閑話:悪の王国に善人はいない
*筋肉妖精視点。
*残酷な描写有の為、苦手な方はご注意ください。
――彼の罪は、例えば、斃れた主従の姿をしていた。
その死を悼む様子もない蒼穹の下、狂乱のままに上がっていた悲嘆の叫びは、すでに、実感してしまった喪失の痛哭へと変わっている。
光を喪いかけた赤銅色の瞳は、それでも、漆黒の髪の女を映そうとしているようだった。
力が抜けた左腕の、血に塗れた指先は動けども、どこへも届かずに宙を掻くばかりだ。
血の気の失せた唇から、血潮と共に言葉が溢れる。
「――レン、ごめん、あいしてた――」
ふと、寄せた眉は、きっと、ごっそり欠けた、身体の右半分のせいではなかった。
「――あいして、いるのに、……おれは、死なないりゆうに、できな、かった……」
文字通りに血と一緒に吐き出されたのは、想いと、哀しみ。
とめどなく流れる涙が伝う頬を、手袋に包まれた掌が、労わる様に撫でる。
右頬を削った傷が、白い手袋に、赤黒い染みを広げていった。
落ちてきた雫に、赤銅色の瞳が微かに細められる。
「いいの、――いいから……。
――たくさん、頑張ったでしょう、ロイド……」
黒髪の女は、酷く軽くなった男の身体を抱きかかえた。
女の、深緑の衣装を、男の炭化した傷口から滲む体液が汚す。
彼が縫い上げた白い婚礼衣装を纏い、未来への希望に微笑んでいた時と変わらないように見える黒瞳には、痛みと愛おしみの色があった。
「――レン」
掠れた声が、女を呼ぶ。
主君以外の、唯独りを。
愛した女の腕の中で、赤銅色の悪鬼は、たどたどしく笑みを浮かべて。
「……ここは、地獄じゃ、なかった……」
最期の一息は、まるで、戯言だ。
王の首を抱えた幻虹蝶の娘が、言葉にならない慟哭の声を上げた。
大きく崩れ落ちた床の上に、原型を留めぬ王の遺骸が広がっている。
息絶えた忠臣を抱きしめ、竜に愛された女は、声もなく、はらはらと涙を零していた。
……そう、星が二つ、堕ちたのだ。
こんなものが、地獄でなければ。
凄惨な殺し合いの果てを見届け、己ではなかったことに、安堵してしまった、自分は――。
――彼の罪は、例えば、小さな女の子の姿をしていた。
異母兄の影から、自分を見上げる面差しに、彼は己の罪の残り香を見た。
清算することなく引き摺り続けた、堕ちた大凶星を悼む女達の記憶。
かつての女によく似た面は、けれどまだ、終焉へとは至っていない。
稚い顔は、赤銅色の男を抱えて泣いていた女の、十人並みの容姿とは異なり、いずれ美しく花開くだろうと思わせた。
固く閉じた蕾に、せめて幸あれと、祈りを抱いた彼は、ただ無責任なままだった。
――小さな白い花が芽吹いた場所が、地獄の底だとも、理解しないで。
慣れない服に、戸惑う少女の頭を撫でる手は、変わらないと、彼は勝手に認識していた。
小さな花は、いつまでも守られているだろうと、無意識に少女を侮辱する先を思い描いて。
結局、彼の他愛ない幻想は、激烈な眼差しにことごとく叩き壊された。
その黒い瞳に燃え盛る、苛烈なまでの意思の強さを、彼は完全に見誤っていたのであった。
――彼が作り上げた衣装が、少女にとっての対価になり得たと知った時、はにかんだ笑みを思い出した彼は、けれど、誇らしいとは感じられなかった。
◆◆◆
「――それでねぇ、ちっちゃい頃のリアちゃんは、ほんっとにラブリーだったのよ~っ!!」
「らぶっ――?!」
「――もし、剛翅の民の方とお見受けしますが、ブラザー・カルロに近付き過ぎていらっしゃると思いますのっ」
同朋が連れてきた『神の目』に詰め寄って、当代の王鞘について力説しようとしていた彼は、もう一人の『神の目』から力一杯押し戻された。
「そうかしらん?」
小首を傾げる彼を見て、隻眼の男性が無言で膝をつく。
「――ぶ、ブラザー・カルロ、しっかりなさってくださいましっ?!」
精神的に瀕死になった同僚を、全盲らしく両眼に覆いをつけた『神の目』が、必死の形相で揺さぶりだした。
さすがに『神の目』に手を貸そうとした彼は、首に突き付けられた切っ先に、伸ばそうとした手を阻まれてしまう。
彼の王のものより目に眩しい、金糸の髪の同朋は、その晴れ渡る空色の瞳が完全に据わっていた。
「いや~ねぇ~、ええと、――エリックちゃんだったかしらん?
