閑話:虚ろなる聖女は誰を救うか? 後編
*某ご隠居視点
それが、物語の一場面であったなら。
登場人物が幾人いようと、主人公は一目瞭然である。
色素の薄い金髪は、その清楚な面を柔らかく縁どり、降り注ぐ光を散らす。
うららかな春の青空を映した瞳は、どこか夢見るようで、身に纏う白を基調とした衣装と相まって、娘に奇妙な程浮世離れした神秘性を与えている。
青い瞳を潤ませる、今代の聖女を護るは、高位貴族の子息であろう、見るからに高価な身なりの、容姿は評価すべきかもしれない青年達。
……彼がまだ権力を維持していたら、とりあえず『竜穴』あたりに放り込みたいと思うぐらいには、国にとって要らない人材どもだ。
そして、勝手に通路の通行を邪魔している集団に対峙するは、少女に人気の三文恋愛小説風に言えば、悪役令嬢と言ったところか。
赤みがかった茶髪は丁寧に手入れされ、爪の先まで念入りに磨き抜かれた華麗な容貌の娘は、しかし、悲しいくらいに無様な表情を浮かべている。
本来、高貴貴族の子息は、男女に関わらず、政敵に付け込まれぬよう、感情の制御と効果的な魅せ方を仕込まれる。
けれども、彼が覚えておくべきローディオの名家の令嬢が、こうも醜態を晒さずにはいられない目に遭ったことは、気の毒としか言いようがない。
大体、権力者の婚姻は、基本的に名誉と利害関係のみで成り立つ代物だ。
そこに、庶民が望むような恋愛感情など、特に必要とされないというのに。
「おおう。
俺、マジもんの婚約破棄見るのって初めてだ」
「あらん、アタシもよ。
最近の子達って、進んでるのねん」
『教会』の他称聖女の取り巻きが演じる、婚約破棄の茶番劇を、至って暢気かつ無責任に眺めている、部外者二名。
それは、肉の塊を持った悪鬼の遠縁と、アレクサンドリアの女王から怒られ、視覚的生体兵器からただの筋肉妖精に大変身したスウリさんである。
普通に無関係な彼はもとより、仮想敵国の――と言うか、腐竜の討伐を当たり前に妨害した相手の目の前で、なぜ勝手に恋愛小説的寸劇をおっぱじめているのか。
『竜穴』はあれども、所詮は中堅国家でしかない彼の国とは違い、この国は十分大国に分類される。
故に、ローディオが荒れれば、同じ大陸に在るアルトビャーノにも、大なり小なりとばっちりが波及する訳で。
自分の息子の教育に失敗した彼が言える義理ではないが、ローディオの高位貴族の後継の教育はどうなっているのかと、思わず遠い目になってしまった。
その間にも、おかしな方向に青春時代を謳歌しているらしい、青年達の暴走は止まらない。
どうしてそうなったかは知らないが、彼にとってはどうでもいい彼等の聖女様(笑)の素晴らしさが、無駄に耳に入ってくる。
だが、その賛美はひどく空虚だ。
例えば、聖女が青年達を救ったとして。
――文字通り我が身を顧みず、腐竜を討つ為に浄化の聖歌を歌ってのけた黒衣の娘は、その行為は、いか程価値を損ねなければいけないのだろう。
例えば、聖女を認めなかったとして。
――彼が逃げる時間を稼ごうと、自ら腐竜に立ち向かった、彼の友人の誠実は、どこまで貶められねばならぬのか。
尊いとされる聖女の中身は、彼にとっては、がらんどうとしか思えない。
……まあ、聖女に値する能力があろうとなかろうと、『教会』に作られた『聖女』とは、そんなものでしかないのかもしれないが。
彼の記憶の中で、激烈な意思が輝く漆黒の眼差しに、怖気を催す空虚を内包した、時折銀が差す程青い瞳が重なる。
その事実から、彼は努めて意識を逸らす。
そのことに。
気付いては、いけない。
悟っては、いけない。
だって。
それは。
――大凶星が喰らってきた、闇の中にあるはずのものだから。
「ねーちゃんってさあ――」
もぐもぐと肉を頬張る合間に、悪鬼の遠縁は首を傾げる。
「あいつらのこと、選んでたっけ?」
「え?
