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地獄の底に咲く花は  作者: 詞乃端


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81/88

君に唄うは、子守唄

*後半、R15かもしれない性に触れる描写がある為、お子様はブラウザバックでお願いします。

 ――よ


 しっている。


 ――しているから


 わかっている。


 ――て、いるのに


 それでも。


 ――を、あいして、いるのだよ


 それだけで、すんでいたのなら、()()()は、いま、ここにいなかった。


 言い捨てて、優しい声から背を向けた。

 今までと、変わることなく。

 これからも、変える気も無く。


 ……汚濁(おだく)怨嗟(えんさ)の向こう側、奇妙に静謐(せいひつ)彼岸(ひがん)とのあわいにて、微笑(ほほえ)む気配は、ひどく、もの哀しい。


 ◆◆◆


 血流と共に身体を巡る熱は、まだ皮膚(ひふ)を突き破らんと暴れだす程ではないが、微睡(まどろみ)(さまた)げには十分すぎる。


 ただ横になって、(まぶた)を閉ざしていただけのリアは、異様に()がれた感覚が捉えたものに、溜息を吐きたくなった。

 元々、地神の眷属(けんぞく)であると同時に、巫覡(ふげき)としての適性故に、リアは、世界の血流とも言うべき、気脈や地脈の流れを多少なりとも感知できる。

 だが、今のリアは、気脈や地脈に対する知覚の精度が、平素より鋭くなりすぎているのだ。

 そのせいで、世界を(めぐ)る気脈を乱す、異物の動きまで把握できてしまい、リアはそれが気に触って仕方がないのである。

 付け加えると、気脈や地脈を通じて、(かたわ)らの男以外の、自分に敵意を抱く存在を(とら)えてしまうのだから、尚更(なおさら)に。


 ――正直、自分以外の周囲全てが敵である状態はどうでも良いが、常時己への害意を感じ続けることに関しては、流石(さすが)のリアとて、辟易(へきえき)ぐらいはする。


 また、何の気紛(きまぐ)れか、あるいはリアに伝えられない何かがあったものか、闇に潜む古竜は、今、リアの近くにはいない。

 確かに、リアが、古竜に何も頼んでいなかったのは、(まぎ)れもない事実だ。

 けれど、勝手にリアの護衛の真似事をしていたのなら、せめて最後までやり()げてくれれば有難かった。

 そうすれば、あんな面倒臭そうなのと、リアは顔を合わせずに済んだというのに。


 近付いてくるのは、確固たる意志と強烈な怒気と、ほんの少しの恐れと(おそ)れが入り混じる気配。

 ついでに、色々と薄い気配が、二つ程くっついている。


 ……多分、(べに)(ひめ)からの情報にあった、鬱陶(うっとう)しい男と、『神の目』達だ。


 はっきり言って、リアは、アレクサンドリアの在り方が間違っていようが、『教会』の教えが正しかろうが、その是非(ぜひ)について心底興味がない。

 そんな事をリアが口に出せば、きっと主君は、へにょへにょという擬音語(ぎおんご)が良く似合う、情けない表情で困り果てるだろうが、それがどうしたという話だ。


 (おのれ)の使い道を――せめてそう在りたいと思った姿を、リアは(すで)に決めていて、それを変える気は無いし、変えたいと願いたくもないのだ。

 それ故、『教会』側についたアレクサンドリアの民の声は、リアにとって雑音に過ぎず、だからといって、小うるさい羽虫を黙らせることさえも(わずら)わしい。

 アレクサンドリアが気に入らないというのなら、それを声に出して騒ぐ労力を、己の理想郷を探す方へと振り向ければ良いものを。


 もっとも。


 ()()()()()()()()()()()()()()、誰も彼も、現実を自らの望みに合わせようと、リアにとっては傍迷惑(はためいわく)な努力をするのだろうが。


 ――本音を言うと、主君や紅姫達を放っておいてくれさえすれば、リアはそれで十分だ。

 リアが、どんなに幸せであってほしいと願っても、主君達の幸福を定めるのは、彼女ではなく、当人達だけなのだから。

 ……だというのに、都合の良い悪役を欲する馬鹿共が、次から次へと湧いてくるのは、一体どういうことなのか。


 ――災厄を招く大凶星という、非常に分かり易い悪役がいなければ、一言たりとも正義を語れぬというのなら、いっそ何もしてくれるなと、リアは思う。

 皆が皆、そうなってくれるのなら、さぞかし平和になるだろう。

 少なくとも、リアの周囲に関しては。


 リアが横たわる寝台の横に、飽きる様子もなく座っていたヴォルケが、そろりと、病室の味気ない扉へ目を向ける。

 乱暴に開けられた扉の音に、リアはいやいやながらも、閉ざしていた両目をこじ開けた。

 機嫌の悪いリアの目に映ったのは、山賊顔のヴォルケより、他人の好感度を得られそうな(つら)を、浮かべる形相によって台無しにした男だった。

 礼儀知らずな男の、無駄(むだ)(かがや)めく陽光(ようこう)の髪に、晴れ渡る夏空を連想させる青い瞳は、己の主君より目立つだろうなと思うものの、リアにの胸に、それ以上の感慨は浮かばない。