ダメじゃないの、いきなり剣なんか抜いちゃったら」
「黙れこの恥さらしが」
殺気が多分に込められた同朋の台詞に、彼は肩を竦める。
さて、困った。
隠密行動中の亡き王の妃を、『神の目』に気付かれない様にしたつもりが、目の前の同朋をすっかり怒らせてしまったらしい。
むうっと、唇を尖らせた彼だが、首に添えられた刃が細かく震えて、地味に痛い。
最も、動脈を傷付けられなければ死にはしないが、制作に手間が掛かっているだろう足元の絨毯に、血の汚れをつけるのは気が引ける。
「……クラーク様、剣を引いてくださいませ。
――少なくとも、その方には、こちらへの害意がございません」
「あら、ありがとねんっ」
喉元の危機が去った感謝を込め、彼は『神の目』へばつんとウィンクしたのだが、すごい勢いで顔を逸らされた。
「も、もし、剛翅の民の方……」
当代の王鞘よりもやや高い、『神の目』の声は、辟易したような響きがあった。
「――どうして、その様な振る舞いをなさっていらっしゃいますの?」
その質問に、彼は、よくぞ聞いてくれたと、胸を張る。
「――だって、女の子のお洋服って、作って終わりじゃないでしょう」
城中に呪式が張り巡らされたアレクサンドリアとは違い、彼の目には、張りぼての飾りばかりの空虚にも思える廊下に、重い沈黙が広がった。
何やら吹雪のただ中に放り出された風情の相手には構わず、彼は指を折りつつ数え上げる。
「女の子が綺麗になるのって、小物は必要だし、装飾品も無視しちゃいけないし、髪型だって、お化粧だって大事なんだもの。
――全部完璧にするぐらいしないと、リアちゃんったら、アタシが作ったドレスを着てくれないみたいなのよねぇ~」
言って、彼は憂いの溜息を吐く。
――彼が縫った婚礼衣装を身に着けた、彼の女性の様に、……異母兄から贈られたドレスに袖を通した、幼い時分の様に、彼女が笑える時がくるのだろうか?
自分が作り上げた服が、誰かを笑顔にさせる瞬間が、彼は好きだった。
しかしながら、どう言い繕えど、彼の望みは自己満足でしかない。
本当は、あの子は、きっと、望むまい――望めまい。
掌から零れ落ちるものを恐れて、少女だった娘は、誰からも何をも受け取ろうとしない。
ただ、主君と地神以外には。
……もしかしたら、あと一人くらいは例外が増えると、彼は思いたいのだけれど。
「馬鹿馬鹿しい」
嘲りよりは、憎悪の色が濃い声に、彼は片眉を上げる。
「あの悪鬼に、そこまでする価値などどこにある」
吐き捨てた同朋は、空いた片手で、胸元の聖印を固く握りしめていた。
ああ、と、彼は思い当たる。
「エリックちゃんったら、先代の王鞘とリアちゃんを混同してる口かしらん?」
彼を睨み付ける青い瞳が、鋭さを増した。
ああ、と、彼は深々と息を吐く。
「やめてよねぇ~。
あの男はあの男、リアちゃんはリアちゃんよ。
――そもそも、あの男の方が、王鞘としてはおかしいのに」
王鞘は、程度の差があれ、どいつもこいつも気狂いだ。
まともな方ではある、あの子でさえそうなのだ。
……けれど、一度たりとて己の主君とまともに向かい合わなかった愚か者は、あの子の父親であった、あの男ぐらいだろう。
「違う」
唸る様に、同朋は告げた。
「王鞘自体が、――アレクサンドリア王家自体が在ってはならないのだっ!!」
「それはそうでしょうねぇ、アレクサンドリアは『悪の王国』なんですもの」
同朋が叫んだ罪を、彼はあっけらかんと肯定した。
他国から呼ばれる悪名は、しかし、アレクサンドリアに相応しいと彼は思うのだ。
「――元々、アレクサンドリアには、善人なんかいないのよん」
そう、不吉の地たる疵物の神域を擁し、代々二つの大凶星が互いを食らい合う、彼の故郷に善人は存在しない。
「アレクサンドリアにいるのは、選んだ一つ以外を顧みない狂人に、自分の為に他人を踏みにじるろくでなし、強者に寄生する弱者に、言葉に踊らされる愚か者ばっかりよ。
……誰かの為に、自分を削る善人なんて、アレクサンドリアの中じゃ、それこそ我らが覇王ぐらいなものでしょう」
彼の声に在るのは、言葉とは裏腹な己への自戒と、王家と忠臣達への消えない敬意だ。
「殺すことしか能が無い、我らが覇王に敵を押し付けて、殺させ続けてきたのは、アレクサンドリアの民であるアタシ達の方だもの。
それが一番確実で、我らが覇王とその敵以外の、一番多くが生き残る道だったのよん」
彼の台詞に、青い瞳が険しさを増した。
「そんな事は――」
「――間違っていると思ったから、アナタは『教会』と手を組んだのでしょう?
