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私は、震えそうになる手を必死に抑え込み、満面の笑みを浮かべた。
「まぁ……! なんて素晴らしいお心遣いでしょう! 私、感動いたしましたわ。旦那様は、私のためにここまでしてくださるのね!」
私はパンケーキを一口サイズに切り分け、木苺のジャムをたっぷりつけて口に運んだ。
……美味しい。悔しいけれど、実家の専属料理長が作ったものと同じくらい、完璧な火加減と味のバランスだ。
「とっても美味しいですわ! 私、旦那様の深い愛情を感じて、胸がいっぱいです!」
「愛情……! そ、そうか。いや、君が喜んでくれて本当によかった。料理長にも伝えておこう」
アレクシス様は、またしても照れたように目を伏せ、耳まで真っ赤にしている。
ふふん、どんなに完璧に照れた演技をしたところで無駄よ。あなたが「ちっ、脅しの意味に気づかず、能天気に喜んでやがる。馬鹿な女だ」と内心で舌打ちしていることくらい、お見通しなんだから!
朝食の心理戦(?)を見事に乗り切った後、アレクシス様が紅茶を飲みながら穏やかな声で提案してきた。
「ルチア、今日は屋敷の案内をしようと思うんだが、どうだろうか。もちろん、君が疲れていないならだが」
「屋敷の案内、ですか?」
「ああ。今日から一週間、私は軍務の休暇を取っているからね。君がこの家に慣れるまで、ずっとそばにいるつもりだよ」
(い、一週間の休暇!? あの仕事の鬼と名高い将軍が!?)
つまり、今日から一週間、私は彼による二十四時間の監視体制下に置かれるということだ。屋敷の案内というのも、私が逃げ出さないように、あるいは怪しい動きをしないように、すべての脱出経路や警備の配置を私に叩き込み、「逃げるのは不可能だ」と絶望させるための布石に違いない。
「嬉しいですわ! 旦那様と一日中一緒にいられるなんて、夢のようです!」
「……っ! あ、ああ。私も、君と過ごせるのが嬉しいよ」
彼のエスコートで、屋敷の案内が始まった。
玄関ホールから始まり、図書室、客間、使用人の居住区などを巡る。アレクシス様は、すれ違う使用人たちに気さくに声をかけ、使用人たちも彼を心から慕っているような温かい笑顔を返していた。
(……恐ろしいわ。使用人たちにまで『優しい主』の洗脳が行き届いている。これじゃあ、私が助けを求めても、誰も信じてくれないように仕組まれているのね)
私の被害妄想は、もはや留まることを知らなかった。
そして最後に案内されたのは、屋敷の裏手に広がる広大な庭園の奥だった。
そこには、陽光を浴びてキラキラと輝く、巨大なガラス張りの建物があった。
「これは……温室、ですか?」
「ああ。君が来るという知らせを受けてから、急いで造らせたんだ。中に入ってみてくれ」
彼に促されて重いガラスの扉を開けると、そこはむせ返るような百花繚乱の世界だった。
冬の足音が近づく帝国の気候とは無縁の、暖かく湿った空気。そして、アランデル王国でしか見られないような珍しい花々や、色鮮やかな薔薇が咲き乱れている。
「君は、実家の領地で花を育てるのが好きだったと聞いたからね。ここなら、帝国の寒い冬でも君の好きな花を育てられる。この温室は君の専用だ。好きに使ってくれて構わない」
アレクシス様は、誇らしげに、そして少し緊張した面持ちでそう言った。
……なるほど。そういうことか。
ガラス張りで、外から丸見えの美しい空間。そして、祖国の花々。
(『お前は、このガラスの鳥籠の中で飼われる小鳥だ。一生ここから逃げられないと思え』という、究極のメタファーね!!)
なんて陰湿! なんて悪趣味!
私の好きなものを与えて懐柔しつつ、その実、精神的な鎖で私をこの屋敷に縛り付けようというのだ。
「まぁ……! 素敵! こんなに美しい温室、見たことがありませんわ!」
私は、目元を両手で覆い、感動のあまり泣き崩れそうな仕草を全力で演じた。
「本当に、私専用にしてよろしいのですか? 毎日ここに来て、お花のお世話をしても?」
「もちろんだ。君がここで笑顔になってくれるなら、これ以上の喜びはない」
「ありがとうございます、旦那様! 私、この温室から一歩も出たくないくらい気に入りましたわ!」
(そうよ! 温室に引きこもって、あなたが機密書類を隠していそうな執務室や、怪しい地下室には絶対に近づかないわ! スパイの疑いをかけられる隙なんて、一ミリも与えてやらないんだから!)
私が「温室から出ない(=屋敷の探索はしない)」と宣言したことで、彼も「こいつは脅威にならない」と安心したのだろう。アレクシス様は、今日一番の、本当に嬉しそうな、まるで春の陽だまりのような優しい笑顔を浮かべた。
「そうか。君がそこまで喜んでくれるなら、造った甲斐があったよ」
彼はそう言って、咲き誇る白薔薇の中から一輪を丁寧に手折り、私の髪飾りの隣にそっと挿してくれた。
白薔薇の花言葉。
確か、アランデルでは「純潔」「深い尊敬」。
しかし、ここは帝国だ。帝国の文化において、白薔薇がもし「完全なる降伏」や「お前の命は私の手中にある」という意味を持っていたとしたら……?
「とってもお似合いだよ、ルチア」
エメラルドの瞳が、甘く私を射抜く。
その破壊的な美しさと、背後に隠された(と私が勝手に思い込んでいる)どす黒い策略のギャップに、私は内心で盛大に身震いした。
「……大切にいたしますわ、アレクシス様」
私は、彼の「降伏勧告」を笑顔で受け流す、無知で愚かな妻を完璧に演じきってみせた。
こうして、新婚生活二日目。
私は、アレクシス様の仕掛ける「故郷の食事による精神攻撃」と「ガラスの鳥籠による降伏勧告」という二つの重大な危機を、持ち前の演技力と勘違いのまま見事に乗り切ったのである。
その夜、ベッドの上で一人、今日一日の彼の言動を分析しながら、私はギュッと拳を握りしめた。
「恐ろしい男……。私が少しでも油断していたら、今頃どうなっていたか。でも、私は絶対に屈しない。この『ほのぼのとした優しい日常』という仮面を被った地獄を、私は完璧な妻として生き抜いてみせるわ!」
私が無人の寝室で一人燃え上がっている頃。
別の部屋のソファで横になっていたアレクシス様は、「今日はルチアがたくさん笑ってくれた……アランデルの料理も、温室も気に入ってくれたみたいで本当によかった。明日は何をプレゼントしようか……」と、幸せを噛み締めながら安らかな眠りについていたことなど、私は知る由もなかった。