 ただ、男が(まと)う色彩は、古き聖女の血筋のそれには(およ)ばずとも、神の威光(いこう)の象徴として光を尊ぶ『教会』に、受けが良いものだった。

 リアが呼んだ覚えの無い男の、(おう)(しょう)である彼女への敵意は、知っての通り。

『教会』についた男の服装は、()の組織に属する聖騎士のものに似ていたが、『教会』かぶれの扮装(ふんそう)と馬鹿にして良い代物ではない。

 手に届かない(ゆえ)の執着を(まき)にくべた結果とは言え、アレクサンドリアでは無縁な聖騎士の(わざ)を、独力で盗み取った才と奮闘は、評価してしかるべきだ。


「――ウェイン伯、どういう事だ」


 開口一番に言い放った男には、故国の忠臣に対する敬意など、(はな)から持ち合わせがないらしい。

 相手の態度に腹を立てることさえ下らなく思え、リアは寝台から身を起こす気力も出てこない。

 寝台から動かず、無言で片眉を上げたリアに、目を()く青の瞳が、険しさを増す。


「おい、怪我(けが)人が休んでいるんだぞ」

「黙っていろ、ヴォルケ。

 そこのそれにとって、私は怪我人扱いするに値しないだけだ」


 面倒ごとの予感に、仕方なく起き上がったリアは、顔を(しか)めて割り込もうとする阿呆(あほう)を、溜息(ためいき)交じりに制した。

 ここでヴォルケに口出しされて、事態が妙な具合に(から)まっても困る。

 自己主張の激しい傷痕(きずあと)のせいで大分損をしている、ヴォルケのいかつい顔に、気遣(きづか)わし気な色が過る。


「……あのなぁ、――」

「――どうして、他国の人間が、災厄の星持ちに関わっているのですか?」


『教会』の教えを奉じる男は、目の前の光景が理解しがたいと言いたげに、リアとヴォルケを見比べた。


「お前が(くちばし)(はさ)むことでもないだろう、エリック・J・G・H・クラーク。

 ――こいつが、どう生きるもどう死ぬも、こいつの選択の結果で、全てこいつ自身が負うべきことだ」


 ヴォルケへ向けて(あご)をしゃくるリアの言葉に、男――エリックの瞳から、すうっと、温度が抜けていく。

 その光景を、()めた目で見やったリアの視界に、開いたままの扉から、そろそろと顔を(のぞ)かせる、二人の『神の目』が入り込む。


「……ウェイン伯、貴女様は、誤解を招く言動について、もう少しお気をつけなさった方がよろしいと思いますの」

「届かない言葉を取り(つくろ)う必要がどこにある、『神の目』」


 全盲の『神の目』が、おずおずと口にした台詞(せりふ)を、リアは鼻を鳴らして拒絶した。

 (かたわ)らの男が(おのれ)へと向ける、痛まし気な視線を、けれどリアは、気にもかけない。


「……ウェイン伯、貴女様が主君へ奉げた心の、一欠けらでもよろしいのです。

 それが(かな)わなければ、せめて、その振りだけでも構いませんの。

 ――貴女様は、もう少し世界に期待しても、罪に問われませんのに」


 相互理解の努力を(しょ)(ぱな)からほっぽりだすリアに、穏便に事を済ませたがっているらしい女司祭は、肩を落とした。


「――()()、な」


『神の目』から差し出された、綺麗(きれい)なばかりの空っぽな言葉に、思わず、リアの顔に笑みが浮かぶ。


 ――それは、一目見れば、一切の言葉を(ぬぐ)い去る程に。