我らが覇王を弑しても、神域の地神を討ってでも、――その結果、彼等に護られてきた人達が、他の人間達に狩られる羽目になったとしても、アナタの正義は守られるから」
歌うような彼の言葉に、嫌悪も憎悪も無く、親しみさえこもっていた。
――だって、それが、アレクサンドリアの民だ。
「アタシ?
アタシは我らが覇王の為に動くわよ。
それがアタシ自身の為だし、――我らが覇王から、王であることを取り上げちゃったら、ただの大凶星でしかいられないじゃない」
そのせいで、アレクサンドリア王家も血族殺しが絶えないのだ。
王であることを取り上げられた彼等は、善き家族にはどうしてもなれない。
……大凶星の厄を免れ、生き長らえるのは、王である彼等を愛した伴侶や、王に仕える臣下に降った者ぐらいか。
「だから、ね、自分の魂の死も、肉体の死も拒むなら、お互い殺し合うしかないのよ」
だから、いつだって戦い抜いた。
だから、敵がいなくなるまで殺し尽くした。
――だから、アレクサンドリアは『悪の王国』だ。
自らの魂と命の為ならば、他者を踏みにじって恥じない者ばかりが、寄り集まってできている。
……もちろん、彼も、自分の為に王を見捨てた、ろくでなしだ。
敵を見る目の同朋へ、彼は柔らかく笑いかけた。
「まあ、アナタはアナタで好きにしなさいな。
アタシだって、アタシの好きにするし、――アレクサンドリアは、どこの国よりも自分の死に方を選ぶ権利が保障されているんだもの」
「――狂っているよ、貴様も、王達も」
吐き捨てる同朋に、彼は失笑した。
知らないことは、幸せだ。
「――人として死ねない悲劇を、君は知っているのか?」
彼の、本心からの言葉は、反論を許さない重さを伴って響いた。
「自分を素材としてしか見ていない目は?
――狩られた仲間の一部が、道具として使われているのを見た時の気持ちは?
――ああ、例え誰から悪と誹られようとも、私は、我らが覇王を利用して、私や私の氏族を護るよ。
……我らが覇王達だけが、私達に、自分で自分の使い方を決める自由を、くださったのだから」
少しだけ敵意の消えた青い瞳の、意志の強さは変わらない。
それでも、彼は構わなかった。
話し合っても譲り合えなければ、剣をとるのが、アレクサンドリアなのだから。
「まあ、エリックちゃんはエリックちゃんで頑張りなさいな。
アタシは、アナタがしようとしていることを、応援する気はないけれど、否定する気も無いから~」
気持ちを切り替えた彼は、いつもの調子を取り戻し、同朋達にぶちゅっと投げキッスをお見舞いする。
不意打ちの強烈な精神攻撃によろめいた、同朋達の横をすり抜け、彼は目的地へと足を踏み出していった。
――乙女走りの筋肉妖精を追おうとする猛者は存在せず、彼を追う花妖の民は、人知れず肩を竦めた。
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「あ、あのね、スウリさん……」
通信用の魔導鏡に映し出された、彼の王は、青い顔で頭を抱えていた。
「――ふ、服装には、時と場所と場面の問題があるの!
スウリさんが、こう、頑張っているのは分かっているのだけれど、そこはちゃんと考えてっ!!」
「ごめんなさいねん、陛下」
「――それが謝罪する態度か、お前はっ!!」
「ああっ、クライっ――?!」
ごめんなさいのてへぺろに、返ってきたのは、王配の血統魔法である。
自作の武器で炎雷を散らして、彼は無傷で済んだものの、夫が妊婦に負担を掛けるのは良くないだろうに。




