ぁぁぁっ! 今朝もお命が無事……って、お嬢様、顔色が青白いですわ!?」
部屋に飛び込んできたマリーが、私のただならぬ雰囲気を察して悲鳴を上げた。
「マリー、落ち着いて聞きなさい。今日の相手の狙いは……『事故死の偽装』よ」
「まさかそんな……!?」
「ええ。今日、私はアレクシス様に『動きやすい服』で連れ出されるわ。人目のない野外で、足を踏み外したように見せかけて崖から突き落とすか、あるいは野生の魔獣に襲われたふりをして私を放置する気だわ!」
私が血走った目で推理を披露すると、マリーは膝から崩れ落ち、私のドレスの裾を掴んで泣き叫んだ。
「お嬢様! 行ってはダメです! 『お腹が痛い』と言って寝起きのフリをしてくださいまし! 私も全力で協力致します」
「ダメよ、マリー。断れば『夫の誘いを拒む不審な妻』として、その場で理由をつけて処罰されるかもしれない。敵の懐に飛び込んでこそ、生き残る道が開けるのよ!」
私はマリーの手を固く握り返し、覚悟を決めた。
「マリー、私の手持ちの中で一番丈夫な乗馬服を出しなさい。それから、靴底にしっかり滑り止めがついたブーツを。……いざとなったら、私は自力で崖を駆け登ってみせるわ!」
こうして、私は万全の防具(※乗馬服)を身に纏い、決戦の地へと赴くことになったのである。
──
屋敷の玄関前で待っていたアレクシス様は、乗馬服姿の私を見るなり、エメラルドの瞳をこれ以上ないほど輝かせた。
今日の彼は、上質な革のジャケットに細身のパンツ、乗馬ブーツという、実に健康的でスポーティーな装いだった。眩しいほどの男前ぶりが秋空に映えている。
「素晴らしいよ、ルチア! 乗馬服もとてもよく似合っている。まさか君が乗馬服を着てくれるとは思わなかったから、感動したよ」
アレクシス様は私の手を取り、うっとりとした表情でその甲にキスを落とした。
(……フッ、油断させるための過剰なスキンシップね。騙されないわよ。『死ぬ直前に最高のお辞儀をしてやる』という、悪趣味な皮肉に違いないわ!)
「お褒めいただき光栄ですわ、旦那様。本日はどのような『特別な場所』へ案内していただけるのでしょうか?」
「ふふ、着いてからのお楽しみだよ。さあ、乗っておくれ」
アレクシス様が連れてきたのは、毛並みの揃った見事な黒馬だった。
しかし、用意されていた馬は一頭だけだった。
「あの……旦那様? 私の馬は……?」
「ああ、君を一人で乗せるのは心配だからね。今日は私と一緒に『二人乗り』で行こう」
そう言うと、アレクシス様は私をヒョイと軽々と抱え上げ、馬の背(鞍の前方)に乗せた。そして自分もすぐ後ろに跨がり、私の体を包み込むようにして手綱を握った。
背後から伝わる、彼の腕の感触と、力強い胸板の温もり。耳元で聞こえる彼の呼吸。
(……ッ!? こ、これは……『背後からの完全拘束』……!!)
私の背筋に、氷のような戦慄が走った。
退路が完全に断たれている! 私が馬の上で暴れようが、ナイフを抜こうが、後ろから一瞬で首を折れる完璧なポジショニングだ! さすがは数々の戦場を生き抜いた軍神、隙というものが存在しない!
「怖くはないかい、ルチア? しっかり私に掴まっているんだよ」
(怖いに決まっているでしょ!)
「は、はい……! しっかりお捉まりいたしますわ!」
私は彼の腕を力いっぱい握り締め、心の中で念仏を唱え始めた。
馬は静かに歩みを進め、公爵邸の広大な敷地を抜け、裏手に広がる緩やかな丘陵地帯へと入っていった。
爽やかな秋風が頬を撫で、色づき始めた木々の葉がカサカサと心地よい音を立てる。本来なら絶好の行楽日和であり、最高にロマンチックなデートシチュエーションだ。
だが、私の頭の中は絶望で一杯だった。
(どんどん人里から離れていく……! 見張りも使用人も誰もついてきていないわ。完全な密室ならぬ『野外密室』! ここで私が消えても、誰も目撃者はいないのね……!)
三十分ほど馬に揺られた末、馬が足を止めた。
「着いたよ、ルチア」
アレクシス様が先に馬から降り、私を優しく抱き降ろしてくれた。
そこに広がっていたのは――息を呑むほど美しい、絶景の丘だった。
眼下に広がる広大な公爵領の街並み、遠くに見える豊かな森林、そしてキラキラと光を反射する大きな湖。まさに一幅の絵画のようなロケーションだった。同時に、私の処刑場。
私の目はその美しい景色の「端」を見逃さなかった。
(……崖!! やっぱり崖があるわーーーっ!!)
丘の端は、湖に向かって切り立った、高さ数十メートルはあろうかという急勾配の断崖絶壁になっていた。落ちたら骨折どころでは済まない。即死確定の死の崖だ。
(完璧……完璧すぎる殺害現場だわ! 『絶景に見とれた妻が、足を踏み外して転落死した』……完璧な事故死のストーリーが完成しているじゃないの!)
「どうだい、ルチア? ここは私の1番お気に入りの場所なんだ。父に連れられて初めてここに来た時から、将来、心から愛する妻ができたなら、絶対にここに連れてこようと決めていたんだよ」
アレクシス様が、どこか遠くを見るような優しい目でそう呟いた。
(『心から愛する妻(=過去に夜逃げした歴代の婚約者たち)』を、代々ここに連れてきて処理してきたという意味ね……!? 恐ろしすぎる! ここはローゼンバーグ家の秘密の処刑場だったのね!!)
「まあ……そんな思い出の場所に連れてきていただけるなんて、光栄で胸がいっぱいですわ(※恐怖で肺が押し潰されそうです)」
「喜んでもらえてよかった。さあ、景色の良い場所にシートを敷こう」
アレクシス様は馬の脇障子から大きな毛布を取り出し、あろうことか崖からわずか数メートルの場所にそれを広げた。
(近っ!! 崖までの距離が近すぎるわ!! 『ちょっと背中を押せば即ドボン』の位置じゃないの!)