 (ごう)(ぜん)と。

 凄愴(せいそう)に。

 (あで)やかで。


 ……魅入(みい)られるままに手を伸ばせば、諸共(もろとも)()(らく)の底へ転がり()ちるだけの、うつくしさ。


「どれだけ」


 寝込んでいたせいで化粧っ気のない、リアの白い顔の、それでも鮮血(せんけつ)(いろど)られたが(ごと)くに(あか)(くちびる)が、ゆっくりと動く。

 ままならぬ世界を(のろ)う様に、――彼女の大切なものに優しくない世界を、(なげ)く様に。


 アレクサンドリアの女王の、第一の忠臣にして、疵物(きずもの)の地神の、唯一の巫女(みこ)(ひめ)(わら)う。


 しっている。


 知っていた。


 彼女は、アレクサンドリアと共に在り続けた地神の一部で、紅姫もまた、彼女の一部であったから。


「――アレクサンドリアが、わたしたちが、裏切られ続けたと思っている」


 光が()らい尽くされた後の残骸(ざんがい)めいた、()()()まれそうな(さく)()の瞳から、二人の『神の目』は咄嗟(とっさ)に顔を背ける。


 アレクサンドリアは、戦争を仕掛けたことがない。

 ――売られた喧嘩(けんか)を、ありったけの高値で買い取るぐらいだ。


 アレクサンドリアは、約束を破ったことはない。

 ――アレクサンドリアとの約束を破るのは、いつだって、約束を交わしたはずの、相手の方だ。


「アレクサンドリアに、それだけの価値があったと?」


 目の前の男の、憎悪すら(はら)んだ瞋恚(しんい)の声に、リアの顔から笑みが消える。


「――人の自由を口にしながら、己の意に沿わぬ者を踏みにじる(やから)が、王の忠臣と呼ばれる国に?

 ――力ある聖女を手にしながら、誰も救わせようとしない国に――っ?!」


 気がつけば、身体が勝手に動いていた。

 リアの、華奢(きゃしゃ)な見た目とは裏腹に凶悪な手に、呼吸を妨害され、男の顔が――相手は王鞘なぞに見せたくもなかっただろうが――わずかに苦痛に(ゆが)む。

 ヴォルケが、(あせ)った顔でリアの肩を(つか)んでくるが、どうでも良かった。


「――ウェイン伯っ?!」

「――おい、こら、止めろリアっ!!

 お前は、まだ無理できる身体じゃないだろうがっ!!!」


 リアは、周囲がうるさいと思ったが、隻腕(せきわん)で持ち上げたエリック何某(なにがし)の首を、放すつもりはなかった。

 あまりの腹正しさに、強く()()めた奥歯が、(きし)んだ音をたてる。


「――()()()()()()()


 (うな)る様なリアの言葉に、苦し気な青い瞳が、(きょ)を突かれたように見開かれる。

 漆黒の双眸(そうぼう)に、壮絶(そうぜつ)なまでの火炎を抱き、リアは首を(つか)んだままの男を(にら)み付ける。


 そして、リアは腹の底から()えた。

 リアの願いを、(いの)りを認めない世界へ、精一杯の拒絶を叩きつけるために。




「……私は、我が君の第一の忠臣、神域の番人、――アレクサンドリアの悪鬼だっ!!!」




 ――リアは、言われるがままに、誰彼構わず救いを振り()くような存在に、なったこともなければ、そんなものになる気なんぞ、さらさらない。


「それが、私が決めた、私の生だっ!