ある訳ないでしょう、そんなこと。
リアちゃんに、我らが覇王を差しおいて、あんなしょうもないのにかける余裕なんてないわよん」
何気なくひどい会話が聞こえた。
……只今、淫乱な悪鬼に傷つけられた心を聖女様(笑)にどう癒してもらったか、青春真っ盛りの坊ちゃん方が熱弁を振るっている場面なのだが。
「だよな~。
選ぶわけ無いよな~、あんなの。
――うわきやろうなんてほろべばいいのに」
はっと、鼻で嗤った悪鬼の遠縁は、暗い暗い目で茶番劇を眺める。
二十代半ばあたりに見えるこの青年は、彼からすると妙に子供っぽいし、判断基準に噛み合わないズレを感じる。
誰も選びはしなかった遠縁の娘は青年の許容範囲でも、婚約者への誠意を示そうともしない、茶番の脇役どもの所業は、バッチリ有罪判定らしい。
正直、彼からすると、複数の異性を渡り歩いてなお、誰にも一欠片とて心を与えない女王の忠臣も、十分にひどい。
少なくとも、ローディオやアルトビャーノの王侯貴族の貞操観念において、未婚の令嬢の純潔は未来の伴侶のものなのだ。
気を取り直すように肉を口にする青年へ、スウリさんは慈愛に満ちた眼差しを贈る。
「そもそも、人族の言う永遠なんて、刹那と大差ないわよ~。
だって、たかが数十年程度の寿命ごときで、書面にした約定さえ簡単に違えるのよん。
……我らが覇王やリアちゃんが、そんなのと一緒にされるなんて、本当にふびんよね~」
スウリさんの最後の台詞が、やたらと実感がこもっていた。
スウリさんは、永らく人族から畏れられ、あるいは、その身の生体素材を狙われてきた長命種だ。
彼よりも遥かにご長寿な分、見たくもないものも、見ない方が幸せでいられたものも、山ほど目にする機会があったのだろう。
きっと、アレクサンドリアが、大凶星を王に戴く故に、濡れ衣を着せられまくっていると言う彼の推測も、流布している大体の噂では事実なのだ。
明確な悪役がいた方が、アレクサンドリア以外の誰にとっても都合が良いから、誰も、何も言わず、調べようともしないだけで。
「そうだよな~。
条件次第でころころ変わる永遠の愛とか、ねーちゃんにある訳ないか」
「そんなの持ってたり、欲しがったりしていたら、リアちゃんは王鞘になってないわよん。
その前に、条件付きの永遠の愛欲しがるなんて、言葉の意味が分かっていないお馬鹿さんぐらいじゃないの?」
「本当にな~」
そう言ってからからと笑い合う、悪鬼の遠縁とスウリさんの笑声が、沈黙した茶番劇の舞台に実に明るく響く。
空気を全く読まないのは、青春している若者たちだけでなく、アレクサンドリア組もであった。
気まずい。
彼は全くの無関係であるのに、この気まずさは一体何なのか……。
この場から全力疾走しようとした彼の専属占い師の服を、一人だけ逃がすまいと思いっきり引っ張りながら、彼は死んだ魚の目になる。
涙目の聖女様(笑)へ、取り巻き達が必死こいて弁明し始めているところだ。
これで無事に婚約破棄が成立したら、『教会』もローディオも完全に終わっていると判断せざるを得ないあたりが、とてもかなしい。
かつてまみえた本物の『聖女』と同等の能力はなく、だが、自分のものを何一つ持たない虚ろだけは共通した『教会』のお人形に、彼は嘆息を零す。
『聖人』も『聖女』も、救い手だ。
それが、彼ら彼女らの意思にしろ、そうでないにしろ。
けれど、あの空っぽの聖女様は、一体誰を救うのだろう。
投げ与えられた、綺麗な正義で、聞こえが良いだけの、綺麗な言葉で。
……地獄への道には、常に善意が敷き詰められているというのに。
『聖女』絡みの連想か、何となく、亡き巨匠が描いた『虚無の聖女』と、女王の忠臣が思い出された。
あの黒衣の娘は、己の主君の為ならば、腐竜の時と同じように、誰であろうと、何を引き換えにしてでも救ってしまうだろう。
その行為が、慈雨と引き換えに消えてしまった、最果ての妖精と変わらぬ結末に続いていたとしても。
本当はまだ年若い悪鬼を憐れむ資格を、彼女に救われてしまった、彼は持たない。
恐らく、彼の友人と同質の瞳には、己への憐憫など、侮辱にしか映らないから。
でも、あの『虚無の聖女』が救いたいのは、多分己の主君だけ。
たすけてほしい、と。
あのこは、だれにももとめられない。
――破滅してでも、彼女を救う覚悟の無い彼は、彼女の救いに手が届かないのだ。
「セイ」
目の前の修羅場などどうでもよさげに、いつの間にか近付いて来ていた彼の友人が、彼の愛称を呼ぶ。
正直関わりたくない茶番劇に気力をごっそり奪われた彼は、疲れ切った顔を友人に向けることしかできなかった。
そんな彼を憐れむ様に、友人は無言で彼の鼻先に書状を突き付ける。
普通ならば無礼な振る舞いも、彼の友人の優しさだった。
紙の上に書かれた文字の羅列の意味を理解して、――理解、してしまって、彼は地面の上に崩れ落ちる。
何も言わない友人の誠実が、ほんとうにほんとうに、胸に痛い。
……あっちもこっちも、馬鹿と阿呆だらけなことに、彼はもう涙しか出てこなかった。
――息子。
おまえ、あれを見てまだ理解をしていなかったのか。
息子がまた友人の妻子を王城に連行したという、息子よりまだましな宰相からの殴り書きの報告に、アルトビャーノの先王は、這うようにして動き出した。
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