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器に灯る七つの声 〜七人の英雄を継ぐ旅は、彼らの声と歩む旅だった〜  作者: ひげくま
結びの灯

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第20話 次への灯火

湯の匂いがした。


フィンは、低い天井を見上げたまま、ゆっくり瞬きをした。知らない梁。薄い布の感触。町の宿の一室だと気付くまでに、少し時間がかかった。


体が重い。だが、動けないほどではなかった。


「フィン」


すぐ横で声がした。


ミアが椅子に座っていた。膝の上に両手を置き、こちらを覗き込んでいる。


「起きた?」


「うん……ミアは」


「大丈夫。少し眠ったから」


そう言って、ミアは椅子の背に手をついた。いつもより動きは遅いが、表情は落ち着いていた。


フィンは身を起こそうとした。


肩と腕が少し遅れてついてきた。昨日、丘の上で風と雷を練り上げた時に、魔力をかなり使ったのだと分かった。


ミアが近づいた。


「ゆっくりでいいよ」


「……うん」


フィンは息を吐き、寝台の縁に腰を下ろした。


『昨日の術は、魔力の使い方が荒かったからな』


マリウスが、静かに言った。


『フィンも、ミアも疲れておる。水を飲み、食べて、少し休め。動くのはそれからでよい』


「……無駄が多かった、ということですか」


『うむ。町は救えた。それはよい』


そこで一度、声が止まった。


『だが、今の撃ち方は荒い。同じ魔力量でも、私なら十発は撃てる。術の形に魔力を留めきれておらん。制御の訓練が要るな』


フィンは、自分の手を見た。


昨日の術は、使えない技ではない。ただ、今の自分はまだ、必要な分だけを正確に流せていない。


「分かりました」


短く答えると、マリウスもそれ以上は言わなかった。


部屋の扉が、軽く叩かれた。


ミアが振り返る。


「はい」


扉が少し開き、年配の女が顔を出した。昨夜、湯を沸かしてくれた宿の女将だった。手には木の盆を持っている。湯気の立つ椀が二つと、柔らかく煮た麦粥が載っていた。


「起きたかい。無理に起きなくていいよ」


女将は部屋に入り、低い台の上に盆を置いた。


「自警団の連中が、朝から柵を直してる。あんたたちに礼を言いたいって騒いでたけど、今日は寝かせておけって言っておいた」


「すみません」


フィンは寝台の縁に座ったまま、頭を下げた。


女将は軽く手を振った。


「謝ることじゃないよ。あのままだったら、町はもたなかった。子供らも、年寄りも、みんな分かってる」


女将はそう言って、椀をミアに渡した。


ミアは両手で受け取った。椀の温度が指に移ったのか、少しだけ表情が緩んだ。


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちだね」


女将は笑いながらそれだけ言って、また扉の方へ向かった。


扉が閉まる前、外から音が入ってきた。


木槌で丸太を打つ音。男たちが短く声を掛け合う声。遠くで子供が泣いて、それをなだめる女の声。


町は、動いていた。


フィンはその音を聞きながら、ミアから椀を受け取った。手が震え、湯が少し揺れた。ミアが椀の底にそっと手を添えた。


「ゆっくり」


「うん」


粥は薄い塩味だった。


口に入れると、腹の奥が少しずつ熱を取り戻していく。昨日までただ前へ進むために使っていた体が、食べ物を受け取っている。そのことが、妙に確かだった。


——


昼近くになって、ようやくフィンは寝台から降りた。


まだ足元は頼りない。ミアも隣に立っていたが、歩幅はいつもより小さかった。二人は女将に礼を言い、宿の前まで出た。


町の北側では、男たちが外柵を直していた。割れた丸太を外し、新しい丸太を横へ渡している。昨日まで恐怖で固まっていた場所に、木槌の音が響いていた。


自警団長の男が、フィンたちに気付いて歩いてきた。


「もう立って平気なのか」


「はい、ちょっと魔力を使いすぎただけなので」


