唇には微笑みを、指先には温もりを
こんな時に夜会とか、馬鹿だと思う。
それが、そこら辺の紙に雑に書かれた招待状を受け取った時の、ヴォルケの偽らざる感想であった。
表向きの名目は、王都に突如現れた腐竜の討伐祝い。
……だが、祝賀会の本当の目的は、おそらく、腐竜の討伐の功績を、敵国の忠臣のものから、某聖女様(笑)のそれに塗り替える為の茶番であろう。
……似た様な事は、ヴォルケの時もやられたものだ。
――ヴォルケが平民将軍になるきっかけになった、『災獣』の討伐は、間違いなく、ヴォルケや犠牲になった部下達の覚悟と信念の賜物であった。
けれどもそれが、一夜明けたら、何でか砦に閉じ籠っていた腰抜け共の援護ありきの結果になっていたのだ。
ヴォルケの人生の中で、あれ程腸が煮えくり返ったことも、王家から与えられた何もかもを、投げ捨てたくなったこともない。
けれど、貴族たちの都合を否定したとして、辛うじて生き延びることが出来た部下や、遺された部下の家族たちの境遇が改善されるなどあり得ない。
だから、たかが平民でしかないヴォルケには、理不尽を受け入れる以外の術はなかった。
……リアは、大丈夫だろうかと、ヴォルケは眉を顰める。
腐竜との戦闘による負傷や疲労から、存外に早く回復していたように見えた彼女は、しかし、本調子には程遠い様に感じられた。
それでも、野生の獣の様に、他者に弱みを見せることを良しとしないリアが、自分への気遣いを受け入れる相手は、ヴォルケではないのだ。
舌に広がる苦味を飲み下し、ヴォルケは首を振る。
無情なくらいに誠実な彼女に受け入れられなくとも、せめて、傍に居れさえすれば、きっと何かかしらは、ヴォルケがリアにしてやれることがあるから。
袖を通したのが、『災獣』討伐後の褒章の受け取りの式典だけだった一張羅を、ヴォルケは何とか箪笥の奥から発掘できた。
そうして、着ると背中が痒くなる様な、仕立ての良いそれを、フェリクスから教わった通りに手入れする。
どうせ、ヴォルケもリアも、夜会の同伴者は、お互いしか当てがないのだ。
ヴォルケに出来ることが少なかろうと、皺だらけの服で、リアに恥をかかせたくはない。
――リアの衣装担当が、よりにもよってあの筋肉妖精であることは、極力考えないことにした。
◆◆◆
鮮血の、真紅。
それは、アレクサンドリアの民にとっては貴色で、アレクサンドリアに敵対した相手にとっては忌色だ。
――アレクサンドリア史上、最悪の殺戮者と名高い『残虐王』が、在位の間、その身に纏い続けた色。
そして、『残虐王』の覚悟に倣ってか、戦がある度に、後世のアレクサンドリア王家は真紅の装束で戦場へ赴いた。
その結果、アレクサンドリア王家が真紅の衣類を身に着ければ、他国への宣戦布告と見做されるようになったのは、正直どうでもいい。
ただそのせいで、リアの主君が、真紅の髪と瞳を有する夫の色彩を身に着けられないと嘆くのは、はっきり言って、うっとうしいと思わなくもないけれど。
少なくともリアは、己の思考に、主君の様な乙女回路を形成する意義を見出していないのだ。
鏡の中のリアが、面倒臭げに向こう側の己を見返す。
正確には、今の彼女が着ている、ドレスの紅を。
その紅は、鮮やかな花の、彼女の地神の色だ。
ウェールズの大森林に座す地神を彩る、鱗の紅。
紅姫の呼び名の由来にもなった色彩は、彼の地竜より下賜された鱗から作られた染料を以て、神域より産出された生糸を染め上げている。
ドレスの表面を覆う凝ったレースの柄も、要所要所にあしらわれた繊細な刺繍も、それ自体が、神域に保護された魔族の各氏族伝来の魔法陣である。
根柢の理論も、目指した効果もバラバラなそれらを、一切の破綻無しに組み上げ、一着のドレスの形に落とし込んだのは、偏に作り手の腕があってのことだ。
そして、ドレスの紅に際立つ、白乳色の玉飾りは、地神の爪牙より削り出された代物である。
それはまた、リアが身に着けている、装身具も同様に。
透けるレースの紅に、肌の白さが強調された胸元で輝く紅玉は、地神の血液より精製された魔石。
敵方に奪われたら洒落にもならない紅玉を嵌め込む台座には、紅の螺鈿が、花々を模した美しい紋様を描く。
