境界線は何処(いずこ)や
黒髪の青年の食事風景は、いっそ喜劇めいていた。
王城の庭には不釣り合いなこと甚だしい、大型の魔物の骸を背に、自分の頭ほどある焼けた肉の塊を、げっ歯類を彷彿させる勢いで頬張っている。
腐竜との死闘でどんだけ腹を減らしたのか、必死の形相で食事を続ける青年に、肉を供給しているのは、ウサギと竜の様なナニカの姿をした魔道人形だ。
ウサギが、前脚で持った大振りの包丁で切り分けた肉を、竜モドキが火を吐き出して焼いている。
二体の魔道人形は、脱力系の見た目に反し、多機能かつ高性能であり、血が飛び散ろうと油が撥ねようと、汚れを弾いて身綺麗なままである。
また、竜モドキは、せっせと塩を振ったり液体調味料をかけたりと、ご丁寧にも肉の塊に味付けしていた。
だが、肉の大きさが大きさだ、表面だけ味がついてもあまり意味はあるまい。
よく分からない竜モドキのこだわりで完成した焼き肉は、味を認識しているのかも定かではない、腹ペコの青年の胃袋に消えていく。
なお、黒髪の青年の傍らには、彼の背丈ほどはあろうかという、一部が欠けた蜥蜴的なナニカの頭部が転がっている。
一頭目の、食い残しだ。
――己の質量を余裕で上回る量の肉が、一体青年のドコに消えたのか、という疑問には、彼が『暴食鬼』の遠縁だから、という答えで一応の納得はあった。
『暴食鬼』と畏れられたかつての王鞘は、招かれた宴の料理を食い尽くすどころか、相手の食糧庫を空にしたという逸話があったし、実際、青年もそれをしたので。
そんな、何だかヘンな笑いさえ浮かんでくる光景の横から、液体を啜り上げる音が響く。
……よく見知った男ながら、その様は、恐怖映像に他ならない。
頭部を陥没させ、片目が垂れ下がった巨獣の首筋に、血塗れになった男が、かろうじて栗毛と判別できる頭を突っ込んでいた。
頸動脈を裂いた傷口から、静かに流れ落ちるどす黒い体液を、舌で舐めとる姿は、それこそ魔物めいている。
さも美味そうに魔物の血を口にされても、それはそれで嫌過ぎるが、無表情で大量の血を飲み下しているところを見ると、背筋が寒くて仕方がない。
男がいくら人の振りをしようとも、此方とはあまりにも違うと、見せつけられてしまうから。
――なぜこの場にいるのが自分なのだと、ジャネタは膝を抱えて自問する。
それも当然で、ジャネタの目の前で繰り広げられているのは、好き好んで見たい光景ではないのである。
まあ、腐竜の件はどうあがいても、不可抗力だし、腹減りヴィルを野放しにしておく方が後々厄介だし、――迂闊にヴィルから離れると死にそうだから、仕方があるまい。
死んだ魚の目で、ジャネタは、魔物の骸を食らう二人に――特にヴィル――最大級の警戒を向けるローディオの騎士達を、眺めた。
気持ちは分かる。
あんなのが己の領域に存在すること自体、堪ったものでは無かろう。
だが、ジャネタはヴィルとは違うので、同じ様に剣を振り下ろされたら普通に死ねるのだ。
確かに、ジャネタはヴィルと共にこの国には来たが、同じモノ扱いは心底勘弁してほしい。
別に、ヴィルとは雇い主を介した腐れ縁で、ジャネタは、あの男に好意を寄せている訳でもないというのに。
……例えば、男の趣味が悪いと評判のアルトリアなら、何も気にせずに近寄って行って、あれの汚れ切った手をとるのだろうけれど。
裏切らなければ、裏切られないといって。
……ついでであろうと、間違いなくジャネタの為にも、命を懸けたと知って。
だが、自分とあの男の間にある断絶は、奈落よりも深い。
魔力を豊富に含む、魔物の血液を摂取すれば、ジャネタは間違いなく中毒を発症する。
むしろ、栄養補給を目的に魔物の血液を口にする、ヴィルの方が異常と評される。
それに、他者の命を紙切れのごとく認識する価値観に、妻子や父親違いの弟妹の存在を楔として打ち込んでも、魔物すら容易く害す、男の手の強さは変わらない。
ヴィルの武骨な手に触れようと願うよりも、ジャネタは、簡単に自分を壊し得る、指先さえも恐れてしまう。
ヴィルも、ジャネタの内心を知っていて、しかし、彼女を変える事には興味がないのだろう。
あれは、唯、ひとつきりでも、満足する類の人間だから。
か細い縁を頼りに、少しばかりジャネタを気には掛けても、それだけだ。
――その事に関して、ジャネタは何も考えない。
考えても、仕方がないことだ。
ヴィルが留まる理由の一つを、ジャネタは横目でチラ見しようとして、――全力で目を逸らした。
故郷の先王の器の大きさを、ジャネタは舐めていたらしい。
ヴィルが手を貸す気になったぐらいだ、息子が人妻のアルトリアに執心し、旦那のヴィルを疎む馬鹿でも、父親が馬鹿である証明にはならなかった。
確かに馬鹿息子の教育については間違ったらしいが、子供は独りで育てるものではないので、きっと誰かが馬鹿をやったのだろう。
雇い主はたまに心配になる程能天気であるが、アルトリアにフラれた現実を直視しない馬鹿息子とは違い、自分の思い通りにならなくても、誰かに八つ当たりはしない。
「スウリさんのおかげで、助かったよ。
ヴィルは、燃費が悪くてね」
「いやん、気にしないでくださいな。
ワタクシ、陛下のご指示に従っただけですもの」
――それ、やめろっっっ!!!!
