亡き王に遺された花
*拷問関連の描写有。
苦手な方は、注意して下さい。
ふと、無機質な部屋に、花の匂いが香った。
知らない花の香だ。
甘い、甘い、けれど涼やかな、ヴォルケが聞いた覚えの無い薫り。
リアが、不快気に目を眇める。
――でも、分からない、それは見えない。
「亡き王の妃が、どうしてここにいる。
孫の墓守はどうした?」
――少し掠れた声で紡がれたリアの台詞は、男の耳に、届かない。
***
高き頂きに凛然と咲く花を想わせる、甘やかで清冽な薫香は、しかし、花の香ではない。
白い部屋に漂う薫りは、当たり前の様にリアに寄り添う。
――唐突に香った匂いに、違和感を覚えない事こそが異常であった。
筋肉妖精の背後から現れた人影を、リアは、寝台に横たわったまま見上げる。
細かな刺繍が施された外套は、纏った者の体型を覆い隠しており、深く被った頭巾のせいで、リアには、相手の顔立ちも表情も杳として知る事が出来ない。
王城の中でうろつきでもすれば、すぐさま通報されそうな不審者は、しかし、誰にも見咎められることも無く、リアの下へ辿り着いたのだ。
「……紅姫の為でなければ、人族の国なんかには来なかった」
吐き捨てた声は、ささくれ罅割れ、だが、以前は美しかったのだろうと思わせる名残があった。
「――それでも、よく来たものだな」
リアの台詞に案じる響きがあったのは、相手の苦痛を知っていたが故だ。
鎧とするには心許ない外套の下で、神域の住人は、微かに震えた。
「……地神の巫女姫、貴女の無様がなければ、わたしは――こんな事、する必要が無かったのに……」
恨みがましい言葉に、リアは怒らなかった。
己を奮い立たせ、拭いきれない記憶をねじ伏せる為に、目の前の人物が要した気力は、並大抵のものでは無かろう。
おかしな躁状態で振舞っていた筋肉妖精も、同行者に対し、今は気遣わし気な表情を浮かべている。
「――なら、早く帰れ」
リアは、素っ気なく言い放ち、寝台の傍らに座るヴォルケを見やる。
腐竜との戦闘で倒れたリアに、碌に休みもせず付き添い続けた馬鹿は、新たに現れた人物に、何の反応も示していない。
――己への、あらゆる刺激から切り離されたかのように、男は平然とした態度のまま動かない。
知覚したこと自体をも忘却させる、幻惑の薫りが、ふわりと、外套の下から湧き上がる。
知覚誤認や情報遮断、果ては、記憶の改竄すらやってのける、魔族の――花妖の民の、血筋を以て継承される、血統魔法。
生まれながらに、魔法の威力を増幅させ、血統魔法の要となる生体触媒を有する魔族において、花妖の民のそれは少し特殊だ。
彼等の皮膚のすぐ下に存在する生体器官は、魔法の触媒となる物質を、香りの形で体外へ飛散させる。
だが、それだけだ。
――血統魔法も生体触媒も、魔族に、無敵や最強などという絶対性を与えなかった。
「意思の無い人間に、何かを強いる程、私はまだ落ちぶれてない」
紅姫の為なんか、どうでもいい。
あの地神は、傷付く言い訳にされる程度の、安い存在ではないのだ。
リアの言い草に、筋肉妖精は、あちゃ~と、言わんばかりに額を押さえ、――花妖の民は、引き攣った嗤い声を上げた。
「――ああ、貴女は王鞘だよ、巫女姫。
貴女の父親と違って、紛うことなき『アレクサンドリアの悪鬼』だ。
……貴女だって、わたしの王達と一緒で、――何もかも自分だけで背負って、死んでいくんだ」
泣き笑う様な花妖の民が抱え込む、嘲りの刃は、リアに向けたものではない。
自分自身こそを嘲笑い、花妖の民は被った頭巾に手をやり、――一瞬の躊躇いを経て、素顔を晒す。
アレクサンドリアにおいて、花妖の民は、非力、と分類される種族だ。
内包する魔力量は、優秀な人族のそれと変わらず、血統魔法も、専用に調整された対抗魔法具には無力だ。
そして、人族から見て、見目麗しい傾向にある花妖の民は、その昔、高価な玩具で、――とある薬の生成に欠かせない、貴重な素材にされたのだ。
治り損ねて波打つ皮膚は、恐らく、滑らかなものであったのだろう。
薄紅と萌黄色がまだらとなった蓬髪が無事なのは、彼女の頭部に、生体器官が存在しなかったからだ。
幾度となく皮膚を剥された証明の、無残な傷痕の下には、歪んだ花模様の痣として、生体器官が存在を主張する。
