彼女は悪者
とてもとても、うつくしかった。
大国の高位貴族に属する彼女でも、身に着けることが叶わない、高い技術と気が遠くなるような手間暇の上にある、紅のドレスに装身具。
そのひとの魅力を引き出すために施された化粧が、生来の美貌を、闇夜の月のように際立たせる。
――何よりも、たった一人の手を取り、浮かべた微笑みが。
どうして、と、湧き上がる疑問は、慟哭だ。
自分は、選ばれなかったのに。
自分は、もう、必要とされないのに。
自分は、――あんなに、しあわせに笑えないのに。
……彼女が捧げた想いは、『真実の愛』ではなかった、らしい。
所詮は、政略結婚の潤滑剤、ただの感情の押し付けだったと、つい先日『元』が付いた婚約者に言い放たれた。
彼女も、かの悪鬼と変わらないと、理由があればどんな男にも股を開く阿婆擦れだと、自分を癒した『聖女』とは似ても似つかないのだ、と。
なのに、どうして。
ドレスと同色の手袋に包まれた指先に、無骨な掌が重ねられる。
大事に、それは大事に、そのひとへの確かな愛情を伝える仕草で。
それをしたのが、自分が愛した男ではなかったことに、彼女は安堵するよりも、胸をかきむしるような苛立ちを覚えた。
その男の、貴族階級にはない灰色がかった茶色の髪は短く刈られ、いかつい顔つきと左の頬から額にかけての傷跡は、まるで夜盗のようだと評判だ。
『災獣』討伐の功により成り上がった平民将軍は、名門ファルケランツェ公爵家の嫡子である、彼女の元婚約者との類似点などろくにない。
なのに。
――いや、だから。
一夜を共にした相手を一瞥すらせず、ただ運良く高位魔獣を討伐しただけの男の隣で、紅衣の娘は泣きたくなるほど綺麗に笑う。
彼女が愛したひとに、価値など無いと言わんばかりに。
彼女が愛したひとより劣る男の傍らで、彼女よりずっとずっと幸せだと、主張しているようで。
そんな悪鬼の姿に、独り立ち尽くすしかなかった彼女は、自らの胸にどす黒いものが広がっていくのを感じた。
ずるい。
彼女が愛したひとが、蔑んでいた娘だった。
己が主君の命で彼女の国に来たくせに、平民将軍ぐらいしか誑し込めなかった、女王の忠臣。
彼女がかつて見えた、ほわほわとした笑顔のひとは、恐ろしいとも悍ましいとも思わなかったけれど。
――あなたは ひどい、と、彼女は喉を震わせずに呟く。
どうして、こんなものを私の国に赴かせたのですか、エリザベス殿下。
悪意の中でも穏やかに微笑んでいたあなたを、私は嫌いになれませんでした。
国を負って立つあなたの在り方に、畏敬さえ覚えました。
あなたが、『悪の国』の王族であっても、いつか私の国の敵となっても。
……あなたがいなければ良かったと、そう言ってしまう自分になりたくないと、確かに私は思っていたのです。
外交に携わる父がきっかけで、彼女がほんのひと時交流した異国の姫君。
『悪の王国』に相応しからぬ、陽だまりのようなひとが引きずっていた業を、今更になって彼女は思い知る。
――在ってはいけない、彼らは、大乱を招くから。
――心を寄せてはいけない、彼らは、悲劇を作るから。
だから、アレクサンドリアは『悪の王国』だ。
人の命も心も、踏みにじって顧みることもしない。
……それはちがう、と、どこかで零れた囁きは、怒りと目を背けた嫉妬に呑まれて沈む。
愛したひとを、憎んではいけない。
『教会』の聖職者は、尊ぶべきだ。
無意識の欺瞞を覆い隠す幕は分厚く、頑丈で、誰もが使えるくらいに便利だった。
『悪の王国』は、その民は、悪者だから、なにがあっても悪なのだ。
◆◆◆
つかつかと貴族とは思えない足取りと形相で近寄ってくる娘に、不穏を感じたのは本当だ。
けれど、どう見ても戦う術を知らなさそうなお嬢様であったから、高を括っていたのも事実だった。
それでも、そのお嬢様がグラスごと投げつけてきたワインを避けきれなかったのは、我ながら油断のし過ぎだ。
「――あなたのせいでっ!!!」
泣きそうな顔でそう叫んだお嬢様と、リアを庇って豪快に染みができた自分の一張羅を、ヴォルケは情けない気分で交互に見やる。
そもそも、ヴォルケの目の前にいるお嬢様は、副官の兄貴の婚約者であったはずなのだが、一体どうしてリア相手の修羅場に発展しているのか?