 ――私は、私の使い道の決定権を、誰にもくれてやった覚えはないっ!!!

 例え、我が君や私の地神であってもだっっっ!!!!」


 リアの、自らをも焼き尽くしかねない憤怒(ふんど)の叫びは、けれど、悲鳴の様な響きを(ともな)って、白い部屋の静寂(せいじゃく)に反響し、(はかな)く溶けて消えていく。

 ふと、リアは、いつの間にか()き出していた汗の気持ち悪さと、ひどい眩暈(めまい)を感じた。

 そのせいか、呆然(ぼうぜん)とリアを見返す、青い瞳に浮かんでいる、奇妙な色が何かを判別するのも、億劫(おっくう)で。


「リア」


 優しい声が、武骨(ぶこつ)(てのひら)が、確かな温もりが、リアの強張(こわば)った手を包み込んだ。


「――もう、良いじゃねぇか」


 リアは良くない。


 それなのに、ヴォルケが(いた)わる様に()でるリアの手から、力が抜けていく。

 リアが(つか)んでいた男の首から、勝手に手が離れていって。

 ああ、自分は疲れているのかと、相手の首の周りにくっきりと残った、己の手の跡を見ながら、他人事の様にリアは思う。


 リアの手から逃れた男は、激しく()き込みながらも、その瞳の光は損なわれていなかった。

「クラーク殿っ?!」

 隻眼(せきがん)の『神の目』に支えられながらも、男は強い眼差しをリアへ向ける。


「――王鞘、貴様は、こうやって、敵を全て殺し尽くすつもりか?」


 リアへ向けられた青い瞳は、けれど、見ているのは自身が抱え続けているものだ。

 男の顔に(よぎ)ったやりきれなさは、所詮(しょせん)、リアが負う必要のないもの。


「――多くを救えるくせに、その力があるくせに、誰も、何も救わないつもりかっ?!

 ――答えろ、アレクサンドリアの悪鬼っ!!!」


 何故か、ヴォルケが、リアを抱き込む。

 叫ぶ男から、リアを(まも)る様に、(かば)う様に。

 ……そんな必要は、どこにもないのに。


「いいや?

 どこの有象無象(うぞうむぞう)だろうと、救うことはやぶさかでないな。

 ――それが、我が君にとって、利になるなら、な」


 聖女なんかにならないリアは、自分や主君の為以外には、誰も救う気が無いのだ。


 面倒臭げなリアの答えに、男は、何かを()える様に、唇を噛み締め、瞑目(めいもく)した。

 この男の望みなぞ、リアは知りたいとも思わないけれど。


「――あと、私に、お前の都合なんてくだらないものを、押し付けるな。

 そんな人間は、もう親父殿だけで充分なんだよ」


 リアが吐き出した言葉は、知らず、苦々しさと空虚(くうきょ)を含んでいた。

 ――無意識に、沈めた(はず)の記憶の底から、遠く離れて久しい面影が浮かび上がる。


 そのひとは、大丈夫だと、いつだって変わらずに笑っていた。


 多分、自分以上にリアを護るために。

 ……その人が逃げられなかったのは、親父殿に使われた、リアのせいであったというのに、リアに贖罪(しょくざい)を求めることもなく。


 それでも、温かに触れる手を、守ってくれる腕を、安堵(あんど)をくれる笑顔を、捨てると決めたのは、リアの方。


 手にした(やいば)が肉を()いた、初めての感触も。

 まだ、その人が片手で握り(つぶ)せるほどに細かった、リアの首に触れ、けれど、彼女を傷付けないままに離れた(てのひら)も。

 終わらせた後に、リアの胸のどこかに穿(うが)たれた穴も。


 ぜんぶぜんぶ、リアのものだ。


 ()()()()()()()()と決めたから、リアは、親父殿に、何一つとしてくれてはやらなかった。


 そして、その時にもう一つ、リアは決めた。


 ――使()()()()()()()()()()()()()()


「――だあっ、くそっ!!

 もう、いい加減にしろよっっ!!!」


 いきなり怒声を上げたヴォルケが、突然リアを抱えるなり、寝台の中に押し込んだ。


「寝ろっ!!