「昨日は、本当に助かった。あんたたちが来なかったら、柵は破られてた」


フィンは首を振った。


「僕たちだけじゃありません。柵の前で、皆さんが持ちこたえていたから間に合いました」


男は少しだけ目を丸くした。


それから、短く笑った。


「そう言ってもらえると、うちの連中も救われる」


男は町の北を見た。倒れた岩鱗の死骸は、すでに町から離れた場所へ運ばれ始めていた。鱗が光を受けて、鈍く灰色に光っている。


「しかし、あの群れは何だったんだ。山の獣が、あんなふうに町へ来るなんて」


マリウスが静かに息を吐く気配がした。


『封印から漏れたものに、山の獣が押されておるのだろう』


フィンは、その言葉を選び直して口にした。


「山の奥で、獣を人里へ押し出すような異変が起きているのかもしれません」


「何か、か」


男の顔が曇った。


「また来ると思うか」


「分かりません。でも、柵は直しておいた方がいいと思います。町の人を、すぐ内側へ避難させられるようにも」


男は頷いた。


「そうする」


それ以上、男は問い詰めなかった。


ただ、宿の方へ顎をしゃくった。


「水と食料を用意させる。旅の者なんだろう。動けるようになってからでいい。持っていけ」


「ありがとうございます」


ミアも、隣で頭を下げた。


町の人々が、少し離れた場所から二人を見ていた。感謝の目を向けている。


守れた。

そう思った。


——


夕方、二人は宿の部屋で荷を整えていた。


出発は翌朝にすることになった。今日の足では、町を出ても遠くへは行けない。マリウスも、それでよいと言った。

里を出てから初めて1日休めた日になった。


ミアはペンダントを両手で包み、寝台の端に座っていた。フィンは低い机の上に、星詠みの書を置いていた。


深い青黒い表紙。


昨日の大術を支えた魔書は、今は静かに閉じている。表紙の星の刻みだけが、薄い光を含んでいるように見えた。


「マリウス」


フィンは、机の向こうに置いた魔書を見たまま言った。


「明日、町を出たら、次はどうするといいかな?」


ミアも顔を上げた。


少しの間、答えはなかった。

部屋の外で、木槌の音がした。昼より遠く、ゆっくりした音だった。町の柵は、まだ直されている。


『次の英雄を追うのがよいだろう』


マリウスが言った。


「封印のために、ですか」


『それもある。だが、リオネルの言葉で、私の記憶だけでは危ういと分かった。次は、あの儀式を知る者の話を聞きたい』


「それで、誰から確かめるんですか」


『アリアだ』


マリウスの声に、懐かしさが混じった。


『霧切のアリア。七英雄の一人。水を司る剣士で、私の友だった』


「アリアさんは、信頼できる人なんですか」


『私が覚えている限りではな』


マリウスは、少しだけ間を置いた。


『嘘を嫌う女だった。知らぬことを知ったふりはせぬ。だから最初に聞くなら、アリアがいい』


「アリアさんは、どこにいるんですか」


『アリアの個別碑石は、東のノルデン方面に置いたはずだ。だが四百年も経てば、道も守り手も変わっておるだろう』

『だから霧切流を辿る。アリアの剣を継ぐ者が残っていれば、碑石の守り手か、記録に近づける』


フィンは肯いた。


「霧切流を辿って、アリアの碑石へ。そこから始めましょう」


『よかろう。道は決まったな』


ミアが小さく頷いた。


フィンは、机の上の星詠みの書を布で包み直した。


——


翌朝、町の門の前で、自警団長が二人に袋を渡した。


干し肉、堅焼きの麦、乾いた果実。それから水袋が二つ。


「たいしたものじゃないが、持っていけ」


「十分です。ありがとうございます」


女将も門の近くに立っていた。腕を組み、二人を見ている。


「無茶はするんじゃないよ」


ミアが少し困ったように笑った。


「はい」


フィンも頭を下げた。


「行こう、ミア」


「うん」


二人は町を出た。


背後で、木槌の音がまた一つ鳴った。前には東へ続く道が伸びている。


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