当の兄貴は、聖女様(笑)の取り巻きと化しているのだから、向かうならばそっちだろうに。
「愛していたのに」
絞りだした声は、痛切だ。
お嬢様の青い瞳から、透明な雫が光をはじいて転がり落ちる。
「愛していたの、愛していたのにっ!
それなのに、あなたが、あの方にっ、――婚約の破棄なんて、言い出すから……」
「は?」
激情を持て余したのか、台詞の途中でお嬢様は泣き崩れてしまった。
だが、ヴォルケはお嬢様の言葉の意味が理解できない。
お貴族の婚約破棄で、なんでリアが八つ当たりされるのだ?
首を捻るヴォルケの横を、音もなく紅が通りすぎる。
お嬢様の傍らに屈み、隻腕で白いハンカチを差し出した、リアの横顔はいやに硬い。
「ベラータ侯爵令嬢」
リアの声は、緊迫を孕んでいた。
だがそれは、ちょっとした悪戯が思わぬ被害をもたらし、大人の前で戦々恐々としている子供のそれだ。
「――あれのどこが愛するに足りたんだ?」
「おい待てリア、言い方ってもんがあるだろうがっ?!」
傷心のお嬢様に対して、恐ろしく真剣な表情で、普通にひどい質問を繰り出したリアに、ヴォルケは突っ込んだ。
少なくとも、愛する婚約者に振られたらしいお嬢様に、かけていい言葉じゃない。
現に、お嬢様はしゃくり上げながら、リアを睨み付けている。
けれど、お嬢様の怒りの視線を受け止めるリアもまた、貴族としてはみっともない、涙でぐしゃぐしゃになった相手の顔から目を逸らさない。
リアが被っている猫は、すでにかなぐり捨てられ、行方不明だ。
「あれは弟の絞りかすだぞ?
魔獣を狩る能力もない、人を見る目もない、貴女との婚約を破棄した結果、どうなるか思いつく頭もない上に、真実の愛だかのために家宝を持ち出す馬鹿だ。
あれと婚姻を結んでも、貴女は今までと同じ生活はできないだろうし、そもそも、貴女の命の危険が高い。
――あれは、私に盛ってきた呪毒を、貴女にも使うだろう。
私は耐性があるからどうでもいいが、貴女はまともな死に方ができないと理解してほしい。
だから聞くが、ベラータ侯爵令嬢、貴女にとってあれと結婚する利点は何だ?」
真顔なリアのとんでもない問いかけに、お嬢様が固まった。
愛している元婚約者様への、ズタボロな評価が衝撃だったのか。
その前にリアは、呪毒を盛られたら怒れ。
呪術をもって作られる呪毒は、諸々の効果がえげつない禁制品で、所持しているだけで重罪だ。
リアが吐き出した情報に、これまたぶん殴られたヴォルケは、違和感に気付く。
――リアが、こんな振る舞いをする理由は?
ある意味で鏡のような娘が、敵意を向けてくる相手に対し、やり方はアレでも気遣う方がおかしい。
ヴォルケは、無言でリアの両肩をつかみ、自分のほうへ顔を向けさせた。
「なんだ、ヴォルケ?」
「お前、どうしてこんな事をしたんだ?」
どうしてか困惑を露わにしているリアに、ヴォルケは真剣に質問する。
ヴォルケ自身、こんな事がどんな事なのか、はっきりしていないのだが。
「……我が君が、幸せになれればいいと、言っていたんだ」
リアの上目遣いは可愛いが、動機の意味が分からない。
「十年前、ベラータ侯爵令嬢は、我が君に優しくしてくれた。
だから、ファルケランツェの嫡男と婚約をしたと我が君が知ったときに、ベラータ侯爵令嬢が幸せになれればいいと言っていて。
――でも私には、あれが相手で、幸せになれるようには見えなかった。
それで、とっととあれと婚約破棄して、適当な下級貴族を見繕った方がましだと思ったから、つい、口に出したんだが……。
……あれが予想以上の馬鹿だったのと、ベラータ侯爵令嬢が、あれを好いている可能性を失念していた」
目を泳がせ、そろりと、ヴォルケから顔を背けるリアは、幼子のようで愛らしい。
――だが、待て。
「……お前、――恩返しのつもりだったのかっ?!」
やたらと気が長い上に、お嬢様には有難迷惑になってしまったリアの恩返しに、ヴォルケは思わず天を仰いだ。
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*ウェインさん家の恩返し*
ウェインさん家は、主君に優しくしてくれたらちゃんと恩返しするぞっ!
でも、気が長すぎて、恩返しされる人が理由を思い出せなくて怖がったり、感覚が違うせいで有難迷惑になったりするぞ☆