結い上げられた入れ髪を彩る髪飾りには、鱗の紅と爪牙の白乳色の小花が幾つも連なり、リアが身じろぐ度に、雨音に似た音色を奏でて。
――お前に地神の自覚はあるのかと、リアが問い質したくなるくらいには、紅姫由来の生体素材がふんだんに使用された衣装であった。
地神の素材を使用していないのは、最早、ヴォルケから贈られた耳飾りぐらいか。
嬉しくもなんともない事実に、リアはげんなりと溜息を吐いた。
こんな事になるのなら、どうせ着る機会も必要性も無いからと、ノリノリでリアのドレスを用意しようとする、主君や筋肉妖精を放置しておくのではなかった。
「リアちゃん、せっかく綺麗になったんだから、え・が・お・で・ねっ!」
筋肉妖精の台詞の語尾のハートマークに、リアは本気で殺意を覚える。
「殴らせろ、スウリ」
「――うおっ?!」
言葉と同時に放った裏拳は、ぎりぎりのところで筋肉妖精に避けられた。
回復しきっていない己の身体のままならなさに、リアは苛立たし気に舌打ちする。
もしも夜会で何かが起こったとして、この神域産ドレスを活用しなければならない可能性があるのが、心底忌々しい。
所詮は、悪鬼の紛い物でしかない自分を突き付けられたと、感じる弱さ自体が、リアにとっては憎たらしく、それを嗤う亡者たちの呪詛が余計に癇に障る。
「――ねーちゃんが、女の人に見える……」
「クロード、私は元から女だ」
愕然と呟く遠縁に、リアは半眼で拳を握った。
遠く血が繋がろうとも、元より、流れる血脈が根本から異なる相手だ。
種族が違えば、知覚する世界も違えるのは当然。
が、目の前の遠縁に、リアは今まで一体何だと認識されていたのか……。
「ねーちゃん」
「何だ」
目を眇めたリアに対し、クロードは真顔のまま、グッと親指を立てた。
「その格好なら、チッパイでも男とまちが――「え~い」――いっでぇっ?!!!」
スウリ自慢の鈍器で殴られたクロードが、壁に激突し、豪快に大穴をぶち開ける。
「リアちゃんは、は・じ・め・か・ら、可愛い女の子だったのよん」
「スウリさん、いだいいだいいだいいだいからっ!!」
スウリの棘付き鈍器をぐりぐりと押し付けられ、クロードが悲鳴を上げた。
遠縁と筋肉妖精の漫才めいたやり取りが、馬鹿らしくなってきたリアの耳に、扉を叩く音が届く。
ポスポスと、間の抜けた足音を立てながら扉に駆け寄るウサギの着ぐるみを見て、リアは、夜会の時間が近づいていることを思い出した。
そして、ウサギと共にやってきたヴォルケを見て、リアは、まともな服を持っていたのかと、非常に失礼な部分で感心した。
山賊顔も額の傷跡も変わりが無くとも、衣服がそれなりなら、ヴォルケも破落戸ではなく高位の軍人に見えるのだ。
そのヴォルケは、リアを見るなりなぜかアホ面を晒してきた。
「何だ」
「いや……」
片眉を上げるリアに、ヴォルケは言葉が見つからないように、視線を彷徨わせる。
「……すごく、綺麗で、驚いた」
気恥ずかし気に、ぽりぽりと頭を掻くヴォルケに、リアは鼻を鳴らす。
「人を可笑しな顔にするような奴に、夜会の身支度なんぞ任せるものか」
「今日のリアちゃんは、巫女姫的に清純系乙女で攻めてみたのよんっ!」
ドヤ顔で親指を立てるスウリを無視したが、リアは、筋肉妖精の腕は認めているのだ。
自分の顔になると、攻めすぎて千年ぐらい先を爆走するようなスウリだが、他人の顔に化粧を施す時は、いたってまともな仕事をする。
クロードと一緒に、城内をうろついていたのも、ローディオで主流になっている化粧を研究して、敵地の夜会でリアが浮かない様にするためだ。
「おう、じゃあ、行くか」
年頃の乙女が求める雰囲気もへったくれもなく差し出された手に、リアは無造作に己の手を重ねた。
ふと、戦場に主君以外の誰かと共に向かったことがあったかと、益体もない感想が浮かぶ。
「行くぞ」
「おう」
ヴォルケが、惜しむように自分を見返した理由など、リアは気が付きもしない。
リアが浮かべていた無邪気な笑みは。
産まれてからほんの数人にしか向けた事の無い、彼女本来の心からのものであるなんて。
――泣き方も知らない彼女は、理解できない。
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