 ちゃんと休めよ馬鹿じゃねぇかっ?!」


 突然、意味不明に怒り始めたヴォルケが、リアに向かって一喝(いっかつ)してくる。

 ……別に、王鞘であるリアは、どんな不調を抱えようと、主君の(くび)を刈るまで、動き続けるだけなのだが。

 さらにヴォルケは、本物の山賊も裸足で逃げ出しそうな形相(ぎょうそう)を、よりによって、『教会』所属の三人組へと向けてしまっていた。

 ローディオは『教会』の影響力が強く、ヴォルケはまだ将軍職に就いているというのに、それが思い出せないヴォルケも馬鹿だ。


「――あんたらもだっ!!

 リアはなぁ、あの腐った竜と戦ってから、ずっと寝込んでたんだぞっ?!

 ――仮にでも何でも神に仕えているんだったら、その辺りの気遣いぐらい、出来ねぇのかっ!!」


 そもそも、『教会』側の人間が、『アレクサンドリアの悪鬼』に気遣う必要性を感じているのだろうか?


「……だったら、いちいち怒鳴(どな)るな、ヴォルケ。

 そう横で(さわ)がれては、眠れるものも眠れないだろうが」


 勝手に騒ぐヴォルケに気勢を()がれ、布団に包まったリアは身体を寝台に沈み込ませ、目を閉じる。

 リアが不調を抱えているのは本当だから、休息できる内に、身体を休ませるに越したことはない。


 リアが何を言おうと、自らの思惑通りに動くだろう『教会』の人員なんぞ、もう知るものか。


「――お、おう。

 なあ、大丈夫か?

 子守(こもり)(うた)でも歌うか?

 ――俺は、これでも村じゃ、チビ共の子守唄要員で頼りにされてたんだからなっ!」


 リアが(うなづ)いてすらいないのに、自動的に始まったヴォルケの子守唄は、――村で頼りにされた理由が、それはもう嫌という程良く分かる出来だった。


 ヴォルケの子守唄が相手では、そりゃあ、遊びたい盛りの幼子でも、直ぐに静かになろうと言うものだ。

 ――寝たふりでも何でも、静かにならなければ、延々延々延々と、こんな歌を聞かされ続ける羽目になるのならば。


 ……この場に黒主がいなくて本当に良かったと、リアは、遠い目でこの世のナニカに感謝した。

 人が(かな)でる楽を愛する、黒猫の(から)を被った真竜は、楽を聴く耳も、相応に肥えているからにして。


 ――ヴォルケの音響攻撃なぞ、黒主に聴かせてみろ。

闇夜(あんや)の黒王』の二つ名を有する古竜に発狂されて、ローディオの王都が全壊するとか、実現しそうで笑えない。


 そして、苦悶(くもん)の表情で、男に支えられながら、()うように部屋を出ていく『神の目』には、ご愁傷様以外に贈る言葉が見つからなかった。

 (うしな)った視覚を補う様に聴覚が鋭くなった分、『神の目』には、ヴォルケの子守唄の威力が増大している模様である。


 リアが、ヴォルケの方を(うかが)えば、平民将軍は、完全に自分の世界に入り切って、子守唄を熱唱していた。


 これは、確実に、音痴(おんち)の自覚が皆無のやつだ。


 ――原曲とはかけ離れているだろう旋律(せんりつ)が、二曲目に突入しそうなところで、リアは無言のまま、ヴォルケの鳩尾(みぞおち)肘鉄(ひじてつ)を食らわせた。

 黒主でなくとも、それ以上聴き続けていては発狂しかねないと、リアは真剣に危惧(きぐ)したのだ。


「――っ、ぐえっっ?!

