第4話 雪の下に眠るもの
翌朝、ルシアン様の執務室を訪ねた。
「帳簿に気になる記録がありました。銀鉱の副産物として採掘されていた白い粘土──廃棄と書かれていますが、実物を確認したいんです」
ルシアン様は帳簿の該当箇所を見て、少し考え込んだ。
「廃坑の管理人がいる。明日の午前に呼ぶ」
翌日の午前、管理人の老人が館に来た。
約束通りに。
もうこの「約束通り」に驚かなくなりつつある自分がいる。
白い粘土は銀鉱の壁面に層になって露出しているらしい。
銀を掘るときに邪魔になるので削り取って捨てていた、と。
「明日、現地を見に行きましょう」
ルシアン様が頷いた。
*
防寒具を着込んで廃坑に向かった。
馬で二刻ほど。領都の外れにある山の中腹に、坑道の入口があった。
木枠は古びているが崩落はしていない。管理人が最低限の補修を続けてきたのだろう。
坑道に入ると、空気が変わった。
外よりも暖かく、湿っている。
松明の灯りに照らされた壁面に──それはあった。
白い層。
銀色の鉱脈の隙間を縫うように、白い粘土が帯状に走っている。
手袋を外した。
指先で粘土に触れる。
きめ細かい。滑らかで、しっとりしている。
──知っている。この質感。
王都の高級陶器店で一度だけ見せてもらった、最高級の素地に似ている。
あれは南方の限られた産地からしか採れないと聞いた。
もしこの粘土が同等の品質なら──。
胸が早くなった。
誰にも見向きされなかったものが、ここにある。
*
館に戻り、提案をまとめた。
三段階の計画。
第一段階──粘土のサンプルを王都の鑑定商に送り、品質と市場価値を確認する。
第二段階──鑑定結果が良好であれば、少量を加工して試作品を作る。
第三段階──販路を確保し、本格生産に入る。
ルシアン様は最後まで聞いてから、一言だけ言った。
「堅実だな」
この人の言葉の少なさには、もう慣れた。
少ない言葉だからこそ重い。
「堅実」は、ルシアン様にとっておそらく最大級の褒め言葉だ。
*
粘土のサンプルを木箱に詰め、王都行きの定期便に託した。
返事は二十日ほどかかる見込み。
待つ間に、やることはいくらでもある。
領都の市場を歩いていたとき、声をかけられた。
「あんた、噂の侯爵令嬢かい?」
赤毛を短く刈り上げた女性。日に焼けた顔に人懐こい笑み。
荷車の横に立ち、腰に手を当てている。
「マルグリットだよ。この辺で交易商をやってる。──あんたの話、領民の間で広まってるよ」
ブランシュ辺境伯領で唯一の交易商。
父の書庫の資料にも名前が出ていた人物だ。
「ノエラ・グランヴェールです。お話を伺いたいと思っていました」
「おっ、話が早いじゃないか」
粘土の話をすると、目を丸くした。
「あの白い泥に値段がつくって? あたしはこの辺境で二十年商売してるけど、そんなこと考えたこともなかったよ」
そしてすぐに目を輝かせた。
「面白いじゃないか。──で、あたしに何を手伝えばいい?」
*
マルグリットの協力を得て、領地内の職人たちに粘土の試作加工を依頼して回った。
木工職人は興味を示した。革細工師は首をかしげた。
そして陶器職人──領都に一人だけ残っている老人は、腕を組んで渋い顔をした。
「よそ者の令嬢に何がわかる」
低い声。白髪交じりの頑固そうな顔。
節くれだった手は、長年土をこねてきた手だ。
「わたしには陶器を焼く腕はありません」
正直に言った。嘘をつく気はない。
「でも、帳簿なら読めます」
資料を広げた。領地の収支表、冬の備蓄計画、食料の消費予測。
「このままでは来年の冬はもっと厳しくなります。この領地の人たちが冬を越すために、新しい収入源が必要なんです」
数字を一つずつ示した。ごまかしのない数字だけを。
老人は黙って聞いていた。腕を組んだまま、眉間の皺を深くしていた。
長い沈黙の後。
「……一つだけ焼いてやる」
その「一つだけ」がどれほど重い譲歩か、老人の表情を見ればわかった。
*
工房から煙が上がった。窯に火が入ったのだ。
半日後。
窯から取り出された器を、老人がわたしの前に置いた。
白い陶器。
素朴な形。飾りはない。
けれど、その白さに息を呑んだ。
雪のような白。混じりけのない、深い白。
光を受けると、ほんのわずかに青みがかって見える。
この辺境の雪景色そのもののような色だった。
手に取った。滑らかで、軽い。
指先に伝わる質感が、王都の高級品と遜色ないことを教えてくれる。
──わたしが見つけたもの。
この辺境で、わたしの知識と、職人の腕と、この土地の資源が出会って生まれたもの。
初めて、「自分が作った」と呼べるものを手にした。
*
試作品をルシアン様に見せた。
執務室の机の上に、白い陶器を置く。
ルシアン様は手に取った。
しばらく黙って眺めていた。
光に透かすように持ち上げ、指先で表面を確かめている。
そして。
「……悪くない」
その一言が、胸に落ちた。
じわりと、温かいものが広がる。
思わず笑った。
小さな笑い。自分でも気づかないくらいの。
けれどルシアン様の目が、ほんの一瞬だけ見開かれたのが見えた。
すぐに視線を逸らされた。
──わたしが笑ったことに、驚いたのだろうか。
考えてみれば、この人の前で笑ったのは初めてかもしれない。
*
その夜。自室で手帳を開いた。
王都にいた頃、グランヴェール領の帳簿を何年も完璧に管理してきた。
誰にも褒められなかった。当たり前のこととして消費された。
ここでは違う。
ルシアン様の「悪くない」の一言は、三年分の沈黙よりも重かった。
手帳から母の押し花の栞が覗いている。
色褪せた花弁に、そっと指先で触れた。
──お母様。わたし、少しだけ前に進めている気がします。
窓の外では雪がちらちらと降り続けている。
白い陶器と同じ色の雪。
鑑定結果が届くまで、あと二十日ほど。
その間にできることを、すべてやる。
手帳を閉じて、灯りを落とした。
明日も早い。