生体器官が無かった左半分の顔は、手付かずで綺麗なままであったから、生体器官が集中した右側の顔面の崩れぶりが際立つ。
……媚薬などという、下らない産物を目的にした行為の、その結果は、世に送り出した価値に到底釣り合わない。
剥き出しになった同行者の過去に、筋肉妖精が痛まし気な顔をした。
刻んだ人間は時の流れに呑まれ果て、行為を後押しした国さえ名を変えても、なお癒えないままの痕を、歪な指先が撫でる。
亡き王に遺された花は、奥底から噴き上がる灼熱に、唇を震わせた。
「――この傷に甘えて、わたしの王達に、全てを押し付けた結果を、貴女は知っているだろう」
知っている。
知っているとも。
亡き王達の覚悟と骸が、リアの立つ場所に繋がっているのだから。
「……夫は、平和を求めた相手に殺された。
……息子は、聖王の軍と相討った。
――孫は、自分の幸せを放り投げた挙句に、異母弟に討たれ、曾孫は、愛した男を見捨てざるを得なかった――」
『聖戦』を終わらせた『賢王』の母にして、『聖戦』直後の動乱期、国の建て直しに奔走した『中継ぎ王』の祖母たる女の言葉が、最後には慟哭となる。
その叫びは、幻惑の香気に遮られ、リア達以外に届かない。
――アレクサンドリア王家は、混血の家系。
アレクサンドリアに住まう、どんな種族とも子を生してきた、畜生の血筋だ。
奇妙なことに、アレクサンドリア王家は人族の特性が強く、外見や能力においても、取り込んだ他種族の血の主張は極弱い。
……おまけに、大凶星の下に産まれる彼等は、まともな死に方をする事こそが困難だ。
少なくとも、真正の『殺戮の覇王』たる四人の亡き王達は、いずれもその顔に、老齢による皺を刻みはしなかった。
だから、置いて行かれるのは、大概王を愛した側だ。
大凶星に仇為そうとする輩は、彼等が招く禍に、真っ先に喰い潰されていくので。
数百年前に去った王の、遺された妃は、涙も流せず悲嘆を吐き出す。
「――巫女姫、わたしは、いつまで嘆いていればいい?
……いつになったら、わたしは、――わたしの王達に追いつける……?」
「――お前が、お前の王の願いを捨て去れば、いつでも」
虚ろな光が揺れる薄紅の瞳に、リアは無慈悲に答えを投げつけた。
ああ、『殺戮の覇王』は、どいつもこいつも残酷だ。
遺して逝く相手に、生きろと、――追いかけてくるなと、願うなど。
愛した女が、積み上げていかなければならない年月を、きっと、理解していたくせに。
花妖の民は息を呑み、――諦観と共に、首を振る。
「貴女は、王鞘だな、巫女姫。
主君以外に、何も与えない」
当然だ、亡き王の妃にくれてやるものを、リアは持ち合わせていない。
落ち着きを取り戻した花妖の民は、すっと、リアに近付くと、懐から取り出したものを、リアの左手に握り込ませた。
リアが開いた手の上にあったのは、飴玉の様な大きさの、紅く丸い球体。
それに硬さは無く、軽く閉じた掌に弾力を感じた。
球体の色に、嫌なものを感じたリアは、図った様に送られてきた紅姫の思念に、脱力して寝台に沈み込む。
とりあえず、紅姫のドヤ顔には、馬鹿が、という言葉と、殺気を叩きつけておく。
じろりと、リアは、運び屋となった二人の神域の民を睨み付けた。
リアの声は、知らず、唸るように低くなる。
「……まず、止めろ……」
「それが、一番貴女に効く薬だろう、巫女姫」
「大丈夫よん、リアちゃん。
知られなければ、奪われることもないんだもの」
花妖の民は、しれっと返してきた上に、筋肉妖精は、満面の笑みで、グッと親指を立ててきた。
殴りたい。
けれど、消耗が激しいリアに、余計な事へ回す体力が無いのは、本当だ。
仕方なく、――本当に、仕方なく、リアは手にした球体を、口に含む。
噛み砕く手間もなく、口にしたそれは、どろりとした液体に変じた。
舌に絡まる鉄錆の味に、リアは眉を顰める。
某悪食男へ向けた、美味くないだろう、これ、という感想ごと、リアは、口の中のものを飲み下した。
どろりとしたものが、胃に収まってすぐに、リアは、身体の芯に火種が落とされたのを感じ取る。
静かに灯された焔は、ゆるゆると、しかし、確実に勢いを強め、リアの内腑を舐めていく。
リアから零れた吐息が、身の内で揺れる焔の熱を孕んだ。
「――大丈夫?」