 ――ごほっ、……何すんだよ、リア、今いいところだったんだぞっ?!」

「子守唄を歌ってくれと、私は、お前に頼んだつもりはないが?」

 額を押さえながら、リアは目を閉じる。


 ()()


 (おき)()の様に、リアの身の内に(くすぶ)っていた(ほのお)が、ここにきて勢いを増しつつある。

 ……地神の血潮というのは、リアが思っていた以上に扱いが難しいらしかった。

 額に触れてくる、武骨な手の温度に、リアはふと、息を吐く。

 男の、それも戦いを生業としている人間の体温は、非戦闘員である女のそれよりも高い。

 しかし、口にした地神の血の影響で、このままでは内腑(ないふ)が焼け溶けかねないと危惧(きぐ)し始めたリアには、そんなものでも無いよりはましに感じる。


「――医者、呼ぶか?」

「必要ない」


 医者が来たところで、リアができるのは、毒を盛られないか、死ぬ前に解剖(かいぼう)されないかを心配するぐらいだ。


 すっと、リアの手が、ヴォルケに伸びた。

 こんなものでも、無いよりましだろう。


「……なあ、りあ、お前、調子悪いよな」

「だから、体調を整える為に努力するつもりだが?」

「――それで、――」


 それ以上言い合うのも面倒で、リアは、寝台に押し倒した上で、馬乗りになったヴォルケの口に、自らの吐息(といき)を吹き込んだ。


 人を(そこ)ねぬように調整した、それでも人にそぐわぬ、神の力。


 今、自分が何をされているのか、リアの息吹(いぶき)を通じて、己の身の内に浸透(しんとう)したものが何なのか。

 ――何も分かっていないはずのくせに、ヴォルケは抵抗を止めた。

 代わりに、(ふし)くれだった太い指が、集中に邪魔な衣類を取り払ったリアの背に、そっと触れる。

 リアを愛おしむ様な、()れた指先の感触は、別に、嫌いではない。

 ヴォルケの態度が気楽で、リアは、何も言わないまま、彼女の地神から与えられた力の制御に没頭していった。


 ***


 ――『教会』はその教義から絶対に認めやしないし、時には呪術師狩りの理由にもするが、性行為も、世界の理へ干渉する為の技術の中に含まれる。


『教会』が信仰される地域では一般的ではないものの、数ある魔法技術の概念(がいねん)の一つに、この世の全ては陽と陰の要素で形成されているとする、陰陽という考えがある。

 とりあえず、個々の感情や社会規範は横に置き、陰陽の概念に(のっと)れば、陽である男と陰である女の交合は、魔法を行使する為の仕組みとしては、理にかなっているのだ。

 そして、新たな命を生み出す側面故に、魔法と呪術の境界線上に在る生殖行為は、最も原始的な、――単純であるからこそ、強力な効果を期待できる魔法技術だ。

 それに、術者が一人だけでは行使できないという、欠点さえ乗り越えれば、……ある意味お手軽な魔法の技術の一つでもある。

 この技術に関し、特に有名な利点を上げるとすれば、他人からの魔力の受け渡しの際に、最も効率が良いところだろうか。

 ……まあ、『教会』の影響力が強い地域では、魔力(まりょく)譲渡(じょうと)の為の性交も良く思われておらず、術者の魔力の枯渇(こかつ)への対策は、魔石や魔法薬が代替品となっているけれども。


 しかしながら、決して切り離せない呪術的要素のせいで、魔法を行うための性行為に対しては、やはり基本的に悪感情が先行する国が多い。

 これは、術者の羞恥(しゅうち)やら、社会的通俗に反するやらの問題だけではない(ため)、『教会』が、魔法を行使する為の性交を極端に(いと)うのも、(ゆえ)なきことではないのである。

 確かに、時に(おぞ)ましき惨劇を招いた儀式に組込まれ、時に『教会』から邪神認定を食らった存在の、『神降ろし』の秘儀の手順の一部とされては、魔法技術としての性行為に対する印象が、どん底を突き抜けていても仕方があるまい。

 ましてや、魔法を扱う技術は無数にあるのだから、いくら魔力があったとしても、性魔法なんぞキワモノ過ぎる技術を、わざわざ使用したがる者もいない。


 ――まともと評される社会に(まも)られながら生活し、自らが属する集団において、正常と判断される倫理(りんり)(かん)を抱える、()()の人間ならば。


 Copyright © 2014 詞乃端 All Rights Reserved.


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