ほのぼのと食事中のヴィルを見守る雇い主と、会話するだみ声に、ジャネタは心の中で絶叫する。
声に出さないのは、認識拒否生物Xと会話なんてしたくないからだ。
そして、遠目に、騎士の皆さんが魂を飛ばしているのが見えた。
存在するだけで、周囲に精神攻撃をまき散らすとか、それどんな生体兵器。
中々上等な金蔓、と見做していた雇い主への評価を、ジャネタは青天井に引き上げる。
後進にその座を譲ったとはいえ、これが王と言うものか。
国に護られぬ裏寄りの人間故、軽く見ていたものに、ジャネタは戦慄した。
――腹減り状態の血みどろヴィルだけではなく、アレと当たり前に言葉を交わすなんて……。
アレクサンドリアは恐ろしい、と、ジャネタは膝を抱える腕に力を込める。
アレが、自分で撲殺してきた大型の魔物をほいほいと運び込める人材であるのはもとより、アレの存在自体を許容できるのだ。
――数多の種族がひしめくこの世界でも、酷く希少な、多種族国家。
踏み付けるのでもなく、壁を作るのでもなく、あまりにも異なる者達を共存させる精神性と、それを貫き通した力を、ジャネタは見せつけられた気がした。
……羨ましい、とは、全く思えなかったが。
雇い主との会話によると、スウリさんとやらは、剛翅の民の出身らしい。
特技は、付与魔法と撲殺。
趣味は、衣装作り。
自慢は、透き通った種族特有の背の薄翅と、筋肉。
これでも、妖精族の括りに入り、昔は他種族から生体素材でもある薄翅を狙われて、大変だったとか何とか。
とりとめもない会話を無心で聞き流しながら、ジャネタは、アレはアレクサンドリアの女王の嫌がらせかと思い立つ。
ヴィルと共に、腐竜と死闘を演じた女王の忠臣は、倒れて寝込んでいる最中だ。
けれど、ローディオ側の妨害が無ければ、もう少しましだったに違いないと、ジャネタとて分かる。
――どうして、神域の番人が浄化の聖歌を歌ってのけたのかだなんて、ジャネタは考えないったら考えない。
だから、嫌がらせ、と思えば、ジャネタやその他諸々の人々の概念に喧嘩を売って回る、アレがやってきたのにも、腑に落ちる。
それにしても、アレクサンドリアの女王は、戦争に消極的だと聞いたが、腐竜の件で頭に血でも上ったのだろうか?
禿頭に、むきっとした筋肉にふさわしい面構え。
確認したくも無かったが、下睫毛が長かった。
背の薄翅は細長く、葉脈の様な模様が浮かぶそれは、昆虫のものに似ている。
……そして、身に纏う桃色な薄絹のひらひら衣装は、己の翅に着想を得たのだとか……。
――更には、顔に塗りたくられた化粧と、だみ声から繰り出されるお姉言葉に、無意味にくねくねした所作の、相乗効果よ。
視覚にも暴力が存在すると、ジャネタは産まれて初めて思い知らされた。
コレが、アレクサンドリアの、ローディオに対する挑発では無ければ、何なのだろうか?
腐竜や、王鞘が見せた力の一端にローディオの上層部も混乱しているらしく、まだ、踏み止まっているが、――それが無ければ開戦ものだ。
ジャネタも当事者でなければ、腹を抱えて笑うような理由でも。
未だ終わる兆しを見せない食事風景を、ジャネタは遠い目で見つめる。
これを見ていると、平和の境界線上がどこにあるのか、ますますもって分からなくなる。
もう、かえりたい。
それが、偽らざるジャネタの本音だった。
――後に、雇い主から、スウリさんが服装に関して時と場所と場合を考えろと、女王から叱責を受けたと聞き、ジャネタは震撼した。
……それで、済ませるものなのか、アレ……。
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