「持ってきたのは、お前だろうが」
心配そうな筋肉妖精に、リアは、瞼を閉ざしたまま言い返す。
大丈夫、とは言い難い。
リアが口にしたのは、徒の人間では手に余る、強力な異物だ。
「神の血は、畏れ多いのだよ、巫女姫。
貴女は、地神の眷属だから、紅姫の血に呑まれないのは知っているけれど、それでも不安になるくらいには」
僅かに微笑む花妖の民の面には、抑えきれない畏怖が、見え隠れしていた。
――神の血を口にした者は、破滅に至る。
当然だ、大いなる力は、例え一欠けらでも、ヒトの身に余る。
――竜の血を口にした者は、英雄となる。
当然だ、大いなる魔獣の粋を取り込んで、それでも耐えられたのなら、英雄と成るに値する器であったのだ。
――では、地神たる地竜の血を、口にした者は――。
地神の血が生み出す熱に中てられたのか、リアは、詮無きことを考える。
高祖父に非常食扱いされた紅姫であるが、リアが彼女の血を飲むのは、これで二度目だ。
けれど、紅姫の血を口にした経験のある王鞘は、高祖父とリアぐらいだろう。
地神の血は、地神そのもの。
例え紅姫の眷属たるウェインであろうとも、非常食替わりや、薬替わりとして、口にするようなものでも、口にして良いものでもない。
――それを、紅姫はほいほいと外に出したわけだが。
どこかの魔導士や呪術師に見つかって、施術の触媒に使われたら、一体どうするつもりだったのか。
地に縛られていようと、神は神。
その血が内包する力は、下手な魔物など、足元にも及ばない。
下手に軍事魔法に転用されれば、甚大な破壊をもたらすだろう。
……精神感応のドヤ顔を思い出せば、リアの地神は、特に何も考えていなかったに違いない。
地神と言うのは、ある意味井の中の蛙の究極系だ。
己の領域においては絶対的だが、その外の事柄に関しては、干渉の術がなく、興味も無い。
迫害から逃れてきた民を、積極的に受け入れてきた紅姫は、地神として例外であり、異端であった。
ふと、リアが瞼を持ち上げれば、花妖の民の顔色が、酷く悪い事に気が付いた。
これでも、彼女は、良く持った方だろう。
傷付いた記憶しかない神域の外へ、亡き王の妃は、自らの意思で足を踏み入れたのだ。
「――もう、良いだろう。
帰れ」
「リアちゃんは、もっと言い方を気にしても良いと思うわん」
ぞんざいに手を振るリアに、筋肉妖精が苦笑する。
「スウリ、お前だけには言われたくない」
何せ、頑張り過ぎと評する主君以外のことごとくに、アレは無いと言われる、振る舞いが振る舞いだ。
……今は視覚的生体兵器な筋肉妖精も、以前はお姉的仕草も化粧もなかったのに、一体どうしてこうなった。
――服飾作成に命を懸けている筋肉妖精が、事あるごとにリアに手製のドレスを着せようとするのを放置していたのは、主君からも苦言を呈された事実だが。
頭巾を被り直した亡き王の妃は、何故だか、ヴォルケに目を向けた様だった。
「巫女姫、貴女は、――貴女だけは、『虚無の聖女』だったか……」
己が禍を以て、主君の禍を制する『虚ろの騎士』。
ウェインの血筋が負い続けた大凶星を、しかし、リアが負うことはなかった。
「それがどうした?」
「巫女姫、貴女は――」
花妖の民は、何かを言いかけ、だが、続く言葉を飲み込み、頭を振った。
「……いや、何でもない。
――貴女は、王鞘、だから」
多分、花妖の民が言おうとしていた台詞を、リアは分かっていた。
――分かって、何も言わないのが、リアの答えだ。
亡き王に遺された花の吐息は、微笑むようで、哀しむようで。
「気をつけろ」
去り行く背に放ったのは、ただの義理だ。
――幻惑特化の花妖の民と、視覚的生体兵器の筋肉妖精の組み合わせである。
存在しないはずの稀人に、ローディオの者は、そうそう気付くまい。
***
ふと、ヴォルケは瞬く。
無機質な部屋にいるのは、自分と、寝台に横たわるリアの、二人だけ。
知っているはずの白い部屋は、空気まで無味乾燥としている。
「――リア、さっきまで、誰かいたか」
「いただろうが、筋肉妖精が」
眠たげなリアの返答に、認識拒否生物のせいで記憶が飛んだかと、ヴォルケは頭を抱えた。
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